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スクランブル交差点

「私は、騙されたりなんか、してない」


 最初から、榴との関係は鏡に映る自分の頬を撫でるようなものだった。失恋したからときめいたとか、榴が少し変わった感性を持っていながら、面識の浅い頃から自分に対して遠慮はないのにたくさん配慮してくれるとか、そんなところを益だとして意識して受け取っていたわけじゃない。そう、ただ、自分が辛い時、同じように苦しむ榴に、親近感を覚えていただけで。


「じゃあ、騙してる」


 騙して、騙されて、付き合う。どういうことだかわからなくなってきた。坂巻に騙されてみる、ということは、彼の何に目を瞑ったらそのようになるのだろう。彼が望むもの、望まないものが、自分のそれと合致しないことに対して、だろうか。それは、前の彼氏の場合、本当の恋人という空想上の関係そのことにあたるのだろうか。


「自分が求めて、相手にも求められたら嬉しいですよ。でも、そうやって、大人だから与えられる餌をその子に与え続けて、その子はどうなるでしょうか。貴女を異性だと意識なんてしていないんでしょう。まさか、横井さんが、恋人としての関係を望んでいるだなんて、思っていないんでしょう」


 優しく微笑んで遼乃の頭に手を置いた時、榴の中にはきっと、遼乃を異性として見る気持ちなんてなかっただろう。そもそも、彼の目にはそういった色がない。恋愛の一つ二つで思い悩むような大人のくだらなさを、彼は最も嫌っている。


「なんて。意地悪言い過ぎました。そうやって言って、どうにかして横井さんが振り向かないかなあと思っているだけです。恋愛なんて、そんなもんです。打算で誰かを悪く言えてしまう」


 今度は冗談めかして言い、坂巻は肩を竦めた。うんともいいえとも言えないまま、運ばれてきた料理に手をつける。バターの優しい香りがスプーンを伝って鼻に抜けた時、やけに感傷的な気持ちになったのだった。


「……今更、好き、ってわからないよね」


 優しく懐かしい味のオムライスをたいらげ、そんな料理を食べた後に決まって美味しく感じる水のグラスを掴んだまま、胸の入り口にまで込み上げていた言葉を吐いた。それまで何でもないような顔で遼乃の向かいに座っていた坂巻は、再び探るように真剣な眼差しを湛える。


「そうですか?」


「子供の頃と違って、一生懸命になる前に、すごく迷うじゃない」


「うん」


「相手がどう思うかも考えちゃう」


「はい」


「……でも」


 考えられていただろうか。気が付いた時には、ここにいた。榴と離れてしまう原因そのものである、その気持ちに溺れていた。


「わかってるじゃないですか」


 でも、けれど、それでも。坂巻に頷かされたその気持ちに最も意識を持って行かれているのは、遼乃本人なのだ。今更、知らないなんて言えない。


「横井さんがわからないのは、それをどうするかっていうことでしょう。どうするも、どうもしないも、自由だと思いますけど」


 これ以上重たい空気で話を続ける気もないらしく、坂巻はさっさと席を立つ。その潔さが、少しずつ心地良い。はっきりとした答えも、その気持ちに応えることも、遼乃にはできないままだったにも関わらず、坂巻はそれ以上を求めないでいてくれる。



「ひとつ、覚えていないといけないのは、外からはああいう風に見えるってことです。横井さんを心配しています」


 帰り間際、坂巻が自らの体で隠しながら親指で示した先には、少女と歩く中年男性の姿があった。未成年と、出歩くこと。それが例え、恋人同士であったとしても、そういう風に見えるということ。遼乃がいくら榴に求められたとしても、榴の親に顔を向けられるような存在ではないということ。



 インターホンが鳴った時、真っ先にその予感が襲った。だから、その姿を見ることも嫌で、その嫌な気持ちを隠すことができなかった。

 LINEに入れようと用意していた言葉が口から出てきて、それから気が付いた。気が付いて、足元から力が抜けた。何も連絡せずに、急に家に訪ねて来た。榴はそんなことをただの勢いだけでするような人じゃない。理由もなく、何も言わず、そんな切羽詰まったような声を上げる人じゃない。あの日と同じだった。傷口から流れ始めていた血を、止める術を探した結果のはずだ。そんな時に、拒絶してみせる必要なんてなかった。

 画面を見ることもできず、インターホンの音声が自動的に消えるまでの間、榴は何も言わなかった。何の音もしなかった。少しだけでも音を立ててくれたらよかった。心配して、折れた足を立たせることができたかもしれない。

 けれど、ほんの少し。ほんの少しだけ、大人の言い訳がましさが幸いした。


「一つ、言い忘れた」


 そう呟いて、鞄を手に取った。

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