説得
さすがに仕事中は違うが、一日に何回もこういう「思い出したくも無い」昔の思い出が、まざまざと蘇ってくるのは何故か?と言えば、原因は「あれ」の存在だろう。まだ手付かずのまま置いてあるが、あの日「中身が何か、大体想像がつく」と言った山崎の言葉が、俺の頭の中から消えない・・。俺にだって、あの形状からして、中身が本かノートの類である事位は想像がつく。時々、「煮るなり、焼くなり、好きにして良い」と言った、まさやのおふくろさんを思い出す。一人息子を亡くした直後なのに、どうして晴々とした顔をしていたのだろう・・、妙にそれが気になっていた。
昨日は雛子と食事をしたのだが、やっぱり「あれ」の事を聞かれた。まだ開けてもいないし、一生開けないかもしれない、と言う俺に、雛子は悲しそうな顔で「後悔すると思うけどなぁ・・」と言った。おふくろに至っては「アンタが見ないなら、私が代わりに見てあげようか?」なんて戯言を言っては、兄貴に叱られる始末なのだが・・・。
俺と二つ違いの兄貴は、大らかで、好い男の典型だと思う。俺が山崎を一目で気に入ったのは、あいつが兄貴に似ていたからかもしれない。兄貴は俺とは全く違う生き方をしている。俺がエリート街道まっしぐら!なのも、心から喜んでくれている。
「人には、持って生まれた『質』とか『性』とか言うやつがあるんだよ。良いんだ、それで。お前はお前、俺は俺だ。」
そんな兄貴を、俺は心から信頼している。「あれ」の事も、お前の好きにすれば良い、それが一番の供養だ、と言ってくれた。
半年後に結婚を控えた俺は、少しずつ荷物の整理を始めているのだが、部屋の隅に置かれた「あれ」が、俺の神経を逆撫でする・・。絶対に気にならないという自信があったにも拘わらず、時として、あそこにまさやが腰掛けているようにも見える自分が、恨めしい限りだ・・。本当に捨てちまったら、まさやは化けて出るだろうか・・・?
「マリッジブルーのたくや君、暇?」
「あぁ、兄貴・・。何で?」
「いやさ、明日はもう帰るから、飲みに行かないかなぁ・・、と思ってさ」
「良いよ」
荷物の整理もそこそこに、俺は兄貴と飲みに出かけた。近所の行きつけの店は、兄貴の同級生の実家だ。
「こんばんは」
「あらぁ、いらっしゃい!帰って来てたの?」
「はい、お邪魔します」
兄貴に促され、俺も中に入った。
「よっこいしょ」
兄貴が腰掛けると、どんな椅子でも小さく見える。
「何だよ?何笑ってるんだ?」
「いや・・・」
「お前、椅子からケツがはみ出してる、って言いたいんだろぉ?」
兄貴は、4500㎏で生まれてきた。「お産が大変だった」とおふくろが言ってたっけ・・。小さい頃からデカくて、「気は優しくて、力持ち」を絵に描いたような子供だった兄貴。俺は、今でこそ兄貴と遜色ないが、小さい頃はチビだったから、「お兄ちゃんが僕の栄養まで取ったからだ!」と良く駄々をこねて困らせた。兄貴は体に似合わず「童顔」で、まつ毛なんか「クルン」とカールしている。小さい頃、おふくろがマッチ棒を乗せて遊んでいたっけ・・。兄貴が小学校三年生位の時だったと思うが、ある日女の子バリのまつ毛が嫌でハサミで切ろうとしていた兄貴に、慌てて止めに入ったおふくろがこう言った。
「まつ毛はねぇ、目を守る為にあるのよ?まつ毛が長くて多い人は、他の人より目が弱いって事なの。もしハサミで切っちゃったら、目がポロン!って落っこちちゃうけど、良いのぉ?」
兄貴は恐怖におののき、それ以来、まつ毛の事を気にしなくなった・・。でも、兄貴がいなくなってから、おふくろが「チョロイもんだ」と呟いたのを、俺は知っていた・・。おふくろは、そういうヤツだ・・・。
「最近、どう?」
「うぅん、まぁ、そこそこかな・・」
「窯は誰が見てるの?」
「友達」
「ゴメンな、引き出物なんか頼んじゃったから、忙しいだろ?」
「まぁな、でも良い宣伝にもなるから、お相子だな。ちゃんと払えよ?」
兄貴は陶芸家で、一年中窯のある愛知で、陶器を焼いている。今回は営業のついでに実家に帰ってきたのだ。
「うん、ちゃんと払うよ。でさぁ・・・、俺、マリッジブルーに見える?」
「アハハ!どうかなぁ?でも、あんまり嬉しそうじゃ無いぜ?」
「そっかぁ・・・。兄貴、まさやの事、覚えてる?」
「覚えてるさ!お前、毎日まさや君の家に行ってただろ?おふくろが『お兄ちゃん、たくや迎えに行って!』ってさ・・。で『またぁ?』ってな、アハハ!」
「だよなぁ・・」
「可愛い子だったよな・・、いつの間にか遊ばなくなったよな?」
「うん、五年生の時・・・」
「お前、知ってたか?まさや君、殆ど毎日の様に、お前を訪ねて来てた」
「えっ?」
「うん、たくや君いますか?ってな」
「ホント?」
「うん、おふくろが、留守だって言うと泣きそうな顔をして帰っていく、っていつも言ってた」
「そうだったんだ・・・。でさ、あれなんだけど・・・」
「あれ?あぁ、おふくろが見たがってる、まさや君の遺品か?」
「うん・・、あれ、どうしたもんかなってさ・・」
「お前はどうしたいんだ?」
「正直、分からない・・」
「お前、あれを開けるのが怖いんだろ?」
「えっ?」
「怖いんだな?そうだろ?俺はお前の性格を誰よりも知ってるよ。あの中から、どんな真実が飛び出すのか・・・、それが怖いんだろ?」
「俺に嘘は無いよ・・・」
「まぁ、そうだ。お前は誰よりも信念ってやつを持ち合わせている男だからな。でも・・・、お前のそれが全てじゃ無いぜ?」
「どういう意味?」
「例えばさ、お前は俺の事を信頼してるだろ?」
「うん」
「それは、俺が自分と弟を比較したりしないし、弟より出来が悪くても卑屈になったりしないからだろ?」
「それだけじゃないよ・・・」
「俺が兄として、と言うより一人の人間として、お前と向き合ってると思うからだろ?」
「うん・・、まぁそうかな・・」
「俺はお前に、嫉妬したぜ?」
「えっ?」
「嫉妬だよ、嫉妬・・。お前の中の俺は、随分と出来た人間みたいだけど、実際の俺は、そんなに完璧じゃないよ。悔しかったし情けなかったよ・・。正直、お前が憎らしかったよ。驚いたか?」
「・・うん」
「だけど、一途に俺を慕ってくれるお前に、そんな所を見せられない、ってのが俺の意地だったんだ」
「意地・・・」
「あぁ。じゃぁ、俺がお前に勝てるのはどこだろう・・って考えた。人間性かもしれない、ってのが俺の出した結論だった」
「人間性・・」
「どこか一つでも良いから、優位に立ちたかったんだよな・・、きっと。自分の卑屈さに呆れたよ・・。でさ、お前の真っ直ぐな瞳に応えられるだけの寛容さを持とう、って決めた訳だよ」
「けっこう複雑なんだ・・」
「そうさ、人間ってのは案外複雑に出来てるんだ。1+1は、必ずしも2じゃ無いんだよ、分かるか?」
「・・・何となく」
「こんな事一つとっても、お前の思惑とは随分違ってる訳さ、なっ?」
「参ったなぁ・・・」
「お前の脳ミソは理系だ。だけど、感情はそうはいかない。お前の唯一の欠点は、何でも理論的に考えたがる所だ。人間の心理ってやつは、理屈では片付かないもんなんだよ」
「そっか・・」
「結婚を控えて嬉しい筈のお前が、何か釈然としない表情をしてる。何か疑問を抱えてる。何だろう?って思ったよ。お前がそんなじゃ、雛子ちゃんが気の毒だろ?だから今日誘ったんだ。お前にそんな顔をさせているのは、きっとまさや君だ、違うか?」
「うん・・、何だか胸のこの辺りで、何かが痞えている・・、そんな感じかな・・」
「じゃぁ、やっぱり開けてみろ、お前の知らなかったまさや君の何かが、あの中にはきっとある」
「兄貴・・・」
「ん?」
「何で、今日・・・」
「こんな話しをしたのかって?お前が、少し大人になったからだよ。もっと大人になって俺の本性がばれちまう前に、自分からばらしとこうと思ってさ!」
兄貴は明るく笑って、そう締めくくった。俺の知らなかった兄貴の「陰」の部分を聞かされ、正直ショックだった。俺は自分の都合のいいように、勝手に兄貴を美化していたんだ。いったい、兄貴のどこを見ていたのだろう・・。だけど、兄貴の話はどれも尤もで、本人は否定するだろうが、やっぱり兄貴には敵わないと、俺は心からそう思った。翌日「話しがある」と、俺は雛子をデートに誘った。
「あれなんだけどさぁ・・」
「何?」
「だから、あれ・・」
「あれって?」
「まさやの・・」
「あぁ!あれ?」
「うん、やっぱり見てみる事にした」
「そう!良かったぁ!」
「何だか、ちょっと気が引けるけどな・・」
「そんな事ないわよ。まさや君は、あなたの為にあれを残したんだから」
「俺の為に・・・か。いったい何だろうな・・・」
「多分・・、中身は日記」
「日記?」
「うん、中学の時に聞いた事がある」
「あいつに?」
「うん、小学校入学の時からずっと・・・、あなたの事ばっかり書いてある笑える日記があるって・・」
「何だぁ、それ?って言うか、お前さ、何でそんな事まで知ってるの?」
「まさや君と仲良しだったから」
「へっ?」
「知らなかったでしょう?まさや君と私の間には、あなたの大好きな『男女間の友情』が成立していたのよ」
「クッ・・、お前って、どこまでも厭味なヤツだなぁ・・。全然知らなかった・・」
「でしょうねぇ、あなたって割と鈍いから」
「・・・、待てよ?じゃぁ、葬式の日におばさんが言ってた女の子の友達って・・・」
「それ、きっと私の事」
「そうか・・、そうだったんだ」
「あの頃のあなた達って、不思議だったわ」
「何でさ?」
「両極にいるのに、お互いに引き合っているって言うか・・」
「・・・・」
「他の誰も、そこには入っていけない・・、そんな感じかな?」
「俺は・・・」
「知ってるわよ、天敵だって言いたいんでしょう?でもそれって、裏を返せば目標って言う事で、だからずっと後を追いたかったんじゃないの?」
「・・・今度は分析かよ・・」
「あなたは、まさや君を正面きっては意識していなかった。でも、彼は全身全霊で、あなたを欲してた」
「分かんないなぁ・・・、あいつは俺の事なんか・・」
「私、あなたの事なら何でも知りたかったでしょう?あなたへのまさや君の視線に、直ぐに気が付いた」
「・・・・」
「きっと、どこかでボタンを掛け違えたのね。まさや君は、きっとあなたと仲直りして逝きたかったと思う」
「俺が罪を犯した、とでも言いたいの?」
「そんな事を言ってるんじゃない。でも、日記を読んであげるのが、あなたの務めだわ。日記には、まさや君の思いの丈が書かれている筈。読んで、あなたの中のまさや君が大事な存在になってくれる事を願ってる。聞いてるの?」
「うん・・・」
雛子には悪いが、後半は聞いちゃいなかった。それどころじゃ無かった・・。全身全霊で俺を欲してた?俺は無駄な努力を重ねて、無意味にまさやを遠ざけていたってのか?だとしたら・・・、俺のこの十八年間は、いったい・・・。