三話 凪野涼の、その日の出来事2
純が、自殺した。
そう聞いたのは、家でコーヒーを飲んでいる時だった。
思わず、コーヒーのカップを落としてしまう。
でも、そんなことにも気づかずに、俺はスマホを握った。
聞こえてくるのは、聞き慣れた純の母さんである春さんの声。
『柳月病院に運ばれたんだけどねぇ、もう無理だって……』
すすり泣く声が聞こえる。
俺は、スマホを握り締めたまま家を飛び出した。
向かうは、柳月病院だ。
「純っ!」
そう叫んで、勢いよくドアを開ける。
白い、部屋。
その真ん中にあるベッドの上には、顔に白い布をかけられた女の子が横たわっていた。
白い手が、ベッドの隙間から見える。
「涼くん……」
「春さん……。純は……」
「さっき、死んだよ……。死に顔を、見てやって……」
そう言う春さんの声は、やつれていた。
「嘘、ですよね……?」
震えた、しゃがれた声。それが自分のものだと気づくのに、数十秒はかかった。
ごくり、と唾を呑む。
横たえられている遺体の近くまで行くと、俺は恐る恐る布を取った。
「純……」
長いまつげ、高い鼻、均整の取れた顔立ち。見慣れた顔だった。でも、何かが違う。
そうだ。いつもは桜色の唇が、青くなっている。桜色に染められていた頬が、心なしか青い。
「学校の屋上から飛び降りたらしくてねぇ……。桜の木の上に落ちちゃったせいで、発見が遅れたんだって……。木の枝が、体に突き刺さってて……苦しんだだろうねぇ」
「!」
それを聞いて、俺は息を詰めた。
うちの高校に、桜はたくさん咲いている。
種類もたくさんあって、春はとても綺麗な気色を映し出す。
偶然かもしれない。そんな確率は、限りなく0に近いのだから。
でも……。
もしかしたら、俺が待っていた、あの桜の木に。
数多い桜の中でも、一番純が愛した木に。
純は、身を投げたのかもしれない。
もし、そうなら。
純を、俺が置いていかなければ。
純を、探していれば。
あの噂を、聞いていれば。
悔やんでも、悔やみきれない。
でも、目の前にいる純の顔を見ても。
絶対に、また動きだすことなんてないと、理解しているはずなのに。
俺はどうしても、彼女の死を実感できなかった。