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雨のち晴れ

 奇跡的に一時間の時間休で上がれた。それも、かなり余裕を持って、だ。たまたま研修の時に良くしてくれていた他支部のマネージャーがやって来ていて、お茶のついでに少し話しただけで、苦労しているね、と言って色々と手伝ってくれた。普段厳しく言えないでいた新人にもきっぱり言ってくれて、いつも自分が尻拭いしていた分は、放っておいて帰っていい、と本人たちの前で言ってくれた。これでいいのか、と思いつつ、彼らの申し訳無さそうな顔を見ていたら、むしろ今までが間違っていたのかもしれないと感じた。だから、酒も買わずにまっすぐに公園へやって来た。


「……あれ?」


「ちっす」


 この時間はまだ公園で小学生が走り回っている。いつも、夕飯時を少し過ぎた頃で、住宅街の隅っこにあるこの薄暗い公園には誰もいない。五時のチャイムも鳴らない西日に照らされていたのは、真っ白のワイシャツの眩しい男子高校生だった。


「ね、ねえ」


「ん?」


「谷北だったの?」


「そうだけど」


「私も! 後輩じゃない!」


 赤を基調としたそこそこ派手な柄のネクタイは、見間違えないだろう。それとは対象的に、あまりに地味なグレーのチェックのスラックス。女子の制服も同じ柄のネクタイとスカートなのだ。絶妙にダサいところが、中途半端な偏差値の公立校だけある。


「ってことは、いつも学校帰りだったりした?」


「いや。家はもうちょっと先だけど、近いから」


 谷北はこのすぐ近くだ。と言っても、この辺りは学校も家も多いから、谷北に通う高校生がこの辺りに住んでいるとも限らないのだ。


「今日、どうしたの」


 谷北の高校生が公園でたむろしていたら、榴くんだと認識していなくても、覚えているはずだ。この公園に寄るのはもうしばらくの日課になっているけれど、見た記憶がない。


「まあ、たまには。縄跳びそろそろ飽きたし」


 腰かけた傍らに置いていたリュックから、彼はおもむろにそれを取り出した。遼乃が貸した花柄の折りたたみ傘は、アイロンでもかけたかのようにぴっちりと綺麗な状態になっていた。


「これ、ありがとう。昨日返し忘れた」


「ううん、いいよ。すごく綺麗にしてくれたんだね……って、そっか」


「母親が」


 咄嗟に顔を背けた榴に、首を傾げる。何か嫌なことでも言っただろうか、と思い巡らせようとすると、ふい、と顔を向けて目線が合う。


「りょーのさんも谷北だったんだ」


 あからさまに話題を変えられた。もしかして、彼の逃げたい現実とは、家庭に関わることなのではないか。そう過ぎったけれど、わざわざいきなり聞くことができるはずがない。そういった重たいものを、高校生で既に抱えているなんて珍しい話ではないけれど、至って普通の家庭に恵まれた遼乃にとっては、何も言ってやれないと思うのが現実だった。


「うん。そうだ、プール、どうなったの? 私がいたとき、水漏れしてて大変なことになってたけど」


「何年か前に改修工事してたらしいけど。その間、プールの代わりに外で体育やろうとして熱中症がすっげー出て大変なことになった、とか言ってた」


榴は、なんだか不思議そうな表情をしている。それに遼乃が言及するより前に、彼のほうが首を傾げる。


「なんか良いことでもあった?」


「え?」


「なんつーか、キラキラしてるから」


 思わず頬に手をやる。急に恥ずかしくなってしまった。良いことは、確かにあった。早く帰れたし、榴くんと母校が一緒だったってわかったし。すごく深い良いことではないけれど、だからこそ無条件に喜べる良いことだ。


「早く帰れたから、かな?」


「確かに、いつもより早い。しかも、今日はビール、飲まないんだ」


「い、いっつも飲んでるわけじゃ……」


 ないこともないかもしれない。現実逃避したいからビールを買う。ビールを飲むなら公園だ。


「りょーのさんってさあ」


「うん?」


「街で遊んだりするの」


「えっと、まあ」


「そっか」


 それほど饒舌なタイプではない。それは、初めて話したときからわかっていたことだ。躊躇うでもなく、ぽつりぽつりと口にされる言葉一つ一つは、どこか繊細で、どこかぶっきらぼうで、子供の物とは思えないくらい危なっかしさがない。


「じゃあどっか、遊びに連れてってよ」


 前言撤回。否、そうさせたのは自分にも責がある。

 目線をこちらに向けないで呟いた少年の頬も、それを目を見開いて見つめる女性の頬も、夕日と同じように真っ赤に燃えていた。それはまるで、作り上げた青春のようで、嘘のようなのにかけがえのないもののように見える。


 胸がきゅっとなって、桃を食べた時のように舌がぴりぴりする。そうだ、確かこんな味だった。五年ぶりに舐めた甘い絞り汁は、外国の果実のように遠くて、懐かしい味がした。

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