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2日後

まるでこの世の全てを飲み込みそうなほど満月が赤々と輝いている。

いつも以上に大きなお月さまにまるで、この世界が見下され、遂には吸い込まれそうなほど距離が近い印象を受けた。


「何なんすかね? この大きなお月さまは」


俺は隣りにいる上司である三浦さんに聞いた。


「さぁな。俺はそれ系には詳しくないから」


三浦さんが、興味なさげに言った。


「興味あるのは、女性関係だけとか」


俺はにんまりと笑い、三浦さんに聞いた。

この人は、女性関係に明るい。

いつも大抵の人からこのことでからかわれるのだ。

俺も例外ではない。


「おいおい、藤原。もてないひがみは止めていたただこうか」


今日、入居した入居者のカルテに目を通しながら、俺のくだらない話に三浦さんは付き合ってくれている。


「俺だって、好きでもてないわけじゃ。せっかくの華金なのになぁ。こういう日は、飲みに行きたい、川反に」


俺はせっかくの華金なのに夜勤というこの状況に不満を持ちながら言った。


「それは俺だって同感だ。だがそれはまた別の金曜日にだな」


そう言い、三浦さんは新しい入居者のカルテを渡してきた。


「新しく入ってきた人達っすよね、これ?」


俺は、受け取ったカルテの見慣れない名前を見て言った。


「そうだ。今日、入居してきた人達のカルテだ。目を通しておけよ」


三浦さんはそう言い、席を立った。


「どこに行くんすか?」

「あぁ、そろそろ見回りの時間だからな」


懐中電灯を片手に三浦さんが答える。


「ちょ、ちょっと待って下さいよ。俺も行きます」


俺は一人にされるのが嫌で、急いで立ち上がった。


「別に一人でもいいんだが。電話がかかってきたらどうする?」


三浦さんが、外部からの連絡を気にしている。


「今までかかってきたことないじゃないですか。それにPHS も持つし、大丈夫ですよ」


俺はそう言い、充電しているPHS を手に取った。


「まぁ、それもそうか。なら一緒にいくか」

「はい」


三浦さんを先頭に俺はその後を付いていく。

詰所から出て、二階から見回りをすることになった。

夜勤では、夜の見回りが数回あるけれど、この深夜三時の見回りが一番時間帯的に雰囲気がある。

何度か俺も経験があるが、正直怖い。

ヘルパーによっては、一人で行く人もいるが、俺は一人で行ったことはない。

何より怖いからね。


「へぇ、新しく入った人達は七、八階なんですね」


俺は、三浦さんに隠れながら、二階を回る。


「おい、隠れるなよ。後輩なら率先して、居室確認から、必要ならオムツ交換とか、自分からやれよ」


三浦さんが、呆れながら俺に言った。


「えー、見回りに後輩、先輩を出してくるなんてナンセンスですよ。一緒にせっかく来ているんだから、協力してやりましょうよ」


三浦さんも満更ながら、夜勤の見回りは得意ではないらしい。

そもそも得意な人なんているのか?

俺はそう思いながら、二階の各階の部屋の入居者様が部屋に常駐しているかどうか、鍵を開けて、確認する。

廊下は本当に非常灯と最低限の薄暗い小さな電球がついているだけだ。


「皆様、いるみたいっす」


俺は、一番奥の部屋まで確認して、三浦さんに報告する。


「おしっ、次行くぞ、次」


三浦さんが階段の鍵を開けた。

三階から七階と何事もなく、見回りが終わり、俺たちはいよいよ、新しい入居者が入った八階にたどり着いた。


「最後だからって手を抜かず、しっかりな」


三浦さんがそう言い、階段から一番近い入居者の部屋に、入っていった。

俺は、相変わらずだなと思う。

この真面目な人柄が、人望を集めていると俺なりには感じた。

あまり嫌われている噂は聞かない。

聞こえてこないだけかもしれないが。


「んなら、三浦さん。俺は隣の部屋見てきますね」


俺は、三浦さんに申し送りをする。


「一人で大丈夫か?」


三浦さんはオムツをどうやら交換しているようで、すぐにはこっちに来れそうにない。


「大丈夫っすよ。オムツ交換も分からなかった俺にやり方を教えてくれたのは、三浦さんですよ。たまには部下を、いや俺に任せてくださいよ」


俺は、少しいいことを言ったような気分になりながら返答をする。


「何も出ないからな。まぁ、じゃあお願いする。頼むぜ」


三浦さんが俺の意を汲みながら、言った。


「ういっす」


俺は、短い返事で答え、三浦さんが処置している隣の部屋に、入った。


「近藤さん、近藤さんいらっしゃいますか?」


小声で俺は話しかける。

寝ていれば、もちろん起こさないようにだ。

あれ?

いつもならここで寝息やらいびきが聞こえてくるはずだが。

俺は、暗闇の中、目をこらしながら、近藤さんが寝ているであろうベッドを見る。

いない!?

い、いない!?

いないぞ!?

部屋の中を、隅々まで探すが近藤さんの姿はどこにも見当たらない。

俺は、とっさにさっきまで読んでいたカルテの中身を思い出した。

確か認知症による徘徊癖もあるんだったっけ。

急に病状が分かると、気持ちが落ち着き、安心してきた。

徘徊するとしても、この階だけだしな。

エレベーターとスタッフ専用の階段には鍵がかかっているし、窓も飛び降り防止のため、ストッパーがあり、少ししか開かない。

あとは、他の入居者の部屋に入っている場合だが、それも各々鍵を掛けているので、鍵を掛け忘れない限り、可能性は低い。

となるとホールのほうか、トイレか。

いずれにしても三浦さんに報告だな。

これは、緊急事態だ。

俺はすぐに部屋から出て、三浦さんに報告する。


「分かった。とりあえず、探すぞ藤原。見回りは近藤さんが見つかった後に再開しよう」


俺からの詳細を聞き、これからの動きの流れを示してくれた。


「了解っす。廊下にはいないみたいなので、おそらくホールの方にいるとは思うんすけど」


各階の廊下は直線なので、人が廊下にいるかいないかはすぐに分かる。

その時、何かが地面に落ちて、割れる音がした。

何だ!?

俺と三浦さんが音がした方向を見た。


「近藤さんか?」


何故か小声で俺に三浦さんは聞いてきた。


「おそらく、行きましょう」


俺たちは、ホールの方に向かった。

がさごそと音がしているところを探す。

俺と三浦さんは懐中電灯を当てた。

するとそこには近藤さんが地べたに座っていた。

おそらく冷蔵庫の中身の何かを漁っていたのであろう。


「近藤さん、ここにいたんだ。さぁ、部屋に戻るよ」


三浦さんが、声を近藤さんの背後から掛けた。

近藤さんの動作がぴくりと止まった。

こっちをゆっくりと顔が向いた。


「近藤さん?」


今度は、俺が声を掛けた。


「!?」


俺と三浦さんの動きが止まる。


「ヴううううううう」


何故なら、近藤さんが別の何者かになったかのように変貌していたからだ。

目は白目状態で、口は開きっぱなしで体液が出てきている。顔色は青白く、まるで死人のような肌の色をしている。

そして口から出た言葉は、呻きのような声だった。


「ぐ、具合でも悪いんすかね?」


俺は、三浦さんに聞いてみた。


「うーん? でも明らかに様子がおかしいのは確かだな」


三浦さんはそう言い、近藤さんに近づいていった。

おいおい、大丈夫かよとツッコミをいれたくなったが。


「近藤さん、どっか具合でも悪いのかな?」


三浦さんが声掛けをした。

いつもの入居者様に掛ける声だ。


「……」


しかし、近藤さんからは、返事はない。


「やっぱ、調子悪そうすね」


俺は、全く反応しない近藤さんを見て、つぶやく。


「だな、とりあえずマネージャーに連絡して、どうするか、聞いてみる」


三浦さんは、すくっと立ち上がり、少し離れた場所で、電話をかけ始めた。

三十秒くらい経過しただろうか?


「駄目だ、出ない。こんな時間だからなぁ。マネージャーは飛び越えてしまうけど、本部のほうに直接聞いてみて、指示をあおぐか」


三浦さんは、そしてすぐに本部から指示をもらい、戻ってきた。


「うん、今から迎えにくるから、それまで安静にしておくようにと指示が出た。まずは近藤さんを自室に運ぶ。藤原、手伝え」

「了解」


近藤さんをそれぞれ両サイドから支えるかのように二人で立たせて、自室へと誘導する。

途中、また例のうめきのような声を上げた。

俺と三浦さんは、その都度に声がけをするがやはり反応がない。


「つっ!?」


運んでいる最中、三浦さんが顔をしかめた。


「どうしたんですか?」


俺はとっさに聞いたが、


「ううん、なんでもない。それよりも運ぶぞ」


三浦さんは、原因を答えず、近藤さんを無事に運んだ。

そして、とりあえず二人で迎えがくるまで、ここで待つことにした。

近藤さんが、また立って徘徊するのも危険なので。

本部から迎えが、来たのは早朝だった俺と三浦さんは近藤さんをベッドごと玄関まで移し、迎えに来た車両科の人間に渡した。


「近藤さん、大丈夫すかね?」


俺は、三浦さんに聞いた。


「分からん。さっきの感じだと受け答えもまともに出来る感じではなかったからな。元気になれば、ここに戻ってくるとは思うが」


三浦さんがどんどんここから離れていく近藤さんを乗せた車を見つめながら答える。


「ですね。早く元気になってくれたらと思います。それはそうと見回り、残り少し続けます?」


俺は、見回りの途中だったことを思いだし、三浦さんに聞いた。


「いや、もう早番に任せようぜ。さすがに疲れたぁ」


三浦さんが背中をぐっと伸ばして、背伸びをしている。


「ですね、俺も流石に疲れましたわ」


俺も急に来た疲労のせいか、朝日が妙に目に染みた。

こうして、これから起きるであろう地獄の日々の一日目が終わりを告げたのである。

詰所に三浦さんと戻り、一息いれてから、俺は申し送りノートに昨日あった近藤さんのこと、それに対しての本部とのやり取りが書いた。内容をうまく書けるか心配だったが、以前に書いていたヘルパー仲間の文を少し変化させ、踏襲することで何とか書けた。


「どうだ? 書けたか?」


ギャッツビーのフェイシャルペーパーで顔を拭きながら、三浦さんは聞いてきた。

ついでに俺にもペーパーを手渡してきている。


「うぃっす。前に書いた人のを見て、真似して何とか書きました。どうすか、こんな感じで?」


俺は、たくさんの人が見ているであろうぼろぼろでヘタリ気味のノートを三浦さんに渡した。そのついでにペーパーを受け取り、気持ちの悪い顔のベタつきを拭いた。爽快感が俺の顔を包んだ。


「うん、うん。まぁいいんんじゃないか。みんなにきっちりと伝わるんなら、これで」


三浦さんはうなずき、オーケーを無事いただけた。


「よかった」


本当に長い一仕事を終えた感じで、身体が休息を欲していた。


「おはよーす」


気前のいい声が聞こえた。


「おぁ、おはようさん」

「おはようございます」


ヘルパー仲間の鎌田さんがやってきた。

体育会系の若いあんちゃんといった感じで、気持ちのいい挨拶をしてくれる。


「あれ? 何か二人共凄い疲れてません?」


あまり人の気遣いがをしないほうの鎌田が、俺達の顔をじっーと見ながら、言ってきた。


俺と三浦さんは、お互い顔を合わせながら、「申し送りノートに詳細は書いてあるよ。本当に疲れた」


三浦さんがあくびをしながら答える。


「そうだったんですか。おつかれさまです。さっさ、二人共早く帰ってくださいな」


鎌田さんが、後は任せてといった素振りで、頼もしい言葉を送ってくれた。


「サンキューな。俺はでもマネージャーに事の詳細を伝えるまでここにいるよ。藤原は帰ってもいいぞ。昨夜はありがとさん」


三浦さんはにっこりと微笑んで、詰所から出ていった。


「大分おつかれみたいですね」


鎌田さんが言った。


「ええ、俺はあまり慣れていなかったので疲れました。さて、なら俺はそろそろ帰るとします。お疲れ様でした」

「おつかれさまでした。ゆっくり休んで下さい」


気前のいい返事を背に受け、俺は詰所を後にした。

これから起こるであろう出来事の発端に俺は直接関わったのだが、今の段階で俺は気が付きもしなかった。




目が覚めると、俺は自室のアパートの布団の上で何もかけずに寝ていた。


「あれ?」


あまりの不自然さに一瞬、自分が何をしていたか分からず、考える。

そうか。

アパートに着いてから、軽く携帯でニュースを見ようとしていたら……。

いつのまにか気持ちよくなって寝ていたらしい。

おまけに携帯も、そのままのため、充電が心もとない。

俺はすぐに充電を開始する。

それにしても朝に帰ってきて、ここで寝落ちしてから、今のこの時間。

時刻は午後の八時を指し示していた。

寝すぎだろうよ、おいおい。

いや、逆にそんなに疲れていたのか俺は。

最近の激しい勤務形態のことを考える。

下っ端の俺は仕方がないとしても、トップである三浦さんも同様、いやそれ以上に激務をこなしている。

他のヘルパー達も同様だ。

みんな、辞めないでくれよ。

それだけが気がかりだ。

自分にかかる負荷が増えるのも嫌だし、おなじみの人の顔が見れなくなるのも寂しい。

三浦さんは、あの後帰れただろうか。

報告してから帰るといっていたが。

大抵それからなし崩し的に、伸びて帰るのが午後になるというのが今までの傾向上多かったからだ。

あれ?

俺は自分のアイフォンが点灯しているのに、今ようやく気がついた。

何だ、一体誰だろう。

すると、俺の着信履歴には菊池さんからの履歴が一杯だった。


「菊池さん、なしたんだろう?」


こんなに電話いただく理由もないが、もしかしてこれは遂にこの俺の魅力に気が付いたか。

少しにんわりとして、俺は電話をかけ直す。

コール音が鳴る。

コール音が鳴る度に、俺の心臓の鼓動も高鳴っていく。

菊池さんは、務めているヘルパーの中でのマドンナ的な存在である。

何とか酒の席で連絡先をゲットしたのだが、いい攻略法もなく、結局連絡じまいだった。

その菊池さんいやきくりんからの着信は大いに、俺の心を浮き立たせてくれた。

だが、待てども待てども。

電話に出てくれる気配はない。

すでに一分は経過しているだろうか。

忙しいのかな。

確か今日は勤務日だったはずだし。

俺は、勤務表を頭に浮かべながら、きくりんが熱心に仕事をして、頑張っている姿を想像した。

若い割によく働く、生真面目な娘だった印象が強い。

出ないか。

ならメールにしとくか。

俺は、メールを送ろうとした時に、受信フォルダーにも何通かメールが届いているのが目についた。

メール?

俺はおもむろに受信フォルダーを開くと、きくりんだった。

内容はだが、おかしい、みんなおかしい。

この絵文字もデコ文字も入っていない二行だ。

おかしいな、いつもは目が痛くなるほど、絵文字やデコ文字を入れてくるのに。

そして、それから数分後にまたメールが届いている。

私が知っているみんなが、みんなじゃなくなってる。

そして最後に助けての三文字が。

時計の秒針が妙に耳に残るほど、静かだ。

これは一体!?

みんながおかしいとはどういうことだ?

だが、それはいいとして少なくともきくりんが助けを求めているのは理解した。

一体、俺の職場で何が起こっているんだ?

俺のこの寝ている時間の間に、何が生じたというのだ?

物事を整理しようとも、整理出来る材料すらない。

あるのは女の子の助けを求めるメールの一文だけだ。

俺のすべきことは決まっていた。




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