思春期リバイバル
アパートの玄関でパンプスを脱いだ時にやっと悟った。浮かれすぎた。自然と軽くなった足取りのせいで、泥水がはねたストッキングは汚い水玉模様になっている。歩を進める気にもなれず、そのまま座り込んだ。
せいぜい高校生くらいの少年に財布を拾われて、それが毎日のように同じ公園に通って現実逃避していた人物だったというだけで、ここまで浮かれるなんて馬鹿げている。まるで、好きな人でもできた子供じゃないか。
否、違う。嬉しかったのは、「良いこと」があったからだ。何もかも上手くいかなかったと思っていたところに、財布を失くしたことがチャラになっただけでなく――だけでなく、何だというのだろう。
今考えるのはやめた方がいい。人間不信になっていることくらい、自分でもわかっている。そしてそれは、自分に対しても同じことだ。
上がっていた気分を抑え込むように鬱屈が襲いかかるのは、あまりにもわざとらしい。わざとらしいとわかるから、いつもよりもストレスなく一日を終える準備をして、床に就く頃には、寝ぼけているのか冴えているのかよくわからない頭に、浮かんだのだった。
今日は確かに良い日だった、と。
感情が昂ぶるのに助けられて予想外の行動をすることは、必ずしも悪いことではない。そのはずなのに、時間が経つ程に間違ったことをした気分になるのは何故だろう。翌日、通勤する間も、仕事の合間でも、せいぜい高校生とわかる相手と変な約束をしてしまったことを死ぬほど後悔した。彼は笑っていたと思っていたけれど、本当はドン引きしていたかもしれない。変なオバサンに話しかけられた、って、今頃学校で友達と笑っているかもしれない。
いやいや、止そう。結局自分は、財布というとても大切な物を拾ってくれた人に、傘を貸してあげる以外のお礼をしていないのだ。きちんとお礼をしなければならないのは確かで、笑われるようなことではない。けれど、お礼をしようと言ったきり、何か考えている訳ではないのも確かだった。彼ともう少し話がしてみたい。そのために、言葉を発しただけだったのだ。
結局のところ何も考えられないまま、気がつけば下りエレベーターの中にいた。上司にもしっかり愛想笑いでお礼を言えたし、定時で上がろうという強い意志も達成できた。
会社の最寄り駅の改札を潜ったところで、いつもはシャットアウトしている良い香りに惹かれる。手土産のためにこの時間賑わう焼き菓子屋の、明らかに手土産目当てのサラリーマンの後ろに並んでみる。自分へのご褒美、なんて言って毎日スイーツを貪る女子に見えるだろうか。その実、そんなものよりずっと痛い! この歳で、男の子にお菓子なんて持って行こうとしているのだ。
頭を小さく振って振り払う。こんなこといちいち気にすること自体が子供っぽい。まるで思春期の女子だ。自分はもう20代そこそこで、これは大人らしいお礼。上司に有名な焼き菓子を渡したのと、何ら変わりない。
シンプルに有名というのが、一番派手で胸を張って見せつけながら歩ける。いつも俯きがちに広告を睨んでいる電車の中でも、遼乃は顔を上げて窓の外なんかを眺めていた。
ホームではしゃぎ合う白と紺の制服の高校生が眩しい。あれは、自分の母校だ。在学していた頃はなんて地味で旧時代的なんだろうと思っていた制服も、今は青春を楽しむための必要十分条件に見える。
しっかりしろ。高校生だからと言って、みんながみんなそんな風とは限らない。自分だってそうだったじゃないか。
うじうじする心に小さくパンチを入れながら、あの公園にやってくる。まだ夕陽のきらめく中、ベンチにジャージ姿があった。
後ろ姿を見て、ごくりと唾を飲み込む。なんと声をかけたらいいか、わからない。
文字通り「ち、ちっす!」と発したその人は、あまりにも不自然な角度に肘を曲げて手を挙げていた。
緩んだ頬は照れくさそうな笑みを作っており、きちんとしすぎているまだ新しい白いブラウスと、極端に不釣り合いな印象を与える。
思わず、笑ってしまった。彼女も、笑っていた。
まだ明るいせいか、現実と非現実の狭間にいるようだった。忘れたいことを忘れようともせず忘れて、ただそこにあることだけを感じて、笑った。