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盾にされるのは御免だ

 ホームルームが終わった後、手のひらを強く押しつけすぎていたのか、その紙切れは汗を吸い込んでくしゃくしゃになっていた。こんなことならば、やはりもっと早いうちにしっかり腹を括るべきだった。そのことが時間差で、しかも今になって自分を真っ向から突き刺してくるとは思わなかった。自分の甘えや過ちを見透かされているようで、腹が立つと共に虚しくなった。


「……まだお父さん帰って来ないの?」


「うん」


 夏期講習期間はいつもの縦型リュックではなく、無地のトートバッグだけぶら下げている匠は、妙に身軽そうで、正直に羨ましいと思う。現実、匠は偉いのだ。腐れ縁というだけで榴の面倒事に気を配って、部活も勉強もしっかりやって、大学の悩みを榴に相談することもなかった。

 苛立ちを隠さず模試の結果通知を前に項垂れている榴に声をかけられるのは、匠くらいだ。夏前より更に伸びた前髪は、俯くともう完全に目元を隠してしまう。散髪になんか、行ける状況にない。


「結局、俺が決めなきゃ何も変わらないのかな」


 志望校欄に書いたのは、地元の大学だ。母親の望む、そして地元の大人の望む、無難な選択肢。数ヶ月前の榴は、そうやってなんとなくで選択することに危惧を覚えてなどいなかった。これほどまでに葛藤するつもりではなかったから。


「ま、それはそーだろうけど。やっぱりりょーのさんに連絡しちゃ、ダメ?」


「ダメ。お前余計なコト言うだろ。……迷惑、かけるし」


 あれからなんとなく、何の連絡も取れていない。彼女が、外泊なんかして榴がどうなったのかを気にしていないはずがない。ないのに、あの夜の異様な態度を思うと、遼乃からも遠ざけられる理由が何かあるのかもしれない、と、足取りが止まった。彼女に縋ることへの罪悪感に、ようやく気が付いたせいもある。


「そのまんまってのも迷惑っていうか、友達? として心配だろーって思うけどな〜。嘘つき続けたって解決しないし、家の人にも話せたらいいのにって思うんだけど」


「……無理だろ」


 あの日、帰らなくていいと言った遼乃の強さならば、榴のために榴の親に会おうと思うくらいはできたかもしれない。けれど、それでどうする、と、榴ですら思う。榴と遼乃はなんでもない。強いて言えば、友達。けれど、子供と大人だから、何をしようにも、不公平だ。そして、友達以外のなんでもない。


「な、どうなの。俺だって大人の気持ちなんか知らないけどさ。結婚を前提にお付き合いしてますー、高校卒業したらこの人と暮らすんですーって言ったら、世間的には許されるんじゃないの」


「は⁉︎」


 いつもとは少し違うベクトルで榴を気遣っていた匠が、いつもとは少し違うベクトルで声を明るくする。鼻にかかった声が、彼自身が少し照れていることを知らせている。匠なりに本気でこの状況を何とかする方法を考えた照れ臭さなのか、それとも。


「意味わからんけど」


「りょーのさんと付き合っちゃえってこと」


「…………」


 側頭部を掻き回す。唐突に気持ち悪く感じた前髪をかき上げて、そのまま掌に額を押し付けた。意味わからん。意味わからん。意味わからん。


「それ、りょーのさんを盾にしろってことじゃん。そんなの、親とやってること同じだ」


 子供の進学に合わせて、新しい生活を。そして、子供には自分の望んだ道を。貴方の考えにはこの子を付き合わせられない。お前の考えにはこの子を付き合わせられない。親同士が決別するための、道具だ。遼乃を、榴が親と決別するための道具に使うと言うのだろうか。


「榴の気持ちが建前に過ぎないなら、そうなるだろうね」


「……意味わからん」


 盾にされるのは御免だというのは、遼乃だって変わらないはずだ。例え、彼女が知らずのうちに人に騙され利用されるようなお人好しだとしても。


「りょーのさんのこと、好きじゃないの?」


 ズキリ、と心臓の周りが痛む。低温すぎて瞬時に感覚を奪うドライアイスを当てられたように、その冷たさと痛みはじわじわと後を追ってやって来る。彼女の柔らかい髪に触れた自分の手のひらを、無意識にもう片方の手でなぞる。この気持ちを、何と呼ぶのか。


「わ、からん」


「一緒にいて楽しいでしょ」


「…………」


「りょーのさんのこと、毎日考えてるでしょ」


「…………」


「お前、首赤くなるタイプなんだな」


「……‼︎」


 首に手を当てる。汗の滲んでいた額に押し付けていた手のひらは、その皮膚の硬さをまだ覚えている。同じように日に焼けた首は、まるで太陽の熱を集めた後のように、熱を持っていた。


「りょーのさん、彼氏いないんでしょ。俺らみたいに子供じゃないんだから、ただお前が子供だってだけで、家に泊めたりなんかしないと思うけど」


 違う。しないとは思わない。遼乃はお人好しだ。それも、どうしようもなく自棄になっているお人好しだ。揺れている自分の気分が傾いて、ふらりと本意でないこともしてしまいそうな危うさがある。だから、有り得ないとは思えない。


「違うなら、早く迷惑かけるのやめるんだな。お前も、りょーのさんに盾にされるかもしれないぞ?」


 匠は、ふざけたことを言う時の顔じゃない。静かに、言葉だけは戯けて、親友は優しく笑っていた。

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