夢硝子2 彼女と霧
あたたかい。まずそれを感じた。屋内であるのに部屋の中はぼんやりとしていた。霧が沸いているらしい。
デスクを挟んで向かい側では誰かがノートを開いている。僕はそちら側へ目を向けた。しかし誰であるか僕には全く分からなかった。いや、会ったことはあるはずだ。その誰かの存在は僕の記憶から全くと言っていいほど抜け落ちていた。頭の中にまで霧が入ってきた様で僕は思い出そうとするのが面倒になり、すっかり考えることを諦めてしまった。
向かい側の彼はとても真剣にノートをとっているらしく、僕はもちろんの事、部屋に沸く霧にすら気づいていないようだ。僕は彼を見ようとすることに飽きてしまい、彼の座っている方向とは反対側へと頭をひねった。部屋を覆う霧に目を向け、さらに凝らす。
何かが動いていた。全体は見えない。霧ではない何かがくねるように踊っている。それは時々霧の中で白い光をまとって揺らめき、熱を放っていた。部屋が暖かいのはこれのためだろう。納得しながらそれの観察を僕は続ける。
やがて、一つの事実にたどり着いた。霧の中にそれがいるのではなく、それの周りに霧が出るらしい。現に部屋の中はどんどん霧深く、温かく、柔らかくなっている。
「それは昨日、私がかいたんだ。」
「君もかくか?」
唐突に声をかけられた。その高い声に僕は彼が彼女であったことを知り、少し驚きつつ彼女の方を見やった。深い霧は彼女の顔どころか体をも包み込み、輪郭だけを残していた。さっきまで見ていた顔も思い出せない。彼女はノートをどこに置いたのだろうか。。。
改めて記録し直してもどんな顔をしていたかまるで思い出せない。記憶から抜け落ちている。声は何となく見当がつく。同じ学科のにぎやかにしゃべるあの女子だろう。それか受験の時にだけよく話したあの子である。でも、ノートに何を書いていたのかを彼女たちが知るはずもなく。霧を生んでいたあれが何なのかもやはり、彼女しか知らないのだ。
僕は彼女に彼だと認識していたことをいつか謝罪できるだろうか。