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振り翳すナイフ

 明かりの灯った窓のふちで、その人は手を伸ばしている。手が届かないのならば、踏み台を。むしろ、その窓越しでなくたっていい。自らで地を踏みしめて、迎えに行ったっていい。その人はそう言った。つい最近までカーテンの向こうで蹲っていた二人ともが、こうして月夜の下で向かい合っている。

 現実世界の窓の向こうは、手も届くような距離には、もう既に隣家の壁がある。視界には誰の姿も入らなければ、何かに耽る材料が見つかるわけでもなかった。


 考えていたのは、あの日彼を家に泊めたりなんかした理由と、あの日家を訪ねて来た彼を拒んだ理由。衝動だったことは確かでも、自分の中に、それに至った何らかの理由があったはずだった。

 迷惑になりたくない。邪魔になりたくない。自分のために、自分のせいで将来を決断した彼を見て、心配になるよりむしろ、嬉しかったというのに。一人になると、必ずその言葉に苛まれる。

 そもそも二人が選べる選択肢の中で、榴が榴の持ち前の優しさで選び取れたのは、これだけだったのかもしれない、と気づいていた。お互いに依存しすぎていた。一人で勝手に失敗することも、相手を蔑ろにすることも、もうできない状況だった。そして、悩んで爆発してしまった彼を救えたのは、遼乃だけだったことも確かだった。

 榴の本当の気持ちや、彼にとって本当は何が幸せなのか、本人にも誰にもわかるはずがない。けれど、坂巻に言われたことも脳内を繰り返し巡っていた。求められるものを与えて、満足し合っていた二人。恋愛感情に落とし込めば簡単だと、聡明な榴が気付いてしまったのだろう。そうすれば、今のままでいられる。けれど、榴が大人になっても、大人だったから遼乃が与えられていたものを求めるはずはない。

 いつか、榴にとって遼乃は必要なくなる。元々、遼乃がいなくても彼は大丈夫だった。遼乃には、そうとしか思えなかった。そして、必要なくなったとしても、榴は責任を取ろうとするかもしれない。彼の正義感や誠実さは、それほどまでだと信頼できる。

 だから、だからこそ。どんな選択でも、それが自らの望みだと伝えさえすれば、彼は受け入れてくれるはずだ。

 ——本当のことは、知らなくていい。今ならまだ、家に泊めたことも、拒んだことも、全て誤魔化せる。自分も動揺していた、と。初めてのことだったから。同僚にも、釘を刺されたから。



「結論から話すね。……ごめんなさい。私は榴くんとは付き合えない。だから、進路のことはしっかり考え直して欲しいの」


 口の中は固い唾液でべたついていた。

 異様に緊張している遼乃を面白がって、会った時からニコニコしていた榴の顔から表情が消えた。

 榴の瞳孔はしっかり開いている。目を、逸らさないようにした。これが本当だったとしても、遼乃はそうしたろうと自分を誇っていたからだ。


「一応、結婚……とか、考えないといけない年齢だし、これから大学に行くっていう歳の子と付き合うのは、やっぱり、不安かなって」


 あえて、一般化した。榴が遼乃にとってただの高校生ではなく、遼乃が榴にとってただの大人でないことは明白だったのに。榴が息を呑む。しばらく何か言おうと唇をモゾモゾさせていたのに、それもやがて止んだ。

 目を逸らしたのは、榴からだった。ファミレスの広すぎる机の上で、その視線は行き場を求めて、何度か右往左往する。そして、震えながら、再度弱々しい瞳で遼乃を捉えた。


「……俺が、信用できないんだ」


 頷けなかった。そういうことに、なる。そういうことに、した。筋書きなんてない。口にしたことが全てだ。こんな風に榴と付き合ってきたのに、あんな浅い言葉が、全てなのだ。


「外、出てもいい。こういうところで話すの、恥ずかしいこと言うから」


 いつの間にか、その双眸が鋭くなっていることに気がつく。もう、逃げられない。逃げられないけれど、誤魔化しながら後ずさるしかない。どんなことを言われても、彼を突き放すしかない。


 無言のまま店を出た後、榴は前をずんずんと歩く。ここで走って逃げるようなことはしないと、信用されているのか、甘く見られているのか、胸が締め付けられる思いだった。

 榴の足が向かう先は、考えなくてもわかる。駅前のファミレスからもそう遠くない、あの公園だ。高くなってきた太陽のせいだけではない汗が、首筋から背中を滑り落ちる。


「こういう時に逃げないの、りょーのさんってホント迂闊」


 坂巻に、似たようなことを言われた。先にベンチに腰かけた榴に、上目遣いで睨まれる。こんな目で見られるのは初めてだ。怒っているのか、呆れているのか、表情が薄くて判断できない。ただ、彼も静かに興奮していることは確かだった。


「そうやって、人に合わせて自分の気持ちまで作り替えちゃうところは、嫌い」


 ごくり、と唾を呑む。おそるおそる腰かけたベンチが軋むのと同時に、見つめていた横顔が振り向いた。泣きそうな顔、と思った。その次の瞬間には、鼻から、吸い込んでいた。

 彼の潤んだ息を、吸い込んでいた。

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