茨の道を掻き分けて
まさか、またあの服を引っ張り出すことになるとは。近所なら外にも出られるような服でよかった。そんな、少々場違いな細かいことを気にしながら、夏の朝日に焼かれるアスファルトの道を急いだ。
お互い汗だけではなく色々なものでぐしゃぐしゃになっていたとわかり、シャワーを浴びたら、意識がはっきりして状況が整理できた。榴からビールをぶんどって一気飲みした後のことは当然思い出せないが、彼の様子が少しおかしいことを思うと、また色々やらかしたのだろう。そして、ああして拒絶したにも関わらず、強引に部屋に連れて入った理由は、あまり判然としなかった。
「お酒、飲んだ後のことは全然覚えてないの。……看病、してくれてありがとう」
「……うん」
シャワーから上がった榴は、この部屋に初めて来た時の思い詰めていた横顔とは少し違って、少しだけ穏やかだった。けれど、何かを考えているように、歯切れの悪い返事を繰り返した。
「また外泊させてしまったこと……私、親御さんに謝りに行く。お酒のこと知られない方がいいだろうし、制服汚しちゃったから誤魔化すのは無理だよ」
言っていて言葉尻が重くなる。どうやって、どの面で、彼の親に説明したらいいかわからない。わからないけれど、我関せずでい続けるのは、大人としてあり得ない。説明したところで、遼乃は得体の知れない他人なのだろうが、榴が悪くないことは伝えたい。
「俺、自分で家出して来たんだけど」
「でも、私のせいでお酒なんか飲もうとしたんでしょう」
「りょーのさんは……悪くない」
胸がチリチリする。遼乃の言葉をきっぱりと否定する榴は、それでもやはり何かを考えているようにぼんやりしている。
「こないだも、今回も、俺が家出して、りょーのさんが泊めてくれただけ。親に連絡しなかったのは、俺が止めたから」
榴の言い分は、大きくは間違っていない。けれど、こんな風になってしまったことには、遼乃も責任を感じている。自らの妙な期待が、こんな過ちを招いたのではないかと思ってしまう。
「それとも、親に会いたいの」
「……!」
「りょーのさんが会いたいなら、話しに行ってもいいけど」
少し声を明るくした榴は、先ほどまでこれを考えていたのかもしれない。何かを、解消するために。解れて絡まった一つだけでも、どうにかするために。
「それなら、今日このまま行く。あなたをお家まで送って行く」
榴が見せたのは、きっと譲歩ではない。二人にとっては、修羅の道だ。けれど、二人にとって、有耶無耶にしないことへの一歩になる。
「……りょーのさん」
手を伸ばしかけて、榴のそれは途中で空を切る。何か言いたげに眉を顰め、その瞳は揺れていた。けれど、溜めた息をふう、と吐いて、ついに頭を振った。
「ありがとう。りょーのさんが来てくれて、本当に、よかった……」
唐突に正直に口にした榴に、少し照れ臭くなる。拒んだのに、本能的に公園に向かって、そこで衝動のままに彼を止めた。そう考えると、かなり恥ずかしくなって来て、頬が熱くなる。
「あ、後で、何があったか話してね」
熱くなった両頬を両手で挟み込む。そんな様子を見ていた榴も、少しだけ目尻を赤くさせて、くすくすと笑った。
「母さん、どこも出かけてないと思うけど」
昨夜ぶりに開いた榴の携帯にも、あまり連絡は入っていなかったようだった。前例があるから、いちいち構われていないだけかもしれない。今回ばかりは、きっと本当に家出だったというのに。
一応小綺麗な格好を選んで、小綺麗に髪を整え化粧もした。鍵を落として来た、と自分の家でインターホンを押す榴と背中を、耳の奥まで心臓の音に支配されながら、じっと見つめる。
モニターで姿を確認したのだろう、言葉を交わさずに、カチャ、と玄関の鍵が開く。つまり、彼の母親には、遼乃の姿は既に認識された。
「黙って帰らなくてごめん。この人……横井さんが、泊めてくれた。ちゃんと説明するから、話させて」
「横井です」
何と言ったらいいかわからなかった。ただ深々と頭を下げ、唾液を飲み込んでから顔を上げる。薄暗がりの向こうで、細かい柄のチュニックに身を包んでいても細身に見える、さっぱりした印象の女性は、にこりともしなかった。
「まさかあなた、女の子って……」
そう嘲笑うように言葉を途切れさせ、頭を抱える。そのまま何も言わずに奥へ行ってしまう彼女を、榴は追いかける。ここで待ってて、と言われ玄関に佇む遼乃は、榴のリュックと二人きりになった。少しの話し声が聞こえた後、ダイニングへ案内される。
榴がお茶を入れたグラスを置く。カラリ、と氷の爽やかな音が場に不似合いで、また一つ唾液を飲み込む。榴の母親は、俯いて顔を上げなかった。
「前に、傘持って帰ったでしょ。俺が、横井さんの財布拾って、返した時に傘借りたんだ。それから、会った時たまに話してて、こないだと昨日は、俺が無理言って押しかけた」
違う。そんなに、簡単な話じゃない。少なくとも、こないだのことは事故だった。遼乃がそうするように仕向けなければ、榴はきっと家に帰れたのだ。
「受験生なのに女の子と遊ぶなんて、いいご身分ね」
額に手を置いて、そのまま肘をつく。自らの腕にしなだれかかるような彼女は、現実を受け止めきれないようだ。
遼乃はといえば、何を言えば、榴だけでなく彼女への気遣いになるのか、全くわからないまま、汗の滲む拳を膝の上で握り締めていた。




