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じゃりじゃりの夜明け

 ふらり、と視界が揺れる。ああ、頭に血が上りすぎた。そう思った時には、体は横向きになっていた。砂利の上に倒れたのだと気付いたのは、右頬にそれが刺さって痛みを訴え始めたからだ。サク、と音がして、体に温かな手が触れる。


「だ、いじょうぶ……じゃないよな」


 目は開いているはずなのに、チカチカして全く情報が入って来ない。街灯と、その人の影と、光が繰り返し散らついて、ようやく体が浮いているのは錯覚じゃないことに気がつく。


「言ってる場合じゃないから、家、上がるから」


 全身に、温もりを感じた。しがみつかされていたのは、彼の背中だった。ぎゅうと握られた手首は、汗で擦れて痛い。それでも、緩められることはなく、むしろ、段々と力は強くなっている。溜めた息を吐くと、大丈夫、と宥められる。ああ、自分は、どうするつもりだったんだろう。この人でなければ、どうなっていたんだろう。


「ごめん」


 ズボンのポケットから、ずるりと鍵が取り出される。玄関に腰を下ろされたのだろう、座っていられなくて上半身を倒すと、頬を手のひらに撫でられた。


「ごめん。りょーのさん」


 それから、榴は夜明けまで傍にいた。顔の汚れを拭い、水を飲ませて、隣で大丈夫、と励まし続けた。浅い意識の中で、彼の姿を見た記憶もないのは、真っ暗な玄関の地べたに二人でずっといたからだった。



 わからなかった。長い時間、喘ぎ苦しむ彼女を見ながら、まだ理解することができなかった。好きだ、と口にした。初めてマトモに喋ったあの日のように、酒の力で全てを吐き出した遼乃は、もしかしたら、また忘れてしまうかもしれない。そうしたら、自分はどうすべきだろうか。そう言っていた、と伝えるべきか。それとも、隠してしまって、元の二人に戻るべきか。

 否、もう戻ることなんてできないのだ。こうやって、二人とも傷を作った。知らないふりをして、見ないふりをして、たまたまそこにいた二人のままではいられないのだ。選ばなくてはいけない。この気持ちに、向き合って、どう対処すべきかを。


 そんな自問自答をしながら、ようやく力の抜けた寝顔を見せてくれた頃には、榴もへとへとになっていた。汚れて、ぐしゃぐしゃになって、真っ赤に腫れてしまった顔を改めて見て、自らの愚かさに気が付く。

 こうなってまで、思ってしまうのだ。どうしようもなく、馬鹿な人だ、と。



「……のさん。りょーのさん」


 す、と鼻息の音。身じろぎをすると、耳に髪が擦れたチリチリとした音と、腕に僅かにひんやりとした感触を覚える。衣擦れの音と、地面に砂が擦れる音。続いて、また息が一つ。


「起きなくて大丈夫」


 小さく掠れた声。自分以外の誰かの存在感だけ感じながら、意識がなかなか降りてこない。喉から息を吐き出して、また遠のこうとする意識を捕まえる。それでも、体の先がまるで動かない。


「今日、仕事、大丈夫?」


「⁉︎ ……今、何時」


 反射的に、掠れ切った声が出る。腕の先だけやっと動かすことができて、寝そべっているのがフローリングであることに気がつく。


「まだ6時だけど」


 五回ほど、頭の中で繰り返し考え、一旦ほっとする。まだ時間に余裕はある。少しずつ目を開いて、ようやく状況を認識する。


「…………」


 ここは玄関。靴も脱いでいない。手のひらや首がじゃりじゃりする。姿はほとんど見えないけれど、玄関の扉を背にして、その人はそのままの体勢で少しだけ笑った息を吐いた。

 視覚も触覚もぼやぼやする中、徐に体を起こす。榴は、片膝を立てて扉にもたれかかっていた。リュックを隣に置いて、狭い玄関の中で遼乃を見つめていた。ずっと、そのままだったのだろうか、と考えようとして、頭が上手く働かない。


「調子、どう。水飲もうか」


 ゆっくりと立ち上がり、遼乃の肩の横を跨いで行く。昨晩、部屋に帰ってきた記憶がない。榴が訪ねて来て、その後——。


「ひゃっ」


 頬に冷たい感触。思わず手をやると、コップを掴んだ榴の温かな手に触れる。しっとりした温もりに、どういうわけか安心する。薄暗がりの中で、榴はほのかに笑んだ。


「……今日、日曜日じゃない」


 指をもつれさせながらコップを受け取って水を一口呑み込むと、俄に頭がはっきりした。なんだ、と思わずまた横になろうとして、同じ空間に他人がいることと、全身のじゃりじゃりした違和感を思い出し、座り直した。


「あー……言われてみれば、そうかも。でも、よかった。りょーのさん、シャワー浴びて。覚えてないと思うけど、昨日、砂利に倒れてそのまんまだから」


 砂利。そうか、公園だ。公園に行ったことは思い出した。けれど、それとこれとが結び付かない。重たい目の奥の感覚を振り払おうとしながら、酒の甘苦い香りに気が付く。


「私……お酒、飲んだ?」


「うん。俺からぶんどって、その時に俺にもかかったから、お互い酒臭いのなんの」


 目を凝らして榴の格好をよく見ようとする。制服の半袖シャツはくたびれて、髪の毛もくしゃくしゃだ。お酒かけたなんて悪いことしたな、と考えながら、様々と引っかかることに気が付く。


「榴くんから……? 制服、汚しちゃって、っていうか、またお家に帰らなかったってこと……?」


 そうだな、と答えた声色は、少し震えていた。

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