一世一代の、嘘じゃないこと
「あなたも、いくつだか知らないけど、未成年とそういうことするなんて」
掠れた声で言いながら、額越しに責めるような視線を投げかけられる。彼女の反応は、当然だろう。こんなこと突然知らされて、呆れない方が寛容すぎる。
「友人の域を越えることはしていません。金銭のやり取りも、していません」
そうだ。大人は、未成年と食事に行くだけで世間からはそういう目で見られる。一度、お昼を奢ったりはしたけれど。それは友人の域を越えることではないはずだ。本当の高校生同士でも、あり得たことだと。
「俺が、本気になったんだ」
息が止まる。え、と遼乃が榴を見ても、彼の視線は母親にしっかり向いている。
「俺が、横井さんが断れないのをわかっていて、強く出た。勉強にも付き合ってもらったし、進路相談にも乗ってもらった」
俺が、と強調する台詞は、まるで考えてきたかのようだ。実際、考えてきたのかもしれない。遼乃を守るために唯一選べる選択肢に導くための方便を。
「今の俺の気持ちは」
すう、と大きく息を吸う。榴の母親も絶句している。遼乃には、違う、私が、と口を挟むこともできたはずなのに、榴の力強い口調を邪魔することができなかった。
「横井さんの隣にいられる道を選びたい。母さんが一緒に住みたいって言うなら、それももちろん尊重したいけど、大学は自分で選ぶ」
榴の口調には、普段からそれほど迷いがない。それでも、あれだけ揺らいでいた進路のことについて、はっきりと言い切った。その言葉を聞いた途端、遼乃の心臓が強く鳴った。彼がこうして未来を向いて、自分の気持ちをしっかりと持てたことに、他人事じゃない感慨を覚えて、唇が震えた。
榴の母親の手のひらが、ダイニングテーブルを押し下げ、軋ませた。軋んだのはテーブルなのか、フローリングなのか、彼女自身の心なのかわからないが、それは確かに不快感として耳に残った。
「バカみたい。あなた、そんな子だったのね。本当にお父さんにそっくり。模試で良い結果出てるんだから、行けばいいじゃない。横井さん、あなたも、こんな子供に遊ばれていていいの。不安定よ、子供は。こうやって、急に気が変わるんだから」
感情的にならないように抑えているのがわかった。それでも、早口で捲し立てられた台詞の後に、後悔なんて感じない。これは苛立ちではなく、呆れなのだと、大きな溜め息が物語る。
けれど、その息の端が少しだけ震えていた気がした。遼乃には、わかる気がした。榴は必ず拾い上げてくれる。これほどまでに遼乃を優先しても、母親のことを忘れなかった。
だから、自分が榴を認めてあげたい。大きく息を吸って、そのまま呑み込んだ。
「……榴くんがやっと、自分で決断できた」
怒りではなく、正すために。彼女の中にも、きっと本当はあるはずだ。自らの都合のためではなく、榴本人のために、彼が変わってきたことへの感情が。
「そのことを、褒めてあげたいなって私は思います」
遼乃のためにだとか、そんなことは初めて聞いた上に、恐らく本心なんかじゃない。強い意思表明で母親を怯ませるための虚勢だ。それでも、自分で選びたいという嘘をつくような榴じゃない。
「母さん。俺は本気だから。横井さんのことも、責任、取る」
榴の喉仏が大きく動く。彼もまた、固い唾を呑み込んでいる。その首が、耳元まで真っ赤に染まっている。誘われるように視線を移した、机の上に置かれた拳も、握り締めすぎて真っ赤になっていた。
榴は嘘が嫌いだ。それも、他人に影響を与えるような嘘は特に嫌いだ。それなのに、こんな台詞が吐ける。それは、ある意味では本気だという意思の表れだと受け取った。だから、こんなにも緊張した様子なのだ。
もう、勝手にして。そう言い残して、榴の母親はダイニングを出て行った。彼女の足音が聞こえなくなるまで、残された二人は元通り呼吸することも忘れてしまったかのように息を潜めて唇を結んでいた。
なんで、どうして、あんなことを言ったの。一秒でも早く、そう言ってやりたかった。本当は、遼乃が榴の母親に土下座でもなんでもして、とにかく許してもらうつもりだった。誠実に大人なりの説明をして、怒られながらも榴に不利益がないように自分にヘイトを仕向けるつもりだった。それなのに、榴は遼乃が思っていた数倍も早く、的確に、遼乃が思っていた展開と逆方向に持って行った。一体それは、遼乃を守るため以外であるならば、何のために。
力の入った拳をまだ緩めることができず、肩をいからせている榴は、喉を押し潰すように下を向いている。どう声をかけようが逡巡しているうちに、その胸から息が吐かれた。
顔を上げた榴は、今までで一番、感情に溢れた表情を浮かべていた。