ひなこ
もう直ぐ俺の嫁さんになる雛子とは、中学に入って知り合った。雛子が俺の事をずっと好きだったなんて、全然気が付かなかった・・。それを聞かされたのは、大学進学が決まった高三の冬だった。俺は、女の子に興味が無かったし、中学でも高校でも、女の子の大半がまさやのファンなのだろう、と思っていた。まさやは何をやらせてもそつがなく、しかも二枚目で人当たりも良い。そんなまさやは、どこに行ってもアイドル宛らだったが、俺はと言うと面白みの無い堅物人間で、どちらかと言うと男に人気があった。だから、まさか俺の事を好きになる女の子がいるなんて、思ってもみなかったのだ。
「ちょっと!その半開きの口、好い加減に閉じなさいよねっ!」
目の前で、さっきから捲し立てている雛子に肩を小突かれ、俺は我に帰った。
「私の話、聞いてたの?」
「あぁ・・、うん」
「一世一代の告白したのに・・・」
「聞いてたってば・・」
「今野君サァ、自分の人気度になんか興味ないよね?」
「えっ?うん・・、無い・・」
「でしょうねぇ・・、まさや君と人気を二分してた、ってのも知る訳無いかぁ」
「へっ?」
「へっ?じゃないわよ!・・今野君、女の子に興味が無かったよね?」
「うん」
「だから、これ言ってもいいのかなぁ・・、今野君がゲイかもって、もっぱらの噂だったのよ」
「エッ?何だよ、それ・・」
「今野君、私のこと女の子として見たこと無かったでしょ?」
「・・・うん、ゴメン」
「六年間、只の一度も無いでしょ?」
「・・・うん」
「別に良いけどね・・。学年一好い女の雛子がいつも傍にいるのに何にも感じないなんて、あいつは絶対にゲイだって・・、みんなそう言ってたのよ」
「マジかよ・・」
「マジ、マジ、大マジよ!アハハ」
ゲイって何だよ・・、俺は皆にそう思われていた事がショックだった。
「で?六年間、ずっと今野君を思い続けてた女の子に、何か言うことは無い訳?」
「えっ?」
「もう・・、そのへっ?とか、えっ?って言うの、止めてくれない?らしくないなぁ」
「らしくない・・・」
「うん、何か決めなくちゃいけない時、いつだって必ず、今野君の鶴の一声で決まってたじゃない?あんたは、迷いの無い男なんだよ」
「迷いが無い・・・」
「そう」
「雛子、お前には悪いけど、俺さ大学で勉強したいんだよ」
「知ってるよ、勉学が友だもんね?」
「お前・・・、それ凄いイヤミだなぁ・・」
「だって、そうでしょう?」
「いや、だから、雛子だけじゃなくて、女の子と付き合っている暇は無いかも」
「あのさ、私がどうしてあの女子大に決めたか、分かってる?」
「それは、名門だし、お母さんの出身校だし・・・」
「バッカじゃないの!今野君みたいなのを『トウヘンボク』って言うのよ!」
「・・・」
「今野君の通う大学と、私の通う女子大は、どういう位置関係にある?」
「隣・・・、えっ?お前、そんな理由で?」
「うん・・、私、絶対に今野君の邪魔はしない。約束するから・・・」
「分かったよ・・・」
「ホント?本当に?」
「うん、俺、雛子のこと結構好きだし・・」
雛子の目に、見る見るうちに涙が溢れ、泣かしちまった・・と思った瞬間にあいつ、俺にガバっと抱きついてきた。その勢いで、後ろに倒れそうになったが何とか持ち堪えた。
「ゴメンな・・気付いてやれなくて」
「ううん・・・」
俺は、雛子の「竹を割ったような」性格が好きだった。何となく、いつも傍にいるけど、ちっとも邪魔じゃないし、負担じゃない。俺は、雛子との間に「男女間の友情」が成立していると思っていた。それが恋愛感情に変わるなんて、予想もしていなかったのだが、付き合いが深まっていくにつれ、俺の中に確かにある種の感情が湧いてきた。人はそれを「愛情」と呼ぶ。
雛子は、F1レーサーと結婚したゴクミに似ている。迫力美人ってやつかな?背がでかくて、スゴイ大股で歩く。「闊歩」という言葉は、きっと雛子の為にあるのだろう。街を歩いていると、みんなが振り返って見る異常なほど目立つ女の子だ。今では俺の方が大きいが、中学入学当初は雛子のほうがかなり大きかった。あいつの第一印象は、あまり良いものではなかった。デカイ上に、物言いがぞんざいで、人を見下しているように見えたからだ。一年生の最初の学級委員は、先生ご指名、と相場は決まっているが、担任は俺と雛子を指名した。雛子は、小学校で児童会会長をやっていた「ツワモノ」で、俺は正直「ついていない・・」と思った。こんな怖い女とやれるかよ!と。だが、一年間あいつと接してみて、第一印象というのが案外あてにならないものだと知った。雛子の物言いがぞんざいになるのは、相手が理不尽な事を言った時だけで、普段は只単に「正直」なだけだった。しかも、正義感が強くて、何にでも立ち向かっていける勇気を持っている女の子・・。それでも時々不安になるらしく、そんな時は必ず俺の方を振り返り、同意を求める顔をする。俺が頷いて見せると、心から安心したような表情をする雛子が、実は誰よりも可愛らしい女の子である事を、俺は徐々に理解していった。俺は、皆が一目を置く雛子に頼られている自分が誇らしかった。不思議な事に、あいつとは三年間同じクラスで、ずっと二人で学級委員をやった。俺は「こんなに気の合う友達は久し振りだな」と思っていた。身長は年々伸び、卒業時には俺の方が10㎝以上大きくなっていた。
雛子とは、高校も一緒だった。高校では一度も同じクラスにならなかったが、あいつはしょっちゅう俺のクラスに入り浸っていた。クラスの連中は冷かしたが、俺達二人は冷静だった。「腐れ縁だよ」と皆の冷やかしを一蹴していた。山崎だけがいつも「ほ~?」とか「へ~?」とか言っていたっけ。ニヤニヤ笑いながら・・。文化祭で「ホスト喫茶」をやった時の、雛子の男装は圧巻だった。他校の女子が「イケメンがいる!」と大騒ぎしたのだが、後で雛子が女の子だと分かった時のその子達の落胆振りに、大笑いしたっけ。
研究三昧の大学四年間が終り、俺は大学院に残り、雛子は大手商社に就職した。あいつは「総合職」を希望したが、あの容姿を上が放っては置かなかった。配属先は「秘書課」。あの時の雛子のふくれっつらは、至上最高のものだった。「今に見てなさい!」・・おぉ!怖い・・、こいつを怒らせたら只じゃ済まない事を、俺は上司に教えてやりたかった。雛子は、彼女曰く「不条理な」職場で、日々悪戦苦闘していた。この頃の彼女の口癖は、「私って女中?」だった。全ての企業とまでは言わないが、女性秘書は押並べて、ボスの身の回りの事までやらされるのだと思う。どうにも納得がいかない雛子は、いつもふくれっつらだった。俺は、修士課程を終え、悩んだ末に外資系のコンサルタント会社に就職した。雛子は入社三年目、会議の中身にまで口を挟む、厄介な「出来る秘書」に成長していた。上司はさぞかしご苦労なさっていただろう、お察しする。そして一年後に、給料三か月分の指輪を買った俺は、アイツにプロポーズしたのだ。
「俺の傍にいたい?」
「あなたが私の傍にいたいんじゃない・・」
「ククッ、まぁな」
「嬉しい・・、ずっとまさや君には敵わないって思ってた・・」
「?どういう意味?何でまさやが出てくるんだ?」
「目に見えない繋がり・・かな」
「何言ってんの?まさやは・・あいつは、俺の天敵だぜ?知ってるだろ?」
「うん、そうだね、そうだけど・・・」
「で?返事は?」
「身も心も、今野君の傍に行く!これで良い?」
「うん、上出来だ」
俺は、この時の雛子の言葉を、深くは考えてはいなかった。「目に見えない繋がり」・・・。
まさやが逝ったのは、それから間もなくの事だった。