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第一章 一話

 教会は廃墟と化し、風が吹く度に、軋む音を立てながら揺れていた。入口の扉は外れかかっており、中は吹きさらしになっている。扉の表面にある蜂の巣のような弾痕が、そう遠くない昔に、ここで何があったのかを想像させた。

 俺がそこで寝ているのは、昼寝をするのに丁度いい場所を見つけたからではなかった。視界を塞ぐ代わりに耳を研ぎ澄ますと、猫が散歩する時のように立ててるような、静かな足音が床の上を這い回わった。男……上等の革靴を履いた、若い男だ。拳銃を携えている。安全装置を外す音がした。近づいてくる男と俺との距離が、ジャスト五十センチに縮まる。

 瞬間、瞬く隙も与えずに俺は起き上がった。思わず身を引いた男の鳩尾に、素早く拳で一撃をくれてやる。そしてその体勢のまま、右手に取り出したナイフで男の首筋を切りつけr。

「…………」

 首から流れる血の量を見て助からないと思ったのか、男は睡魔に襲われたように、無抵抗de倒れこんだ。すかさず俺は周囲を見回す。追っ手や連れ合いは見当たらない。あっけなく仕事は終わってしまった。

「やぁ」

 教会の入り口から声が聞こえた。雑踏の中で友人を見つけたようなその気安い声に、俺はうんざりして振り返る。そいつの声は、死体が転がっているというこの状況に不自然なほど明るい。死体をよけて歩く、その足取りは軽快だった。俺は横目にそいつを視界に入れた。

 のりが利いたシャツとチョッキ、光が当たるとコバルト色に見える髪、人好きのしそうな笑顔。二十代後半のはずだが、笑う瞳は全然そんなことを感じさせず、少年のようだ。

「簡単に仕事が終わったのに、不機嫌そうだね?」

 そう言って差し出して来たそいつの手を振り払い、俺は踵を返した。

「さっさと帰るぞ」

 放り捨てるように言った俺の言葉に、奴はどういう顔をしたのだろう。

「仰せの通りに、マイフレンド」

 そいつはあくまで愉快そうに言いながら、俺の背中を追いかけてきた。


 ソドム。かつて姦淫が溢れ、神火に焼き払われたという伝説の残る街。そこで俺は、息を潜めるように暮らしている。

 両親に捨てられたことを理解するのに時間はかからなかった。多くの貧民層がそうであるように、俺も路上に寝転がり、残飯を漁る生活を続けた。初めての人殺しをするまでは。ナイフで肉を斬る感触を覚え、それが手慣れた頃には、その仕事だけで食べていけるようになった。この稼業に身をやつす俺を見て、人は何と言うだろう。

「生活に困るから人殺しをせざるを得ないなんて、不憫な」。「愛のある温かい家庭に育っていれば、犯罪に手を染めてまで生きようなんて思わなかっただろうに」。言い方に差はあれ、大体はそんな所だ。

 思い違えるな。

 俺は食っていく為に人殺しをしている。他人の命と引き換えに生きている。この仕事を選んだのは、俺自身の意志だ。相手がどんな人間なのかは知らなかったし、知らなくても良かった。どれも等しく、俺の飯の種だからだ。

 もちろん、仕事なら他にもある。一番元手がかからない仕事は売春だろう。人殺しよりはリスクが少ない。病気にさえ気をつければ。あとは武器や麻薬の横流し辺りだ。マフィアに入れば、厳しい掟の下だが「組織」に所属することができる。

 それでも俺がフリーの殺し屋になったのは、自分の力だけで生きることを選んだからだ。俺にとって必要なのは、絶望に慣れることでもなければ、希望を持ち続けて清く生きる健気さを持ち合わせることでもない。まして、愛ある家庭で育つことでも無い。他人からの庇護を欲しいと思ったことは、一度もない。

 人はいずれ死ぬ。命が失われるのは実にあっけない。スラムで生活していた時は、飯の取り合いで殴り殺される奴を度々目にしていたし、今は俺自身がその光景を生み出してすらいる。他ならぬ、自分がよく知っている。

 他人の悪意がもたらす「絶望」よりも、他人の善意が差し出す「希望」よりも――自分の中で息づく、もっと確かなものが欲しい。つまり、「力」だ。


 いつぞやか、あの男に言われたことがある。俺を友人と呼びかけてくる、気安いあの男に。

「気味はまるで炎のようだね。この街は、神の怒りによって焼き払われた。怒りは炎に姿を変えて、全てを焼き払う」

 地獄の起源は、生きながらにして子どもを火あぶりにした儀式にある。不浄を薙ぎ払うのが炎なら、罪人に耐えがたい責め苦を与えるのも炎だ。

「君の中にあるその欲心が大火となって、この街全体を包みこむことにならないのを祈るよ」

 かつてこの街は、焼き払って無に帰さなければならない程の罪悪が溢れる土地だった。今、世情は先代の戦争で混沌としており、貧富の格差と弱者を虐げる政策が、市民を暴徒の道へ走らせている。それは今ではごく一部での出来事だが、確実に火種は広がり続けていた。

「火種は大火を得ることで、より一層広がるものさ」

 そう言って爽やかに笑う、記憶の中の男から顔を背けるように、俺は窓の外を見遣った。

 鳩がいた。足をひょこひょこと引きずり、羽を広げて地面を離れようとするが上手く飛べない。風切羽をやらたのか。そうとあれば、こいつは二度と空を飛べはすまい。

 帰る場所と知りながら、そこへと飛び立てない鳩からも視線を外して、俺はベッドの上に寝転んだ。そして、机の上に放り投げてあるナイフを見る。

 ここ最近、洗っても洗っても血の匂いがとれなくなってきたそれを見て、意識は静かにまどろんでいった。

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