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救出

三十一年間での、不測の出来事だ。

どう対応したらいいか、全く予測出来ない。

一階のスタッフは、もしかしたら緊急コールが鳴って、そこから部屋に赴き、そこで感染して、もう手遅れかもしれない。それにヘルパーの仲間だって。

この一階の異変を見ると、その可能性が濃厚そうだ。


「だったら、二人で警察署に行ってから、菊池さんを助けにいきましょうよ。それなら警察の救援もいるし、人手もある」


浅利君の言も一理あると思ったが、警察署が無事という確証も未だに持てないので、俺はそれも首を左右に振り、申し出を断る。

もちろん理由を話した上でだが。


「もし警察署が、ゾンビ軍団に占拠されていたら、迷わず県外に逃げろ。出来れば国外がいいかもな。空港を占拠されない限り、国外は大丈夫だとは思うが。あとはラジオで情報収集か。携帯でもいいけど。大雑把に言うとそんなところかな」


まだ入居者という考えは、俺の頭から綺麗サッパリ消えた。

今、あのドアの向こうにいるのはゾンビくだりにすぎない。

そう無理やり割り切ったら、多少は気持ちが楽になった。


「まずはここを突破するぞ。このまま無駄死にすることは出来ないからな。すぐに武器になるものを探そう」


俺は、ベッドの横枠に刺さっている転落防止用の鉄の柵を引き抜いた。打撃として十分な重みと破壊力を秘めている。あとはこのベットを盾として、ゾンビに突っ込ませればいい。これで突破口は開ける。あとは視界を奪うカーテンも持っていければ持っていきたい、あれば便利なのだ。

それぞれベッド柵を持ち、ベッドを今にも部屋から飛び出ていけるようにセットして、身構える。

ドゴン! ドゴン!

さっき以上に激しい力が、年季の入ったドアに込められる。

鍵穴の部分が、激しく揺れ、遂には鍵穴の部位が音を上げ、かたかたと揺れ始めた。

いよいよか。

浅利君と視線を合わせ、こくりとお互いうなずく。

ドゴンッ!!

激しい音と共に鍵穴の金具が吹き飛んだ。

いよいよ、おでましか。

乾いている下唇を舌で舐め、俺は暗闇の中を睨む。


「ヴううおおおおおお……」


嘆くような、声が耳から入ってくる。

暗闇の奥から、のそり、のそりと。

身体を左右に小刻みに揺らしながら、こっちにゆっくりと向かってくる。

数は三体。

協力して、ここのドアを破る力はあるか。


「浅利君、もう俺達が知っている人達だと思ったら駄目だぞ。見れば分かるだろうが、あれはもう駄目だと思う」


ヘルパーのタブー言葉で駄目という言葉がある。入居者に使用してはいけないということを俺はふと思い出した。

無意識に使用してしまうので、よく三浦さんに怒られていた。未熟だなぁと感じてしまう。

だけど、三浦さん。

俺は、ここでは言わしてもらいますよ。

あれはもうダメだ。

仲間のために、ここは突破させてもらう。


「うおおおおおおお!」

「うあああああああ!」


俺と浅利君が、吠えた。

普段は、慎重に運ぶベットを今日は激しく、荒々しく扱う。

正気を失い、焦点の合っていない目をした、感染菌に侵されたものに対して、ブレーキが壊れたダンプカーのように、ベッドを三人の入居者もとい三体のゾンビに突っ込ませた。


「ヴううう!?」


ゾンビ達が、悲鳴にも似たうめき声を上げた。

その声にかつての入居者の影を見たが、俺は躊躇なく、ベッドを壁にぶつかるまで、力任せに押し出した。

途中、ベットが重くなったのを感じた。

それは浅利君が、ベッドを押すのを止めたのだ。

だが、俺はお構いなしに、ベッドを壁に押し込んだ。


「はぁはぁはぁ……」


息が上がっている。

普段してはいけないことをしているからだ。


「はっ!?」


浅利君が、ここでようやく正気に戻った。


「俺、押している間にどうしても入居者様を思い出してしまって……」


申し訳なさそうに謝る青年に俺は、


「浅利君は優しいな。その心をいつまでも忘れずにな」


と月並みな言葉を掛けてしまった。

それくらいしか掛ける言葉が浮かばなかった。

だが、ぐずぐずしてはいられない。

暗闇の向こうで、うごめく影が見えた。

皆、起き上がり始めたか。

今まで自室で寝たきりだった入居者が、ゾンビになって各階の中をハロウィンの行進をしている。


「階段に行くぞ!」


俺は、声を張り上げて言った。

大声でも出していないと、自分もどうにかなりそうだったからだ。


「はいっ!」


浅利君も即答し、俺は手まどうことなく、スタッフ専用の階段の鍵を開けて、滑り込むように、中に浅利君と入った。

自動ロックなので、鍵は閉めなくていい。

すぐに俺と浅利君が入ってから、階段の取っ手を回すゾンビがいたが、ここの鍵は厳重なので、まず突破されることはないだろう。


「ふう、なんとかなったな。視界を塞ぐカーテン一つに鉄格子も確保出来た。これで丸腰ではないだろう」


俺は、カーテンを左肩に掛け、柵を右手で持ちながら言った。


「はい、では俺はこれから中央警察署のほうに行ってきます」


一緒に一階まで階段を降り、一応は階段の出口から、顔を少し出し、周囲を確認する。

ここには流石にいないか。


「大丈夫そうだな。じゃあ頼むぞ」


俺は、後輩に大事な任務を託した。


「すぐ戻ってきます。では」


すたすたと早足で、自分の車に向かい、乗り込んだ浅利君を確認して、俺はすぐに戻った。

戻る途中、一階でマスターキーを拝借する。これで入れない部屋はないはずだ。

これから、八階にいるであろうきくりんを助け無くてはならない。

ベッド柵を、握る手が強くなる。

はぁはぁはぁ。

息が荒くなり、足が次第に重くなっていく。


「はぁはぁ……」


遂には、手すりを使用しないと登れないようになっていた。


「そういや、一階から八階まで階段で昇るなんて、今まで数えるくらいしかなかったな……」


息苦しくなり、足が遂には、鉛の様に重くなった。

そしてよたよたと階段を昇り、ようやく八階の文字が見えた。

その頃には、俺の身体は出来上がっており、きくりんを助けに行くどころか、逆に助けられるような始末になっていた。

とりあえず、息が整うまで少し休ませてくれ。

きくりんを助けるのはそれからだ。

俺の身体が、訴えてくる。


「よっこらしょ」


俺は、階段の段差に腰を降ろした。

これから、またゾンビとおっ始める前の落ち着いた心で、なんでこうなったか考える。

感染ルートは、近藤さんなのか?

だとしたら、八階から体液感染で広がっていった。

近藤さんと関わり、傷を負った人や傷口があり、近藤さんの体液がそこから入った人。

また、その近藤さんから感染した人の体液から感染するケースもある。

となると、被害は甚大だ。

八階は比較的に元気な人が多いため、毎日のようにデイに出かける人も少なくない。

またこの建物内の行事に進んで参加する人も多い。

正直、もう全階に菌が拡大している可能性が非常に高い。

それにここお見舞でいらしたご家族様にも感染していたら、もう……。

俺はぞっとするものを感じ、考えることを止めた。

今は、もう目の前のことを考えるだけで十分だ。

きくりんを、救うことだけを考えよう。

それ以外は終わってから、考えることにしよう。

体力も回復し、呼吸も回復したので、俺は重かった腰を上げた。

さて行くか。

階段のドアノブを、中から少し開ける。

そしてまずは、八階の中の様子を伺う。

近藤さんが、入居していた階だけに、一番初めに菌が拡散し、感染している人が多い可能性が高い。

少し距離が離れているところで、例の唸っている声が聞こえてくるが、近くにはどうやらいないようだ。

さぁて、どうやって探すとするか。

一部屋一部屋ずつ、探していくとなると、時間がかかりすぎて、リスクがありすぎる。

まぁ、冷静に考えると、様子がおかしい入居者の部屋に、女の子が入るのは考えにくいので、空き部屋か、浴室、倉庫。

大体こんなところだろう。

俺は、まず一番近い浴室の中を探すことにした。

流石に、こんな狭いところにはいないはずだ。

一応、風呂の蓋を開けて、中を確認するが、きくりんの姿はなかった。

ついでに、ビニール手袋をここで入手し、装着する。

体液感染であれば乱闘時に、飛び散る可能性があるからだ。

よし、次はっと……。

浴室から出て、俺は右手側を見ると、そこにはよく見慣れた物があった。

紺の色をベースに白いラインが入っている。

そう、うちの仕事のユニフォームである。

嫌な予感がした。

確かにこうなる可能性も大いにあったが、実際は信じたくなかった。

俺の脳裏に、同僚をベッド柵で殴るビジョンが流れた。

心が痛むが仕方がない。

こっちも自分自身生きるため、助けを求めている人がいる。

俺は、暗闇の中からうっすらと見えた顔を見て、あぁと嘆いた。

こうさん。

よくよく知っている同僚だった。

愛妻家で、毎日奥さんの弁当を美味しそうに食べている光景が浮かんでくる。

仕事もテキパキと出来る人で素晴らしい人だった。

なのに……なのにどうして。

俺の眼の前にいる耕さんは、愛妻家というイメージはすでになく、いつもの柔和な表情も皆無。歯茎をむき出しにして、ぎりぎりと激しく歯を噛み締めている。

面影すらない。

いつもの歯切れのいい早口調の言葉も、今は不明瞭で何を言っているのか、聞き取ることが出来ない。

暑がりで、腕まくりをして、仕事をしていたときに噛まれたのかもしれない。

左手に噛まれた跡がある。

何でだよ、何でだよ、あんたほどの人が。

俺は、感極まって涙が溢れてくる。

怒りの矛先が、感染菌に、それを作成したものに向けられる。

絶対に許さん。


「耕さんっ!!」


俺は、大きく息を吸い込み、心を決めた。


「ヴうあああああああああ!」


耕さんも咆哮しながら、俺に応えてくれた。

悪いけど、直撃させる。

俺は、ベッド柵を躊躇なく、耕さんの顔面に叩きつけた。耕さんは、その場にうずくまるように倒れた。

俺は、その倒れた耕さんの後頭部目掛けて、もう一度お見舞いする。

正面から見なければ、いつもの耕さんそのものだ。

くそっ! 


「ヴううううううう!?」


耕さんは、苦しんでいるかのように見えたが、俺は、ベッド柵で叩く力を弱めない。


「うああああ! うあああああ! あああ!」


何度も何度も打ち付ける。

申し訳ない申し訳ないと心の中で唱えているが、それとは裏腹にベッド柵を打ち付ける力はどんどん強くなっていく。

何度も打ち付けている内に、耕さんの身体が動かなくなっていった。

ぴくぴくと動いていた身体も今は、ぴくりとも動かない。


「はぁはぁはぁ……」


俺の手には、まだ耕さんの脳天を何度も打ち付けた感触が残っている。

柔らかくもなく、固くもなく、何ともいえない生々しい感触が。


「ヴおおおおおおお!」


俺のこの騒ぎを聞き付けたのか、八階のホールのほうから、入居者のゾンビの大群が向かってくる。

少なくとも、五体以上はいるのが見えた。

くそっ。

この疲弊した精神状態にあの数は……。

助からないな。

すぐに、戦う選択を止めて、俺は踵を返して、八階の階段の鍵を開けた。

そして、自分の身を隠すように、階段の踊り場に逃げ込む。

ゾンビとなっていた耕さんだが、その耕さんに手を下したのは俺だ。でも殺らなければ、俺が殺られていたかもしれない。だから、だから。

背中を階段の壁に寄りかかるようにし、右手で、両目を抑え、こみ上げてくる嗚咽を我慢する。

もう俺は、あの笑顔には会えない。

そして、俺は涙した。

感情が少しずつ、落ち着いてくるのを感じ、俺はくしゃくしゃになった顔を、インナーで拭いた。

きくりんを探す。

この目的がなければ、すぐにこんなところからは逃げ出している。

それにしても八階にまた切り込むのは、相当の勇気がいるな。

俺は、このドアの向こうのあの数のゾンビをまた想像しただけで、気持ちが重く、嫌になった。

また耕さんと顔を合わせるのは、気持ちが重い。

浅利君はうまくいっただろうか?

警察署が、ゾンビ軍団の巣窟になっていなければ、今頃は警官を連れて、向かってきてくれているはずだ。

俺は、もう一度だけきくりんの番号に電話を掛けてみた。

すると、どこかで聞き慣れた着信音が微かにだが、聞こえてくる。

そして、


「……は、はい」

「えっ? 菊池さん? ようやく出た。い、今どこなの?」


俺は、ようやく出てくれたきくりんの居場所を聞いた。

声は疲弊しているが、ゾンビには、どうやらなっていないらしい。


「九階の上のボイラー室。耕さんがそこに隠れてろって言ったから。みんなおかしくなっちゃって、どうしたらいいのか……」

「俺、今八階の階段の踊り場にいるから、ボイラー室に向かうね。そこを動かないでくださいね。電話は切らないで、繋げておくから」


目の前にきくりんがいるかのように、俺は話し、すぐにボイラー室に向かう。

階段を再び昇りだし、ようやくボイラー室に着いた。


「ボイラー室の前に着いた。ノックするよ。三回ノックする」


ノックの数を提示し、扉の向こうが俺だということを理解してもらう。

すると少し時間がかかったが、中からカチャという鍵が空き、中からユニフォーム姿のきくりんが出てきた。

今日も、しっかりトレードマークのおさげが決まっている。


「藤原さん、よかった」


いきなり感極まったのか、一人で不安だったのか、きくりんが抱きついてきた。

俺は、電話を切ってから、あまりに刺激が強いので、きくりんをゆっくりと自分の身体から、引き剥がした。

くりくりとしたビー玉のような瞳からは、今まで我慢していたのか、大粒の涙が流れ始めている。

無理もない。

見つけたのが俺で申し訳ないが、安心してくれればいいが。

それでことの顛末を、彼女はゆっくりと話してくれた。

どうやらいつものように出勤してきたら、もうすでに何か異変があったらしい。

ばたばたとマネージャーを中心とした職員が、八階の入居者の細菌感染に対応から始まったらしい。その時は特にゾンビ化してはいなかったらしい。

それから事なきを得たはずだったが、二、三階の入居者が感染。ここでも対応にあたる。

すると、それから芋つる式にどんどん広がっていき、職員もおかしくなっていったとのことだ。最後に耕さんが、正気のある時に、きくりんにボイラー室の鍵を渡しておいてくれたため、きくりんは何とか生命からがら助かったということだ。

耕さん、あんたって人は。

俺は、胸が傷んだ。


「それでここでずっと待っていたの。ここから出たら出たで何だか怖いし」

「それで、一斉送信か。んでここに来たのは俺と浅利君だけか」


なるほど、大体分かった。

てことは、近藤さんを連れて行った本部も今頃はやばいな。

しかも寝たきりがたくさんいるというのに。

俺は、近藤さんを本部に送還したのを悔やんだ。


「それで浅利君は?」


きくりんが聞いてくる。


「浅利君は、頼もしい味方を迎えに行ってるよ。そろそろ来るはずだけどな」


俺は携帯電話を見るも、何も連絡は来ていない。


「とりあえず、ここから出よう。何もここでいるのが安全とは言えないさ。近くには警察署もあることだしね」


途中で浅利君と合流できれば、一番いいが。俺はそう提案すると、きくりんはこくりとうなずいてくれた。



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