わたしの永遠の故郷をさがして ≪第一部≫ 第一章
これは、『不思議が池の幸子さん』の、表側の世界の物語です。
まえがき
ぼくは昔、ある生意気な少女と約束をしました。
いつか必ず、「彼女」の事を書く、と。
それも、『ある少女の物語』とか言うような、普通の伝記ではなくて、とびきり変な『お伽話』にする、と。
これが、そのお話しです。
彼女が喜んでくれれば、ぼくはそれでよいと思います。
序文
この宇宙の誕生から約九十二億年後、私たちの太陽系が生まれた。
実のところ、私たちが住む地球以外の場所に、文明を築いた生命があるか、あるいはあったかどうか、まだわかっていない。
ただ、今までに宇宙にはすでに多くの生命が存在していたとしても、さらにかなりの数の文明が誕生し、滅亡していったとしても、別におかしくはないだろう。
ところで、宇宙は三次元の膜の上に広がっていて、沢山の宇宙が並行して存在しているという理論がある。この理論では、それぞれの宇宙の間を自由に移動できるのは、重力子だけだとされている。
このお話は、そうした沢山ある宇宙のどこかで起こったお話であり、私たちの宇宙とは、何の関係もない。登場人物や地名、出来事も、もしそっくりだったとしても、まったく何の関係もない。
その宇宙の、ある太陽系で、ちょうど惑星が形成された頃に、ある種の、知的な「なにか」がやってきた。
「それ」はこの新しい太陽系にとても興味を惹かれたので、当分ここに留まることに決めたのだった。
第一部
地球・・東京
「時間です。出かけましょう、道子様!」
弘子が勢いよく声をかけた。
「はい、お姉さま、行きましょう。」
ヴァイオリンケースを手にして双子の妹、道子が追いかけてきた。
松村家の邸宅は、とてつもなく大きくて広い。
現在の母屋は、五階建ての巨大なビルだ。全体が大きな弧を描くように、丘の上の広大な敷地に建てられている。そう、都会のど真ん中にあるこの丘全体が、松村家の敷地なのだった。母屋の右側には、旧本宅がある。こちらは、二人の祖父が、終戦後に建てた純和風の建物だが、家というよりは、博物館並の巨大木造建築物である。戦後の混乱期に、このような建物を作り上げた祖父という人は、勿論ただ者ではない。江戸時代から続いていた東京の豪商松村家を、世界のマツムラ・コーポレーションとして、新たに築き上げた大物だった。
もっとも、松村家自体が、とても不思議な歴史を繋いできた、謎めいた家系なのだ。
現在、この旧本宅は、ほとんど使われていない、いわば文化財のような建物だ。しかし手入れはとてもよく行き届いていた。
一方、母屋の反対側には、やはり五階建ての美しい洋館が建っていて、母屋とは通路で一階部分が繋がっている。こちらは、松村家の、お客様専用の宿泊施設である。一階には、豪華な食堂があり、二階にはパーティー会場がある。三階と四階が宿泊室で、五階は展望ラウンジや娯楽室になっていて、東京の夜景が三六〇度満喫できる。
敷地の中には、定員百人程度の、小さなコンサートホールもある。ここでは、しばしば、さまざまな『ミニ演奏会』が行われていた。演奏者も多種多様だったけれども、最高の主役は、なんといっても、弘子と道子であることは、言うまでもない。
他にも、小さな天文台があったり、プラネタリウムが設置されていたり、テニスコートや運動場、武道場、勿論プールもあった。
そうして、よく整備された、美しい庭園が広がっていた。いずれにせよ、現在において松村家は世界屈指の資産家であり、この家は、一般の人々から見ると、ほとんど異世界と言ってもいいようなところだった。
さらに、この丘の左手側には、松村コーポレーションの巨大な本社と、研究施設が並んでいる。
その隣には、大きな総合病院が続いて建っていたが、こちらも松村コーポレーションの系列である。この病院は、社員だけではなくて、一般の市民にも開放されていて、地域の医療に、多大な貢献を行ってきていた。というよりも、この国で最高レベルの施設と、スタッフを持っていたのだ。
松村弘子は、松村家の四女、道子は五女であり、二人は、全く見分けのつかない双子だった。現在、二人は十七歳、高校三年生である。
今、二人は自室を出て、エレベーターで一階に下り、絨毯の敷かれた広い通路を抜けて、素足のままで、玄関に出ようとしていた。丁度、玄関横の大広間から、次女の昭子が出てくるところだった。
「おや、二人ともお出かけ?」
「はい、お姉さま、今日は演奏会。ゲネプロと本番です。」と、弘子が答えた。
「それはそれは、御苦労さま。今日は何を演奏するの?」
「前半はお姉さまがソロで私がピアノ。モーツアルトのソナタを三つ。後半は、逆になって、シベリウスとベートーヴェンのソナタですわ。」
こんどは、道子が答えた。
「ふーん。何かお客様大変ね。もっと楽しい曲はやらないの。」
昭子がやや怪訝な顔で言った。
「アンコールでは、めっちゃくちゃ楽しくやるつもりですわ。」
あくまで「純粋・可憐」なお嬢様タイプの道子に対して、弘子は、「いかにも」お金持ちタイプであると同時に、時にはぐっと庶民的で、非常にざっくばらんで、また場合によっては、かなり、危ない姉御的な感じで話をすることもある、年齢にはちょっと似合わない多彩さを持っていた。ただし本気で怒らせると、見た目の印象からは、とても想像も出来ないような言葉が飛び出す事もあった。
「まあ、がんばりなさい。お客様の多くはベー先生よりあなたたちがお目当てよ。一部、ややこしい先生方がいらっしゃるでしょうけれどもねえ。ま、気にしないで、楽しくやってらっしゃいな。」
「はい、まかせてください。」
と弘子が請け合った。
「お嬢様、まいりましょうか。」
玄関先で、吉田が待っている。
吉田は、先先代から松村家に仕える人物である。秘書仕事から、掃除、車の運転、トラブルの解決まで、何でもやってしまう。場合によっては、かなり危険な問題まで扱っているらしい。しかも年齢がまったく解らない。
松村家にやってくる前のことは、誰も知らなかった。弘子以外は、だが。
「ええ、吉田さん、お願いします。」
弘子がにっこりしながら答える。それから二人は、裸足のまま、やや昔のロールスロイスに乗り込んだ。
二人共、高校三年生にしては、身体も大きくて、実に美しい、素晴らしい体型の女子である。いわゆる美少女というべき存在だ。
ただ、通常の日本人とは違った、薄めだけれども、輝くような褐色の肌を持ち、顔立ちも、ややインド風のエキゾチックな風貌だけれど、その中に、どこか日本的なものも漂わせていた。そうして、流れるような長い黒髪を右の肩の前側に下げていた。眼はいつもきらきらと輝いている。誰でも、一目で見とれてしまうことに、間違いはない。
そうして、実際この二人は、ただの天才音楽少女ではなかったのだ。
もっと、遥かに、ある意味、とても尊い存在だったのである。
地球・・・タルレジャ王国
第三王女は、最近かなり悩んでいた。
特に何かがあった、というのではなかった。まさにこれから、起ころうとしていたのだ。
基本的には、何時ものように、王国は平和だった。
もちろん、王国の中にも、色々と問題はあった。
けれども政治的な事柄については、王室は原則介入できない。うっかり公の場で、軽率な発言をすることも許されない。
タルレジャ王国は、民主主義国家である。『一部を除いては』だけれども。
第三王女はこの事に関しても、実は異論を持っている。しかし、この『うっとおしさ』の原因は、どうやら政治課題でも、外交問題でも、又、個人的な悩みごとでもないようだった。
彼女は今年一五歳になった。
タルレジャ王国では、一七歳で成人になる。この事は、王女様も同じだった。
お酒が飲めるようになるまで、結婚ができるようになるまで、まだ二年近くある。
にもかかわらず、彼女は毎日、来客の対応から、様々な挨拶事や、決められた宗教的催事まで、本当に忙しい。
彼女は、王国の第三王女であると同時に、タルレジャ教の『第三の巫女』でもある。
『巫女』の仕事も、早朝のお勤めから始まって、夜中の御祈りまで、けっこう大変なのだ。
『王女』と、『巫女』を両立させることは、そうたやすいことではない。
国王陛下も、王妃様も、王国の決まり事として、けっして表に出てくることはない。
王宮の奥に籠って、ただ『神』様とのみ、話をしている。
二人の、いや、この生きている『神様』の世話をする人たちは、人生のすべてを、生き神様に捧げなければならない。その覚悟で王宮の『奥の間』に入ると、死ぬまで社会に姿を現すことは、もう決してできないのだ。一方で、王宮が存在する限り、失業することも、ありえないけれど。
第一王女様と、第二王女様は、毎月交替で十日ずつ、王国にやって来ることになっているが、お二人とも凄まじく忙しい様子で、弟三王女が予定を替って差し上げる事も、最近は少なくない状態だった。
もちろん、そんなことは全然構わない。『王女』でいることも、『巫女』でいることも、別に嫌いではなかった。幼い頃から訓練してきたから、様々な儀式を行ったり、対外的なご挨拶を行う事にかけて、姉二人に、それほど劣るとは思っていない。むしろ、毎日ずっと王宮にいる自分の方が、月の三分の一しかいない姉たちよりも、経験は、より豊富だと言っても、間違いとは言えないだろう。
「まあ、それは本当のところ、正しいとは言えませんけれども。」
実のところ、彼女は姉二人をとても尊敬しているし、まだまだ、まともに太刀打ちできるはずがないことも、よく理解していた。
第三王女は、姉二人よりも、純粋のタルレジャ王国人にずっと近い姿だった。もっとも『純粋の』タルレジャ人など、ほとんどいない、と言ってよかったけれど。多くの王国人は様々な人種の混血であることが普通なのだ。王室の人間も例外ではない。
彼女の肌は、姉たちより、はるかに濃い褐色だったし、顔立ちも、いっそう深くインド風に彫琢されていた。そうして、これも大変な美少女だった。
けれども、この美しい王女、ヘネシー=タルレジャ王女、は、最近一人で考え込むことが多くなっていたのであった。
「いかがなさいましたかな、王女様。」
さすがに侍従長は鋭かった。
「私は、考えていることが、色々あるのです。」
王女は普段、タルレジャ語で話した。彼女は英語とフランス語も流暢に話せる。日本語も、なんとか実用レベルで話せるのだが、本人としては、どうも日本語は苦手だった。
実を言うと、第三王女は日本生まれだった。ちゃんと日本人の名前も持っているのだ。
もっとも日本にいたのは、生れて二カ月だけだったけれど。その後は、最近一回、三日間、公式訪問しただけだ。だから、上二人の王女と違って、日本のことは、知識としてはかなり知ってはいるが、実際の生活体験は、ほとんど無いのだった。
「勿論、そうでしょうとも。」
侍従長は慎重に応じた。そうして王女が話を続けるのを待った。
「私は、やはり、北島の状況は、変えてゆかなくてはならないと思っております。」
「なるほど」
侍従長は頷いた。
「もちろん、南島にもいろいろと問題はあります。都市部では母子家庭が増加し、失業率も上がっています。犯罪も増加傾向です。当然、私は政治問題には介入できません。基本的には政府がきちんと対応してくださるでしょう。でも北島の問題は別です。本当にこのままでよいのでしょうか。」
タルレジャ王国は赤道直下の『熱帯の楽園』とか『最後のパラダイス』とか呼ばれる一方で、『不思議の王国』『謎の王国』『矛盾の王国』とも呼ばれている。
この王国の起源がどこまで遡れるのかについては、どうもはっきりしていない。ギネスブック上、現存するもっとも古い国家は日本だけれど、タルレジャ王国は、実はもっと遙かに古くからあるのではないか、と言う研究者もいる。
タルレジャ王国は、歴史上一度も戦争に参加したことがない。他国に占領されたこともない。したこともない。
過去において、この王国を手に入れようとした国はある。日本もそうだ。
けれども大変不思議なことに、軍艦や攻撃機は勿論のこと、軍人なども含めて、軍事目的の者は、なぜか王国には絶対に近寄れない、と言う、奇妙な伝説があった。
例えば、かつて、ある西洋の国が、この王国も自国の支配下に置こうと、軍艦を派遣した事が有った。この船には、かつてこの王国を、西洋人として初めて訪問した経験のある科学者や、船乗りも含まれていた。
ところが、一年近く王国があるはずの海域をさまよい続けた挙句、病人が沢山出て、ついに目的を果たせず帰国した、という事件があった。
こうした例は、他にも何件か正式に記録されている。
最近は、その様なことを、本当に信じる人は、ほとんどいなくなったが、今や、タルレジャ王国を軍事攻撃したいと考える国も、なくなってしまった。
もっとも、経済的な駆け引きは激しさを増す一方だったが。
王国は、ここ二十年ほどの間に、急速な経済発展をした。
首都タルレジャは、規模は小さいが、アジアの大国、日本の「東京」に引けを取らない、大都市になった。
この王国は、『南島圏域』と『北島圏域』に分かれている。
南島とその周辺の島々は、ヨーロッパの先進地域や、北アメリカや日本と変わらない、民主主義国家の形態を取っている。
『国王』は、存在するけれど、世間には、一切関わらないのが大原則だ。しかし北島圏域は違う。北島とその周辺の島々は、すべて『王室』と『タルレジャ教団』の私有地であり、両者が実質的に支配していた。この地域に住む人たちは、王室と教団に忠誠を誓い、両者のためにのみ、働いている。彼らは、王室・教団と契約書を交わして、身も心も尽くすことを誓約しているのだ。その代わり、生活はすべて、保障されている。
医療費も教育費も食費も、その他の生活費も全て無料である。住宅も個別にきちんと与えられるが、家賃も公共料金も、一切必要ない。
どうして、それで国家が維持できるのか? タルレジャ王国には、発表されていない秘密の分野が、非常に多いのだろう、とも、言われてきていた。
エネルギーも、食料も、すべて自国内で調達することが可能だった。日本などは、古くから友好関係が深く、その秘密が知りたくて仕方がなかったのだが、どうしても肝心なところは、教えてもらえずにいた。
『宗教的、秘密です』
第一王女は、いつもにっこり笑って、そう答えていた。
『でも、日本が危機に陥ったら、絶対ほっときませんから。安心してください。』
この美しい少女は、そう言い切ってさえいた。
一方で、王国の首相は、笑いながら言っていた。
『あれは、政治には基本的に関与しない王室の、特に王女様の、日本に対する特別な愛情表現ですからね。まあ、実際のところは、北島は拡大の経済じゃなくて、宗教的最低自然均衡の経済だから、成り立つのです。しかも、ほっといたら、食べ物は自然にできます。日本ではありえないことです。』
しかし、南島圏域では、報道の自由も、信教の自由も、言論の自由も認められている。国教はタルレジャ教で、南島圏域の国民の七十%以上がタルレジャ教徒だとされているが、別に強制されているわけではない。信じようと信じなかろうと自由だ。しかし北島は違うのだ。
ここでは、生活のすべてがタルレジャ教に基づいている。
南国で、非常に暑いために、元々服装は簡略化されているし、日常生活できちんと靴を履く人は、南島でも少ないが、北島はそういう事ではない。いつも教義に沿った簡素な衣服を着用し、常に素足でなければならない。お祈りなどの毎日の宗教的儀礼は、決して欠かしてはならない。
自然に出来る以上の食料は望まない。
仕事は、それぞれに、教団か、王室から割り当てられるので、就職で悩む事もない。
お金を使う処もない。
もし、何かの優れた才能が見つかれば、王室が責任を持って、英才教育が行われる。
一方南島では、先進民主主義国と同じで、そうした宗教的な制約は一切ない。
そのかわり、生活は自分たちで成り立たせなければならない。
厳しい競争社会があり、お金があれば、なんでも手に入る。
けれど、この王国は、この惑星上で、最高のお金持ち国家でもあった。
希少な資源を持っている事、がまず第一。
なのに、人口が比較的少ない事もある。
それから、そのかなりの部分を、王女様の実家と、王室・・・王女様ご自身、が、稼ぎだしている。
その富が、国民にもれなく分配されている。
だから、王室も、王女様も、圧倒的な人気があった。
「私は王女であり巫女ですから、しきたりは守らなければならないのは、勿論わかっています。でも、本当に北島がこのままでいいのか、それは、とても疑問に思っています。第一・・・」
第三王女は口ごもった。
「第一、なんでございますか。」
侍従長が促した。
「北島には、私が知らないことが、まだ沢山あるのだと思います。おそらく第一王女様、いえ、『第一の巫女様』しかご存じない事柄とか、が。」
「それはまあ、そうでしょうな。」
「そのことを、どうこう申し上げるつもりはございません。でも、北島の改革はやはり必要です。」
「実のところは、第一王女様も、そう考えておいでのようです。ですから、あの『タルレジャ・スカイ・ハイ』の建設も、もうすぐ完成する『タルレジャタワー』も、『王立新病院』の建設も、『モノレール』の建設も、そのためでございましょう。」
「ええ、それは勿論、私も解っております。ただそうではなくて、つまり基本的な制度そのものについての検討が、そろそろ必要ではないかと思うのです。」
「なるほど」
侍従長はまた頷いた。
「第三王女様も、いよいよ大人になってこられましたな。」
「またからかって。真面目なお話です。それに、私は政治的な事柄については公に発言ができませんが、しかし、世界の状況も、とても気になっております。特に、多くの子供たちや母親たちが、飢餓や病気、紛争や戦争で命を落としていることについて。何か、私にもできないかと、色々と考えております。」
「ぜひ『三王女様』で話しあっていただきたいことです。ただし、どうか慎重に。また、外部でのお言葉には十分ご注意ください。」
「ええ、それはよく心得ております。」
今、言えるのは、精々このくらいだろうと、第三王女は思った。しかし自分はもっと「あの不思議な人」とも話し合いたい、とも思った。とても危険だという自分の声がハッキリと聞こえていたけれど、なぜだか、どうしても逆らえない何かがあった。なんとなく、自分が変になって行くような気も、していた。
地球・・・東京
今日は二人だけでの演奏会だから、アンサンブルに関する心配はまったくなかった。これは不思議な事ではあるけれど、二人で演奏を始めると、二人は二人ではなくて、事実上一体化してしまう。これは、二人にとっては、あたりまえのことだった。
ただ、どうやら主導権はいつも弘子が握っているようだった。しかし道子は、別にそれを不思議だと思ったことはない。道子にとって、弘子は姉であり、導き手であり、指導者だったから。どんな状況でも、公の場で道子が弘子の前に出ることは、けっしてなかったし、最終的には弘子の命令は絶対だった。それには、きちんとした理由があったのだけれども。
今日のプログラムの前半では、モーツアルトのヴァイオリン・ソナタを三つ演奏することになっていた。
『K・三〇三』・『三〇四』、それから『三七八』の三曲。
後半では、まず、珍しいシベリウスのソナタヘ長調JS一七八を。
そうして、有名な、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第九番。いわゆる『クロイツェル・ソナタ』をプログラムの後半に持ってきている。
そのあとは、お客様の反応を見ながらだけれども、いつもたっぷり、有名な小品を中心に、アンコールをするのが、ふたりのファン・サービスだった。
まず、モーツアルトから始まるプログラムだけれど、演奏者にとっては、これは怖いことでもある。モーツアルトは、その時の演奏者を『あからさま』にしてしまうし、と言って、取り繕ってうまくゆく相手でもない。
モーツアルトは、この地球の人類が生んだ、最高に奇蹟の人だ。
弘子がヴァイオリンを持って舞台に登場する。道子が少し後ろから従っている。
観客が、区別が付くように、との配慮もあって、弘子は真っ白なドレス、道子はデザインは同じだけれど、ピンク色のドレスを着ている。
この二人の演奏会の場合、譜めくり担当は必要なかった。二人とも楽譜は置かないからだ。
すべてが、頭の中に入っているのだ。
二人は深々とお辞儀をする。長い美しい髪が、舞台上に溢れる。ファンにとっては、こういう光景も、たまらなく魅力的なのだ。
長いドレスに隠れてあまりよくは見えないが、二人とも、何時もの様に裸足だった。
今、弘子の出す音は、とても意志の強い、勢いと輝きのある美しい音だ。彼女はモーツアルトが生み出す『生』の喜びと、哀しみを余すところなく、描いてゆく。
例えば、『K・三〇四』ホ短調のソナタは、寂しく立ち尽くす、小さな木々の葉から、輝きながら散ってゆく涙のような、とてもはかない小さな命を、多くの人々はイメージするかもしれない。
しかし、弘子の演奏は違った、冒頭のユニゾンの部分からして、もっと激しく、自分の運命に立ち向かって行くような、非常に勇壮な音楽だった。道子のピアノは、とても繊細に音を紡いで行くけれど、普段のイメージとは違って、意外にかなり気の強い面を見せている。弘子と同体となったり、競り合ったりしながら、変幻自在に音楽を進めて行くが、アンサンブルはけっして乱さない。
悲痛な趣の中に、ある種異常な平穏さを持った第二楽章では、その奥深い神秘的な世界が、人々の心を捉えて離さない。
まるで一直線に天に駆け上がってゆくようなフィナーレは、演奏がとても難しい部分だけれど、二人はかつて聞いたことのないような感動を引き出した。
聴衆の中には、感極まって、涙を流している若い女性もいた。
一度舞台そでに引き上げた後、拍手の中で再び二人が弾き始めたのは、本当に明るい日差しの中を駆け回る子供たちのような、素晴らしい冒頭部分を持つ、『K・三七八』のソナタ。
勿論二人が、前の曲と、このソナタが生み出す対比による効果を、しっかり狙っていたことは間違いないが、それにしても鮮やかな場面転換だった。
冒頭の、ピアノと、ソロ・ヴァイオリンの仲好しアンサンブルは、この二人にぴったりな部分だ。もうそれを、見て、聞くだけで、聴衆は二人と一緒に、幸せの中に織り込まれてゆく。けれど、音楽はいつのまにか悲哀を帯びて行く。再現部では、提示部とは違う何かが、聞き手の心の中に忍んで来てしまう。
そう、どこか別の宇宙を夢見ているような第二楽章。
とび跳ねるような音形をきちんと重ねてゆく第三楽章。モーツアルトは、ここでも、ふと、哀しげな表情を見せるけれど、終盤では明るく爽やかな中に、あっさりと曲を閉じる。
演奏会の前半は終了した。
後半始めの曲は、道子のヴァイオリン・ソロによる、シベリウスのソナタヘ長調。
このフィンランドの生んだ国宝的大作曲家が、まだプロデビューする前の、一八八九年に書いた作品だ。
道子の出す音の線は、弘子よりも細いけれども、ピンと張りつめた緊張感で、これから音楽史上でも稀な怪物交響曲作曲家となってゆくこの人物の、まだその前の時期の作品を、姉の大変巧みな伴奏を得て、うまく歌い上げていた。
《この曲の第二楽章には、シベリウス好きの人ならば、おやっと思うお馴染のメロディーが出てきます。是非どうぞ。【どこかの現実の作者の、よけいな注釈】》
二人は、どちらかというと、中欧、南欧系の音楽が得意というイメージが一般的にあったが、最近は盛んに、シベリウスやニルセン、パルムグレン、クーラ、ステンハンマルなどの北欧作品を取り上げていた。
けれども、今日の圧巻は、やはり、ベートヴェンだっただろう。
演奏するのには、大変な技術と精神力と体力を要する大作である。
『一七歳の少女が』というような、感傷的な表現は、もはやこの二人には必要がなかった。そこにあったのは、非常に完成された、充実した音楽そのものだったから。
本番のプログラムは、これで終了だった。しかし二人の演奏会のお楽しみは、実はこれからだった。
いつも本番の時とは違った衣装に着替えて、聴衆が望む限り、会場の都合が許す範囲で、可能な限りのアンコールを弾いてくれる。
まだ正式なプロ奏者ではない二人の、いくらかは、将来に備えての宣伝のような意味もあったのだが、(二人の所属事務所の社長は、長女の洋子だったが、実際には弘子自身が支配していた!)それよりも、今は聴衆と一緒に音楽を楽しみたいという二人の気持ちが、会場内の誰にも伝わってくる感じだった。
それから二人は、ソロと伴奏を、代わる代わる勤めながら、七曲ものアンコールを弾いた。
『チゴイネル・ワイゼン』を、道子が、いとも軽々と弾いて、今日の演奏会は、もうこれで終わり、ということになりそうだった。
しかし、その後もカーテンコールが繰り返され、二人は何度も舞台に呼び戻された。客たちは、まだおねだりをしていたのだ。
そこで、二人はヴァイオリンを置いて、ピアノの連弾で、ドヴォルザークのスラブ舞曲集から、憂愁に溢れたホ短調作品七二の二を弾いた。
本当にもう、今日はこれでおしまい、との二人からのメッセージだったが、突然聴衆から「お願い、もうやめて!二人とも早く避難して!危ない!」という、やや悲鳴にも似た叫び声があがった。少し会場内がどよめいたものの、一方で拍手はまったく収まらなかった。いつの間にか、叫びは歓声に圧倒されてしまった。
そこで、もう一曲、有名なドボルザークの「ユーモレスク」が演奏されたが、その前に弘子が予定外のスピーチを行う事態になったのだった。
もちろん、今日の演奏そのものが素晴らしかったことは、言うまでもない。また二人のあまりの美しさ、演奏している姿の限りないほどの魅力、が、この日も多くの聴衆を惹きつけたことも、間違いない。それが二人の絶大な人気の要因であることは、確かなところだった。
普段クラシック音楽には、ほとんど関わりのない若者たちもかなり来ているようだ。
しかし二人が人気者になっている背景には、もうひとつ秘密があった。
弘子と道子には、別の名前があったのだ。
弘子は、ヘレナ・タルレジャ。タルレジャ王国の『第一王女』であり、タルレジャ教団の『第一の巫女』である。
そうして彼女は、現在王国の王位継承権第一位に指名されている。つまり、次期女王陛下だった。
道子はルイーザ・タルレジャ。タルレジャ王国『第二王女』であり、タルレジャ教団の『第二の巫女』だった。
第三王女のヘネシーを加えて、タルレジャ王国の『三王女』は、今や世界的な人気者になっていたのだ。
火星・・・没落した世界
荒涼としたこの世界。
ただ、自然に支配された大地。
けれど、かつては、優れた英知による文明に、満たされた世界だったのだ。
我々火星の人間は、この世界を、いや、宇宙をさえ、手に入れたつもりでいた。
このまま終わらせてよいはずがない。
再起を!
ダレルはようやく今、確信を持てる、と考えていた
長い間待っていたが、その時がとうとう来たのだと。
火星の文明が崩壊して以来、どれほどの時間が経ったことか。
なぜこんなに長い間待っていなければならなかったのか。実際には、そうも思う。
しかし、我々の偉大な女王にとっては、こんな時間は、ほんの僅かな時間にすぎなかったのだろう。
「人間とは物差しが違うからな。」
これまでに、数え切れないほど多くの、同志・同胞を失った。何もかも無くなった。
しかし女王は約束をしたのだ。
やがては、地球も火星も一体となる。再び、『偉大なる文明』を呼び戻すであろう、と
そうして、
「その時は、お前が指導することになるだろう。」と。
自分は、おろかな支配者には、なり下がりたくはない。ばかな独裁者にもならない。
だから、じっと時が来るのを待っていた。
長い長い時間だ。普通の人間が生きていられる時間ではない。
これが、実はリリカの技術のおかげなのはわかっている。彼女が生み出した技術によって、宇宙が最後の時を迎えるまでは、生きていられる。
ダレルは自分が火星最高の科学者であると自認していたが、リリカだけは別格と認めざるを得ない。
そのリリカが言ったのだ。
『 時が来たのです。 』
と。
自分は科学者で軍人だが、あの女は科学者でありながら、火星唯一の巫女でもある。
リリカが、何かわからない絆で、ずっと女王と繋がってきていることも、良く解っているつもりだ。
つまり、ダレルはいつも二番手であり、そうであることに甘んじて来なければならなかった。
「時が来るまで、私は去るのです。」
そう言って、かつて、リリカは外惑星帯に引き籠った。
一方で、自分は細々と火星の地下を守ってきた。そうなのだ。実際に火星を守ってきたのはダレルなのだ。長い時間だったけれども、経って見れば、一瞬だったとも言える。
だから、今、本当にリリカを信じてよいのかどうかには、いささかの戸惑いはある。
女王が火星を去って後、ダレルとリリカは共同で火星を管理して、急激に訪れた文明の大崩壊から、火星を救おうと努力した。
しかし、その努力は、結局無に帰した。
二人は、最終的に、自然には勝てなかったのだ。
『なぜ女王は我々を見捨てたのか?』
女王ならば、あっという間に、惑星の再生だって可能だったのではないのだろうか。
いやいや、さすがにそれは出来ないことだったのだ。そう考えるべきだ。いくらあの魔女でも、そんなことは、出来なかったのだろう。
きっと、それが真実なのだ。
それから、対立が起こった。
リリカと戦った。
いやな争いだった。相手は魔女の後継者なのだ。並みの人間ではない。
自分は科学者としての、ありったけの知識と技術を駆使したつもりだ。魔法なんか使えない。
なのに、リリカは、いわば『藁人形』を易々と兵士に変えてくる。人命尊重とか言って、人間の犠牲は極力払わないのだとか。そんなことは解っているさ。
ダレルは魔術師でも悪魔でもない。できないことはできないのだ。
自分は火星再興にかけているのだ。しかし、リリカには、あんまりその気がない様子だった。
ところが、どうした訳か、リリカは戦いをやめて、自分から火星を出て行った。
訳のよくわからない宗教的集団となって、太陽系の果てで生きてきている。
火星で生き残った人間は多くはなかった。その大分部は、地下世界で、とてつもなく長い、人工冬眠を強いられてきた。
起きていたのは、ダレル以下、ごく僅かの生命維持加工者達。それに、ロボットやアンドロイドたちだ。
それは、リリカ側とて基本事情は同じだ。
ただ、目的のない彼女たちは、何のために生きて来ていたのか、ダレルには理解不能だった。
まあ、それはいい。
それが、ここにきて、なぜリリカがダレルに協力する気になったのだろうか。
それはリリカの意思ではなくて、間違いなく女王の指示によるものなのだ。
リリカの本当の心の中は、ダレルには解らない。
もしかしたら、女王とリリカの間に、ダレルの知らない、何らかの取り決めがあるのかもしれない。
しかも、リリカが、あの、(多分)無敵の軍艦=アブラシオ、を起動させたのは事実だ。あれは元々女王自身にしか動かせないものだ。ダレルもいろいろ試してみたが、ぴくり、ともしなかった。
実のところ、女王には、あんなもの必要のないものだった。彼女は、その気になれば、その意志一つで、惑星だって、太陽系全体だって、まるまま消し去ってしまうことができる。
あらゆる生物を、遠くから、自分の意のままに操ることができる。
頭の中に住みついて、直接支配する事も簡単にできる。
つまり、軍艦なんか必要のない代物で、女王にとって、単なる玩具だったのだ。
実際女王は、ああした玩具が大好きだったのだ。
けれど、普通の人間にとっては、事情が違う。
あれは、いわば文字どおりの不沈艦であり、無敵の戦艦であり、悪魔の船だ。
物体でありながら、物体ではない。命のないただの乗り物なのに、意志があり、女王の能力の多く受け継いでいる。外からのあらゆる攻撃が無意味であり、けっして破壊はできない。いや、たぶん地球人には傷一つ付けられない。そうして、女王の意志にしか従わない。
つまり、女王の指示があれば、話は違ってくるのだろう。
それで女王は、あれを一回試運転して以来は、一度も動かしたことがない。あとは時々乗り込んで、中で食べたり遊んだりしていただけだ。
リリカは、よく、ご相伴に預かっていた。
ダレルも誘われたけれど、ご一緒したのは一回きりで、あとは丁重に断っていた。大体女王とリリカ、その取り巻き相手では、やりにくい事限りがない。
「スイーツ」とか、地球人の言う、甘いお菓子を沢山食べながら、きゃーきゃー言って騒いでいるだけだ。まったく哲学的でも、建設的でもない。男ならよく解るはずだ。
リリカは、その『化け物』の船を起動する『キー』を、女王から直に授かったと言う。
霊感で、なのか、夢の中でお告げがあったのか、無線でなのかは、ダレルは知らない。ただあらゆる通信を傍受している中には、そんなものは見当たらなかった事だけは確かなのだ。
まあ巫女だから、人知の及ばぬ事が、きっとあるのだろう。
しかしそんな事はどうでもよい。
リリカは地球の支配権は一切いらないと言う。ダレルに任せると。他に何の地位も報酬もいらない、と。
それどころか、火星の支配権も、ダレルに任せると約束した。
リリカは、ただ次の三つの要求をしてきていた。
まず、『地球人の無用な殺戮は、新たな支配前も後も、決してしないこと。』
さらに、『自分は、権力は一切求めないが、自由に発言する権利と、自由に行動する権利、信仰の自由、を認めること。』
それから、もうひとつ。
それは、地球人から見ると、かなりおかしな『条件』に映るだろうと思われた。けれども、ダレルにとっては、極めて好都合な条件でもあった。
いずれにしても、こうした動きは、その居場所が永く良く判らなかった『女王』が、ついにその姿を現してきたということなのだ。
その、『女王』は、人知のまったく及ばない力を持つ、ある種の特殊な化け物だ。
本体が何なのかは不明だが、それが人間に寄生することは間違いない。
冷酷、無情な事を平気でやってのける一方で、子供みたいに泣いたり、喜んだり、激怒したり、甘いものを好んで食べては、はしゃいだりもする。しかも極めて理性的で、合理的でもある。
解りにくい存在だ。いや、さっぱり解らないと言うべきだろう。
ダレルの見るところ、その本性には、人間的な感情と言うようなものは、おそらく存在しない。
感情の起伏のように見えるものは、イミテーションなのだ。
そこで、『女王』の本体が、今、いったい誰に取り付いているのかは、実のところ、まず見わけが付かない。
ただし、それをほぼ確実に判断できる方法が、ひとつだけある。
けれどもそれは、その現場を直に押さえなければならず、それ自体が大変な難問でもある。
もし現場を押さえても、次の瞬間には、もうそこにはいなくなっているかもしれない。
ダレルはそういう事を、誰よりもよく知っていたのだ。残念ながら、リリカを除いては、だけれども。
まあ、それはともかくとして、確かに地球人は、支配するのに丁度よい頃合いになってきた。
適度な科学技術を持ち、ダレルにとって都合の良い補助者、あるいは労働者になれるようになってきたのだ。
地球人類は、文化や芸術、哲学、倫理、環境問題、政治問題、利権争い、地域紛争、宗教対立、いろんなところで行き詰まり、打開できなくなっている。権力者は、行き詰まりが分かっていながら、自分たちの権力や理想の前で、民衆を軽視し、あるいは無視し、あるいは、本心から何とかしたくても、どうにもできなくなって迷っている。
今こそ、ダレルが道を示し、火星と地球に新たな世界を創ってゆく時だ。地球人に適切な道を与えながら、我々の為にも十分に働いてもらって、火星の再興を果たす。つまりこれは、単なる地球侵略ではないということなのだ。
女王が、本当に、後押ししてくれる積りになったのならば、実現は容易で確実だ。
今、ついに、副官のソーがダレルに告げた。
「準備はできました。リリカ様も、いつでも出発できるとのことです。」
「よろしい、では行こうではないか。」
「ひとつだけ、今になって、予定外の事が起こっています。」
「ほう、何かね。」
「ブリューリが、脱出しました。」
ダレルは、ソーの顔を見つめた。
「ブリューリが、なぜかな。不可能なはずだ。女王が自ら封じたのだ。ありえん。」
ソーは、少しうつむいて答えた。
「はい、しかし脱出した事は確かです。反応がなくなっています。誰かが脱出させたとしか思えませんが、それが誰かはまったく解りません。方法も、ですが。」
ダレルは、少しだけ考えてから言った。
「確かにブリューリは非常にやっかいだ。あいつのおかげで、火星は滅亡への道を速めたと言っても、間違いじゃない。しかし、出発は延ばさない。まず地球だ。ブリューリの為に遅らせるわけにはゆかない。それに・・・」
ダレルは右手の人差し指を挙げてゆっくりと指摘した。
「今は当時とは違う。リリカがあいつ用の特効薬を作っているし、ブリューリ化した人間から、ブリューリ細胞を削除することも可能だ。対策は取れるだろう。」
「それでも、あいつの危険性は図り知れません。女王でさえ手を焼いた相手です。こちらがあいつの居場所を感知できる範囲は限られていますし、繁殖を始めたら、早く対応しないと、手が付けられなくなります。」
「わかっているよ。ソー。十分にね。で、君と私が、ブリューリ化していないことは確かかね。」
「まあ、確かです。」
「乗員に、疑いはないかね。ブリューリはなんにでも化ける。」
「今のところ、ありません。」
「ならいい。大丈夫だ、手立ては考えるよ。私だって、長い間ずっと寝ていたわけじゃないさ。引き続き最高度の監視をしたまえ。火星上と我々の部隊と、地球上をね。それと、リリカ様にも、すぐお伝えしなさい。」
「わかりました。では、行くのですね。」
「もちろん。」
もちろん、これ以外に道はない。ブリューリの恐ろしさは、ダレルもよく知っている。ほっておいたら、本当に火星のように、惑星一つ喰いつくしかねないやつだ。特に人間は大好物だ。気に入った相手には、自分の細胞を植え込んで仲間にしてしまう。おまけに誰にでも化ける。あえて言ってみれば、女王の仲間のような奴だが、女王と違って実体がある。どろどろのゲルのようなものだ。
しかも、ブリューリは高度の知的生命体であり、理性だってある。
ただし、その正体は、まだ解らない。
それらもすべてが読み込み済みだ。
「ソーには言ってなかったかな。あいつは化け物でも、きちんとやれば話は通じるし、取引もできるからな。」
冥王星・・・リリカ様
リリカは美しい。しかも、何千万年、いや何億年経っても、それがまったく変わらないのだ。
もっとも、リリカは不死ではない。そこは女王と大きく違う処だ。リリカはあくまで人間の範囲内なのだ。
女王は、事実上不滅だ。この宇宙が終わっても、女王は死なない。リリカは、宇宙の終焉以上は生きられないし、非常に難しいとは言え、殺すことも不可能ではない。
けれど、それだって、ほぼ永遠の命を持っていると言っても、必ずしも間違ってはいないだろう。
「でも、本当にこれでよいのでしょうか。」
リリカは、まだ少し迷っていたのだ。
アリーシャは慰めるように答えた。
「啓示があったのであれば、従うしかありません。それがあなたの役目ですから。」
「わたくしは科学者です。そのわたくしが巫女でもあること自体が、本当は矛盾しているのです。」
「女王がお決めになったのです。あなたの意志の届かないことです。悩む理由はありません。火星では、長い間、巫女はあなただけです。それに、客観的に考えても地球の支配を実行するには、今が適当な時期ではありませんか。我々の同胞のためにも、約束は実行されねばなりません。ですから、やはりあなたが気に病む理由はないのです。」
「わたくしは、戦争は嫌いです。まして多くの人が、命を落とすかもしれないようなことは。」
アリーシャは慰めるように、また言い聞かせるように話した。
「勿論、地球人が抵抗すれば、多少の犠牲は出るでしょうけれど、それは仕方のないことです。もっとも、このアヴラシオの前にあっては、彼らには何もできません。この船は、女王がお造りになったもの。この宇宙の常識を超越しています。この船には女王の魂が宿っているのです。そうして今は、あなたに従っています。地球人は、抵抗できません。ですから犠牲者が出ても、ほんの僅かなはずです。女王様も、きっと犠牲者は、最小限に留めるお考えでしょう・・・。
あなたは、女王様から神の啓示を受けた。そして啓示の通りに、この船は蘇った。正に神は、女王は生きているのです。お悩みになる事はありません。」
そんな事は、言われなくても解っていることだ。アリーシャもそれは知っている。
ここまでの時が、あまりに長かったのだ。
「地球を支配しなさい。そうして火星を再興しなさい。今や時が来たのです。」
これは啓示が指示したことだ。
啓示など、本当はもう起こる事はないかもしれない、とも思っていた。
けれども、それは来た。そうして、自分は啓示には従わなくてはならない。リリカの脳はそのように作られている。
「解っています。もちろん。」
しかし、リリカは自分がすべて解っているわけではないことも知っていた。
啓示がどこから来るのか。もちろん神からだ。それは、女王を経由して来る。
だからリリカは、神を直接知らない。
科学者であるリリカは、宗教家ではない。
なのに、どういう訳か、女王はリリカを巫女に選んだのだ。
おまけに、人間には不相応に思える、ある種の超能力も与えてくれた。
それ以来、雷に打たれたように、直接リリカの意志の中に、啓示が来るようになった。
リリカは間接的に神と繋がったのだ。
けれど、すべてを知って、わかっているのは全能の女王だけだ。女王は、宇宙を支配する神の代理であり、唯一の真の巫女だ。
女王は即座に神のご意志を知る。
真実をすべて知っている。そのはずだ。
この宇宙の創生についても、間違いなく知っている。
その真の女王が、火星文明の崩壊直前に、どこかに行ってしまった。
多分、地球にいるのだろうと思われたが、もしかしたら、遠い宇宙の果てに行ってしまったのかもしれなかったし、両方に居たのかもしれない。
ここに来て、その女王が、遂に再び現れた。
これはとてもわかりにくい事柄だ。
リリカやダレルは、肉体をもつ人間だけれど、女王という存在は、肉体を持たない。
リリカにとって、その存在は、科学的にはまったく説明がつかない、としか言いようがない。彼女は、「死なない」存在だ。
いや、『自分は存在そのものではない』、と、女王は自分で言っていた。
リリカの理解するところでは、女王は、この宇宙の物理法則には、まったく左右されない。
ありえないことだが、女王自身の言によれば、『存在するはずのない何かが、事実上存在しているかのように、振る舞うのだ』。それは『幽霊』なのか『神』に近い何か、なのか、あるいは、神そのものなのか、今のところまったく解明できない。
それどころか、女王自身が、『自分が何なのか、何処から来たのか、実はわからない』と言う。それを解き明かしてほしいと、リリカは女王から頼まれていた。
実際女王の姿は、人間にはまったく『見えない』ものなのだ。
ただ彼女は、誰にでも入り込んで、心も体も、自由に支配できる。
また、どこからでも、あらゆる生物を支配する事が出来る。
「今はこの体にいますよ。」
と、教えておいてもらわないと、誰が今、女王になっているのか、リリカにも判らないのだ。
おまけに、ただ女王に操られている誰かが、『自分こそ女王だ』と言っているのかもしれなかった。
しかし、事実その『女王様』が、火星を二億年にわたって支配してきたのだ。自分たちは、その被支配者の中の支配者だった。
リリカとダレルは、火星人から言えば、多分、裏切り者なのだ。
けれど、これからは、地球もまた、そうなるのだ。
『女王』の下で、地球人自らが地球人を支配する事となる。今回はその間に、自分たち火星人が支配者側として入り込む。
あの美しい火星を復興しようと、ダレルは必死になってきた。
リリカは、ダレルとはかなり違うところにいるけれど、今はダレルに協力する考えだ。
そうするように、女王から指示されたから。
では、今、実際のところ誰が女王になっているのだろうか。
それは、当然、タルレジャ王国の第一王女に決まっている。
なにしろ、リリカに啓示を与えた女王は、ヘレナ第一王女の姿だったのだから。
けれど、本当に取り付いているのは、どこかの国の、普通の主婦で、クッキーをつまみ、スイーツを美味しそうに食べながら、テレビを見ているのかもしれない。
それでも、自分たちは取りあえず、たとえそれが女王のロボットであっても、今は第一王女に拝礼しなければならない。そう、指示されたのだから。
「ブリューリが逃げたことは、ダレルが言っているよりも、もっと深刻ですね。あいつは好んで人間を捕食します。しかも自分の細胞を人間に植え付けて自分の意思に従わせ、自分の同類に変えてしまう。何にでも変態できる。頭も、とてもいい。怪物というより知的生命体です。液体のようになって、どこにでも入り込みます。宇宙空間でも生きられるし。もっとも、本当の正体をわたくしは知りません。女王様は、ご存じだったようですけれど。」
リリカはアリーシャに言った。すると、
「女王様は、ブリューリと一時懇意だったとか。」
アリーシャは、ついに以前から聞きたかったことを尋ねたのだ。
「まあ、そうです。忌わしい話ですが、あの二人、まあそう言ってよければですが、は、お互いに火星人の肉体で、夫婦のようになって、暮していた、かなり長い時期があるのです。今となれば、信じがたい話ですね。
ブリューリの持つ、ある種の特性が、女王様を狂わせたのだと、わたくしは考えています。
そうして、その時期に、多くの火星人が犠牲になりました。女王がブリューリに溺れて、『まつりごと』を怠り、人々は次々にブリューリと、彼の奴隷になったブリューリ人間の『餌に』なってゆきました。ブリューリ人間の中には、見るも恐ろしい怪物の姿に変えられていたものも多くいました。女王はそれに協力していただけでなく、女王自らも、様々な恐ろしい方法で、人々を虐殺していったのです。科学の発展のためと偽って、信じられないような人体実験も行われました。私も、正直、それに加担せざるを得ませんでした。そうしなければ、わたくし自身も、どんな化け物にされていたか想像さえできません。ダレルもですが。もっとも彼は、かなり積極的にやっていたように思います。そんな地獄のような時期が、何千年も続いたのです。その間に、火星の環境はどんどん悪化し、遂には、滅亡の瀬戸際に達しました。私がようやく薬を開発して、女王は正気に戻り、ブリューリは彼女の力で、幽閉されました。まあ、本当に遠い昔のことですが。」
「恨んでいますか。」
「一時期は、確かに、少しは。・・・でもわたくしは女王様に、事実上洗脳されています。女王様に対する、絶対の忠誠心は変えられませんからね。 でも、いったいどうやって、ブリューリは脱出できたのでしょうか。不思議です。 女王様の力を破ることができるとは思えないけれど・・・。 でも、今は時間がありませんね。このお話の続きとその対策は、一仕事済んでから後にいたしましょう。 さあ、地球の『第一王女様』に、出発を伝えてください。地球を支配します。」
アリーシャは答えた。
「わかりました。リリカ様。」
「ダレル様に、合流地点を伝えてくださいね。」
「了解しました。」
「では、アブラシオ、行きましょう。」
「解りました。」
どこからか返事があった。
こうして、火星人による地球侵略が開始された。
地球・・・・・国際連合
国際連合の事務局ビル。
事務総長のオフィスは、かなり混乱していた。
「想定外」の事態が起こっているらしかったが、まだ、だれも正しく認識ができていなかったのだ。
その通信は、通信帯域のほとんど全てで受信された。
インターネットにも、個人のメールにも、いわば勝手に強制的に配信された。
しかも、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、スペイン語、ラテン語、中国語、日本語、アラビア語、タルレジャ語、その他、多種多様な言語で伝えられた。その音声は、非常に端正な女の声だったが,どの言語でも、まったく同じ声だった。
それは、こういう内容だった。
『地球人類の皆様、私は深い尊敬の念を込めて皆様に申し上げます。
私たち火星連合は、皆様に、即時無条件降服の勧告をいたします。
あなた方地球の方々は、非常に短期間で高い文明を築きあげました。
それは、科学技術においても、また芸術、文化、思想、など、あらゆる分野で顕著に確認されます。
これは、非常に素晴らしい事であり、地球の皆様が、いかに優れた知的生命であるかを物語っております。
しかしながら、私たちの認識するところ、皆様方は、現在非常に危険な方向に向かっています。
今の状況が続けば、数百年以内に地球人類は滅亡の運命をたどることは、明らかとなっています。
それは、私たちがかつて火星上で犯した誤りの再現なのです。
私たちは、それを阻止したいと考えております。
そのためには、ある程度強制的な措置が、やむおえずですが、必要であると判断いたしました。
はっきり申し上げますが、この勧告に従い、新しい道を進めば、地球の皆様にも、また私たち火星人類にとっても、輝かしい未来が訪れることは、間違いありません。
しかし、もしこの勧告を無視し、あるいは抵抗される場合は、残念ながら、私たちは、皆様のかなり多くを犠牲にしたうえで、独力にて、地球と火星、さらにこの太陽系圏域の開発を実行する事になります。
勧告にあたって、次の事項に従っていただけるように指示します。
地球人類は、全地球で連合した、ひとつの帝国を成立させます。『地球帝国』と呼ぶことにいたしましょう。
もちろん、その内部に、今までの各国がそのまま存在して構いません。国民が望むのであれば、現在の指導者の皆様が、そのまま統治することも認めます。
しかし、すべての国、全人類は、地球帝国の下に集結するのです。
地球帝国の代表者として、皇帝と、総督を立てなさい。
それにあたっては、必ず以下に指名する者を充てることを承認してください。
地球帝国の皇帝として、現在タルレジャ王国の第三王女を。
さらに、その下に総督として、その姉の第二王女を充てること。
この二人に、地球の総ての権限を集中させること。
その下に、地球帝国政府を組織すること。
ただし、当面は国際連合が肩代わりしてかまいません。
またもし、皇帝と総督が望むならば、補佐役を選任してかまわない事とします。
ただし、補佐役は、地球を統治する権限は持たず、皇帝と、総督の補佐、及び、人類の幸福推進維持にのみ努めるものとします。
皇帝と、総督は、その政策の立案、実施にあたっては、必ず火星連合の第二執政官であるダレル将軍に意見を求め、承認を受けることとします。
また第二執政官の要請には、必ず応じることが求められます。
ただし、詳細については、この後改めて第二執政官が定める事とします。
なお、この事が確実に実行されるよう、我々は、タルレジャ王国第三王女、第二王女の身柄を、今後早急に確保させていただきますので、ご了承ください。
またその際、特に最大の敬意を表すため、地球帝国での特段の地位にはお就きになりませんが、タルレジャ王国第一王女にも、ご同行いただく所存です。
また、地球の降伏後は、火星連合第二執政官、ダレル将軍が、地球に対する全責任を担うことになります。
さらに、地球帝国、及びその人民は、火星連合の偉大なる「女王」様に対して、絶対、無条件の忠誠を誓う事とします。
さて、尊敬する地球の皆様に対して、大変失礼ではあるかと思いますが、私たちの持つ力について、実例をお示ししておく事といたします。
それをご確認いただきまして、二十四時間以内に、勧告を受諾し、即時無条件で降服する旨をご公表くださいますように、お願い申し上げます。
方法は特に限定しませんが、国際連合の名において、ご公表ください。
ではこれから、五分後に、日本国の北海道地方が消滅することをお伝えいたします。
なお、十二時間後に受諾がなされていない場合は、再び声明をお伝えすることになります。
どうか、この勧告には、まったく悪意のないことをご理解の上、ご協議ください。
「火星連合第一執政官」
リリカ・マユル・アヤルタ・ユバリ
「これがたちの悪い冗談でなくて、いったい何なんだ。」
誰かが叫んだ。
「火星連合って何よ。」
そこに、大男のランザムが飛び込んできた。
「冗談では無さそうだ。」
マイクは尋ねた。
「なんでわかる。」
「アメリカが確認した。正体のわからない人工物体が、少なくとも約三〇〇、地球の周囲に散開している。大きさは駆逐艦から空母くらい。そうして、とてつもなくでっかいのが一体いる。全長約八キロメートル。中に電車でも走っていないと、うっかり移動もできない。」
「八キロだって。」
「ありえないわ。」
「そのありえないのが、宇宙に浮いているんだとさ。」
事務局員は顔を見合わせた。
向こうで誰かが言っている。
「事務総長が部屋に入った。」
「忙しくなるな。急激に。」
マイクがぼそっと言った。
「五分たったら、どうなるって?」
「日本の北海道を消すと言ったんだ。」
「消すって、なに?」
日本人のミユキが言った。
「核爆弾でも落とす気だろうか。」
と、ランザム。
「北海道は広いわ。まして、消滅なんて事は無理よ。」
とミユキ。
「相手が宇宙人なら、言葉の扱いの問題かもしれない。」
マイクが言った。
そうこうしているうちに、やがて五分が経過した。
何かが起ったのか。ここではすぐには分からない。
「私、札幌の叔母に電話してみる。」
ミユキが携帯をいじり始めた。みんなが注目している。
「どうなんだ。」
ランザムが尋ねたが、ミユキは動かない。
彼女は携帯を耳から離した。
「だめ、通じない。おかしいわ。呼び出ししないの。」
「サッポロは雪なんじゃないのか。」
とランザム。ミユキが睨んだ。今は七月だ。
デスクの電話が鳴る。
マイクが出る。
「なんだって?」
受話器を置きながらマイクが答えた。
「丁度日本の上にいる、ロシアの偵察衛星が確認したらしい。北海道が消えた。」
「消えた?」
「文字通り、消えたそうだ。」
皆が茫然とした。
ミユキの携帯が鳴った。
「『はい、あ、あーちゃん、久しぶり、あなたどこ居るの? 行方不明って・・・ああ・・・ああそうなのか。 そのまま逃げちゃえ!! わたしもかけたの。ええ・・・。そうなんだ・・・・通じないでしょう。 北海道が消滅したのよ・・・・。 何か解ったら、知らせてあげる。 うん。がんばって、慎重にね・・・・』 あの、日本の従姉妹なの。やっぱり、札幌かけたら、一回通じたんだけど、話し始めたところで切れたって、あとはまったく通じなくなったと・・・。」
地球・・・タルレジャ王国
現在、タルレジャ王国の国王から指名されている『王女』は三人いる。王子に当たる人間も存在しているが、なぜか公式な王子としては指名されていない。
ただし、仮の王位継承権所持者としての順番が付けられている人は、かなり沢山いる。
王位継承権第一位は第一王女、ヘレナ・タルレジャ(正式な本名はもっとずっと長い。日本名は『松村弘子』)第二位は双子の妹、ルイーザ・タルレジャ。(同じく日本名は『松村道子』)
第三位は、ヘネシー・タルレジャ(同『松村友子』。ただし兄弟姉妹の間以外では、めったに使われない)
このあとには、現タルレジャ国王の子供たちが順番に続く。
東京の松村家の長女、洋子(タルレジャ名はエリザベート・タルレジャ)。
彼女は謎の美女として有名だ。中学生頃から、美少女として近所でもよく知られていたが、高校生、大学生時代に彼女の周りで不思議な現象が何度も起こった。そのため大学は送り迎え付きで特別扱いのように通い、それでも成績は一番で卒業した。
大学卒業後は自宅から外に出たことはないと言われていて、その姿を見たことのある外部の人間は、ほとんどいない。
実のところ、もし彼女が外に出たら、周囲の、特に男性はその特異な影響力で精神に異常をきたして、彼女の奴隷状態になってしまうか錯乱状態になってしまうことから、外出は行わなくなったのだった。
以前は何かと嫌な噂が立った時期もあったが、現在は沈静化している。
ところが、なぜか彼女にはファンクラブがある。『松村洋子さんに一目会いたい会』というおかしな名前を持っているが、実態は大変硬派で真面目なクラブだ。
なぜか、弘子と道子が会員になっていて、時々彼女たちを呼んで、ミニ演奏会や音楽の研究会が持たれている。
実はこのクラブは、二人の公式ファンクラブの会員が別動隊として作っているものなのだ。誰かが洋子に直接会って、握手をしてサインをもらえたら、この『クラブ内クラブ』は解散する決まりになっている。
しかも、弘子たちには一切頼らない、という、これも一見不思議なルールがあった。
松村家の長男は昭夫だ。巨大企業、松村コーポレーションの現社長だ。
なかなか二枚目で頭もよく一流の学歴を持っているのだが、少し人がよすぎる傾向があった。
しかもまだ独身だった。大金持ちで、ややヨーロッパ人風の色白で二枚目で、社会的地位もあるのだから、候補者はたくさん現れるのだが、結局本人にはその気がない。
ただし、松村コーポレーションの実権は、副社長である次女の昭子が握っていると言われる。見た目はほとんど日本人なのだが、非常に印象的な美人である。
けれども彼女は、抜群の経営手腕を持っていた。
彼女はまた、マツムラ・コーポレーション・タルレジャの社長でもある。
これは、タルレジャ王国にある別法人であり、王国政府や王室との関係も深いと言われていて、王国の手厚い保護を受けているようだが、実態は必ずしも明らかではない。王国の為に秘密兵器を開発しているという情報もある。
三女の優子。顔立ちが少し外国人風ではあるが、才能も、姿も、特に変わったことは何もない、普通の大学生だ。
しかし、松村家の中での彼女にとっては、それがむしろ自慢だった。
「とにかく、うちは、変な子ばっかりだから。普通と言うのは貴重なの。」
と、よく友人に言っている。
四女、五女が、ヘレナとルイーザ。
次が次男の紘志。その双子の妹である六女の雪子、と続く。
雪子は身体と精神両方に重度の障害を持って生まれてきた。生まれて以来、ずっとベッドの上で生活していて、会話などの意志の疎通もまったくできないでいる。
彼女が何を考えているのかは、誰にもわからない。
紘志は、この妹とは二卵性の双子だけれども、こちらは絶世の美少年で、高校生になった今も、髪を長くして、きちんと身支度して、女の子の服装をしたら、ほとんど男子とは思ってもらえなかった。
かといって、彼は特別に女の子になりたいとか、そういう願望は持っていなかった。もっとも、あえて男らしくしなければ、とかいうような意識もなかったが。
紘志は数学や工学方面に才能を現わしてきているが、それ以外のことにはほとんど関心がなかった。
たとえばスポーツに関しても。
ただし、姉の弘子に対しては、強いあこがれを抱いている。紘志は、弘子と道子を完璧に区別できた。そうして弘子には絶対嫌われたくないという気持ちも強かった。弘子もそれをよく知っていた。
彼女は弟が小さい頃から、周りには内緒で女の子の格好をさせて遊んでいた。お化粧をさせたりもしてきた。つまり、彼女にのしかかる、第一王女としての、第一の巫女としての、天才音楽家としての、とてつもない重圧とストレスの解消のための玩具にしてきていたわけだ。
ただ紘志は何をされても弘子には抵抗はしなかった。命令されれば、限りなく女の子らしくもしてみせた。その代りいろいろ弘子は紘志に便宜を図ってやってもいた。金銭的な事も、勿論含めてだが。
それらの事は二人だけの秘密だったが、感の鋭い道子がこれに気づかないでいる訳もなかった。しかしこちらも、姉には、時に厳しい意見はするが、最後には絶対従うことが当たり前だったから、ずっと黙ってきていた。紘志は一方で、妹の雪子をとても大切にしていた。なぜか、紘志には時々雪子の声が本当に
聞こえる気がする事があったが、これはこれで秘密だった。
一番下が第三王女、ヘネシーだった。
彼女は東京で生まれてすぐ、父親が急遽、(まったく予想外に)国王に即位することになり、タルレジャ王国に移ったのに伴って母国に帰った。だから姉二人と違って、日本に対する思い入れというものが、ほとんどなかった。
彼女は、デザインなどの方向に、特別な才能を持っているようだったが、けっして、目立った存在ではなかった。 けれども、その質素で、しかも、いかにもタルレジジャ人らしい美しい姿と、思いやりのある優しさは、王国内で高い人気があった。
ちなみに、王国内では、このところ、あまりに日本の影響が強くなりすぎているのでは、という懸念の声が一部にあった。タルレジャ民族の独立性をもっと示すべきだと主張する民族主義派の台頭もみられる。
第一王女、第二王女が、日本でもしっかり伝統の素足を通していて、どんなに寒くてもけっして履物を履かないのと、このところ頻繁に民族衣装を身につけるのには、宗教的な約束事のほかに、こうした背景があるのでは、と考える向きもあった。
ところで、タルレジャ王国の国教はタルレジャ教であるが、この教団の最高指導者は、教母様と言われている。
この、すでにもう、かなりの高齢だと思われている人物が、いったどういう人なのか、実はほとんど誰も知らなかった。
国王と違って、別に閉じこもる理由もなく、訪問客と面談することもあるが、外にはめったに出かけなかった。宗教的には確かに絶対的な権限があるが、政治的にはまったく無力な存在だ。
教団のナンバー2は、二人いた。
組織上は、次の「教母様」と考えられているところの、松村家の長女、「洋子」がその一人で、「教母補様」とされている。「教母補」にはもう一人、タルレジャ人のアンナという人がいる。彼女は前国王の亡き長男の次女にあたる。もちろん王位継承権も持っているが、王国内で日本の松村家が圧倒的に優勢な中で、かなり微妙な立ち位置にあった。
けれども実際の影響力から言えば、教団の中でトップの座にあるのは、第一の巫女、つまり第一王女だった。
彼女は、「教母」さえよく知らない、神話の世界に属する、教団の草創期についての非常に豊富な知識を受け継いでいて、それらを独占していた。
宗教上の、あらゆる儀式についての知識があり、その実施の独占権を握っている。
第一の巫女(第一王女)は、教団内や王宮内のさまざまな儀式を主宰するが、実は誰も知らない秘密の儀式もいくつか行っていた。
秘密の儀式は、第一王女と、彼女に選ばれた「何者」かしか知らず、他の誰も見ることが許されない。
というより、そうした儀式があること自体がもともと秘密だった。
王国や教団の幹部も、政府の高官も政治家も知らなかった。
第二王女さえ、秘密の儀式があることだけは知っていたが、内容は知らなかった。
ところが一年ほど前に、こうした秘密の儀式も含めて、王国の予算が不明瞭に使われているのではないかと、ある野党の大物議員が指摘したのだった。
実際王室の予算執行には慣例的に政府が干渉できない部分が多くあったし、国王家自体が巨額の資産を持っており、現在もマツムラ・コーポレレーション・タルレジャと第一王女を中心に膨大な利益を挙げていて、そこから王国にも相当な儲けが入っている事もあって、なかなか口をはさめないという状況もあった。
ただこの議員・・パブロ議員・・・が特に主張したかったのは、実はもう少し別の事だったのだ。
その後一部の正統派ではない学者や、一部のマスコミが、秘密の儀式には、生きた人間が生贄として使われていて、万が一、その秘密の儀式を盗み見た者は、確実に殺害されるらしい、というような報道をしたり、それが、また欧米や日本の、マニアックな雑誌で扱われたりする事態が続いていた。
教団側や王国側は、不明瞭な予算の流用などはなく、言われるような、オカルト的、非人道的な行為はあり得ないと主張していた。
もっとも、秘密の儀式の存在自体は、否定も肯定もしなかったけれど。
もちろん王女たちは、この件については、ほとんど何も語らなかった。ただ第三王女が、
「私は秘密の儀式とか、その内容とかというものについて、なにも聞いたことがありません。」
とだけ答えていた。実際それは、真実だったのだが。
近代的な法制が整備されていて、知る権利や報道の自由、表現の自由が保障されているタルレジャ王国であり、タルレジャ教や王室の行う宗教的な儀式についての、専門的な研究書や辞典類も多数出版されていたから、けっしてすべてが隠されているのではないけれど、公表されていない秘密がきっとある、ということは、むしろ常識だった。
それよりも、それはけっして暴いてはならない種類の『聖域』なのだ、との認識が、タルレジャ教徒を中心に根強くあったのだ。
それに、現在世界でも有数の、『お金持ち国』になっているのには、三王女の働きがとても大きい事を、王国民は良く解っていた。
そうした儀式の中で、一般的に最もよく知られているのが「朝見の儀」と呼ばれる儀式だ。
神の化身とされる国王は、即位した以降は姿も声も外に向かって出すことは、宗教上けっして許されないことになっている。
しかし国王は、毎朝朝見の儀を行う。
かつて国王が実権を持っていた時代に、毎朝主要大臣を集めて会合を行っていたことの名残だと言われている。この当時も、国王は衝立の向こうに居て、姿は出さなかったとされている。
現在では、極めて形式的な儀式になっているが、しかし王室と、タルレジャ教会双方にとって重要な儀式である。
朝四時半に、担当の巫女は起床し、みそぎの儀式をした後、食事なしで儀式用の衣装に着替えて、巫女以外誰も入れない御宣託所に籠もる。巫女はそこで木々や空間や大地の精霊たちからの声を聞き取る。
六時になると、王宮に第一の鐘が鳴らされる。
巫女は精霊との交信を終了し、そのまま今度は、王宮の最も奥にある国王の神殿に向かう。
神殿の正面には国王と神以外は入れないため、神殿の裏門から入場し、土間にかしずくことになる。
巫女が第一の巫女である場合は、国王が直接神書を無言で手渡すことになるが、このとき第一の巫女は、けっして顔をあげてはならない。
これは特にまだ幼少の巫女の場合は非常に厳しい決まりだ。
実はこのとき、王妃様も国王の後ろにかしずいている。
巫女は、国王夫妻の娘であることが多い。
親が恋しい時期なのに、決して会うことも言葉を交わすことも許されないのだから、朝見の儀の際に、顔を見たくなるのは自然なことだ。優しい声もかけてもらいたい。
この場には他にはだれも立ち会わないので、ひそかに会話があってもいいような気がするが、それは厳禁だ。
もし、巫女が個人の感情に負けて、国王の顔を見上げてしまったらどうなるのだろうか。
実は決まりごとは何もない。
かつて一度だけ、父親と母親の顔を見てしまった巫女がいたと伝えられている。
まだ幼い巫女が儀式の朝、我慢しきれなくなって、顔をあげてしまった。
父王はにっこりと笑い、母は涙を流してうなずいたとされている。しかし、その時の第一の巫女、第一王女はその夜から姿がなくなったと伝えられている。
翌日の夕暮れ時、北島と南島の境目にある小さな島の崖の上から、女の子のような人影が海に飛び込むのを見たという記録が二つ残されている。
対岸の南島の村の村長の日記、それにたまたま漁に出ていた南島の漁師の言葉。
巫女(王女)は「アヤ姫」と呼ばれていた。
史実に目を向ければ、これはざっと百五十年くらい前に実際に起こったこととされているから、そう昔のことではない。
また当時アヤ姫はそれほど幼くはなくて、二十歳になる直前であり、すでに子供もいたという。何か非常に重要な事を両親に訴えたかったのではないか、とも言われているが、その真相は知られていない。
王宮は、実は事実を知っているが、隠しているのではないかと言う研究者もいる。
もちろん、現王女様たちの、直接のご先祖様に当たる。
この島は今では南島と橋で結ばれている。
アヤ姫が海に飛び込んだとされる島の岬は、『アヤ姫岬』と呼ばれていて、夕暮れの風景は絶景として知られ、王国でも有数の観光地となっている。
『アヤ姫』の姿については、美しい肖像画が残されている。かなり美化されているのではとも言われていたものの、最近まで、この肖像画以外は知られていなかった。ところが、ごく先日、『アヤ姫』様の秘蔵写真が公開され、世間を驚かせた。その姿は、現在の第一王女や第二王女にそっくりだったのだ。
現在、もうさっそく、その姿を模した『アヤ姫人形』や、キーホルダー、日本で言う饅頭のようなものやキャンディーなどさまざまなキャラクター商品が売られている。
観光客は、それから多くの年月を経て、実は現在の王女様も、まったく同じ境遇にあることを知らされて、少し暗い気持ちになる。
第一の巫女(第一王女)と違って、第二の巫女以下は、国王の使いである神女から文書を受取る。国王も王妃も姿は見せない。
位から言えば、神女より王女の方が当然上なのだけれど、この場合は国王の神書だから特別で、やはり決して顔を上げることは許されていない。
もしも現在決まりを犯したら、いったいどうなるのかは、誰もわからない。
死を持って償うほどにはならないのではないか、という王室学者や研究者もあり、そもそも現在では、死を強要する事は国王であっても法に反するとする学者が多い。
一方で、国王は神そのものであり、誰もその行為には干渉できない、と主張する原理主義的なタルレジャ教神学者もかなり存在しているのだった。
国王から神書を受取った巫女は、その後三人の女官に付き添われることとなる。一人は独特の音がする小さな鐘を持ち、一人はドラのような物を叩き、もう一人はパンフルートに似た笛を吹きながら巫女に従って王宮内を歩いてゆく。三王女が総出となる時は、第一の巫女が一番前、第二の巫女が後ろ左側、第三の巫女が右側になり、真中に女官が一人入る形になる。
巫女の衣装は、東南アジア風の大変華やかなものに、どことなくヨーロッパ風の香りが混ざっている。もちろん履物は、一切使わないで、全員素足のままだ。
巫女たちの隊列は長い廊下を抜けて舞台に到着する。
廊下も舞台も板張りではなくて、やわらかい土で覆われている。
タルレジャ教では、大地の精霊と直接接触する事が重要視されるので、こうした形になっている。
舞台に立つと、巫女はまず国王の神書を読み上げる。二十年ほど前までは、古代タルレジャ語で語られていたが、官僚でも理解できる人が少なくなったことから、今は現代語が使われている。
もちろん、現在国王は政治的な発言は原則できないので、そうした話題は避けられている。
神書がどうやって作られているのか、を知っているのは、国王に生涯仕える誓いを立てた少数の人たちだけだが、彼らは常に王宮の奥に住み込んでいて、死ぬまでけっして社会には出て来ることができない。
ちなみに、病気の時は王宮の中にある国王や王族専門の病院にかかることになる。
大概の病気はここで手当てが可能だ。というより、実際にはここで扱えないけがや病気はないと言った方がよい。
さらに、まだ「秘密」の部分が多かったけれど、ここには一昨年から世界に例がない画期的な診療システムが作られていた。
この医療システムは、第一王女と第二王女が実家の企業と共同で開発したものだった。
第一王女は、ここでの「実験が」問題なければ、まず北島と、それからできれば東京に新システムを取り入れた病院を建てる考えだった。おそらくほとんどの「がん」が治療できるようになるはずだったし、多くの難病も、完治とまでは行かなくても、大きな改善が見込まれていた。
国王の神書を読み終わると、巫女はその日の朝、精霊から受けたお告げを伝えることになる。国王の言葉と違って、これには台本がない。
巫女は、毎日違った事を、独特の歌うような表現に載せて(オペラのレチタティーボのような感じ)、やや絞り出すような非常に神秘的な声で、しかも、一定の形式に従って、躓くこともなく、完璧に語り上げなくてはならないのだ。
国王と同じように、政治問題に関わるような話はしてはならない。国民を不安に陥れるような宗教的な話も、嘗てはよかったけれど、今はすべきではない。
つまり巫女=王女であっても、かなり制約があるわけだ。しかも伝えてくる相手は精霊たちなのだから、毎朝のこの儀式は巫女たちにとって、非常に厳しいものなのだ。
にもかかわらず、三人の巫女はまるで何の苦もない様子で、この日課をこなしていた。
冷静に観察し続ける記者や研究者からも、感嘆の声があがっていた。
「どうしてこのような事が、この年代の少女たちに可能なのか、客観的な説明は一つしかない」。
つまり「事前に多くの台本が決められていて、彼女たちは抜群の記憶力で覚えているのだ」と。
ところが巫女の話の中には、ほんの数十分前にヨーロッパで起こった出来事が正確に織り込まれたりもする。前後の話の筋も極めて綿密に組み立てられているのだ。我々がそのニュースの詳細を知るのは、その半日も後の報道によっての事になる。場合によっては数日後のこともあった。
「こうしたことは、巫女の話が本当に精霊によって伝えられているとしか思えないとわれわれに信じさせる力がある。」と、記者たちは伝える。
ところで、最近、第一の巫女(第一王女)が役目を勤めていた際、彼女は非常にきわどい精霊からのお告げを語ることになった。
『精霊は告げている。
このまま人間が無作法な行いを続ければ
人間世界の滅亡は早まることだろうと。
いまは、まだほんの少しだけ時間がある。
今のうちに改めよ。
どんな神を信じていても、あるいは信じなくても。』
昔から盛んに言われている事柄のようでもあるのだが、実は王室の人間が、人類の滅亡を云々することには、批判が集まる可能性があるため、現在では、こうした話題が取り上げられることは明らかなタブーだった。
精霊のお告げだからしかたがない、では済まない世の中になっているのだった。
けれども巫女たちは、実際いつも真実、精霊の言葉を聞いていた。それは単に宗教的な事実ではなくて、彼女たちにとって精神的な事実だった。
「朝見の儀」は、この巫女の言葉で終了して、彼女たちは王宮の中に静かに、戻ってゆくのだった。
地球・・・大使館
現在ニューヨークはサマータイム期間で、日本が一三時間先に行っている。
自称『火星人』からのメッセージが受信されたのは、ニューヨークでは朝の七時からだった。
弘子と道子が、夕方七時からの本番を大喝采のうちに終了し、さらにアンコールを連発して、チゴイネルワイゼンの演奏が終了した後、舞台裏に戻ると、何か様子が普通ではない。
しかも、どう見ても音楽関係者とは見えない怪しい男女が目を光らせている。
どうやら二人を見張っている様子だ。
道子は少し気になる様子を見せたが、弘子は軽くほほ笑みを浮かべただけだった。
警護リーダーの女性がすぐに近寄って来て言った。
「王女様、実は大変やっかいな事件が起こっております。これ以上のカーテンコールは、「なし」にしてください。」
「無理よ、この状況ごらんなさい。」
多くの聴衆が立ち上がって拍手をしている。
しかもどんどん拍手の音が大きくなる
「ほら、出ないと暴動が起こりますわよ。」
弘子は、気にしている道子をひっぱって舞台に帰って行った。
そんなことが三回続いた。
そうして、「アンコール!」の喝采。
『弘子さま』と『道子さま』
という歓声。
『王女様!』
もかなり混じっている。
実は、弘子たちはまだ弾くつもりでいた。
多い時には何だかんだで、結局十曲以上の小品が演奏されることを、ファンは十分良く知っていた。
ところが驚いたことに、これまで、まったく聞いたことのない歓声、いや悲鳴が飛んだのだ。若い女性の声で。
『王女様、早く逃げて!早く安全な所に。』
『もう、演奏やめて!逃げて。』
スマホなどで、情報を得ていた人たちがいたのだろう。
スラヴ舞曲を演奏して、そでに引っ込んだところで、弘子たちは、警備主任にまた捕まった。
「どうか現状をレポートにまとめていますので、すぐご覧ください。控室のテレビも見ていただけるとよろしいかと思います。さあ部屋まで今すぐ同行いたします。着替えがお済みになったら、すぐご自宅に向けて出発いたします。失礼ながら、私がお部屋内でも直接護衛いたします。緊急事態です。あしからずお許しを。日本の警察も警備いたしております。」
「え? あの、何か、警備の方の人数が、ものすごく増えていますね?」
道子が言った。
こういう演奏会の場合、会場内では、いつもは十人程度の護衛が付いているが、今はどうやら三十人、いやもっと、それ以上に増加されている様子だ。
弘子はさっとペーパーを見た。彼女にとっては、一目見ればそれで十分だった。
「北海道が消滅、か。まあ、しっかりやったわねえ。」
弘子がぼそっと呟いて、レポートを道子に渡した。
「でも、これで終わらせて帰っては、皆様に気の毒ですから。もう少し、お待ちください。さあ道子いらっしゃい。あなたソロよ。 もう一曲、みんな大好きなドヴォルジャークやりましょう。あ、海野さん、マイク入れて。お願いね。」
凄腕の警備主任を、いったいどうやったのか、あっさり振り切って、まだレポートを握っている道子の手に楽器を押し込むと、弘子は再度舞台に向かった。
それから彼女は、聴衆に話しかけ始めたのだった。
「皆様、今日はお忙しい中、私たちの演奏会にお越しいただきましてありがとうございます。通常ならば、これからまだまだ、アンコールタイムで、しっかり頑張るのですが、すでにご承知の方もおありのようですが、この演奏会の間に、全世界に関わる大きな事件が起こりました。
どうか皆様は、まず落ち着いて安全にそれぞれのご自宅などにお帰りください。何が起こっているのかは、お帰りになった後、ゆっくりご確認ください。それで、大丈夫ですから。あわてないで。なお、もし北海道からお越しくださっている方や、北海道と大きな繋がりのある方がいらっしゃいましたら、ホールのA2コーナー横の喫茶室を緊急情報コーナーにいたします。そこにお寄りください。ただしそのコーナーはこれから作ります、多少時間がかかります。それ以外の方は、できれば今日は寄り道せずに、それぞれの場所にお帰りください。
そこで、心を落ち着かせていただくために、ドヴォルジャークの「ユーモレスク」を演奏いたします。今日はこれでお開きにいたしましょう。」
二人は、心をこめて、最高の「ユーモレスク」を演奏した。
裏方の一部は、何も言われなくても『緊急情報コーナー』の設置に走り出した。
尋常ではない雰囲気の通路を、控室に戻ると、弘子は助言通りテレビのスイッチを入れた。申し渡されたとおり、女性の護衛がぴったりと監視に付いている。ドアの外には、さらに十人はくっついている
彼女(彼ら)、達にしてみれば、いざとなれば命をかけて王女様二人を守らねばならないのだから、文句を言える筋合いはない。
テレビでは、例の勧告が繰り返し放送され、放送局が解説を試みていた。
今夜は夕食も、ゆっくりと、いつも忙しいマネージャーのためにも、外で摂るつもりだったが、そうはいかなくなったようだ。
「着替えが済んだら、お家にすぐ帰りませんと。お姉さま急ぎましょう。」
道子が言った。
「そうね。でもね、第二王女様、どうやら、そうはなりそうにないわ。あなたは、たぶん家にはしばらく帰れない事になるわ。それが私たちの本来のお仕事よ。」
弘子が少し、今までと違う調子で言った。
道子はそれ以上、追及はしなかった。「第二王女様」と呼ばれた以上は、第一王女に従わなければなら
ないから。
会場から例の高級車に乗り込む。
二人は車の中で繰り返し放送されている。『火星連合』の勧告を再び聞いていた。
道子が珍しく少し憤りながら言った。
「とんでもない、「無茶苦茶」ないいがかりですわね。地球帝国、だなどど。まして、ヘネシー様を皇帝に、だなんて。」
「あなた、総督閣下だって。すごいじゃない。」
弘子が、ちょっとからかうように付け加えた。
道子が弘子を睨んで、少しだけぷっとふくらんだ。
「ヘレナ様は、この「リリカ」という人を、御存じなのですか。」
第一王女はそっけなく答えた。
「わたくしが、どうして?」
「いえ、どうか、お許しください、ヘレナ様。逆らうつもりはございません。ただ、そんな気がいたしましたの。」
「そう。そうね、二億年くらい前にお会いしていたかもしれないわね。」
そう答えてから、第一王女は「キャハハハ・・・」、と大きな声でうれしそうに笑った。
しかし、
「え?」
第二王女は、意外にも姉を見つめて、きわめて真面目な反応をした。
こうした会話は、運転席と後部座席が仕切られていれば、インターフォンが入っていない限り、運転席には聞こえないが、今はフル・オープンになっているから、吉田も勿論聞いている。
その話の途中で、タルレジャ大使館からの緊急連絡が入ったのだった。やたら大きな音が鳴り響いた。
「王女様お二人には、どうか直ちに大使館においで願いたい。しばらく大使館で保護させていただくことになります。」
弘子(ヘレナ第一王女)曰く、
「まあ、大きな声で。でも割と早いわね。・・・いえ、そうでもないかな。・・・」
「十分判断が早いですわ。でもヘレナ様の予想通りなのですね。」
「いかがなさいますか。」
吉田氏が確認を求めてきた。
「まあ、声がかかった以上、当然行かなければなりませんね。そのために、いつでも緊急バッグを持ち歩いているのだし。私たちのお役目でもありますし。本当はルイーザ様のおっしゃる通り、自宅に戻りたいのですけれど、仕方ないから、大使館に行きましょう。私、家に電話する。」
もちろん第二王女に異論はない。
高級車は進路を急に変えて、タルレジャ王国日本国大使館に向かって走って行った。護衛の乗った車も、(第一王女は、いつも護衛がくっついて来るのが本当は大嫌いだった。)急転回せざるを得なくなった。
ほどなく、二人はタルレジャ大使館に到着した。
それから担当官に誘導されて、貴賓室に迎え入れられた。一般人がここに入ることはまずないが、二人にとっては別に珍しい部屋ではない。
大使が直接応対に当たった。馴染みの一等書記官も同席している。
「王女様には、お忙しい中、また夜のこのような時間に御出でいただきまして、大変申し訳なく存じます。」
大使が述べ、二人は頭を下げて応じた。
「いいえ、ご苦労さまでございます、大使さま。」
第一王女が応じる。
「すでにお聞きおよびであろうかとは存じますが、現在起こっております事件について、その内容のかなり奇異であることと、なにより三王女様が直接名指しでの、いわば誘拐予告のような対象となっておりますので、本国と日本政府とが緊急に協議いたしました上、お二人につきましては当大使館で保護させていただくこととなりましたので、どうかお許しください。」
「事件の内容は大まかには聞いておりますが、新しい情報はありますか。」
第一王女が尋ねた。
「いえ、『火星連合』を名乗るものたちの新たな動きはありません。」
「王国への接触もないのですか。」
「ございません。」
「北海道については、いかがですか?」
第二王女が続けて尋ねた。
「まったくありえないことですが、なにかのトリックではないのかとの意見もありましたが、日本の海上保安庁、自衛隊、国土地理院などが総出で確認しておりますものの、本来存在すべき場所に、北海道はない、との情報が入っております。また本国からも、地球上のどこにも北海道が見当たらないとの連絡が来ております。
政府、報道機関、企業等が、いろいろな通信方法を用いて、道内に連絡が取れないか試みているようですが、どれも成功していないようです。
もちろん、我々も試みていますが、まったくだめです。」
「ふーん。」
第一王女が意味ありげに大使を見つめながら(こんな目で見つめられては、なかなか嘘は言えないだろう。)尋ねた。
「消滅というのは、つまりどういう状態なのですか。例えば、ケーキをナイフでスパッと横に切ったとか、スプーンで地面ごと、ざくっとえぐり取ったとか。」
書記官が答えた。
「それが、私も専門家ではないのですが、もともとそこには何もなかった、という状態のようです。つまり、そこに陸などはなかった、と。しかし、非常に不思議な事が他にもありまして、どうも海そのものがおかしいということで、今のところ詳しくはわかりませんが、日本の巡視船が、海中の写真を撮っていたら、おかしな、大きな「えび」のようなもの、が写っていた、との報告が上がってきていたり、そもそも北海道近辺の海とはどうも様子が違うとの報告があったり、これから海水の分析なども行われるとの情報も入っています。今のところまだよく解らないという状況です。」
「そうなのですか。なるほど、『大きなえび』ですか。面白いですね。その写真はないのですか?それと、私たちの政府は、どうお考えなのか教えていただけますか。まず、この『犯人』はいったい何者なのか。確認されているという宇宙船は、どこから来たのか。 そうして、今お話のあった、北海道の行方について。 それから、住民の皆様の安否について。 さらに、「降服勧告」への対応について。・・・
それと、私たちをどのように扱うお考えなのかと、いう事と。」
こんどは大使が話した。
「正直なところ、現状では本当にまだ何もはっきりといたしません。この実行犯の正体も、今のところまったくわかりません。国際的にも混乱しております。相手は自分たちを『火星連合』とは、言っていますが、『火星人』とは言っておりません。大体あの荒廃した星に、そのような者が住んでいるなどと、誰が信じるでしょうか。あれは明らかに人間だと思います。
あの、全長八キロもあるという巨大な物体について、私は、何かの巧妙なトリックが使われているのだとは思いますが、それが宇宙空間に存在している事は、どうやら間違いないようです。
実は大変遺憾な指摘が、ある国のマスコミ筋から、まあ、かの超大国ですが、なされておりまして、これはもう王女様が誰よりもお詳しいのですが、また大変申し訳のないお話ですが、つまり、タルレジャ王国の祖先が、火星から来たという、主に宗教上の伝説がありますが、こうした伝説に関連させて、今回の事件の背景に、わが王国が、あるいは王室が何か絡んでいるのでは、と、言うのです。もちろん根も葉もないことですが、しかし世論への影響はあり得ます。
北海道についても、皆、困惑状態です。君あの写真、お見せしなさい。実は、書記官が、奇妙な事を言っておりまして、私は納得できませんが・・・。」
一等書記官が言った。
「つまり、これはSF的発想ですが、北海道はどこか過去の地球上の海洋とごっそり入れ替わっているのではないか、そんなSF小説がありましたので・・・。これがその写真です。少々ブレてはおりますが、これは『アノマロカリス』ではないかと・・・。」
彼はその、「写真」を二人の目の前に置いた。
何かはっきりしないが、頭に大きな目のような出っ張りがあり、ハサミのようなものが生えている、そうして体中に羽のようなヒレがくっ付いている、非常に怪しい生き物が確かに写っている。が、テレビの怪奇現象番組に出てくる『未確認生物』の写真と、そう大差はないとも言えそうだった。
「なぜかはまったく解りませんが、カンブリア紀の海が、北海道のあったところに、広がっているのでは、と。いやあ、ど素人の根拠のない推測で、大使には叱られましたし。半分以上冗談でして・・・。」
「なるほど。それは、素晴らしいですわ。」
第一王女が感心したように言った。
大使が無理やり話を引き継いだ。
「失礼いたしました。しかし、同様の仮説を述べた学者も実際出ているようです。 とても科学的とは思いませんが。 北海道の住民の安否はわかりません。さきほど申し上げましたように、一切連絡も取れず、道内の放送なども受信できません。 『降服勧告』については、このようなものを受諾する国家は存在しないでしょう。当然わが王国もそうです。 しかしながら、北海道のこと、それから謎の『宇宙船』のことが、皆、ひっかかっているのです。協議は行われておりますが、結局のところ、当面一二時間は様子をみるでしょう。相手はそこでまた、何か声明を出すというのですから。」
「でも、もし、大変悲惨なことですが、北海道の方たちが、すでにもう、存在しないのだとしたら、さらに多くの命が危険にさらされませんか?そのように、脅迫していますでしょう。」
第一王女が追及した。
「ええ、その通りです。しかし、これは一種のテロです。屈することはできないと、ほとんどの主権国家は判断するでしょう。」
「では、戦うと?」
「軽々しい事は、私からは申し上げられません。しかしながら、相手の出方によってはそうした事態もありうるのではと思います。 勿論、お二人には、この状況では帰国していただく事は極めて困難です。ですから、事態が落ち着くまでは、ここに居ていただく事になるかと思います。我々が全力でお守り申し上げるしかありません。ぜひご信頼ください。」
大使は簡単に言い切った。ヘレナには、「相手は十七歳の少女だし」、という感覚が見え見えだった。
そこで、第一王女は少し皮肉にも取れるような調子で尋ねた。
「相手は、北海道をぱっと消してしまう連中ですよ。本当にあなた方に、私たちを守れるのですか。私が思うに、松村の家のほうが、よほど安全だと思うのですが。」
第二王女が横から声を上げた。
「まあ、ヘレナ様、なんという失礼なことをおっしゃるのですか。大使様、本当に申し訳ありません。私から姉の失礼をお詫び申し上げます。」
「あなたの事を心配して、わたくしは申し上げているのですよ。あっさり連れ去られたいのですか?」
「お姉さまも、指名されているのですよ。同じ立場です。これはそういう問題ではありません。礼儀に反しているからです。」
「いやいや、まあ、どうかお許しくださいますように。」
見た目以上に、かなり敏感な大使が、これは少し言い方がまずかったと悟って、止めに入った。
それから今度は、しっかり根性を入れて答えた。
「確かに第一王女様が仰せのように、我々の力は及ばないのかもしれません。しかし、この建物は、先ごろ改築いたしまして、ご実家の、つまり、マツムラ・コーポレーションが開発した特殊な建材が使われております。少し高価で取引上はいささか問題がありましたが、安全上特別な措置と本国からも認められました。
これは、まさに日本の誇りであると同時に、我が王国も、世界に対して誇りとすることができる、きわめて高度な技術と心得ております。
あらゆるスパイ行為が、「まず」、通用しないと聞いておりますし、火災も「ほとんど」起こらないとのこと、効果は、王国科学院によっても実証されていることも承知いたしております。もちろんハード面だけでなく、あらゆる方策でお守りいたします。ほかの場所で、ここ以上に安全なところは日本国内には、ございません。」
『私の部屋の方がはるかに安全よ。それにあの素材は、わたくしが開発したものよ。 「まず」、「ほとんど」ではなくて、「絶対に」だわ。』
と、第一王女は考えた。そうしてこの大使の、少しずるい説得に反論しかけたが、さすがにそれは思いとどまった。
「そうですね、ありがとうございます。大使、先ほどは大変失礼いたしました。少し感情的になりました。御配慮感謝いたします。また王国政府にも、王室を代表して感謝いたします。よろしくお願い申しあげます。」
第二王女は、安堵したように、椅子に座り直した。
大使も、非常に満足したようだった。
しかし、一等書記官には、なぜかやや困惑したような表情が見て取れたように、第二王女は感じた。
大使は、こんどは、やや気後れした感じで質問してきた。
「王女様お二人には、お疲れのところ大変申し訳ないのですが、この事件について、なんでもよいのですが、私どもにお伝えいただける情報がないでしょうか。 どんなことでもよいのです。例えば、これは勿論可能であればですが、タルレジャ教団関係の情報などでもですが。」
「あら、事件の背後に教団関係者がいる可能性がある、と、考えていらっしゃるわけですね。もっと言えば、わたくしが、関与しているのでは・・・と。つまり、これは事情聴取な訳ですね。」
大使は少し慌てた。
「いえ、そういう積りで申し上げたのではございません。あくまで、何か思い当たることが、おありになれば、と・・・。」
『意外と、かわいい人ね。』
第一王女はそう思いながら、答えた。
「そう、でも必要なら、『事情聴取』でもよろしくてよ。そうですね、そういえば一等書記官は確か公安のご出身だったかしら。」
第一王女の問いに対して、一等書記官は頭を下げて肯定した。
「おそれいります。政府公安部の調査課長でありました。」
「いいのよ。ではお答えいたしますね。 わたくしの知る範囲においては、タルレジャ教団関係者に、いわゆる過激派はおりません。 また、もし教団や、信者に対して、誹謗中傷行為があったとしても、それに暴力行為で答えるなどという事は、決して行わないように、と、教母様と私から、再三に亘って呼び掛けております。 特定の他団体等から、いわれなく敵視されていること、またさまざまな妨害行為や、いやがらせ行為があること、それは実際にございますので、認めます。
大変残念なことですが、一部の団体とは、具体的には、『世界恒久平和希求協議会』という、パリに本部のある団体です・・・。
タルレジャ教は、いわゆる邪教で、人類を滅亡させるという最終目的がある、と非難されております。近年各国のカルト的な団体と連携する動きもございます。王国内にも関係団体がございますが、まあ、これは政府の方がよくご存じでしょう。
これは、あまり公開しておりませんが、私宛の長大な質問状や、抗議文、警告文などが、この団体の関係者などから毎日のようにまいっております。
しかし、多くの世界中の皆様からは、これまでの長い年月の教団活動を、正当に評価していただいていると信じております。タルレジャ教に人類滅亡を希求するような教義はございません。長い地球の歴史の流れの中で、人類滅亡がやがて訪れる、ことは確かに教義が述べていますが、これは現在の科学的知識と一致していることです。またそれが間もなく訪れるとか、はっきりといつの事か、などについては、一切言及しておりません。
またいたずらに危機感を煽るような、いわゆる終末論議や、宗教的扇動のような言動はけっして行わないようにと、教母様が何度か注意をなさっておられます。
それに、我が王国の国教という立場にあるのですから、これらは、政府はよくご存じのことでしょう。」
「ええ勿論承知いたしておりますが、その王女様宛の質問状等は、政府にお見せいただけませんか。
脅迫ではないかとの懸念もございます。」
「この際、いいでしょう。教団に伝えましょう。」
「それと、今のお話に関連してですが、非常に申し上げにくいのですが、先月の朝見の儀で、第一王女様から、世界の終末についてのご意見が述べられたとのことですが、つまり何か今日のことを予見されるようなお告げがあったとか、そのようなことは、ありましたのでしょうか。いかがでしょうか。 けっして政府が王室や教団の行事に口を挟んでいるわけではございませんのですが。それに、私自身、代々、タルレジャ教徒であります。念のためです。」
と、第一書記官が尋ねた。
第一王女=ヘレナ=弘子、は頷きながら答えた。
「ええ、まあ、わたくしが疑われても仕方ございませんわね。もともと非常に怪しい存在ですもの。」
「いえ、けっしてそのような意味ではございません。王女様のご助言がいただければ、と、そう願っているだけでございまして。」
「いいのよ。確かにそういうお告げはお伝えしましたが、それはまったく教義の範囲内のことでしたから。御承知のように、巫女のお告げはその時感じたことをそのままお伝えいたしますから、国王様のお言葉と違いまして原稿はありません。 でもわたくしは、すべて記憶しておりますわ。
『このまま人間の、傍若無人な行為が収まらなければ、環境破壊が拡大し、人類文明の崩壊はより近くなるのではないかと、精霊たちが心配している』と、そういう意味のことをお伝えいたしました。
そうですねえ、確かに教母様のご指示に抵触しないかと、言われるかもしれませんね。
でも、どうでしょう、一般的に警告されていることから、大きく乖離はしていないでしょう?
それに、確かにあの勧告を出してきた、『リリカ』という何者かの言い分に似てはおりますけれど、私は『人類滅亡』を唱えたのではありませんし、それほど刺激的な意味合いではございませんでしたわ。
世間で盛んに今、言われていることを、精霊様達もご心配になっている、ということでございましょう。」
書記官が尋ねた。
「精霊は実在しているのですか。」
「もちろんです。わたくし達が感じるのですから。」
「ええ、いえ、もうけっこうです。ありがとうございます。」
大使がやや遮るように述べた。
「でも一等書記官さま、期限は迫っておりますわよ。あまり悠長に、調査している時間は、ありませんでしょう。」
第一王女がお返しの意地悪を言った。
これにも大使が直接応じた。
「よく理解しているつもりでおります。 ああ、そういえば、お二人とも、お食事がまだでしたね。御用意いたします。」
「わたくし、ツヴィーベルクーヘンを食べたいですわ。それとスティンガーとか。」
第一王女が、わがままを言った。
大使が応じた。
「申し訳ございませんが、王女様、今日はシェフがおりませんので、あり合わせのものになりますので、ご了承ください。それと・・・」
大使は一等書記官と目配せして言った。
「王宮の侍従長様から、時節柄、第一王女様に、けっしてお酒をお出ししないようにと、連絡が来ておりまして。悪しからず、ご了承ください。」
「まあ、意地悪な侍従長様だこと。わたくしは、もう成人しましたの。りっぱな大人の女ですわ。もうすぐ婚約もいたしますのに。少しくらい、いいではありませんか。」
「いえ、今夜はいけません。それに、ここは、大使館ではありますが、日本でございます。二十歳までは、飲酒は厳禁です。」
第一王女はぷっとふくれた。第二王女=ルイーザ=道子、が手で口を覆って、くすくすと笑っていた。
その後、簡素ではあるが、なかなかおいしい食事に、二人はようやくありついた。
それから、シャワーも使うことができた。
食事後は一等書記官が部屋まで案内してくれた。
「お部屋は、厳重に警護いたします。変わったことがあれば、いつでも声をかけてください。ご存知かと思いますが、このボタンがアラームです。」
「ありがとうございます。」
第二王女が礼を述べた。
「大変お手数ですが、私たちあまり、いい加減な格好でうろつく訳にも参りませんの。まあ、わたくしはおてんば娘で通っておりますからイイですが、この子は可哀そうです。油井賀さまをお呼びいただけません?明日の朝でけっこうですから。」
第一王女が、再度お願いをした。
一等書記官は頭を下げて言った。
「わかりました。手配いたしましょう。」
油井賀は二人の専属美容師だった。
ただし、それ以上のお役目も、実は持っていたのだけれども。
二人は部屋に取り残された。
第二王女はソファに崩れるように座った。
「お疲れ様。疲れたでしょう。」
第一王女が立ったまま、ねぎらいの声をかけた。
第二王女が珍しく抗議してきた。
「お姉さま、困りますわ。お知らせもなくあのようなご発言をされては、それも二度もです。王女のお立場をお考えくださいませ。」
第一王女はクスッと笑った。
「ごめんなさい。でも、あまりに軽く見られているようだったから、つい聞いてみたくなったの。いやな質問を、誘発してしまったようですが。」
「まあ、あれはもともと聞きたかったことだったのでしょうから、しかたございませんわ。でも、お酒はだめですよ。お姉さま、実は、第一王女様は、アルコール中毒なのではないかとの噂が、宮中で密かにたっておりますことをご存知ですか? それにまた、日本ではとっくに死語ですけれども、以前お姉さまは『スケバン』王女様だったらしい、とか、とんでもない事を言っている方もあるとか。私も大変気にしております。確かに今は一七歳になりましたから、王国での飲酒は合法ですし、お客様の接待など、第一王女様が大変なことは重々承知いたしておりますが、お姉さま最近お酒を飲みすぎですわ。体に良くありません。それに、ですね・・・」
「え、なに?」
「とても、不思議なのです。だって、二〜三分前まで、まったく飲んでおられなかったのに、ちょっと目を離したすきに、すっかりできあがっていらっしゃったり。どう考えても変ですわ。このところのお姉さまは。」
ヘレナは右手で顎を支えながら面白そうに答えた。
「政府にとっても、王宮にとっても、第一王女は謎だらけ、だものね。無理もないわ。 あの大使様は赴任したばかりでしょう。前の方の方が、わたくしは好きでした。 新しいあの大使様は、学生時代、王室存続反対派の急先鋒だったの、あなた、知っていらっしゃるかしら。 ま、私たちが生まれる大分前の話ですが。 お勉強はとてもできたので、一番で外務省に入った。出世が見込まれていたけれど、少し偏屈なことと、そういうお考えや、お口がかなり災いして、昇進が遅くなったのね。でも、日本大使は要職です。まあ、よかったわね。 それと、あの一等書記官さまは要注意ね。 でもとってもハンサムで、かっこいいわ。一度お付き合いしてみたいものね。」
「またそのような事をおっしゃって。」
第二王女は、顔を赤くしながらだけれど、それでも、小さくうなずいた。
そうして、すぐ真顔になった。
「お姉さま、わたくし、お伺いしたいことがございます。」
「何ですか、どうぞ。」
「わたくし、車の中で、お伺いいたしましたわね。お姉さまは、『リリカ』、という人を本当は御存じなのではないかと。」
「ええ、そうね。」
「でも、はっきりお答えになりませんでした。」
「あら、そうだったかしら。」
「はい、そうです。」
第一王女は、妹の横に座った。
「どうしてそう思ったの?」
「それは、つまり、お姉さまが、このところおかしいからですわ。」
「おかしい?どういうこと。いつから?」
第二王女は、思い切ったように言った。
「つまり、お姉さまはここ半年ばかり、すっかりお変りになりました。まるで、別人のような感じです。私は、はっきり感じます。先ほどのお酒の事もそうです。確かに、お姉さまは、以前から内緒でお酒を飲んでいらっしゃいました。少しは、ですけれど。また、とてもおかしな雰囲気の事も、実際たびたびございました。何か別人のような感じで、近寄りがたい事が。でも最近は、いつも、とっても変ですわ。それにもっと気になっていることですが、これはもうずっと前からの事ですが、月に一度、三人が揃う時には、必ず夜、いっとき、いらっしゃらなくなりますね。それから、お戻りになった時は、私たちが精霊にうたれております時よりも、もっと激しく、もっと異様に、精霊とは違う何かに憑かれたように、とてもおかしくなって居られます。あれは、秘密の儀式ですか? わたくしが、お尋ねしてはならない事なのでしょうか。確かに今のお姉さまは、あの状態がずっと続いているような感じです。これまでは、黙っておりましたが、先ほどのやり取りから、この際、直接お伺いしたいと思いましたの。」
「まあ、失礼ね、人を化け物みたいに。どこがどう変わったと言うのよ。」
「勿論、見た目にも、お話の仕方にも、大きな違いはございませんし、おそらく、わたくし以外の方は、ほとんど気が付かないのかもしれませんけれども。でも、わたくしは違いますの。つまり直に感じるのです。お姉さまのことは。おわかりでございましょう。つまりそうなのです。お姉さまは、このところ、何か本当に別人になってしまわれました。それに、わたくし、最近、自分の記憶が、どうやら一部なくなっている時間帯がある事を発見しましたの。ほら、お姉さまが、少し行方不明になった時の事です。『不思議が池』に出向いた事は覚えております。そこで、警察の方にお会いしました。で、池の中を捜索したりしました。そのあと、お姉さまは、ご自分から出てこられたのでしたが、どうもよく確認して見ると、何だかつじつまが合わなくて。それで、その時の警察の副署長様に連絡して見たりしたのですが、こんどはその方が、何故か捕まらないのです。事情はまったく説明がありませんでしたが。他の、関係した方にも、お話を聞こうとしましたが、まったく駄目でした。おかしいでしょう?」
「ふうん。」
第一王女は鋭い目で妹を見つめた。そうして、彼女をぐっと抱き寄せた。
「あ・・・」
第二王女は、まったく抵抗はしなかった。
「そうね。あなたは誤魔化せないわね。」
第一王女は、天井に向かって呼びかけた。
「アニー、聞いてる。アニー。」
第二王女はあっけにとられた。
天井から声がした。
「はい、ヘレナ。」
ややテナーの、やさしい感じの男性の声だった。
「この部屋、ちゃんと機能してる?だれか会話を聞いてない?」
「大丈夫です。あなたの設計通りです。」
「わかった。」
「お姉さま、今のは、いったい誰ですか。」
「アニーよ。」
「アニーって、誰ですか。」
「アニー、自己紹介しなさい。」
「はい、私はアニー、ヘレナ様によって作られた宇宙星態コンピューターです。」
「うちゅうせいたい、コンピューター?ですか。」
「はい、私は、いわば、地球自体であり、水星自体であり、火星自体であり、木星自体、であり、つまり、太陽系を構成する、すべての惑星、衛星、準惑星、その他もろもろの物質それ自体であり、なおかつ、太陽自体なのです。 従って、本体はありません。すべてが本体なのです。よって今のところ、誰にも破壊できません。ヘレナ以外には、例えば、万が一、地球が壊れても、まあ多少は影響がありますが、さほど大きな問題はありません。そのような事態は当分ないことを祈りますが。」
「ありえないわ。ありえない。第一どこから声が出ているの。スピーカーは?どこ。」
「ありません。空間自体から出ています。 私には、すべてが、見えています。どこからでも話せます。」
「ヘレナさまが、お作りになった、と」
「はい、そのとおりです。」
「いつ、ですか。」
「ざっと、四十億年少し前です。」
「四十億年?地球ができた直後なのではないですか。」
「ええ、そのとおりです。」
第二王女はヘレナを見つめた。
「うそ。大ウソですわ。」
「まあ、ルイーザさまのお言葉とも思えません。とっても合理的な事ですわ。」
ヘレナがあっさりと言った。
「どういうこと。お姉さま、説明してください。」
「そうね。ねえ、ルイーザ様。あなた、御自分のこと、変だ、と考えたこと、ない?」
「変?ですか。いえ、変なのはわたくしではありません。お姉さまです。」
「まあ良く言うわね。いい、あなたは変、なのよ。じゃあ考えてごらんなさい。あなた、学校の試験で、これまでに満点以外取ったこと、ある?」
第二王女は答えた。
「いえ、それは、・・・ありません。」
「そう。あなたは満点以外取ったことがないわ。そうよね。それも、あらゆる分野でね。 しかも、高校の試験だけじゃないわ。あなたにとっては、どんな試験もすべて簡単なものよ。例えば、あなた以前、マツムラ・コーポレーションの研究のお手伝いで、いろんな大学の入試問題を、試しにやらされたでしょう。どこの問題でもあなたは完璧にできてしまう。 司法試験の問題も、公認会計士も、医師の国家試験も、どんなものでも、あなたには簡単だった。いつ、そんなお勉強したの? それに、たとえば日本史のテストで、あなたは現在の通説が本当は間違っていると、なぜかちゃんと知っていても、回答はきちんと、先生が気に入るように、正しい回答をして、しっかり満点を取っていたでしょう。」
ルイーザは少し赤くなった。
「そう、あなたは、どんな試験でも、問題を見ただけで、すぐ正しい回答が頭に思い浮かぶわ。でも融通もしっかりと効く。応用問題でもそう。論文では、先生が完全に満足する回答を書く。まあ、これから大学に入ったら、担当教官と意見が対立して、「優」をあえて取らない、なんて事も、あるかもしれないわね。でも、それは、お勉強ができないからじゃないわ。あなたは、まるで優秀なコンピューターね、アニーみたいにね。何でも知っている。何でも解ってしまう。何でも出来てしまうわ。どうして?
音楽は、演奏家としては超天才。そう、おそらく、人類史上、稀な位のね。でも作曲は、あまり上手くない。 とても、モーツアルトには届きそうにない。わね。まああの人は、地球人類の奇跡だから。
また、あなたに、今すぐフルートを演奏しなさいと命令しても、それはできないでしょう。そう、あなたは万能だけれど、すぐにできない事も、ないわけじゃないってことね。
でも、少し練習したら、上達はとても早いでしょうね。
ピアノでも、ヴァイオリンでも、演奏会でミスしたなんて事は、たぶん一回もないでしょう。
スポーツも万能。それも並みじゃないわ。どれも、少し集中して練習したら、プロ並みにこなすことができるようになる。以前、テニスで、プロの方に勝手しまったでしょう?」
「あれは、お遊びでしたし、全力ではなかったですし。」
「そう、あなたは全力ではなかった。でも相手はもう本当に、倒れる寸前までがんばってたの。 あれだけ走り廻されたら、それはもう大変ですわ。スピードが違ったものね。ところがあなたは、そんなに疲れてもいなかった。なぜ、そんな事が簡単にできるのかしら?
記憶力はケタはずれ。ちょっと見ただけで、なんでも、すべてを記憶してしまう。しかもきっちり頭の中で整理できる。本一冊読むのにどれだけ時間がかかるの。ぱらぱらっとめくっただけで、全部読めてしまう。理解もしてしまう。どんな分野の、どんな専門的な難しい文献でも、何の苦労もなく読み取って、すぐ理解や応用ができる。 それも世界中の多くの言語でね。
辞書もまるごとそのまま覚えてしまう。だから、辞書なのに手元においておく必要さえない、あなた自身が辞書そのものだから。そうSFドラマの、アンドロイドのようにね。
楽譜でも、どんなにややこしい現代曲だって、見ただけですべて覚えてしまって、しかも理解して、すぐ演奏できる。
ま、確かにそういうことができる人間の方も、いらっしゃることは確かですけれど。
王室の大量の文書だって、そうでしょう。
あなたは、何ヶ国語、話せるのかしら。 ひとつの言語を習得するのに、一週間もかからないわね。二・三日あれば大概できちゃうわ。
でもね、こうした事は、まだ普通の事。つまり、あなたには、現在の科学などでは、とうてい解明できない事も、できてしまう。そうでしょう。隠したって駄目よ。あなたには、何故か人の心が解ってしまう。それも目当ての人の心がね。さらに或る程度の距離の中ならば、相手を自由に操ることもできる。他にも、不思議な事ができるはずよ。
あなたは、それがどう考えても普通じゃない、変な事だと解っているけれど、じっと自分の中に閉じ込めて来た。違うかしら? そんな人間が、私、弘子は別として、いると思うの。」
「それは、つまり、私は、人間ではないとおっしゃっているの? ロボットとか。アンドロイドとか、コンピューター人間とか、何か化け物のようなものだと。」
「そうね、まあ、あなたは、人間よ。間違いなくね。そうして、弘子も、ね。 でも、普通じゃない。言葉は悪いけど。化け物と言えば、そうなのよ。 いい、弘子も、あなた道子も、もちろんヘネシーも、私、ヘレナが設計して作り出した、ある、特別な『人間』なのよ。これ、解るかしら。
わたくしが、支配し、またその体に直接宿るために作った、理想の人間の体、よ。ただ、残念だけれど、ヘネシーは、ちょっと失敗作だったけれどもね。」
「あなたは、いったい誰なの?」
第二王女は、ヘレナから身を離そうとしたが、どうしてもできなかった。なぜか、身体が思うように動かないのだ。
「私は、ヘレナ。今のこの体は、わざと同じ名前にしてあるけれどね。大丈夫。心配しなくていいのよ。
私には、もともと肉体がないの。 この宇宙の意味では、生き物でさえないわ。
だから、死ぬこともないわ・・・。
わたくしは、この宇宙ではない、どこか、自分でもわからない、不思議な空間からやってきた、『存在ではない存在』なの。生き物ではないのだけれど、この三次元空間では、まるで生き物のように、振る舞うの。そのためには、生物の、生きている体が必要なのですけれど。そう、人間のような、ね。
地球の前には、長年、金星や火星を支配してきたのよ。でも、金星はご覧の通り、太陽に近すぎたこともあって、ああなっちゃったし、移住先の火星では、何もかもうまくいっていたのに、思いがけない化け物の登場で、やや腰砕けになってしまったうえに、文明の弊害が猛烈に激しくなって、環境の悪化を招いてしまい、最終的には生物の生存には適さなくなってしまって、私は、最後の目的地だった地球に移ったの。もっとも、ここしばらくの間は、のんびりしておりましたのよ。いろんな人間の経験もさせていただきましたわ。
いい、ルイーザ様、今は、ようやく、その時が来たの。
タルレジャ王国は、遥か昔に私が作った国なのですよ。
まだ人間が文明を作るはるか以前にね。
王室の王女や巫女たちは、代々私の宿るための肉体を提供するための存在なのです。松村家は、その補完的な役割を果たす家柄の一つよ。世界には、いくつかそういう家柄があるの。
私が宿る肉体なのだから、ある意味、常に完ぺきでなければならないわ。そのために、私はその誕生を管理してきた。
弘子とあなたは、その究極の肉体なの。私の最高傑作なのよ。
あなたは気が付いていなかったのでしょうけれど、私はあなた達が幼いころから、ずっと、しばしばあなた達の体に入って、慎重に管理をしてきた。
通常の人間ではあり得ない、知識や能力を与えてきたわ。
特に弘子には、第一王女だけしか知ることを許されない、王国のたくさんの秘密や、儀式などを伝えてきた。それらはすべて、私、ヘレナが太古から作り上げてきたものよ。でも弘子自身は、なぜ自分がそれを知ったのか、について、精霊から教えられたものだと固く信じているわ。それは、まあ嘘じゃない。彼女は本当に精霊の声を聞いて育って来たから。そうして、それは、あなたも同じでしょう? ただ弘子に関しては、彼女のお役目上、わたくしは、かなりきつく管理してきたの。」
「確かに、私には精霊の声が本当に聞こえます。」
道子は、少し声を震わせながら言った。
「そう、そのとおりだわ。だからあなたも、姉と同じように、タルレジャ教の最も敬虔な信者であり、有能な指導者なの。あなた達には精霊を通じて、神の声が聞こえるのだから。 でもそれは、実は私の声だったわけです。
とてもショックでしょうね。でもこれが事実なの。
それでも私の適切な管理のおかげで、二人とも、罹るべき病気以外はせず、事故もなく、いつも元気だったでしょう。
こうして二人は、素晴らしい、理想の女性に育ってきたわ。
で、あなたの言う通り、半年位前からは、ずっとここ、この弘子の中にいるわ。
あなたたち二人には、こうして人類最高の頭脳を与え、りっぱな身体も与えた。ね、あなたは性格的に、大人しいから、自分からはまず言わないでしょうけれど、自分の体には、とっても自信があるでしょう。それは、顔にも、胸にも、脚にも、スタイル全体にもだけれど、信じられないくらいの運動能力と、体力と、頭脳がある。ま、というか、無尽蔵の能力よね。ヘネシーについては、まあ、ちょっとハプニングがあってね。どうしてそうなったのかは、今でも解らないの。わたくしが失敗するなんて、ほとんどあり得ないのに。結局あの子にだけは、どうしても宿れなくなってしまった。あの子の体は、私を受け入れないのです。ただし、それが逆にあの子の特殊技能という訳よ。これから始まる、不感応者や、ミュータントとの戦いで、それはとても貴重な盾になるわ。
で、まあ、このところ、地球の文明も丁度いい位に発展してきたわ。文明の弊害も、これもいい位に大きくなってきたし。
そろそろ、地球を支配して、大好きな火星も再建する時期が来た。そういう訳なの。
でも私にとっては、そんなに長い時間ではなかったのよ。
私は、先ほど申しましたように、この三次元の宇宙とは縁もゆかりもない、私自身にもわからない、不思議な空間で生まれましたの。いえ生まれたかどうかさえもわからないわ。だっていつ自分に気が付いたかなんて、知らないもの。もともと永遠の過去から、そうしていたのかもしれない。本当に永遠の時間を、ただ『自分』という概念だけで、過ごしてきたの。そう『自分』だけよ。他には何もなかったわ。男でも女でもない。恋もない。子供も作れないわ。音楽なんていう概念もない。大体、『音』もないもの。信じられないわね。今は、こんな、楽しみを覚えてしまったのですもの。
その、『永遠』の後、私は、ある三次元宇宙のはじまりに生まれ出た。偶然だったのか、神のご意思なのか、それも本当にわからないの。
その宇宙でいくつかの知的生命体に出会って、私はたくさんの知識を身につけた。
その宇宙の終焉になっても、私は死ななかった。だってもともと生き物ではないから。
私はまた別の宇宙の始まりに生まれ出る。
通常の物質はけっして宇宙から別の宇宙には移動できないけれどね。重力子だけが例外だかという人もいるけれど、私にとってはそれさえも縁がないの。
多くの宇宙で、たくさんの知的生物と出会った。でもまったく知的生命体の見当たらない宇宙も、かなり沢山あったわ。
そこで一人ぼっちで、そうね、何百億年とか暮した事も沢山あったの。もっとも物理法則自体が違うところもあるから、簡単には比べられないかな。長い長い、でも人間の持つ、『時間』という概念では語れないような宇宙の旅を経て、ようやく、この宇宙にやって来たというわけよ。
そうしてやがて、ここの太陽系にたどり着いたの。
私にとっては、限りない永遠の中の通り道だわ。でも、この宇宙はとっても良いところだった。大好きよ。そう、火星も、地球も、それに、あなたも、弘子も大好きよ。
でもね、火星はとっても良かったわ。最高だった。あんな終わり方はしたくなかった。
勿論、この地球も、また、素敵ね。
特に『音楽』が最高。地球人は、この『音楽』という才能に関しては、大いに誇りにすべきね。火星の人間も、これだけは、ちょっと歯が立たないわね。
西洋も、中東も、アジアも、アフリカも、私たちの南太平洋も。アメリカも、オーストラリアも。音楽の宝庫でしょう。
でもね、あなた達二人の音楽の才能は、結局、偶然だったの。だからよけい貴重なのよ。もしかしたら、もうけっして出会えない位にね。
これだけは、任意に作れないのだもの。あなた達は、私の傑作であると同時に、人類が生んだ奇跡でもあるの。モーツアルトのように。どう、おわかり?」
ルイーザは呻いた。
「そんなこと、考えられない。生きものではない生命なんて、あるはずがないわ。自己矛盾している。絶対にあり得ないことですわ。」
「だから、私は生きものではないと、最初から言っているでしょう。」
「じゃあなぜ話しているの。なぜ意識があるの。脳があるからよ。あなたは超能力者かもしれないけれど、生きものではない何かが話をするなんて、神様以外あり得ない。でもあなたは神じゃない。地球の征服? そんなこと考える神様はいない。「神は力で征服」なんかしない。そう経典にもあるわ。」
ヘレナは静かに答えた。
「あなたは科学者の卵でもあるけれども、一方で敬虔な宗教人でもあるわね。いい、その経典は私が書いたのよ。あなたは神の声を聞くことができる。でもね、その神がわたくしだった。それだけの事よ。あなたはホントにわたくしの声を聞いていたの。全然矛盾なんかしないわ。 さあ、これからは私に、忠実に従うのよ。今までもそうだったけれど、これからは、私自身になるの。」
ルイーザは叫ぶように尋ねた。
「本当の弘子お姉さまは、どうなっているの。」
「心配ないわ。私と融合している。弘子はもう、私自身なの。彼女の意志や感情をどの程度生かすかは、私の判断次第よ。私には、本来感情というものはないの。でも人間の体に入ることで、そういうものを実際に体現できるわ。弘子は、今もちゃんと、このお話をおとなしく聞いているわよ。もちろん、私の指示には忠実に従うように、しっかりと、教育はしたわ。でもね、それなりの独立性はちゃんとあるのよ、私が許せば、自分で考えたり、私やあなたに、話しかけたりもできる。
私は、人の体を離れて自由に飛び回ることができるから、いつもこの体の中にいるわけではないの。
私が留守の時は、弘子はその能力に基づいて、自分で考え、私の意思に沿ってではあるけれど、ちゃんと一人で行動できるわ。大丈夫よ、ルイーザ、そんなに恐がらなくていいのよ。」
第一王女は、もっと強く第二王女を抱き寄せた。
「あなたが、気がついたから、ちょっと早くなったけど。いいわ。どうせ明日には実行する考えでいたからね。 これからあなたは、新しい自分になるの。
何もつらくないわ。あなたは特別な女の子なのよ。私は、もう一人の自分を生み出して、あなたに寄生する。すると、あなたは、道子でありながら、『わたくし』という、新しい自分の支配下に入るの。けっして死んでしまうようなことではないわよ。全然辛くもない。ただ、新しい自分に素直に従えばいいの。
それで、あす以降、あなたは本当に、地球帝国の『総督閣下』になるのよ。
ヘネシーは、本当に『皇帝』陛下になるのよ。そうして、あなた方は、独裁者として、地球の全人類を支配するの。さっきお話したように、あの子は筋金入りの『不感応者』だけれど、でも逆に、とってもある種の暗示にかかりやすいの。だから通常の洗脳はむしろやりやすい、変な子なの。そこでダレル様にお願いしたのよ。彼、洗脳のエキスパートですから。まあ、おそらく余計なこともやるだろうな、とは思っているけれども。 フフフ、とっても楽しみね。
いいわね、ルイーザ、あなたは、あの子を補佐して、実質的には、あなたがこの地球を支配しなさい。
ただし、ヘネシーには気を許さないでね。 あの子は今、精神的には、もうダレル将軍に依存しているわ。本当は、わたくしが、直に独裁するつもりだったけれど、貴方に忘れてもらった事件のせいで、変更したわ・・・・・・・。
さあ、どう、ルイーザ。私の言うこと、わかってきたかしら?」
ルイーザ第二王女は、自分の心の中に、今までとは全く違う自分が溶け込んできて、それから、それがとても大きく広がってゆくのを感じていた。
『わたくし』それはヘレナのことだったのだ。そうして今は、もう自分自身が「ヘレナ」でもあることが、理解できるようになってきた。
彼女は、そう認識した。道子の本来の『自分』は、仮の自分であり、本当の自分は、ヘレナそのものなのだ。移り住んだヘレナの『分身』は、道子の意識を、すでに完全に支配下に置いていた。
「はい、お母様。もうよくわかると思います。」
「そう、それでいいの。あなたは、もうわたくし『自身』であり、わたくしの、かわいい『娘』よ。でも人前では、今までと同じようにしなさいね。いいわね。」
「ええ、わかりました。お母様。」
「いい子ね。あなたは、今、本当に特別な能力を持つようになったわ。今までのは、お試しってところね。例えばね、これからは、あなたは地球上すべての人間を、一度に洗脳して、自由に操ることができるわ。 明日以降、リリカとダレルが地球を制圧したら、その後で、世界の指導者を一か所に集め、全員をきっちり洗脳するのよ。
もう、そんな事、今のあなたにとっては簡単なことだわ。
ただし、あまりやりすぎないように。
やりすぎると、人間の自由度が少なくなって、想像力が落ちてしまうから、気を付けなさい。。
それで、皇帝陛下とあなたに対する絶対の忠誠心を、しっかり植え付けなさい。で、これから何をすべきなのかを教え込みなさい。何を教えるかは、もうあなたには、わかっているはずよ。
ただし、まず最初の、全地球人の洗脳はわたくしが行います。でも、その次からは、あなたがするのよ。一般の人には、完全な忠誠心を植え付ければ、もうそれでいい。あとは、必要な修正を加えてゆけばいい。報道機関などもフルに使えばいいわ。今は少し心配かもしれないけれど、大丈夫、ちゃんと出来るわ。
でも、必ず一定の『不感応者』や『不適応者』が発生するわ。そこで早めに世界の各地域に『学習センター』や『収容施設』を造って、その個人に合った方法で、意識改革や、洗脳、また、それでもうまくゆかないときは、脳の物理的改造などをするようにしなさい。
ただし、私のコンセプトは、もう分かっているでしょう。一部の特別な施設以外は、単なる、強制収容所とか洗脳施設じゃなくて、もっと開かれた、クリニック的なものでなくっちゃね。社会的に孤立してしまったり、悩んでしまったりしたら、自分から、いつでも尋ねて来て、新しい自分になれるような、そんな開放的な場所でなければ駄目よ。施設には、何かいい名前を考えなさい。『不感応者』を、ただ敵視したりしては駄目よ。上手く、よい仲間にしてゆかなくてはね。
でもね、さらにやっかいな、『ミュータント』も間違いなく出てくる。まあ、これは、わたくしたちの力の、一種の副作用のようなものなの。この人たちは、人類とは一線を画す存在になってゆくわ。
仲良くできれば、それでいいわ。でも、どうしても敵対してしまうミュータントが出てくるわ。しかもその頂点に立つものは、かなりの強敵になるわよ。
いい、いやでもなんでも、あなたの意思に関わらず、こうした人間たちとの戦いは、おそらく、いつまでも続いてゆくことになるでしょう。彼らは、『地球人類の救済』とかいう名目の元に、あなた達から権力を奪おうとするでしょう。
だから、よく覚悟しなさい。これはヘネシーにも言うけれど、これからの事は、やりはじめたら絶対に後戻りはできないわ。
人類が滅亡するまで、しっかりやり続けるのよ。
でも、あなた達はその一方で、戦争のない平和な世界を作り出せる。子供たちが栄養失調や醜い争いごとでは、もうけっして悲しんだり、死んだりしない世界を、ね。素晴らしいことでしょう。人類の歴史上、まだ誰も成功していなかった事よ。それを、短期間に実現させる事が、可能になるの。 そうそう、今後アニーは、あなたの命令にも従うようにするわ。
アニーはね、たとえばその場ですぐに必要なお仕置きとかするのに、とっても便利なのよ。いざとなれば、不感応者の脳の物理的な改造を、その場ですぐにすることもできる。少し融通が利かないから、皆、同じような感じの、ロボット的人間になってしまう欠点があるわ。緊急時以外は、本人のためにも、できる限り穏やかに捕獲して、適当な施設で、ゆっくりと人間を作り変えてあげた方がいいと思うの。けっして、拷問とかしちゃダメよ。どうしても必要な時以外はね。あなた達に従う喜びと、その生きがいを教えるの。
施設の建設には、まあ、それなりに費用がかかることが弱点ね。私たちの演奏会やCDも熱心に聞いていただいて、それからいろいろな、大小の開発商品を作って、しっかり世界の皆様に買っていただきましょうね。
そうね、貴重な地球の資源も有効に使いましょう。世界的にうまくお金が回るようにしなくては。いい、商売も大切よ。ね、松村のお家の為にもなるし。言うことないでしょう。
それから火星の復興と開発のためには、労働力が必要になる。多くの人々を火星に送る必要があるわ。忠実に働いていただける方が必要よ。日本でいえば、ハローワークだけれども、こうした公共や民間の職業紹介機関をフル活用しなさい。公共機関は「ただ」なのが魅力だけれど、エンジニアとかの専門職の方は、民間の会社が有効よ。
でもね、労働者の健康管理は、きちんとしてあげるのよ。王国の『北島』はよい見本ですのよ。
そう、それに、お薬なんかもね、先進国の一人占めはやめましょう。やるべきこと、出来ることはたくさんあるでしょう。あとは、あなた達が考えてやるのよ。任せるからね。
そうそう、それと、アニーはね、人間の心理に大きな影響を与える「感情波」を出して、大勢の人間をコントロールすることもできますの。マスコミも上手に活用してやると、いい意味での洗脳もちゃんとできるわ。世論を作るの。しかも大量にね。これは脳そのものには触らないから、割と安全。あなたにとっては省エネにもなるでしょう。そうして、場合よってはね、けっして好きではないけれど、その場での『処刑』も、アニーに頼めば、簡単にできるから便利です。証拠もなく、跡形もなく消してくれるわ。
さらに、本当に必要なら、戸籍や人間としての事績を、すべて消去することも可能ですわ。
アニーの力は、地球だけでなくて、火星でも木星でも、太陽系内ならどこでも活用OKよ。宇宙空間でも。そうだな、あと次元隔離とか、逆に保護とか、追放とか、その辺もアニーに相談しなさい。
その他、情報収集、監視、そうして護衛としても大変役に立つわ。本当なら、こんなところに匿ってもらわなくても、アニーが守ってくれるから、私たちは、まあとても安全なのですけれど。
ただし、過信はダメよ。アニーはね、意外と見てないこともあるからね。
あと、いい、私を裏切らないでね。独立した以上、あなたはだんだん『自分』になってゆくけれども、元々、あなたはヘレナの分身であることを忘れないでね。まあ、あなたの意識は、いつでも私と繋がるし、コントロールもできるけれど、普段は自由にさせてあげるから。脅すわけじゃないけれど、どうにもならなかったら、いつでもあなたを、わたくしの中に回収できるのよ。あなたの『個』としての意識は、それですべて失われるわ。まあ、言ってみれば、それがあなたの『死』なのよ。
だから、もし私に逆らうなら、本気でやりなさいね。
さて、で、今のところ、地球側がどう出るか、楽しみに見ていなさい。
多少は、楽しまなくてはね。
それに、リリカやダレルにも、ちゃんと活躍の場を与えてやらなくてはね。
あなたとヘネシーは、形の上では、ダレルの支配に屈するようにするけれど、それは彼の自尊心を満たしてあげるための方策でもあるのよ。
私は、基本的には当分タルレジャ王国の王女だけでいたいの。そうして、皇帝陛下と、総督閣下に対して忠誠を誓います。ただし、私が火星の女王ヘレナを名乗った時には、リリカもダレルも、あなた達も私に絶対服従だからね。
それと、リリカには、十分配慮してあげてね。あの人は通常の火星や地球の人間とは相当変わっているけれど、彼女には大きな借りがあるの。大切な友人でもあるし。
あんな、ものすごい発明ができる人間は、彼女だけだし。
ダレルの作る物や、する事は、びっくりすることも時にはあるけれど、たいていちょっと、間が抜けてるから、かわいいの。
さあ、どうかしら、もうしっかり自分のことが、ちゃんと理解できるようになってきたでしょう。
それから、もうひとつ確認。
あなたたちが地球の支配を完了したら、あなたは武さまと、私は正晴さまと、できるだけ早く、『婚約の儀』を行うわ。御承知のように、『婚約の儀』は、タルレジャ王国では事実上の結婚よ。その後の『結婚の儀』は、披露宴にあたるものだから。私が昔そう決めたの。それにこだわる必要はないけれど、まあ伝統には従いましょう。
それで、可能な限り、早く子供を作るのよ。一人じゃなくて、三人くらいはね。
いいわね。しっかり武さまを、毎晩でも誘惑しなさい。彼、正晴さまと違ってしっかりしているから、問題はないでしょうけれどね。
必要なら彼の心を操って、今以上に、あなたが愛おしくて仕方がないようにしてさしあげてもよろしくてよ。
勿論、わたくしヘレナが、子供づくりには干渉するけれど。それは解っておいてね。
地球を支配する体制を固めたいの。そのための良い子を作らなくてはね。
正晴さまは、少し手が掛かりそうだわね。
さて、今日は早く休みましょうね。弘子と道子の体を休ませてあげなくては。」
第二王女は微笑みながらうなずいた。
「とても良く解りました、お母様。なにもかも、すべて、おっしゃる通りにいたしますわ。」
二人はしっかり抱き合って、キスを交わした。
「さて、弘子と道子が休んだら、ちょっと散歩に行きましょうね。そうそう、ヘネシー様に連絡しておかなければ。アニー、ここの電話は、ちゃんと盗聴されてる?」
「ええ、今日の事件以降、某国がしっかり盗聴しています。」
「まあそうでしょうね。でも計算通り、その某国さんとか、他の誰かさんにも聞かれないように、電話したいのだけれど。」
「勿論大丈夫ですよ。」
地球・・・一二時間後
日本のタルレジャ王国大使館。
リリカの指定した最終期限の、半分が経過しようとしていた。
第一王女は、朝六時には弘子の体を起こした。
巫女である彼女にとって、けっして早い時間ではない。巫女のお勤めの朝は、四時には起きなくてはならないからだ。
道子(=ルイーザ)もすぐに第二王女を起こした。
朝食は七時からと言われている。
王女ともなれば、それなりの身支度も必要なのだが、油井賀氏は海外出張中で、今朝は来ることができない。との連絡が入っていた。第一王女にしてみれば、無理やり連れて来ることは可能なのだが、そこまでするのは酷というものだ。
そこで、まずテレビのスイッチを入れる。
当然すべての局が例の問題に、かかりきりになっている。皆、政府がはっきりした説明ができていない事に、かなり苛立っている。
ヘレナはアニーに尋ねた。
「さてアニー、地球の指導者たちの動きはどうかしら。」
「まあ、一言でいえば疑心暗鬼状態です。 黒幕は一体誰かと、探り合っています。 火星人の存在など、考えてもいませんでしたからね。一部のマニアは、ある意味躍り上がっておりますが。
ただし、日本政府はかなり深刻な状況にあります。よりによって、なぜ北海道が消されなければならないのかと、多くの大臣はお怒りです。もちろん首相もですが、この方はもともと感情を表に出さない方ですから、表情にはあまり変化がありません。国内世論の動向も気にはなるものの、まさかテロには降伏することは絶対にできないと考えています。
しかし規模があまりにも大きすぎますし、国民の反応がかなり心配です。
そこで内密にアメリカ政府の承認を得て、リリカ様にコンタクトを求めました。
リリカ様は応じました。
首相は、テロにはけっして屈しないと述べたうえ、北海道と、住民たちの安否を明らかにするよう求め、国土と彼らを無事解放するよう求めました。
前代未聞の状態です。
リリカ様は、『日本政府が自ら進んで』降伏するよう、主要各国を説得すること。地球側が降服に応じるならば、日本政府の働きを評価して、北海道も住民もすべて無事のままに元に戻すと伝えました。しかし、もし抵抗するならば、その安全は一切保障できないとしました。
北海道と住民はどこに行ったのか、との質問には、リリカ様は回答しませんでした。
各国の指導者たちは、国連の場、また電話やそのほかいろいろなルートで相談は進めていますが、まだ集まって会談ということには至っていません。ただ欧州にはそういう動きがあります。ドイツ首相とフランスの大統領はすでに会談をしました。
しかし、明確な答えは両方とも持っていませんでした。御希望ならば、その様子をお見せいたしますよ。 この会談に、現状が凝縮されておりますから。
欧米各国は、ロシアないし中国に疑いを持っていますが、根拠はなにもありませんし、その相手国は、勿論米国を疑っています。
けれど誰も、北海道の消滅について、まったく理論的な説明ができません。
昨夜の書記官の仮設は、非常にできのよい例ですが、そんなことが可能だとは誰も信じていません。
巨大な宇宙船、つまりアブラシオですが、が存在していることについては、どうやら『本物』のようだということと、残念ながら地球にはそうした技術はない、と、主要国の指導者は認めざるを得なくなっていますが、いったい国民にどう説明するかまだ悩んでいます。
しかし間もなく、主要国の指導者は声明を出す方向で調整はしています。内容的には、こうした欺瞞的なテロ行為にはけっして屈しない。北海道とその住民の即時無条件解放を求める、との内容になる見込みですが、勿論リリカ様の一二時間後の動きを見るつもりでいます。
北海道の次ぎはどこかという不安は、誰しも持っていますが、あえて世界の各国民には、平静を保つよう呼び掛ける予定です。
アメリカは、核兵器の使用を視野に入れています。また、かねてから開発していた兵器を、使用する準備を完了しています。地球上から、飛行物体を攻撃するレーザー兵器です。
アニーの見るところ、これは、火星側の船にしてみれば、まあ当たることは当たるでしょうね。程度のものです。プラモデルに、懐中電灯を当てるようなものです。
同国の専門家も、アブラシオのような巨大な物に通用するかというと、どうやら自信はないようですが。
一方でロシアも、核ミサイルで地上から攻撃できないか、と考えていますし、ロシアはこれも極秘中の秘だった人工衛星から発射する核ミサイルの標的を、アブラシオに合わせられないか、頑張っています。」
「そんなものですか?」
第一王女は尋ねた。
「全部、知ってるわ。夕べ新しいルイーザ様とあちこち見て回ったし。他に目新しいことはないのかしら。」
「まあ、ご存じとは思いましたが、念のため一応報告したまでです。」
「ね、ルイーザさま、アニーはこうして皮肉もしっかり言うの。」
「なお、現在日本の首相とアメリカ大統領が電話会談中です。お聞きになりますか。」
「いえ、いいわ。結果がわかればそれでいいわ。でも、相手が宇宙人だとなった場合、日本は武力攻撃できるのかしら。」
「基本的には、地球上の脅威と同じ考えで対応するでしょう。相手が宇宙人だという証拠は何もありません。まして日本は直接存亡の危機にさらされています。」
「ふんふん。ところで、我が家はどうするつもりなのかしら。マツムラ・コーポレーション・タルレジャが開発した特別製の兵器を、王国政府は使ってみる気になっている?」
「直接聞いてみられてはいかがですか?」
「高校生には教えてくれないでしょう。私が設計したものだなんて、ほとんど誰も知らないもの。これは秘密中の秘密だものね。
日本は、相手の基地を先制攻撃できるような軍備は持たないはずよね。
タルレジャ王国は歴史上一度も他国と戦ったことがない。憲法上日本のような制約はないけれども、戦わないのが伝統よ。
兵器も最小限度しか持たないと宣言している。
ところが、わが松村家は、世界一の資産家だけれど、実は危険な闇商人でもあるのですもの。
それにね、わたくし、ちょっと使ってみたいのよね。今のところいずれにしても、地球側はとりあえず抵抗してみせる構えね。予定通りだけれど。」
「リリカ様は、いったい次には何をなさるのですか?」
ルイーザが尋ねた。
「それは秘密よ。あなたが面白くなくなるでしょう。だから教えてあげてないのよ。食事はここでとるようにしたから、テレビを見ながら楽しみましょうね。」
第一王女はあっさり言った。
「でも、仕方ないから、少し自分でお化粧したりもしなくちゃね。髪はあきらめなきゃ駄目みたいね。」
続く・・・・・