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これは、後悔しなかった未来

 玄関の扉を開けた瞬間、向こうから風が通り抜ける。不思議に思った後に、しまった、と思い当たる。昨晩寝る時に開けたままにした窓を、今朝も閉め忘れたのだ。すっかり昇った陽の光を溢れさせていたそれをきちんと閉めて、カーテンを引く。薄ベージュのカーテン越しに、淡い光がデスクを照らしている。

 封のしていない、封筒。それが表すのは、自らの決意の強さなのか、弱さなのか、わからないままにこの場所に置き忘れた。待ち合わせ場所がもう目の前という時に、心臓に刺さった硝子の破片のように、自分の吐いた嘘と、嘘さえ隠した罪の痛みを思い出した。

 折りたたんだ便箋を少しだけ開いて覗き見る。そのくらいの心の余裕が生まれていることを自嘲しながら、文章に目を滑らせた。


 後先を考えなかった。調子に乗った。少し、怖くなった。

 反省の言葉は、ただの言い訳だ。言い訳ならまだマトモな方だ。それを悪いと本気で思っているかどうかはともかく、本当のことだった。嘘ではなく、本当に恥ずべきこと、後悔すべきことはあった。

 榴くんには未来にたくさんの選択肢がある。今、急いで決める必要はないよ。

 自分で選んだ方がいい、と言った癖に。自分は、自分の望みを口にすることもできなかった癖に。


 二枚の便箋を、一枚ずつ小さく折り畳んでゴミ箱へ入れた。彼の宛名を書いた封筒だけ残ったデスクに手のひらをつく。

 彼に伝えたいのは、感謝だろうか。それとも、誠意の籠った気持ちだろうか。それ以外に、何があるだろうか。


「ああ、でも」


 この先、伝える機会がなければ消えてなくなってしまうかもしれない言葉もある。言えなかったくせに、言わなかったこと自体がなくなってしまうこともある。わざわざ伝えなければ、存在し得ない言葉もある。

 嘘を吐こうとしたことを謝る以上に、できることは。

 本当のことを、本当の気持ちを素直に言葉にすることだ。




 思いの外、暑くなった。外に出てからずっと木陰でじっとしているのに、首筋を触るとべったりと汗で濡れていた。なんとなく、剃りたてで毛先の揃った短い襟足を撫でる。着飾っている、なんて言うと匠にも笑い飛ばされるだろうが、一年前の自分と比べたら、驚くほど見た目に気を遣うようになった。


「榴、なんで出てきたの? なんか待ってるとか……って、あ、そっか」


 うん、と小さく頷く。卒業式は午前中で終わり、ほとんどの生徒は部活だとか委員会だとか、在校生と最後の別れの会合に顔を出している。昼食も食べずに校門に集まっているのは、写真を撮り合って父兄だとか生徒同士でそのまま外に遊びに行く、比較的やんちゃな卒業生だ。

 匠が外に出るのを見つけて、そのままついてきた。それなりに待つことになるとわかっていたけれど、いつものように静かな場所に引っ込もうとは思わない。多分、走って来る彼女を、大人らしく落ち着いたふりをする前に、一目見たい。

 別の友人との一通りの話が済んだ匠は、今日はあまり榴を茶化さずに、隣でいつも通り、妙に悪ぶって冗談ばかり飛ばしている。今日ばかりは少し寂しいのか、面白くなって笑いをこぼすと、スマホが震えた。




「フツーに入れるよ。会社行ったままのカッコなら余計、大丈夫でしょ。嘘嘘、違うって、そういう意味じゃないって」


 早足になる。電話口の息が上がっていることに、彼なら気づいてしまうだろう。けれど、今日はそんなに虚勢を張ろうと思えない。自分も高校生に戻ったかのように、浮き足立ってしまう。


「……よ。お疲れ様」


 ああ、なんだか見たことがある光景だ。自分もその桜の木を知っている。思わず、喉元に込み上げそうになる。目が合うなりはにかんだ榴とは、まず数瞬の間、お互いににやついている顔でにやついた声を出さないように息を呑み込んだ。


「そっちも、お疲れ様。匠くんも」


 榴の母親は卒業式には出席したものの、足早に帰ったと言う。遼乃が迎えに行ってもいいかと事前に相談していたから、気を遣ったのか、必要最低限で帰ったのか、どちらかなのだろう。


「どもっす! ホントに横井さん来るんだ……うわー、やべー、うらやまし……」


 いまだに、見慣れたような、懐かしいような、むず痒い気持ちになる母校の制服。式典の日はそれなりに着崩さずしっかり着ている二人が、かえって妙に年齢より幼く見えて、何だか嬉しくなってじろじろ見てしまう。


「家族なんだから当たり前だろ」


「え⁉︎」


「家族⁉︎」


 せっかく平静を装うことに成功していたのに、ちゃんと普段のイメージ通りクールな表情だった榴が、みるみる首を赤くさせる。遼乃は、もっと素直に今すぐ逃げ出したい気持ちを顔を覆って誤魔化した。


「婚約者……って、家族じゃないの」


「ゴメン、榴、自分で言っといて照れるのも横井さん機能停止させるのも、マジで俺みたいな一般男子高校生には刺激が強すぎるしその台詞にはコメントできない」


 向こうを向いて、あー! と叫んでみせた匠のおかげで、遼乃も勢い任せに榴の肩を掴んで目を瞑る。

 約束をし合ってから、半年が過ぎていた。二人にとって一緒にいるための条件だったはずの事実でも、改めて近しい関係であることを思い知らされると、遼乃も、榴本人も照れはする。


「わわわわごめんね、この子やっぱり天然だよね、私も本当に本当に本当に困ってる」


「入試の日もセンターの日も迎えに来てて、合格発表も一緒に見に行って、卒業式は来ないとかそんなことないだろ」


 照れは、する。肩を掴んでいた手の力が抜ける。自業自得だ。大人ぶって、保護者ぶって、どこまででもついて行ったのは遼乃なのだ。


「は⁉︎ それ聞いてないし! てか羨ましすぎだし! やっぱ受験生も幸せになるべきだよな〜、それであーんな良い大学受かるんだからさあ……」


「ま、それは否定しないけど。りょーのさんのおかげだし」


 肩に置いていた手に、そっと彼の手が重ねられる。目を開くと榴とばっちり目が合って、出会った頃には考えられなかった真っ直ぐな微笑みを視界いっぱいに入れる。一瞬どきりとした後、榴の向こうの匠が遠い目をしていることに気がつき、慌てて榴の手をぎゅっと握る。


「ゴメン本当にゴメン、今日はもう引っ張ってくから、匠くんはまた来週話そうね!」


 榴はニコニコしている。以前は困る遼乃を見て楽しんでいただけだった彼も、時間を経るほどに自ら幸せを噛み締めるような笑顔を浮かべるようになった。

 そしてその度、本当によかった、と遼乃の心もじわりと温かくなる。


「榴〜、俺以外に迷惑かけんなよー」


 来週、じっくりと、今までのお礼を兼ねた卒業おめでとう会で三人で語る予定だ。遼乃が匠と出会った時の事件は、今も、数年後も、ずっと話題に上るのだろう。そして、二人の背中を押し続けたことは、匠にとっても大切な青春の一ページになった。

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