青臭い思い出の数々
まさやとの出会いは、十八年前にさかのぼる。小学校入学当時、俺は学校一のチビだった。入学式の思い出は、今も忘れられない最悪のものだ。何故って、さぁ、これから入場!という時に、緊張のあまり吐いてしまったから。しかも、チビだったから先頭だったし・・。「しまった!」と瞬時に思いはしたものの、どうしようもない。その時、先生よりも先に「大丈夫?」と寄ってきたのが、まさやだった。女の子みたいな綺麗な顔が、心配そうに俺を覗きこんだ。「うん」と答えたが、恥ずかしさで顔も上げられなかった・・。先生が直ぐに駆けつけて事なきを得たが、翌日からの俺の渾名は、危うく「げろちん」になる所だった。しかし、まさやが烈火の如く怒り、その庇い方が尋常じゃなかったから、「げろちん」は直ぐに却下された。そんな縁で、まさやと俺は殆ど毎日一緒にいるようになった。俺達は、勉強でも運動でも、良いライバルだった。まさやがどう思っていたのかは知らないが、いつもチョッピリ前を行くあいつが俺の目標だったんだ。思い返すと、本当に俺達は仲が良かった・・・。それが、「天敵」に様変わりした日の事を、俺は今でも鮮明に覚えている。
五年生になった或る日、担任は職員室に俺を呼び、こう言った。
「今野君、児童会の会長やってみない?」
担任の先生は、新任の「熱血女教師」だった。子供にも大人気だったが、親にもかなり支持されていた、と思う。
「はい、じゃぁ・・、立候補してみます」
俺はずっと学級委員だったし、先生たちにも信頼されていたから、この話が来る事は予想の範疇だった。「やっぱりな・・」そう呟きながら、俺は教室に戻った。すると、何だか女の子に取り囲まれたまさやが「たくや!」と俺を呼んだ。近づいていくと、女の子の一人が「まさや君、児童会に立候補するんだって!」と言った。
「えっ?」
「まさや君、人気者だから絶対に当選するよねっ!」
女の子達がヤンヤ、ヤンヤと囃し立てたが、俺は驚きのあまり硬直してしまった。だって、まさやは何でも出来て、凄く目立つくせに、学級委員すらやった事が無い。頼まれると断れない俺に向かって、「たくやしかいないだろ?」と、いつだって応援してくれていた。そのまさやと、会長の座を懸けて戦うのか?席に戻った俺は、酷く気が重くなって考え込んでしまった。どうしよう・・・。
「たくや君」
「えっ?」
まさやを取り囲んでいた女の子の一人が話しかけてきた。
「たくや君も立候補するの?」
「・・・うん、今先生に呼ばれて・・」
「やっぱりね・・、まさや君がね、たくやはいつも№2だから、副会長になってくれたら嬉しいって言ってたよ?」
№2・・・、ショックだった。あいつがそんな風に俺を見ていたなんて・・。俺の中で、何かが弾けた。俺はあいつと戦うのをやめた。いや、戦うと決めた・・と言った方が、正しいのかもしれない。あの日から、俺はあいつと口も聞かなくなった。不審そうな顔をするあいつを、視界に入れる事すら拒んだ。№2には№2の意地ってもんがある!この先、何があっても、絶対にあいつだけには負けない、俺はそう誓った。今考えると、何とも子供じみているが、子供だったから・・だから真剣に悩んだんだよな・・。多分、どこかで「まさやには敵わない」と思っていた自分を、許せなかったのだろうと思う。まぁしかし、天敵だと思っていたのは俺だけだったのかもしれない。
中学に入るとクラスも別れ、まさやと接触する機会は殆ど無くなったが、それでも俺は、「あいつにだけは絶対に負けない!」と、躍起になっていた。それぞれに仲間も出来、廊下に貼り出されるテストの順位表だけが、まさやの存在を確認する、唯一の手段になっていた。中学の三年間は、それなりに楽しかったが、俺の意識の中からまさやの存在を消す事は出来なかった。俺は、どうにかして高校であいつと離れたい・・、そればっかりを考えていた。考え抜いた末に俺が選んだ高校は、この辺りの奴らが絶対に受けそうも無い、国立大進学率トップの公立高校だった。まさやは、多分、有名私立高校に行くだろう・・。あいつの家は金持ちだし・・。俺は、志望校に関して、頑として口を割らなかった。先生にも母親にも、固く口止めした。だからこれで、高校生活はバラ色になるだろうと、俺は一人ほくそ笑んでいた。
「どうしてよぉ?変な子ねぇ・・」
「良いから!口軽いんだから、気をつけてくれよ?」
かぁちゃんは、案外口が軽い・・・、しかも雛子のおふくろさんと仲良しだし・・危険だ・・。
先生は太鼓判を押してくれたが、発表の日はやっぱり緊張した。自分の番号を見つけた時は、涙が出そうになった。それは、「これで、まさやと離れられる」と思っていたからに他ならない。ところが、合格の報告に学校に戻ると、先生がビックリ仰天する事を言った。
「お前なら絶対に大丈夫だとは思ったけど、良かったな!で、後の二人はどうしたかな?」
「後の二人?」
「あぁ、まさやと雛子だよ」
「えっ?」
俺は、背中がゾ~ッとして、顔から血の気が失せるのを感じた。何故だ?何故あの二人が・・?こんな事があって良いのか?いや、あってたまるもんか!トボトボと廊下を歩いていると、うしろから、俺の名前を呼ぶ声がした。
「今野く~ん!」雛子の声だ・・・。
「また三年間、宜しくね!」無邪気なもんだ・・・。
「お前サァ、何であそこにしたの?遠いじゃん・・・」
「えっ?だって・・、今野君ともう少し一緒にいたいなぁって思ったから」
「俺の志望校、どうやって知ったのさ?」
「どうやって、って・・、情報網を駆使したのよ」
「情報網?」
・・・かぁちゃんだな?くっ・・、あれ程言うなって口止めしたのに・・・。
「まさや君も受かったらしいよ!良かったね!」
良かった?良かったって、本気でこの女は言っているのか?と、俺は一気に頭に血が上って、思わず叫んでしまった。
「良くねぇよ!」
雛子は、ビックリして言葉を失い、硬直してしまった。
「あっ・・悪い、ゴメン・・」
「どうして?どうして、そんなに怒るの?」
「いや、ゴメン、本当に気にしないで・・」
「気にするなって?今野君って、案外無神経なんだね!」
雛子は踵を返し、走っていった。悪かったよ、雛子・・・ゴメンな。俺は雛子に本心を言えなかった。俺は三年間、仲の良かった雛子の前ですら、まさやの名前を口にしなかった。どうしてって、俺が必要以上にまさやに対抗意識を持っているなんて、誰も知らなかったし、知られたくも無かったからだ。俺が、まさやからある意味「解放」されたいと思っている事を、俺の中のまさやの存在が、「苦痛」以外の何ものでも無い事を、誰にも分かってもらえないと思っていたからだ・・・。
昨日まで、いや、さっきまで、あんなに待ち望んでいた高校進学なのに・・・。また苦難の日々が続くのか、と俺は落胆した・・・。
文武両道をモットーに、教師と生徒が口では説明出来ないほどの「絆」で結ばれている母校を、俺は入学当初から気に入っていた。あの年代は実に面白い年代だ。おぼろげにではあるが、自分の行くべき道を見定め、歩みだす・・。俺は、自分の主張はしつつ相手の主張も認める、という仲間に囲まれ、充実した三年間を送る事が出来た。勉強にもイベントにも全力投球させる学校の方針に、皆四苦八苦だった。そのお蔭で、俺はまさやを意識する暇さえ無かった。次第に、俺の中のまさやの存在は無いに等しいものになっていった。中学卒業時に感じていた不安は危惧に終わった、と言っても過言ではない。今思い出しても、あの三年間は最高の時間だった。その素晴らしい仲間の一人が山崎だ。
山崎は二年間俺と同じクラスで、まさやとは部活が一緒だった。190㎝・90㎏の「巨漢」山崎は入学式当日、運動部の勧誘から逃れるのに苦労していた。その姿が何とも傑作で、俺を惹きつけ声をかけさせた。問題の運動神経は・・・、本人の前ではとても言えないが・・、かなり鈍い。そんな山崎の部活選択は、「写真部」だった。あいつはそこでまさやと知り合ったのだと思う。山崎には、誰にも真似のできない「特技」がある。元々、性格がかなり温厚なのだが、場の空気を読むのが誰よりも早く、良いムードならもっと良く、悪いムードなら一気に流れを変えられる、そんな術を持っている男なのだ。俺は、この巨漢が今でも大好きだ。
「お前さぁ、まさやと幼馴染なんだって?」
「ん?あぁ、まぁな」
「雛子は?」
「あいつは中学から」
「ふぅん」
「何で?」
「いや、お前とまさやって、二人とも凄い目立つだろ?何か、接点があったなんて不思議な感じがしてさ・・」
「そっかぁ?不思議ねぇ・・・」
俺は、久しぶりに聞く「まさや」という名前の響きに、何も感じない自分が可笑しかった。
「何が可笑しいんだ?」
「いや、そう言えば、まさやとは幼馴染だったっけって、思い出したんだよ」
「何だよ、それぇ?まさやはお前の事なら何でも知ってたぜ?」
「そっか?」
「うん、驚くほどな・・」
「ふ~ん」
「でさ、あいつ、どうやら雛子の事が好きらしくてさ」
「ふ~ん」
「お前・・、そのふ~んっての、止めろよぉ!気にならないのか?」
「いや、別に・・」
「お前ってヤツは・・・、雛子はさぁ・・、まぁ良いや。でさ、この間コクって、どうやら振られたらしいんだよ」
「まさやが?雛子に?」
「うん」
「信じられねぇ!まさやって小学校の時から、女の子にスッゲェ人気だったんだぜ?あいつ、完璧だよなぁ・・雛子も何の不満があるんだろ・・」
「・・・・、お前ってヤツは、救い様の無いヤツだ・・・」
「何だよ?」
「いや、良いよ・・・」
山崎は、それ以上何も言わなかった。
母校の特色は、モードの切り替えの早い所だった。学生ってやつは、一旦「お祭りモード」や「お遊びモード」に突入すると、他のモードへの切り替えが難しい。だが、母校の先生達は、有無も言わさず課題を次から次へ出し、学生達がモタモタしている隙を与えなかった。自己管理能力に劣る若者達は、そういう学校の体制に、かなり助けられたと思う。
三年生になると、俺達は受験一色になった。殆どの生徒が国立狙いで、俺も例に漏れず、理系の中でも日本屈指の国立大を目指していた。文系のまさやと山崎が、俺と同じ大学を第一志望にしていると聞いた時、俺の中に高校受験の時のような動揺は、まるで無かった。
「まさやは出来るからなぁ・・、でも俺はさぁ・・」
これが、その頃の山崎の口癖だった。俺達は、インフルエンザにだけはかからないように気を付け、受験に挑んだ。センター試験が終わった或る日、山崎が血相を変えてやってきた。
「雛子、お前、国立受けないんだって?」
「うん」
「勿体無いよなぁ・・」
「山崎・・、アンタねぇ、おりこうさんが、み~んな国立大に行かなくちゃいけないって、そういう法律でもあるっての?誰が決めたのさ?」
「・・・お前、顔が怖いよ・・」
「良いのよ、私には行きたい大学があるんだから!」
「どこ?」
「あんたに話して、何か得な事でもあるの?」
「いや、無いけどサァ・・・知りたいじゃん。おい!たくや、知ってるんだろ?」
「うん・・、何となくは、な。」
「教えろよぉ!」
「山崎、うるさい!」
「クククッ」
「おい、たくやぁ、何笑ってんだよ・・」
「いや、雛子が言いたくないなら、お楽しみって事で・・」
「何だよ、二人して・・ケチ!」
俺は、雛子がある女子大に行きたがっている事を知っていた。そこは雛子のおふくろさんの母校でもあったが、就職率も良いし、エリートとの縁談が日本一多い女子大だ。俺はその時、雛子が大学を卒業したら、腰かけ程度に一流企業に勤めエリートと結婚する、そういう人生設計を持っているのだろうと思っていた「オオバカ野郎」だ・・・。
俺達は、幸運にも皆志望校に合格し、山崎は男泣きに泣いて、雛子を呆れさせた。そして・・、俺は、雛子の一世一代の告白を聞いたのだった