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④ならず者たち

 二〇一三年四月一〇日、午前〇時三〇分。中央自動車道八王子本線料金所――。

 八王子ゲートの周囲には深い霧が立ち込めている。相変わらずといったところだ。

 前日の二〇時三〇分以降、管制センターが一方的に伝えてくる高井戸から大月までの通行止め情報も何ら変わりはなく、勤務中の収受員といえば食堂のテレビで深夜放送を見ている者、仮眠を続ける者など暇つぶしに余念がなかった。

 管理事務所の中では、盛田、浅井、小室、長尾の四人がひざを突き合わせ、なにやら大事な話の真最中だった。

 モニター画面の前にずらりと椅子を並べている四人は、はた目には仕事をしているように見えるが、一五年以上前にあったとされる風切りびとの中央道伝説に花を咲かせていたのだ。

 この中で一番年功者となる盛田が、実体験を元に語り手を務めていた。

 そこへまた一人の収受員が、長い仮眠を終えて現れた。

「おはようございます。行儀よく並んだりして、そんなところで一体何を?」

 あくびをしながら起きてきたのは太田である。彼も元コスモスラインの社員で、小田原支店の到着係を務めていた。

「太田、椅子を持ってこっちへ来いよ。風切りびとの中央道伝説だ」

 浅井は、笑顔を振りまき手招きしている。

「気に食わないな。おれのときと全然違うじゃないか」

 長尾は、顔をしかめた。

「長尾のやつ妬いてやがる。あー、気持ち悪い」

「気持ち悪いのはこっちだ。おまえと一緒にするな」

「まあまあ、二人とも元気なことで。それにしても懐かしい響きだな。だけど、初めから聞けなかったのが残念だ。盛田さん、いつかまた特別に教えてください。お願いします」

 太田は、笑いながら頭を下げた。

「大丈夫だ。まだ始まったばかりだよ。それでは次の伝説に進むとするか。かっこよくもあり、悲しくもあり、と言うやつだ。みんな用意はいいか?」

 浅井、長尾、太田、小室の四人から「はい」と返ってきた。

 盛田の口元に視線が集中した。

 三回ほど深呼吸した盛田は、ゆっくりと語り始めた――。


 一九九六年一二月九日、この日は全国的に寒さが和らぎ、過ごしやすかった。

 CL明石支店のプラットホームに運行車両が並び始めたのは、普段通り一七時を過ぎてのことだった。

 しかし関東ブースにある所沢の番線には、いつもと違う光景が広がっていた。

 観音ドアを開けて積込み体制に入っていたのは、本田のプロフィアではなく杉田の810だった。

 プラットホームの上では、本田と杉田が番線に置かれた荷物の積込みを始めていた。

「上り線と下り線、どっちを運転するつもりだ? おれとしては別にどっちでもいいのだが」

 荷札の住所を見ていた杉田は、本田に視線を向けた。

「別にどちらでもいいですよ。杉田さんが決めた通りに走りますので、どうぞお好きなように」

 本田は、持っていた荷物に顔を隠した。

「遊んでないでこっちを見ろよ。だったら俺が先持ちするけどいいのか?」

 杉田は、本田が持っていた荷物を取り上げた。

「自分が往復走ってもいいですけど」

 本田は、嫌みのない笑いを浮かべた。

 先週末のこと、本田は過給機の更新と足回りの補強を兼ね、車検が近付いたプロフィアをディーラーに持ち込んでいた。

 従来の四八〇馬力から五〇〇馬力以上へのパワーアップと、サスペンションの変更、それにスタビライザーの強化が目的で、今週の中頃には出来上がる予定になっている。

 ついでに最近頻発するギア抜けのことも伝えていた。

 本田が大幅な改良を実行に移した背景には、二条倉庫九四‐五一に敵わなかったこともあるが、網掛トンネルで出会ったトラック集団に追い付けなかったことも理由にあった。更に川野兄妹と一緒に走るためには、最低限この改良だけは必要だと思ったし、ついでにギア抜けの原因も突き止めたかったからだ。

 ただし車検は別として、これだけの改造をするとなると相当な金額が必要になる。今まで貯めた貯金のほとんどをはたいての思い切った決断なのだ。

 車検の期間中、本来であればまとまった休みが取れるはずだった。

 勤務表どおりにいけば、週前半の月、火、水は休みというシフトが組まれていたが……。

「たまには二人で運行するのもいいかも知れないな」という杉田からの要望があり、出発が埼玉と所沢の二店積みで、帰りが所沢から明石のシフトに急きょ変更された。

 本田の休暇は、杉田の一声でなくなった。

 だが本田にしてみても、杉田とのコンビを楽しみにしていた面もあった。

 二人が荷台の半分近くまで積み終えたとき、ホームの中央で運行者ミーティングが始まった。

「お疲れさまです。年末とクリスマスの繁忙期を迎えていることから、荷主による集荷時間の引き延ばしが目立っています。このため出発時間も一時間ほどずれ込むことを覚悟しなければなりませんが、だからといってスピードの出し過ぎにならないよう注意してください。出発予定時刻は、二一時三〇分です。ご安全に!」

 手短にミーティングを済ませた田辺は、運行伝票の打込みのため事務所に向かった。

 本田と杉田は荷物の配達日を見比べ、所沢と埼玉の荷物に優先順位を付けた。

「両方とも全部は無理みたいだな。大口荷物を残して小口だけは積んで行こう」

 杉田は、番線に集まってきた荷物を見渡し、首をひねった。


 今日は軽いケース物ばかりが目立った。

 所沢支店向けの荷物を荷室の前半分まで積み込み、頃合いを見て埼玉支店向けの荷物に取りかかった。

 仕分けコンベアを流れる物量がピークを迎える前に、荷室の一番前から観音ドアの所まで、見慣れた荷物で満載になった。

「本田、もういいだろう。そろそろ出発しようか。運行伝票を頼む!」

 杉田は満載になった810の観音ドアを閉め、アイドリングを始めた。

「了解です。伝票取りに行ってきます」

 手袋を外した本田は、事務所に向かった。

「今のところ事故の情報はないようだが、二人とも速度の出し過ぎには注意しろよ」

 伝票処理中の田辺が、本田を見るなり声を掛けてきた。

「田辺さん、安心して入力してください。おれたち安全運転指導者ですから」

「またそれか。何が安全運転指導者だ……。どうでもいいけど杉田にも言っておくように。あいつより、お前の方に使うセリフだけどな。本田、頼んだぞ」

 田辺は本田に安全運転を催促し、本田は田辺に運行伝票の仕上がりを催促した。

 伝票重量一四トン、実重量九トンの積込実績は、本田が想像していた重量より軽かった。四二〇馬力の810でも全く問題なしに走れる範囲だと判断した。

「余裕だな! この時間帯なら東名経由でも問題ないだろ」

 名代が声を張り上げ、プラットホームの上から両手を振っている。

「まだ決めていません! 今日はゆっくり走りますよ」

 杉田は、左手で応えた。

 その横で本田は、「中央に決まりでしょう」と、小声でつぶやき左手をあげた。

 一九時を回ったころ、明石支店のプラットホームから杉田運転の810が、静かに離れて行った。

 発送がピークになる前の関東ブースでは、積込み途中の運行者たちがホームの上にたむろしていた。

 他の番線より二時間以上早く出発していく二人は、羨望の眼差しでCL明石支店から送り出された。

 荷物を満載にした810は、車体を大きく揺らしながら国道へと踏み出した。

 第二神明を順調に走った杉田は、神戸の夜景に浮かぶ阪神高速に入った。

「本田、後ろのベッドに入るか? 毛布とシーツはクリーニングしたばかりだ。それと冷温庫に飲み物を入れておいたから適当に飲んでくれ」

 杉田は助手席に目をやった。

「夕方まで熟睡したから平気です。それに走っている車内では寝付けませんし……。お茶、また後でいただきます」

 あくびをこらえた本田は、CL神戸支店のある方向を眺めていた。

 最近連続して、守川から指摘を受けたことにある。

『今ならまだ間に合うかもしれない。謝るなら今のうちだ』などと自分に問いかけ、いつも本気で叱ってくれる守川を暗闇の中で捜していた。

 そのころ神戸支店の仕分けコンベアには、大量の荷物が集中していた。

 所沢定期の守川も、必死に荷物と格闘中だった。


「今日は最高だな。いつもこんな時間に出発できればいいのに。本田、どうかしたのか? 運転したければいつでも変わってやるぞ」

 杉田は、助手席で黙り込んでいる本田に話し掛けた。

「杉田さんのお手並みを拝見させて頂きます。そうだ、眠くなったら遠慮せずに言ってください。おれも寝ますので」

 本田に笑顔が戻った。

 それから間もなく、杉田は左の指示器を点けた。

 西宮ジャンクションから左に逸れた810は、乗用車の集団にまぎれて名神高速へと流されて行く。

 左カーブを回った先の赤いボックスには、グリーンシグナルを点したスタートラインが待っていた。

 一九時五〇分、二人が乗った810は西宮ゲートをくぐった。

 黒く光るアスファルトの直線が、東の空に向かって果てしなく伸びている。

 実重量九トンの積荷を背負った810が、何の抵抗もなく軽々と立ち上がってきた。

 中国道が合流してくる吹田ジャンクションには、走り屋たちが湧き出す前の静かな空間が広がっていた。

 天王山トンネルを抜けたころ、乗用車で混雑していた車列もまばらになりはじめた。

 同業者が見当たらない上り線で、810のタコメーターもほどよく温もってきた。

 しかし一六〇以下の速度に抑えて走っている杉田には、ただただ退屈な時間にほかならなかった。

「寝ないのなら話でもするか。そうそう、車検で何か仕様変更でも企んでいるのだろう。チューニングの匂いがしているぞ」

 杉田の視線が本田に向いた。

「さすがに鋭いですね。過給機と足回りの改良を依頼しました。中央道最速狙いです」

 本田は、正直に打ち明けた。

「そんなことだと思ったよ。改造なんて金もかかるし、程々にしないと怪我するぞ。今どれくらいの走行だ?」

「確か、三五万キロ少し手前だと思います。丸二年だからこんなものでしょう」

「だったらあと二回の車検は確実だな。この810もあと二年、いや正確には一年半だが、最近になってようやくエンジンが慣れてきたような気がするよ」

 CLでは新車登録から四年間、もしくは七〇万キロまでの使用という社内規定があった。

「慣らしに時間が掛かり過ぎていませんか? もしかして杉田さんも……。それにこの810、四二〇馬力にしてはやけに速いと思うのですが。さては何かしましたね?」

 本田は、アップダウンの激しい中央道で、四八〇馬力のプロフィアに軽々とついてくる810のことが気になり、何か手を加えたのでは、と以前から疑いの目を持っていたのだ。

 本田に指摘された杉田は一瞬口をつぐんだが、すぐに喋り始めた。

「まいったな。じつは前回の車検で少しばかり手を加えたんだ。過給機の変更とバランス取りで四七〇馬力まで上げたけど、足回りがそのままだからコーナーで遅れてしまう。でもこれで十分満足しているよ。別に隠すつもりはなかったけど、打ち明けるタイミングを逃しただけだ」

「やはりそうでしたか。プロフィアよりパワーがあるのではないかと思っていました。イスズのエンジンは定評があるから、パワーアップも楽でしょう」

「お前に追い付いたと思ったのだが、また先を越されてしまったな。それにいくらパワーがあっても、ミッションとデフがノーマルだから、二三〇くらいが限界かな。クッションの硬さもイスズの欠点だ」

 二人の会話は車のことで盛り上がり、いつの間にか京都を過ぎて滋賀県内に入っていた。

 高速隊の厳しい取り締まりに対し、目立たないように走り続ける810のスピードは一六〇以下に抑えられ、いまのところ危ない視線は確認されていなかった。


 関ヶ原インターを過ぎて岐阜県内に入った杉田は、ここぞとばかりに踏み込んだ。

 排気管に溜まっていた不完全燃焼ガスを一気に吐き出し、二〇〇を超えるスピードで走り始めた。

 小牧インターを過ぎて出てくる東名と中央の電光掲示板には、走行注意の文字が二つ並んで光っていた。

 杉田は、追い越し車線から走行車線に戻った。

 二一時四〇分、東名本線から左へ逸れた810が、さりげなく中央道に逸れた。

 普段であれば、ようやく名神に乗っかったくらいである。

 ハンドルを握る杉田は中央道に入った途端、真剣な表情になった。

 その様子を見ていた本田は、いつもと勝手が違うことにとまどいを感じ、右に離れていく見知らぬ車列を助手席から眺めていた。

「いつも思うのですが、東名本線から中央道に逸れる瞬間のさりげなさが最高だと思いませんか? 杉田さん、お茶もらいます」

 東名本線を見飽きた本田は、冷温庫からお茶を取りだした。

「ああ、飲んでくれ。そうだな。おれたちCL社員にとって、中央道は遠い存在だからその気持ちも何となく分かるよ。でも渋滞さえなかったら、東名もなかなかいいものだぞ。おまえたちのように先頭で風を切って走る連中は、何があってもこっちに入って来るから、まさしく根っからの走り屋だろうな。でも〝愚か者は刺激を求めて中央に流れ、最後は派手に散って行く。風は切るもの、呑まれたらおしまいだ〟と言うくらいだから、お互い気を付けようや」

 杉田は多治見インターを通過する際、助手席を向いてにやりと笑った。

「愚か者か……。おれは散ったりしませんよ。そういえば最近、優しく包みこんでくれるさらりとした風、さそい風に背中を押され、助かったことがありました。さそい風はおれたちの味方だと思うのですが、どうも守川さんは嫌っているようで叱られてばかりです。すみません、愚痴るのは男らしくないですね。そのさそい風ですが、いつか必ず切ってみせます。おれは風切りびとですから」

 熱いお茶を飲んでいる本田は、語りも熱かった。

「それって強がりみたいだな。風のことは難しすぎて分からないが、本田、叱られるうちが華だぞ」

 杉田は、本田の顔を見ながらアクセルを踏み込んだ。

 810のハンドルを握る杉田は、二八一キロポストにある強烈な段差を無難にやり過ごし、事故多発地点とされる神坂パーキングの坂道を軽快に駆け上がった。

 恵那山と網掛の両トンネルを二〇〇超の速度で走り抜け、急勾配のスロープを一気に駆け下りて行った。

 それから間もなく、二六〇キロポストの表示板を何事もなく全開で通過した。

「杉田さん、この付近でミッションが抜けるようなことはありませんか? 七速からニュートラルに」

 本田の視線は、シフトレバーに釘付けだった。

「なに、ギア抜けだと? 久しぶりに聞いたよ。たまにはオイル交換した方がいいぞ。そう言えば恵那山だったか網掛だったか、どっちのトンネルかはっきりしないが、女の霊が出ると聞いたことがあるけど、その霊に見初められたのかも知れないな。本田、どうするよ」

「ふっ、幽霊ですか。でもオイル交換は完璧です。ギア抜けの話だけど、さっきの二六〇キロポストで毎回ですよ。幽霊とかではなく、特別な何かがあると思いませんか」

 鼻先で笑ったあと、本田は真剣な表情になった。

「最近、飛ばし過ぎて車体がねじれてしまったとか、プロペラシャフトの軸受けがグリス切れだとか、どうせそれくらいのことだろう。そのうち直るから、いちいち気にするな。お前らしくないぞ」

 杉田は、豪快に笑い飛ばした。

 本田が抱えていた疑問は、杉田の笑顔で一時的に吹き飛んだ。

 安定した走りを続ける杉田は、二〇〇超で飯田インターに差し掛かった。

 そこへ、加速車線からミサワカーゴが合流してきた。

 杉田は軽めのフットブレーキを踏んで車線を変えた。

 春日部に拠点を置くミサワカーゴは、路線大手の全日本流通で協力会社に所属している。

 保有車両が四〇台そこそこの小規模な運送会社だ。

 本線に合流してきたミサワカーゴを素早く追い抜いた杉田は、いまだに忘れられないという思い出話を始めた――。


「この流れだと今日の主役は、本田ではなく杉田ですね」

 小室は、それだけ言って盛田に視線を向けた。

 浅井、長尾、太田の三人は、目を閉じて黙っていた。

「その通り。これからしばらく杉田の熱い語りが続くよ。あいつ、結構いい線行っているから期待していてくれ」

 盛田は、四人の顔を順番に見渡した後、続きを語りはじめた――。


「ミサワカーゴか……。今ではあそこのドライバーも大人しくなったが、五年くらい前までは、乱暴な運転ばかりして嫌われ者だったことを知っていたか? あいつら、あの事件を起こすまで本当に迷惑な連中だったよ」

 杉田は吐き捨てるように言った。

「車両はUDが多いと思っていたくらいで、そんなに詳しい内容は知りません。そのころと言えば横浜定期を走っていたし、中央道を走ることはめったにありませんでしたから、聞いたとしてもまったく覚えていません。ぜひその事件を聞かせてください」

 本田は、助手席から手を合わせた。

「そうか、分かった。CLや協力会社にも関係することだから、おれが知っている限りを話すよ。あれはちょうど五年前の今ごろで、ラジオからクリスマスの曲ばかり流れていた……」


 ここから、杉田の語りが本格的に始まった。

「その日はバブルが弾けたとはいえ、年末恒例、繁忙期のまっただ中だった。物量が多く、明石を出発するのが二三時を過ぎてしまうという日々は何とも辛いものがあったよ。荷物が増えると言うことは高速を走る車両も多くなるし、事故渋滞や自然渋滞も頻発するようになる。だから埼玉支店に到着するのが、朝七時を回ることもざらだった。

 事件当日、いつものように小牧から中央道に逸れたのは二時ちょうど。そのまま何もなければ六時前には埼玉に着くだろうと思いつつ、笹子トンネルまで走ってきたとき突然のハザードで本線停止をしてしまった。一瞬にして目が覚めたよ!」

「いきなりのハザードですか。事故とか工事とかそれとも雪とか?」

 本田は、語気を強めた。

「いやーそれがちょっと変わっていたんだ。何が起こったのかと言うと……」

 須玉の最終コーナーに差し掛かった杉田は一七〇に減速し、一呼吸置いてからゆっくりと再加速を始めた。

 冬色の葡萄畑が広がる甲府の街に、さわやかな風を巻き上げた。

「なあ鈴木、今夜も風切りびとのお出ましだ」

 佐藤は、双眼鏡を鈴木に渡した。

「珍しく単独だな。白い光はお休みか」

 鈴木は、双眼鏡を覗いた。

 山梨県警高速隊の佐藤と鈴木は、今夜も双葉サービスエリアの高台から本線を静観していた。

 境川パーキングを過ぎてフルスロットルに戻した杉田は、思い出話の続きを始めた。

「原因はミサワカーゴだった。トンネルの中でミサワカーゴの五台が、ベンツを停車させ、取り囲みながら爆竹を鳴らしていた。後で聞いた話だが、さっき通り過ぎた境川パーキング付近を猛スピードで走って来たベンツが、五台で走るミサワカーゴに激しいパッシングを浴びせた。それに腹を立てたミサワカーゴが追跡を始めた。

 最初は勢いの良かったベンツのドライバーも、執拗に追いかけてくる乱暴な五台の迫力に圧倒され、トンネルの中で止められ、爆竹攻撃を受けていた。

 まさかトラックが、二〇〇以上で走るとは思っていなかったのだろう。直接の暴力行為は無かったようだが、ベンツのドライバーは放心状態で、トンネルのど真ん中に停止したまま固まっていたよ。そして、ミサワカーゴの五台が走り去った笹子トンネル内には、ベンツと渋滞だけが残ったという訳だ。本当に迷惑な渋滞だったなー」

「どっちもどっちですね。もう少しフェアに走ればいいのに。杉田さん、その爆竹事件、なかなか面白かったですよ」

 本田は、助手席で背筋を伸ばした。

「あぁ、その通り。でもこの話には続きがあるんだ。そのあとが凄い展開だったよ」

 笹子トンネルの中で一段と滑らかに喋る杉田は、少しだけアクセルを緩めた。

 本田は、もう一度聞く体制に入った。

「ちょうどこの辺りだったかな。そうそう、あの消火栓だ。表示板が見えているだろ」

 一六〇に落とした杉田は、ベンツが止められていた場所を指差してくれた。

 助手席から身を乗り出した本田も視線を向けた。

「置き去りにされたベンツが邪魔になって、おれたちはすり抜けるのに手間取った。それで渋滞していたという訳だ。その渋滞の中に、CL茨城支店で協力会社に所属する水戸陸運がいたんだ。水戸陸運と言えば保有台数五〇台ほどで、関西の東寺運輸や摩耶急送と同規模だ。それに社風も似たところがあって……。そう、良く言えば社長が親分肌だよな。

 ドライバーのほとんどが元構成員だけど、強面揃いの割には走りのマナーが抜群にいいプロ集団だった。だから他人に迷惑をかけて自分だけ先に走り去ったミサワカーゴに対し、それなりの償いをさせようとした水戸陸運のドライバーが八王子ゲートを目指し、フルスロットルで加速して行った。その人、最初は穏やかそうな顔だったけど、突然本業の真顔になっていた。もちろんおれもすぐに追いかけたよ。

 そんなことが起こっているとは思ってもいなかったミサワカーゴの五台は、蛇行運転を繰り返し、目の前にいる乗用車を手当たり次第にからかいながら八王子ゲートをくぐり、その先の広くなっている路肩に集まっていた。そこへ猛スピードで追いかけてきた水戸陸運のドライバーが、トラックから降りて静かに駆け寄った。

 そのドライバーは、五人が話し込んでいるど真ん中に分け入ると、持っていた日本刀を振り抜き、『お前ら全員叩き切ってやる』と、いきなり切り付けた。一人は正面から切られ、もう一人は腕を落した。残りの三人はトラックを置いたまま、本線から一般道に走って逃げ、たまたま通りかかった警邏中のパトカーに助けを求めた。まだ若い顔ぶれだった」

 二〇〇超で走る杉田は、いつの間にか相模湖を過ぎていた。

「気持ちは分からなくもないけど、少々やり過ぎでは……。その水戸陸運のドライバーはどうなったのですか?」

 本田は、ドライバーのことが気になり始めた。

 杉田の思い出話も大詰めに入った。

「それだよ。真剣で切られ、恐ろしさと痛みで泣きわめいているミサワカーゴのドライバーに、『男らしくしやがれ』って一言説教したんだ。それから持っていた刀を鞘に納め、遠巻きに居並ぶ警察に手渡した。そのときの立ち振る舞いが最高に渋かったな。まるでスクリーンから出てきた任侠役者そのものだった。

 朝刊の一面を飾ったのは、政界スキャンダルで一躍有名になった国会議員ではなく、水戸陸運のドライバーだったのを今でも思い出すよ。堂々としている姿が印象的だった。

 確か名前は石井とか言っていたと思うのだが、五〇歳前後だったかな。あの人、いまごろどうしているのだろう? もう出て来たかも知れないぞ。案外その辺にいたりして」

 八王子ゲート二キロバックを通過した杉田は、一五〇に減速してから話を続けた。

「それからが水戸陸運にとって悲劇の始まりだった。ミサワカーゴのドライバーに対しての賠償は、社長の貫録で早いうちに示談が成立したからそこまでは良かった。でも、陸運局がなかなか許そうとはしなかった。一時は会社の解体話が持ち上がるほど過熱したが、陸運局も人の子、後々の報復を恐れたって訳だ。結局担当者が迷った末に導き出した答えは、五年間の中央道通行禁止と言うへんてこりんな命令だった。これが、ミサワカーゴと水戸陸運が巻き起こした笹子トンネル爆竹事件の一部始終だ。水戸陸運はそれからというもの、大人しく東名を走っているよ」

 トーンを下げた杉田は、軽い溜息をついた。

 一二月一〇日の午前〇時過ぎ、杉田の運転する810が八王子ゲートをくぐった。

 そのとき杉田の思い出話も終わっていた。

 国立府中インターを素通りした810は、高井戸を過ぎて首都高速四号線に入った。

「五年といえばもうすぐですが、中央道に帰ってきますかね。白一文字?」

 水戸陸運が起こした事件の詳細まで知らなかった本田も、白一文字のことは知っていた。

 この業界で、観音ドア右上に掲げられた白い一の文字を知らない者はもぐりと言われるほど、水戸陸運のうしろ姿は有名だった。

「確かにあの白一文字は素晴らしいセンスだよな。帰って来るというより近々神戸の西区に活動拠点を置いて、兵庫県内のCL各支店で事業展開するみたいだぞ」

 杉田は、情報通だった。

「そうですか。まったく知りませんでした。さすが杉田さん、何でもお見通しですね」

 本田は、杉田の顔を覗き込んだ。

 照れ気味の杉田は、首都高速六号線から中央環状に逸れ、千住新橋で一般道に下りた。

「この先を右に曲がったら到着するけど、埼玉支店には来たことがあるのか?」

「はい。名代さんと一度だけ。工業団地の中にあることだけは覚えていました」

 CL埼玉支店のプラットホームに杉田運転の810が入ってきたのは、午前一時になる前だった――。


「これからほんの少し浅井が出てくるけど、どうだ、自分で喋ってみるか? 埼玉支店の到着主任さん」

 盛田は、一呼吸置いてから浅井を見つめた。

「せっかくですが、やめておきます。語りは苦手なもので……。それに外野が黙っていないでしょうから。盛田さん、引き続きお願いしますよ」

 浅井は、長尾の顔をちらりと見てすぐに目を閉じた。

 長尾は何か言いたげだったが、太田と小室はその様子をにやけ顔で見ていた。

「そうか、分かったよ。それにしてもこの料金所で、それもすぐ目の前で人が斬られたなんて……。そのとき居合わせた収受員も、いろいろと大変だっただろうな」

 盛田は、しみじみとした表情で伝説の続きを語り始めた――。


 運行伝票を手にした二人がプラットホームに上がると、到着主任の浅井が声を掛けてきた。

「おはよう。今日は珍しく満載のようだが……。あっ、本田じゃないか。久しぶりだな」

 本田に気付いた浅井は、笑顔で出迎えた。

「お久しぶりです。浅井さんと盛田さんは名コンビらしいですね」

 本田は、運行伝票を浅井に渡した。

「ゴルフが終わった後の居酒屋で名コンビだよ」と、浅井は笑顔で返した。さらに、「杉田、これからどうする?」と、なぜか駐車場に視線を向けた。

「おはようございます。今日の帰りは所沢入りになりました。その所沢の荷物も積んでいるからすぐに出発します」

 つられた杉田と本田も、駐車場を眺めた。

「なるほど。それでか……。あそこに駐車している車番、一一‐一一の足立物流が見えるだろ。明石便の到着を待っていたんだ。聞きたいことがあるらしいからちょっと声を掛けてくるよ」

 浅井の呼びかけに集まった仕分人たちの手により、伝票重量七トンの埼玉支店分はすぐに片付いた。

「おーい、明石のドライバーが来たけど、どうするつもりだ。ちょっと降りてくれないか!」

 浅井は足立物流の運転席をノックしながら、大声で話し掛けている。

「もしかして仮眠中では? なんだか可哀そうだな。同情するよ」

 その様子を見ていた杉田が、ポロリとつぶやいた。

「まぁ、そうですけど。明石便が来たら声を掛けることになっていたのでしょう。仕方ありませんよ」

 本田は、何気なく言った。

「それにしても、もう少し気遣いをしたほうがいいと思うのだが。そう思わないか?」

 杉田は、何かを気にしている様子だった。

「杉田さん、何かありました? 今日はやけに優しいですね。でもねぇ、今後の展開を予想してみてください。どっちみち冬眠中の熊みたいな無愛想な顔が出てきますよ。それを思うと、所沢での朝食がまずくなりそうだ」

 本田は、渋い顔で観音ドアを閉めた。

 足立物流のドライバーを待つ間、杉田は810を洗車場まで移動した。

 運転席周りの拭き掃除をするためだった。

 フロントガラスとサイドミラーの水洗いが本田、運転席内部を杉田が受け持った。

 そこへ二人の女性が現れた。

「おはようございます。明石支店の杉田さんですか? 足立物流の上田と村井です」

 杉田に声を掛けてきたのは、冬眠中の熊ではなかった。

「は、はい。おはようございます。何でしょうか?」

 杉田の声は、極端に裏返っていた。

「初めて明石に行くのですけど、分からないことばかりなので教えてもらえませんか?」

 女性ドライバー二人は、みごとに声を揃えた。

「大丈夫です。明石は田舎ですから迷うほどのことはありません。ちなみに兵庫の地理はどれくらい分かりますか?」

 何故か杉田は、須磨海岸を含んだ地図を書いて渡した。

 上機嫌の杉田は早々と掃除を終え、サイドミラーを拭いている本田を急かした。

「上田さんと村井さんだったな。明日の朝、明石に帰ってからだけど朝食に行く約束をしてきた! よかったらおまえも来るか」

 杉田の目は輝き、疲れなど吹き飛んでいるようだった。

「遠慮します。おれは朝からディーラー通いですから、そんな時間はありません」

 本田は、そっけなく言った。

 午前二時過ぎたころ、杉田運転の810が足立物流の二人に見送られ、CL埼玉支店から所沢支店に向けて出発して行った。

 女性ドライバーとの朝食が決まり満面の笑みを浮かべている杉田は、小気味よい運転を続け、早くも環七通りから国道二五四号線に入った。

 助手席の本田は、冷めた顔つきで街の明かりを追いかけていた。

 練馬の自衛隊を横目に、本田が口をひらいた。

「足立物流のドライバー、上田さんと村井さんでしたっけ? 歳は杉田さんと同じくらいに見えましたけど、なかなか手強そうな雰囲気がありましたね。おれの勘に狂いがなければ、たぶん二人とも走り屋ですよ。それも先頭で風を切るくらいの」

 本田は、運転中の杉田を横目で見た。

「さあね、お前の勘もよく狂うだろ。あの二人はドライバーの鏡だよ。走り屋なんかじゃないさ」

 自信に満ちた杉田に対し、一瞬にして固まる本田だった。

 CL所沢支店のプラットホームに、埼玉帰りの810が入って来たのは、午前三時を回ってからだった。

 夜勤者たちの視線は、810から降りてきた本田と杉田に集中した。

 そしておれは、二人に声を掛けた――。


「盛田さん、少し休憩しませんか? 飲み物持ってきます」

 太田は、席を立った。

 盛田も立ち上がったが、すぐに戻ってきた。

「水戸陸運といえば白一文字ですか? 恥ずかしながら全然知りませんでした。トラックの観音ドアなんて真剣に見たことないから、どうにも想像がつかなくて。どちらか言えばナンバープレートにはすぐに目が行くのですが、これからは注意して見るようにします」

 首を傾げた小室は、モニター画面に目を向けた。

「普通はそうだよな。一般人は観音ドアまで見ないだろう。物流業界にいる奴だって、案外その口かも知れないよ。ナンバープレートなんかに目が行くのは警察と収受員くらいだ」

 いつになくしんみりと語った浅井もモニターを眺めた。

「今度水戸陸運が通りかかったら教えてやるよ。一二レーンあたりを通過してくれれば、うしろ姿が映るのだが……。このカメラだ」

 長尾は作レバーを触り、一二レーンを映すモニターを動かした。

 管理事務所に太田が帰ってきた。

 一〇本ほど持っているペットボトルのお茶は、盛田のおごりらしい。ペットボトルを渡された四人は、盛田に頭を下げた。

 お茶をひと口含んだ盛田は、中央道伝説に話を戻した――。


「おはよう。おっ、杉田君がいると言うことは予定変更だな」

 おれが杉田を見たとき、やつの瞳は輝いていた――。

「盛田さん、おはようございます。本田と一緒に来ました。お久しぶりです」

 杉田は、運行伝票を手渡した。

「連休だったのに、杉田さんに邪魔されました。おはようございます」

 本田は、早々と荷下ろしを始めた。

 仕分け人たちが集まり、伝票重量七トンの残荷はあっという間に片付いた。

「守川さんと伊藤さんなら、たぶん食堂にいるはずだ。明石の二人を見たら驚くだろうな」

 今日のおれは、一緒に休憩する時間がなかった――。

 明石便の運行は、これで前半のすべてが終わった。

 810を駐車場に移動した二人は、すぐさま食堂に向った。

 奥のテーブルに座っている守川と伊藤は、自販機の前で雑談していた。

「あれっ、どうした。休みだと聞いていたが? 杉田も一緒ということは、ツーマンだな。ブラックがお勧めだ」

 二人の姿を見かけた伊藤は、自販機にコインを入れた。

「ありがとうございます。本田がどうしてもと言うもので」

 テンションの高い杉田は、にやけながら調子よく返事をした。

「杉田、いいことでもあったみたいだな。おまえは単純だからすぐに分かる。正直にいってみろ」

 普段とちがう杉田の仕草を、勘の鋭い伊藤はすぐに見抜いた。

「今夜、埼玉発送の明石向けを足立物流が走るみたいです。杉田さんの代打で」

 本田は、女性ドライバーのことを言いかけて止めた。

「その足立物流だが、来月から杉田の裏を走るそうだな? おまえは当事者だからすでに聞いているだろう」

 足立物流のことを耳にした守川が、会話に入ってきた。

「いいえ、初耳です。最近その手の情報は全く入って来ませんでした。なるほど、そうでしたか……」

 顔を赤らめている杉田をよそに、協力会社の事情に詳しい守川が続けた。

「もともと足立物流は全日本流通の協力会に所属していたけど、下請けにとって運行条件が厳しい全日本流通から締め出されたようだ。足立物流は女性ドライバーがほとんどだから、全日本ではきついだろうな。それでも彼女等は、男以上に頑張っているそうだ」

 守川は、杉田の顔をちらりと見た。

「そうでしたか。足立物流のドライバーが女性ばかりだったとは、これっぽっちも知りませんでした。大変だろうな。埼玉から明石は女性にとって苛酷なコースになると思いますよ」

 杉田の照れくさそうな反応は、その場の雰囲気を和ませた。

 埼玉支店で無理やり起こされている足立物流を、杉田が気遣っていたのは、初めからその内情に精通していたからだ。

 そのことを理解した本田は、すぐさま行動に移した。

「明日の朝、足立物流の女性ドライバー二人を連れて、海の見える須磨のレストランで朝食タイムだそうです。それも杉田さんだけ」

 本田は、埼玉支店での出来事を喋った。

「本田君、どうしましたか。困りますね。急に何をいいだすのやら。ごほっ!」

 動揺した杉田は、飲みかけのコーヒーを喉に詰まらせた。

「杉田、女性ドライバーを甘く見ていたら怪我するぞ。せいぜい気合を入れて走るんだな」

 守川は、浮かれている杉田の肩を叩いた。

「帰りは本田ですから、間違いないでしょう。助手席からこいつに気合を入れますよ」

 杉田は、にやけ顔のままだった。

「どうですかねー。杉田さんの810で大丈夫かな。東名に回りましょうか?」

 本田は、薄笑いを浮かべた。

 二杯目のコーヒーを飲み終えたころ、堂々巡りの話も終わった。

 食事を済ませた四人は、シャワーを浴びて仮眠室に引き揚げた。

 同じ仮眠室に入った本田と杉田は、しばらく雑談を続けていた。

「来年の春、高崎の桜吹雪を見に行きませんか? 盛田さんにも声を掛けました」

 眠りかけていた杉田に、本田がつぶやいた。

「高崎の桜吹雪か。そんなに有名なのか? いいよ。必ず行こう。桜のトンネルでもくぐれたら最高だろうな」

 所沢支店の事務所に桜の風景写真が掛けてある。それに魅せられた本田の思い付きだった。

 このあと眠りについた二人は、一七時にセットした携帯のアラーム音で目覚めた。

 一七時一〇分、CL所沢支店のプラットホームに運行車両が並び始めた。

 後発担当の本田が運転する810も、明石の番線に入ってきた。

 プラットホームの上では、守川と伊藤が荷物の隙間に入って体を丸めている。

 ホームの中央で震えながら立ち尽くしていた加藤が、堪えきれない様子でマイクを持った。

「このところ、トラックドライバーによるスピード超過が目に余るという指摘増加を受け、路線連盟が抜き打ちパトロールを始めるそうです。そのことを十分意識して、安全運行に努めてください。今日の出発予定時刻は、二一時三〇分です。以上!」

 加藤は、あやふやな言い回しでミーティングを終わらせた。

 輸送時間の短縮を追求しているこの業界では、安全運行を第一に掲げる反面、以前からドライバーの速度超過を黙認する習慣があった。路線連盟のパトロールが見せかけに過ぎないことは、加藤も運行者たちも分かり切ったことだった。

「昨日の出発が二一時三〇分だったから、今日もそれくらいだな。食堂にでも行くか」

 おれは、守川、伊藤、杉田、本田を誘って食堂に向かった――。

 同じテーブルに座った五人で、にぎやかな夕食が始まった。

 どういう訳か、話題は足立物流絡みになってしまった。

「最近、頻繁に足立物流という運送会社が立ち寄りで出入りしているけど、そこのドライバーはみんな女性だよ。綺麗だし、礼儀正しいし、よく働くし、申し分なしだ。ああいう人を嫁さんにもらうといいと思うがね。どうだろう、明石のお二人さん」

 意図していた訳ではなく、おれはたまたま聞いてみた――。

「そう言えば明日の朝、足立物流の二人とモーニングを予定しているのだろ? 海の見えるレストランで……。杉田君、君もやるねー」

 伊藤に不意を突かれ慌てた杉田は、「主役はこの人ですから」と、本田に振った。

「杉田さんも準備が良いですよね。二人へのプレゼントを用意しているなんて」

 本田は、でまかせを言った。

「おい、本田。いい加減にしろよ。伊藤さん、いま本田が言ったことは嘘ですから」

 杉田は、必死に訴えた。


 盛り上がっている五人の会話を終わらせるように、加藤が一人の女性を連れて近付いてきた。

 その女性はショートヘアで、二〇代後半くらいの様相をしている。

 きびきびした歩き方と服装からして、ドライバーのようであった。

「来年四月から、本田君の裏番で明石便を走ってもらうことになった水戸陸運の黒木さんです。しばらくの間、CLの各店所で研修をしてもらいます。黒木さん、一言どうぞ」

 加藤は、いきなり女性の紹介を始めた。

「水戸陸運の黒木です。今年二七になりました。今まで北関東から東北にかけてと、中部方面への路線運行を経験してきましたが、まだ関西には行ったことがありません。早く覚えたいと思っていますので、よろしくお願いします」

 クールさと鋭さを併せ持つ黒木は、本田と視線を合わせた。

 加藤は、本田の肩を叩き挨拶を勧めた。

「明石から所沢を走っている本田です。四月からお願いします」

 戸惑った様子の本田は、口数が少なかった。

 他の者もこの挨拶を真似ることになる。

「明石から埼玉を走っている杉田です。今日は、本田君の応援で来ました」

 にやけ顔の杉田は、適当に言った。周囲の視線が集中した。

「京都から所沢定期を組んでいる東寺運輸の伊藤です。よろしく」

 伊藤は、意識し過ぎているようだった。

「摩耶急送の守川です。神戸と所沢を走っています。頑張って!」

 守川は、いつもより低い声になっていた。

「到着係の盛田です。分からないことは何でも聞いてください」

 おれは、笑顔だったと思う――。

 挨拶を済ませた四人は、それぞれの番線に戻って積込みを始めた。

「水戸陸運と言えば、黒木さんもその筋の人ですかね。目元から鋭い光線が飛びまくっていましたが」

 積込みの最中、本田は杉田に尋ねた。

「おまえに気があるのかも知れないぞ。まさか組長の娘だったりして。どっちにしても、反対番だから顔を合わすことはないな」

 笑っている杉田のテンションは、まだ下がりそうになかった。

『今流れているケース物が最後の荷物です』構内放送が流れた。

 普段通りの荷物が出揃った。

 本田と杉田は積み込みを手際よく済ませ、守川と伊藤の積込みにも駆け付けた。

 京都、神戸、明石の番線にあった荷物はすべて残らず片付いた。

 二一時三〇分、CL所沢支店のプラットホームから次々に運行車両が離れていく。

 杉田を助手席に乗せた本田運転の810が、〝パン〟というクラクションとともにプラットホームから離れて行った。

 守川と伊藤の810二台も軽いクラクションを響かせ、本田の後を追って出発して行った。

 おれがホームの上から手を振ると、杉田は満面の笑みを返してくれた――。

 三台の810は混雑している府中街道を連なって走り、国立府中インターから中央道下り線に合流した。

 反対車線の上り線では、首都高速の事故が影響しているようで、八王子料金所まで続く大渋滞になっていた。その様子を目の当たりにした四人は、西に向かって走り始めたトラックの運転席で一様に胸を撫で下ろしていた。

 二二時二〇分、所沢出発の三台が八王子ゲートを縦並びでくぐった。

 縦列になった三台の810は、力強い加速で立ち上がってきた。

 先頭を走り始めた本田に、守川と伊藤がぴたりと張り付いた。三つの光が連なって、風切りびとたちのレースが始まった。

 相模湖インターから連続する小刻みなカーブも、大月ジャンクションを過ぎて続く坂道も、気合の入った三台は軽快なフットワークで駆け抜けた。

 後ろにつきまとっていた二流の走り屋たちは、いつの間にかサイドミラーの中から消え去り、絵に描いたような三日月がくっきりと映り込んでいた。

 奇麗な隊列を組み上げた三台の810は、笹子トンネルをフルスロットルで抜け出し、勝沼インターの緩やかな勾配を二〇〇オーバーの速度で下りてきた。

 冬色の葡萄畑が広がる甲府の街に、爽やかな風が吹き抜けた。

「なあ鈴木、葡萄色の街がにぎやかになってきたようだ」

 佐藤は、双眼鏡を鈴木の前に置いた。

「ああ、定刻通り今夜も風切りびとのお出ましだ」

 鈴木は、双眼鏡越しにつぶやいた。

 山梨県警高速隊の佐藤と鈴木は、双葉サービスエリアの高台から本線を見下ろすだけだった。

 二〇〇を超えた速度で走る本田に、守川と伊藤がぴたりと張付いている。

 韮崎インターを通過していく三台の後から、高回転モーターのような過給機音が鋭い響きで追いかけてきた。

「810の運転は初めてですが、イスズのエンジンもなかなか粘り強いですね。四七〇馬力じゃなくてもっと上までチューニングを加えたでしょう? プロフィアよりも力強さを感じますよ。それにミッションの繋がりもいいし、本当にバランス良くまとまった車です。これで足回りがしっかりすれば、二五〇以上は確実ですね」

 本田は、想像以上の手応えを感じた。

 杉田は、助手席で頷いていた。

「さすがだな。この810に積んであるイスズのエンジンはトルクも太いし、相当優れものだぞ。でも、新幹線に追いつく勢いのおまえとは違うからこれで十分だけどな」

 風を切って走っているとは思えないほど本田の運転は滑らかで、独走するときの激しさはまったくなかった。

 助手席の杉田は心地良いのか、静かになってきた。

 長坂インター付近の坂道を軽快なフットワークで上った三台の810は、諏訪湖までの緩いスロープも滑るように駆け下りた。

 先頭の本田に守川と伊藤がぴたりと張付いている。

 三台は、綺麗な隊列を崩すことなく、風を切って走り続けた。

 そのころ恵那山トンネルの西側では、魔風とさそい風が入り乱れて吹き荒れていた。

 阿智パーキングの先にある右カーブを通過する際、本田はフルスロットルで走ってみた。

 いつものように左手をシフトレバーに添えていたが、心配していた七速からのギア抜けは起こらず、プロフィアだけが何らかの不具合を抱えているのだと確信した。

 隊列を組んだまま網掛トンネルに向かう上り坂で、さらりとした風が先頭の810を撫で下ろすように絡みついた。

 同時に二条倉庫の白い光が、反対車線を猛スピードで駆け下りてきた。

 すれ違いざま、本田の携帯が川野からの着信を知らせた。

「お疲れさま。神坂パーキング付近で同業車が車線を塞いでいます。気を付けて!」

 川野は早口で喋った。

「ありがとう。上り線は異常なしです……」

 本田がそこまで返したとき、網掛トンネルにもぐり込んだ。

「誰かと話でもしていたのか。すまん、ずっと眠っていたようだ」

 杉田は、トンネルの中で目を覚ました。

「所沢の庸車とすれ違いました。恵那山トンネルの向こうで事故が発生しているそうです」

 寝起きの杉田に対し説明する手間が面倒だった本田は、本当のことが言えなかった。

 二条倉庫にまつわる話は持ち越しとなった。

 先頭を走る本田は、恵那山トンネルの途中から徐々にアクセルを緩めた。

 出口を過ぎるころには一〇〇以下の速度で走り始めた本田に、後ろの守川と伊藤が行儀よく張り付いた。

 神坂パーキング一キロバックで点きはじめたハザードランプが、810三台の動きを更に弱めた。

 歩く程のスピードで流される先頭の本田に、守川と伊藤の二台が続いた。

 川野から聞いた通り、前輪二軸のトラックが痛々しい姿で追い越し車線に止まっている。

 風防を被っているはずのキャビンは何処かへ飛ばされ、車体フレームには歪んでしまったアルミバンがかろうじて残り、その観音ドアに標されたミサワカーゴの社名が、悲しみと苦しみを無言で訴えていた。

 セカンドギアに入れたままゆっくりと流れ、しばらく進んでまた止まった。

 真四角だったはずのキャビンがちぎれ、少し離れた所に丸みを帯びて転がっている。ヒビが入ったフロントガラスは内側から赤く染まり、見るからに絶望的な光景を路肩の水銀灯が遠慮がちに照らしていた。

「事故というのは、いつ見ても悲惨だな……」

 助手席の杉田が、弱々しくため息をついた。

 黒く光るアスファルトの上には、どこかで見たような落下物が散乱している。

 強制的に馬篭バス停へと誘導される車列の中を、三台の810がゆっくりと流れていく。

 バス停出口の加速車線から本線に戻りかけたときだった。

 前輪の二軸が、強固なはずの車体フレームから外れ、斜めを向いて停まっているもう一台のアルミバントラックが目に入った。

 目を凝らせば、一一‐一一のナンバープレートだった。

 変り果てた姿の足立物流が、そこに止まっていた。

 少し先には、一面に散らばる埼玉支店発送の荷物にまじり、二人の女性らしき体が人形の様に折れ曲がっている。

 本田と杉田は、瞬時に昨日の二人だと分かった。

「杉田さん、あれは……」

 本田は、すぐに声を掛けた。

 しかし、助手席からは何の返事もなかった。

 渋滞の車列に流され、現場から離れていく810三台の後方では、危険で魅力的な風にまじって、さらりとした風も吹き抜けていた。


 一二月一一日、午前六時一〇分。

 暗闇に包まれたCL明石支店の事務所に、水曜帰りの運行者が集められた。

 肩を落として佇む杉田と、運行伝票の整理が済んだ本田の姿もあった。

 早くから呼び出されていた田辺が、中央道で起きた事故の状況を大まかに説明してくれた。

「昨夜中央道下り線の岐阜県内で、路線トラック二台が絡む死亡事故が発生しました。そのうちの一台が、CL埼玉支店から明石支店向けにテスト運行中だった足立物流でした。乗っていたドライバーはすぐに病院へ運ばれましたが、二人とも意識不明の重体だそうです。高速隊からの初期報告では、無理な追い越しとスピードの出し過ぎが原因ではないかとのことです。今後しばらくの間、全社的にタコグラフの提出を求められる可能性があります。路線連盟に対し充分な説明が出来るよう、各自安全運転に心掛けてください」

 直接事故現場を見てきた本田は、ドライバー稼業の儚さを改めて思い知った。

「杉田さん、お疲れさまです。お先に……」

 本田は、それとなく言った。

 杉田は椅子に座ったまま、身動き一つしなかった。

 本田は軽く左手を上げ、事務所のドアを静かに閉めた――。


「浅井、足立物流のことならお前が一番詳しいだろう。永年埼玉支店にいたのだから。その女性ドライバーのことを話してくれよ」

 長尾は、浅井の顔を覗き込んだ。

「美人だったぞ。とりあえず二人とも死ななくてよかったけど、知っていることは全部盛田さんに伝えたし、これ以上なにも残ってないよ。ふっ、残念だったな」

 鼻で笑った浅井は、長尾の肩をポンと叩いた。

「なんだ、もう空っぽなのか? もう少し詰まっていると思っていたのに、それだけとはな」

 長尾は、小声で笑った。

 浅井が反論しかけたとき、小室が割り込んできた。

「杉田も気の毒ですね。ショックが相当ひどかったのでは? ところで盛田さん、魔風にまじってさそい風まで吹き荒れたのはなぜでしょうか?」

 小室は、首を傾げた。

「一般的には魔風が悪でさそい風が善だと言われているが、危険で魅力的な風も、さらりとした風も、中央道の風に変わりはない。守川さんに言わせれば紙一重だそうだ。だから油断すれば切り損なっておしまいさ。ただそれだけのことだよ」

 盛田は、小室にお茶を勧めた。

「ありがとうございます。盛田さん、ミサワカーゴと足立物流は、この二つの風のどちらかに呑まれたということですよね?」

 お茶を飲んだ小室は、また首を傾げた。

 他の者は黙って聞いている。

「小室は鋭いな。どちらなのか定かではないが、風を切りそこなった者の末路は、結局こうなるということだ。風切りびとは常に死と隣り合わせの因果な商売、だから愚か者だよ」

 盛田は、傾いたままの小室の頭に軽く手を差し伸べた――。


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