動揺、反撃、クリーンヒット。
「りょーのさんの話も、聞いていい?」
「えっ、あ、う、うん……」
再び腰を下ろした榴は思いの外すっきりした様子で、今日一番しっかりと遼乃の目を見て言う。あまりにいきなりのことに強く動揺しながらも、榴の押しに負けて首肯する。
「元彼?」
遼乃が用意したしっかり男物のスウェットをつまみ上げて聞く。何故か、榴の目は呆れたような色をしている。
「えっと、ごめん……」
さっきから、押されてばかりだ。やはり、榴みたいにしっかりした態度でいられない。ようやく向き合えたと思っていたのに、まだ向き合えてなんかいなかった証拠だ。
「最初っから向こうは付き合ってるつもりなんてなかったって言ってたけど、でも、服なんか置いてるんだ」
恥ずかしい。恥ずかしすぎる。榴は何も言ってなかったけど、多分、少なくとも今は彼女はいないんだろう。そんな年下に、自分の愚かな恋愛に口を出されるなんて、恥ずかしすぎる。
「私、は、付き合ってたと思ってたから……」
部屋に泊まりに来たことも勿論ある。そういうのが少し嬉しくて、遼乃が用意したのが、今榴が着ているものだ。決して、元彼が置いて行ってくれたわけではなくて、泊まりに来た時に着るためだけのものだった。
「……りょーのさんはさ、真剣だったんだ。結婚とか、考えるくらい」
ごくり、と唾を飲む。ずいぶん年下とはいえ、高校生だ。子供騙しな意味でなく、ちゃんとわかった上で、そんな風に聞いているのだ。
「考えてたって言ったら、嘘になっちゃう。具体的に考えたことなかったの。でもね、今はわかるよ。そんな風に、大事なこともずっと口に出してなかったのに、自分の物だって思い込んでた傲慢さが良くなかったんだって」
信じ込んでいた自分が悪いんだ。他人を疑うことなんかなくて、けれどそれは優しさでもなんでもなく、自分に甘かっただけだ。大事なことを口に出さず、自分の気持ちも相手の気持ちも、蔑ろにした結果だ。何度だって、そんな風な結論に行き着く。
すー、と榴の鼻息。溜息ではなく、安堵の静かな息をついた後、榴は首を傾けた。
「言えるじゃん、ちゃんと。俺も人のこと言えないけどさ」
穏やかになった彼の表情を見て、遼乃の肩の力も抜けていく。これで良かったのだ。榴は親に何と言われようと、解放されたかったのだから。今だけ、明日の朝までだけでも、その現実から離してやることができるのならば、その後に待つものが自分のせいでも優しい榴は責めたりしない。
「……私のせいで、お母さんに怒られちゃうよね」
「別にいい。いっつも振り回されてるのは俺の方だし。追い出されるくらいの方が、今よりまだマシ」
言ってから榴は自ら、少し卑屈になりすぎた、と頭を振った。大人は、遼乃でさえも、将来を心配するものだとわかっているかのように。否、現実、わかっているのだ。進路の相談に積極的に乗ろうとしている遼乃が、榴のこの先が暗くなることを望まないことくらい。
きっと、離れた方がいい。自分の選択が親に武器を与えるようで嫌だと思っているのだとしても、今の榴では自分を見つめることなんて不可能だ。そう思うのに、一人暮らしをしたらいい、と口から言葉が出ない。遼乃が一人暮らしを選んだのは、そう大した選択でもなかったからだろうか、否、本当は。
「こんな風に言うのは、説教みたいで嫌だろうけど、本当は榴くんが望むようにするのが一番だよ」
どうしてか、声が暗くなる。今、自分の家に榴がいること。なんだかんだ言って、ついて来てくれて、帰りたくないことを否定しなかったこと。もし、このままで居続ければ。遼乃は、榴に会い続けられる。会う理由がなくならないと言っても、将来のある高校生を縛り続けることはできないから、いつか近くからいなくなる。
「何、りょーのさん。嘘ついてるでしょ」
妙に楽しそうに笑った榴の手が伸びてくる。先ほど阻まれてしまった手と違って、榴は目の前の遼乃を慰めることに迷いがない。最初から、初めて話した時から、同じように。
榴の手のひらが温かった。つむじを伝い、耳の後ろを通って、その温もりが心臓まで届く。ドクン、と一音、不安になるほど大きい振動が鳴った。
「遠くに行っちゃうのは嫌だな」
首の後ろが、氷を当てたように感覚を失う。何、と返した榴の顔を見て、間違えた、と思う。間違えた。彼がかつて言っていたのとは違う。榴は逆の意味で言い方を間違えただけだ。今度は耳の後ろを寒気が込み上げて、彼の手を無理やり頭から剥がした。
自らの心臓がこれ以上跳ねないように、胸に強く拳を押し付ける。止まれ。止まれ止まれ止まれ。押し殺した息が限界を迎えて口から飛び出たのを見て、榴がどうしたの、と漏らした。伝わっていない。口にしたって、伝わらない。自分が痛感しただけだ。こんなこと、いけないとわかっているのに。
優しい榴だって、家族のことを受け止められないように、受け止められないことがあるのに。




