子供のままでいること
「何、何があったんだよ。やっぱりこっぴどく叱られたの?」
「……それはそう」
匠は今どきわざわざ机になんて腰掛けて、暑いなら着なきゃいいオフホワイトのベストの胸を摘んでシャツをぱふぱふさせている。遼乃が連絡をしたらしい後、いくつか来ていたメッセージには、朝になってようやく返事をした。何も説明する気のないメッセージでも、既読がついた後、匠が深く言及してくることはなかった。こうして週明けには必ず話をすることになるからではあろうが。
「わっかんねえから言い訳もできなかったし、いまだに何にもわかんねえ」
「わかんないがわかんないじゃわかんないんだよ。土曜日、横井さんの声、泣いてるんじゃないかって思ったから、俺だって結構心配してたんだよ。で、結局、横井さんちに泊まったんでしょ」
遼乃が、榴のしたいように、と嘯いた後、彼女の態度は唐突に変わった。まるで何かに怯えるように、自分で持ち去った癖に下着まで干すのは気にしないかとか、夕飯はピザでいいかとか、飲み物が何もないからって大雨の中また外へ出て行ったりと、止めるタイミングも掴めないままに、妙に明るく振る舞ってずっと動き続けていた。
「りょーのさん、コップ洗ってる間に寝てたし」
「はぁ⁉︎ で、で、お前はどうしたの」
「クッション枕にして寝た」
寝室はあった。扉の向こうに。洗濯物を干しただけになったその部屋は、その夜は誰も容れることがなかった。
「こんなことさあ! お前たちのこと知ってて冗談でも言えないけどさ! かわいいOLさんちに泊まるってドキドキイベントがそんなんでいいのか! って一応言わせろ!」
バカか。いや、わざとバカらしく振る舞ってくれているのかもしれない。にしても。
「声デケェよ、バカ」
かろうじて声を落としてくれたものの、机の上なんかに座っているせいで、少しだけ教室の端で目立っている匠が頭を抱えて悶えているのは、何人かの目には留まっている。はあ、と溜息をついて、榴は机に突っ伏した。
「かわいい、んだ」
「は、かわいいだろ。榴の頓珍漢に付き合ってくれるくらいだし、横井さんも相当抜けてる気がするけどさ。学校の先輩だったら追いかけちゃってるかも」
少しだけ、ほんの少しだけ、心当たりがある。それでも、榴はそれを確かめる手段を持たない。妙な態度でも、普段はきっと見ないテレビのバラエティ番組なんかをつけて一生懸命面白がっている姿は、遼乃らしかった。前の彼氏の前でもそんな風に振る舞っていたんだろうと思うし、あの日吐き散らした本音の表側では、いつも明るく平気な顔をしていたんだろう、と昨晩ようやく知った。だからこそ、自分の前で肩肘張らない遼乃を見て、榴の中にも芽生えていた。他の誰かの居る時とは、何かが違うという感覚が。
「あー。俺、今度こそ無理で匠んち逃げ込むかも」
「俺はいいし、親にも何とでも言うけどさ。榴はそれじゃダメだって思ってるんだろ」
ダメでも、逃げない選択肢を自分事にできない時点で、そのダメは我儘に過ぎない。額を擦り付けた机から、小学校の時と変わらない木の匂いがヤケに直接鼻の奥に届く。
人の気持ちがわからない自分のままで居続けるから、親からも逃げ続ける。自分の主張や希望など、彼ら大人には蹴飛ばされ、受け入れられるはずがないと思い続ける。やがて捨てた自我の後に残ったのは、現状をイヤイヤと言うだけの赤ん坊だ。
「朝帰ったら、もう親の間では話がついてたんだよ。母さん、怒ってすらなかった。父さんが何か言ったんだろう、受験生なのに、って、昼までずっと説教。最初っからずっと思ってたのかもな。俺がいつまでも受験生らしくないから」
「そんなの、榴ばっか言われるようなことじゃなくない。や、そもそも、そういう話じゃないか」
先ほどまで随分ふざけていた匠も、完全に突っ伏していつもよりすらすらと言葉の出てくる榴にかける言葉は、静かで柔らかい。友人のことを繊細だなんて思ってはいないが、唯一曝け出すことのできる相手である自分が榴を受け止めることは当然だと、彼の生来の人の良さが彼自身に語りかけるせいだった。
「父さんは夜に出てったってさ。卒業まで待てないって。で、後でLINE来てた。金は出すから、一人暮らし応援するぞって」
歯車を動かしたのは自分だ。榴が限界を迎えていることくらい、榴のことを見ていない親だって想像できていただろう。爆発したらしたで、榴のせいにして離婚も仕方ないこととして処理できると思っていたのかもしれない。いつまでも、大人の汚い自己都合でここまで引っ張ったくせに。
「……榴は、早く自分がどうしたいか決めた方がいいよ」
一昨日の遼乃の言葉と重なる。本気で心配してくれていたことは、匠も遼乃も変わらない。なのに、何故、彼女の声はあれほど暗かったのだろう。拗ねた子供のようだった彼女を、そのままにしておけないと思った。遼乃は確かにほっとしていたのに、何かを呟いた後、様子がおかしくなった。
少しだけ、心当たりがある。仄明かりの灯った自らの窓を閉じねばならないと、榴は鼻頭まで机に押し付けた。




