車イスの少女 01
涼しさの中にどこか昼の暑さが残っている夏の夜中、明かりのない暗闇で女は焦っていた。
「どうして私を殺そうとするの?私は好きで人を殺してない、ルールのときだけ殺さないといけないときしか殺してないのに!」
地面に座り込んだ女は興奮した勢いで右手に紅く染まったナイフを持ちゆっくりと自分に近づいてくる男に問う。足の腱を切られ逃げようにも足を引きずってでしか逃げることのできない彼女には男を説得するしか他にはなかった。
だがその言葉を聞いた男に動きに変わりはない、ナイフの先を彼女に向け無言で彼女に歩み寄る。
男はちらりとこの光景を静かに見守っている別の女を見る、返り血を顔面に浴びている彼女の顔はこの暗闇の中ではよく見えないがこちらの動きに注意しているのはなんとなくであるが分かった。
男は視線を目の前の女に戻す、ほんの一瞬目を離しただけでいたのに彼女との距離はいつの間にか1mもなく少し遅かったら彼女を蹴り飛ばしているところだった。
男を目の前にして女は何も言えない、男が何か言えばそれに対し言うことができたかもしれない、だが男の無言は彼女の口を抑圧していた。
男は膝を曲げ彼女と同じ目線になるまでその身体を下げる。
「――嘘つきの言葉なんて信じられない」
待ち望んだ男の言葉に女がそれに返事をすることはなかった。彼女が聞いたときには女の意識はなかったから、彼女の心臓に目掛けたナイフが既に彼女の命を奪っていたのだから。
◇
目が覚めたとき窓の外は既に夕日が周りを紅く染め上げていた、俺はベッドの上に寝かせていた身体を起こしゆっくりと腕を上げ寝ていたことにより固くなった身体をほぐす。
時計を確認してみれば時刻は午後5時を過ぎていた。
ほぐし終えた俺はベッドから立ち上がり必要最低限のものしか置かれていない部屋を見渡す。
大学に通うため強制的に下宿することになったため借りているこのマンションの一室、そこに住んでいた。そして2週間前からこの部屋にもう1人住んでいる人間が、正確には居候している人間がいる。だがこの部屋にその人間はいなかった。
俺が寝ている間にいつの間にか出かけてしまったようだ。
「ただいま、策也起きてる?」
寝る前は鍵を掛けておいたはずのドアが音をあげながら開く。音につられて開いたドアを見るとそこには右手にペットボトルを持った女が暑そうにこちらを見ていた。
その格好では暑くなるだろう、暑そうにしている彼女を見ながら俺は彼女の服装を見てそう思っていても口に出すのをやめておく。黒色は光を吸収して熱を持ちやすい、中学校の授業で聞いた記憶があるこのことが確かなら長髪の黒と黒のワンピースはまさに最悪なのではないのだろうか。
「――起きてるよ、ファル」
その黒髪と顔立ちから女はどこから見ても日本人、あるいは日本人ではなかったとしても中国韓国アジア系には間違いない。流暢に日本語を話しているから日本人だろう。本人が自分のことを話してくれればいいのだが彼女は自分自身について何も語らない。
彼女が教えてくれたのは偽名であろうファルという名と自分が家出で行き先がないということだけ。本来なら家出女を部屋に泊めている、偽名しか教えない家出女に何の疑問も持たずに2週間を過ごしている、これら間違いなく問題視しなければいけないこと。
だけど問題視してはいけない。それは俺の生死と存在のかかった重要事項なのだから。
◇
起きていると言っても明らかに今起きましたと彼、天霧策也の頭の寝癖がアピールしている。
いつもなら外にブラブラ散歩しに行くのは彼の方だから昼寝をしている姿はこの2週間で珍しい風景に思える。部屋の真ん中に座った私は台所の冷蔵庫からよく冷えているお茶を取り出して飲んでいる彼をよく観察する。
大学生とはここまで地味というか普通の人間ばかりなのだろうか。
私の勝手なイメージで言うと髪は金色に染めていたり耳にピアスを開けていたりと変な方向に走る人が多いと思っていたが今目の前にいる男は黒のまま髪を染めず耳に穴も開いていない、地味を体現しているような人間だ。
だからこそ得体の知れない私をこう2週間も置いておいてくれてあの契約も容易にオーケーしてくれるのだろう。
「――こっち見てどうしたんだい?」
お茶を飲み終え視線に気づいた彼が不思議そうに聞いてくる。元々これといった理由は特になかったので、別になんでもない、と言って外で買ったペットボトルの中身を飲む。これが飲み終わったら私も冷蔵庫のお茶を飲もう。
冷たいほうが喉が潤うものだから。
「それじゃあファル、俺は少し出かけてくるからお腹すいたら昨日残りチンして先に食べてていいから」
彼は私の答えを気にすることもなく台所からそのまま玄関に向かい靴を履きながら私を見ずに言う。
どこかに行くのか聞いたらそのまま彼はこちらを見ずにただの散歩と言ってきた、確かに私みたいに日差しが強い時間より夕焼け時の涼しくなりかけた時間のほうが気持ちいい。
「なら策也、くれぐれも人と眼を合わせないようにね。策也は未だに自分の力を上手くコントロールできていないのだから。一般人に力が見られたらあなたは死んでしまうのだよ」
「――大丈夫、君と違って俺のは見た目には出ないから心配ないから」
部屋から出て行く彼の声はいつもと変わりはないように聞こえるけどまだ心の中では人と関わることを避けようとしているに違いない。本来ならすぐにでもコントロールできるものなのだけど。
でも彼の場合は焦らないほうがいいのかもしれない。夏目漱石の言葉を使うのならこう言うべきかな。
「あせってはいけません。ただ牛のように図々しく、まっすぐに進んでゆくのが大事です」
ただ彼の場合図々しくのは無理なんだろうな。
私は再びペットボトルに口をつける。
なんて生ぬるいお茶なんだろうか。
◇
「眼をあわせないようにか、ファルはこうゆうところでのことを注意してくれていたんだろうけど」
日が沈み辺り暗くなっている中マンションの最寄の駅は我が家に足を向けている人で溢れかえっていた。ある人はまっすぐ前を向きながら、ある人は前方に注意を向けず携帯電話を弄りながら、周りの人間に目をくれず自分の足を進めている。
俺は特に何か駅前に用があったから来たわけではなかった、ただ今日こそは上手く制御できる、人と眼を合わせても力を使わないで済むことができるのではないか。
そんな確証もないことを俺は試すため、人がいる場所に自身の足を運んできた。
できるなら若い人、よくて高校生や悪くて大学生辺りがいい、だけど見た目から大学生かどうか分かるものはないから狙うは制服ではっきり分かる高校生。
でも知らない人と目を合わせることは難しいことであるし、高校生に声をかけて話をする自信もない。元から自分にこの考えは無理なことだった。
「孤児院存続のため募金と署名よろしくお願いしまーす」
どこからか元気のよい声が聞こえてくる。
声の聞こえてくる方向に視線を向けると駅の出入り口近くの明るい空間に制服を着た高校生から大人合わせて7人が募金箱や紙を持って道行く人たちに声をかけている。道行く人が立ち止まってその箱にわずかばかりのお金を入れると全員でありがとうございます、と笑顔でお礼を述べている。
よく見ると7人の中にどこかで見たことのあるような女性が1人混ざっている、遠いため顔がよく見えないこともあるため知り合いのような気がするだけで断言することができない。
募金する気はないがあの女性が誰なのか気になるため俺は視線を軽く下に向け、ほんの一瞬で視線が合わないように近づいていく。かなり近づいたがなかなか思い出すことができない。見覚えはあるのだが、俺の勘違いだったのだろうか。
「もしかして天霧くん?ここ2週間どうしたの?前までは毎日のように来ていたのに」
こちらが誰か思い出す前に彼女に声をかけられてしまう。知り合いで正しかったことが分かったのはよかったが他の6人が彼女が声をかけてしまったせいだろう、見てはいないが彼女の横から視線を感じる。
彼女の言葉から2週間会っていなくてそれまでは毎日のように行っていた場所、まず考えられるのは大学であるがまだ大学に通い始めてから約4ヶ月、知り合いの異性の数は非常に少ない。だからまずここはありえない。
なら他に自分はどこに行っていただろうか。
「あれ、もしかして私が誰か分からない?教会でいつも寝ているあなたを起こしているじゃない?」
教会、そういえば見知らぬ新しい土地に引っ越して来た興奮からここら一帯を散歩して何があるか探していた時期があった。その時マンションから駅に対して反対方向にかなり歩いた先にずいぶん古い教会がぽつんと立っていた。
興味本位で入ったときにそこにいたのがこの人、名前は知らない、教会にいるからという単純な理由で自分はシスターと最初に呼んでからそのまま呼び続けている。
「ああシスターさん、いつもと違って私服姿だから本当に分からなかったよ。にしてもシスターさんはどうして駅前で孤児院の募金活動を?」
「知らなかった?あそこの教会の裏には教会が経営している孤児院があるのよ」
まったく知らなかった、あそこに遊びに行くときには常に教会にしか目がいってなかったため、その裏に何があるのか興味をもとうと思ったことすらなかった。
知らなかったがそこまで驚くことではないのでそうだったんだ、と適当に返事をする。
「それにしても天霧くん、なんか雰囲気変わった?前より落ち着いたというか暗い感じになったというか」
その言葉に思わず苦笑いしてしまう、そう見えるのは視線を逸らして話しているかもしれない。それともこの2週間生死と存在のかかったゲームに必死になっていたからかもしれない。
もしくはあの2週間前の出来事が影響しているのか。
「それはいつも明るい時間にしか会ってないから暗い時間だからちょっと変わって見えるんですよ」
触れられたくない以上そう言って誤魔化すしか俺にはできなかった。彼女自身もその言葉にそうなのかな?、と納得しなければならない、彼女自身が曖昧に感じているからこそそれはより強くなる。
参加していない人間にゲームのことを教えてはいけない、教えればそれは死ぬことだ、と参加したあの日俺はファルから知らされていた。
「まあたまにでもいいから遊びに来なさい、お祈りが目的ではないとはいえあれだけほぼ毎日来てくれたのが突然来なくなったら私も寂しいのよ」
そう言いながら自身の持っている箱を前に突き出しながら教会に来ることと同時に募金することを促してくる。
思わず最初に声を掛けてきたのはこれが狙いだったのではないかと疑ってしまう、未だに何人か制服を着た子がこちらを見ている視線を感じることからこの数分の間彼女の街頭活動を邪魔したのは全体的に痛手なのであろう。
俺はポケットに入れていた財布を取り出し暗い中小銭を1枚選ぶ、財布の中には都合の悪いことに1円玉と500円玉しかない。
しょうがなく俺は500円を取り出す、1円玉は明らかに相手に失礼であり、お札を出すのも2人分の食費を出している今それはこちらにとって大きな痛手である。箱に500円玉を入れても全員から感謝の言葉はない、シスターがありがとうございます、と言っただけで他の人間は何も言わない。
早急に立ち去った方がいいと思った俺は彼女にそれでは頑張ってください、と言ってこれ以上邪魔にならないようにその場を離れようとする。
その時つい身体を反転させる際に横に並んでいる子たちの今までの視線が気になっていたので彼らをチラッと見てしまった。
こちらをもう見ていないと勝手に自分の中で思い込んでしまっていた。
1人制服を着た女の子がこちらを見ている。
ああ、しまった。ファルにはっきりと注意されていたのに視線を合わせてしまった。いやここに来た当初の目的は果たせたのだからよかったのかもしれない。
大丈夫、俺の力は見た目には出ない。
だけどその直後激しい痛みが頭を襲う、自分の知らない彼女の人生と共に。
◇
「――ただいま」
ドアを開けながら言ったその言葉に返事はない、だが視線を下に向けていようとドアを開けた瞬間逃げるように吹き抜けていった冷気からここに彼女がいることを伝える。閉めた瞬間周りの目を気にしないで済む安堵から身体が床へと崩れ落ちる。
「気をつけてって言ったのにあなたはまた視てしまったのね、今回は誰の人生を視てしまったの?」
ファルがお茶の入ったコップを差し出しながら呆れたように聞いてくる、ありがとう、と言いつつコップを受け取った俺はそれを口に一気に入れる。お茶の冷たさが痛みの絶えない頭に効いてくる。
「――高校1年生の女の子、今はここの近くの孤児院で暮らしている」
「それじゃあ大体15,6歳かな。どうだった、およそ5000パターンの彼女の人生は?」
興味深そうに聞いてくる彼女に対し俺は、最悪、とはっきりと言える。だがそんな人の人生をべらべら話すつもりはない、話さなければならないという約束は彼女とはしていない。どうして今日こそ制御できるかもしれないと自分は思っていたのだろうか、後に残るのは視てしまったことへの痛みと罪悪感。
そしてあの子に対する哀れみの感情。
あの子は昨日孤児になったばかりだった。
だがそれを彼女は知らない、だって彼女は自分が孤児になったのは4歳からだと思っているから。彼女の今の人生ではそうなっているのだから。
◇
午前2時40分、部屋の電気はついておらず周り静寂に包まれている中私はベッドで力を使ったことからの疲労で帰ってきてすぐなにも食べずに寝てしまった彼の寝顔を見ながら私は考えていた。
策也の力が何か私はあの時彼自身から聞いていた、だから私は彼を選び彼の力を利用することにした。だけど制御してもらわないと毎回こんな風になられていては私が困る。
もう次のターゲットが関わっていそうな場所を今日の散歩である程度絞っていたのに最後の一押しを彼にやってもらわないと約束が成り立たない。
「――約束が成り立たないと私はあなたを殺すっていうのに」
お互いのほとんどを知らない私と彼を結ぶのは2週間前の約束、ただそれだけだ。もしそれが守られなかったら私以上に困るのはあなただというのにどうしてあなたは焦らないの?
「だったら約束を成り立たせ続ければそれで問題ないよ」
「寝たふりをして私の独り言を聞くことに問題はないのかな?」
彼は笑いながら上体を起こす、その動きはどこかぎこちなく彼が長い時間寝たふりをしていたわけではないことを語っている。
「決して寝たふりをしていたわけじゃないんだよ、ただそろそろ時間だから自然と目が覚めただけで悪気があったわけじゃないから」
そう言いながら彼はゆっくりと周りを確認しながらベッドから立ち上がる、この暗闇の中いくら自分の部屋とはいえそこに何があるか視えてはいないだろう。しょうがないから私は彼が電気をつけるよりも速く電気を勝手につける。突然点いた電気に思わず彼は視界から明かりを手で隠し眩しそうにしているが、すぐに私にありがとう、とお礼を言った。
そして明るさに慣れ始めた彼は手をどけ代わりに両腕を上にあげ身体を伸ばす。
『2時50分になりました。速やかにドアを通り3時の準備をしてください』
突然頭の中に聞き飽きた機械的な女性の声が響く。それと同時に身体を伸ばしていた彼の身体がビクッと震える、私は聞き慣れているが彼は2週間経った今でも慣れることはまだないようだ。
「それじゃあ準備でもしようか」
そう言って彼は私の目を気にすることなく自身が着ていた服を脱ぎ着替え始める、さすがに毎日こう私を気にせずに着替えられると私もいちいち注意する気にならない。
だから私も対抗するように彼を気にせずに服を脱ぎゲームのために着替える、だけど彼はそんな私に対し一言も言わないからなぜか不安になってくる。
『2時51分になりました。速やかにドアを通り3時の準備をしてください』
頭の中では声が1分刻みに時間を告げている。私はハンガーに干されていたセーラー服を手に取りいつものように着ていく。以前彼はその服から出身が分かるのかな、と直接聞いてきたことがあった、あのときは適当に返事をしたけど分かることはないだろう。なぜならここら辺の制服ではないのだから。
「策也、準備いい?いつもみたいに早めに出て行くよ」
準備が終わった私は靴を履きながら後ろでまだ何かしている彼に声をかける、すると彼はちょっと待って、と言いながら台所で何かしているようだ。夕飯を食べていないのだからそれは軽食できるものでも探しているのだろうが私の記憶にそんなものがこの部屋にあった記憶はない。
おまたせ、とすぐ後ろから声が聞こえたので私は先にドアを開け外に出る、深夜の外は静かで昼の暑さがどこか残っていながらも涼しい風がその厚さを冷やしていく。
今日も始まる、始まってしまう。
「それでファル今日はどうするんだい?」
靴を履き外に出てきた彼はドアを閉めながら私に聞く。
「そろそろあなたの嫌いなのが来そうだから、もし開始直後にルールが来なかったら私は調べたいことがあるから別々行動。もし来てしまったら私と一緒についてきて」
了解、と短く返してから何も彼は言ってこなかった。それは私が何を調べたいのか大体のよそうはついていたからだろう。
『3時になりました。これよりゲームを開始します。尚今回のゲームは1時間とします』
頭の中でゲームが開始されたことが告げられる。開始の合図以降頭の中で機械的な声が何か言うことはなかった。
「それじゃあ策也、もしピンチになったらいつもみたいに読んで」
そう言って私は彼の返事を聞かずにマンションの4階から勢いよく飛び降りた。
今日は殺さないで済むかな?
◇
辺りに人の気配はない、生物の鳴き声も聞こえない。周りにたくさんある家に灯りは1つも点いてはなく唯一点いている灯りは街灯だけだった。いくら深夜とはいえたまに車が通ったり大通りの方も少しは音が聞こえてもいいはず、だがそれすらもない。
まるでゴーストタウンに迷い込んでしまったのではないのか、とゲームに初めて参加したものなら誰もがそう思ってしまうだろう。
思ってしまうのは当たり前のことだ、なぜなら実際に今ここは自分たちが生活している場所ではない、まったく同じに作られているゲーム専用の世界なのだから。あの頭に聞こえてくる女性の声の言うとおり2時50分から3時までの間に建物のドアを内から外へ通れば勝手にこの世界に着くらしい。
そして女性の声が言った時間だけゲームが続き、ゲームが終わる10分前から終わるまでに建物のドアを逆に外から内にと通れば元の世界に戻る。もしそれを守らなかったり始めと終わりの10分以外に建物に入れば死ぬ。これはファルから聞いたこと、彼女は俺よりもこのゲームに参加していた時期が長いからそれだけゲームについての知識は豊富だった。
だから俺の力、ゲームの参加者に与えられることのある力についても丁寧に教えてくれた。数分前に見た彼女の飛び降りる背中を思い出しながら俺は彼女の力について思い出していた。本来人が4回の高さから飛び降りたら無事では済まないが彼女なら無事で済ませてしまう、上手い具合に衝撃を流しながら彼女は着地しているのだろう。
随分歩いただろうか、彼女と別れひたすら歩いていた俺は他の参加者に会うことを願っていたのだが人と会える様子はない。彼女と別行動をしている以上俺は参加者と会って視線を合わせないといけない、それは自分の力の特訓でもあり彼女のお目当てを捜すためでもありこのほぼ安全な時間にできる限りやっておきたいがさらに歩いても会える気配はない。
こうなるのだったら彼女と行動していた方がよかった、そっちの方が可能性としては高かったかもしれないから。
ふと横を見てみるとそこには足を運んでいた教会があった。夕方のあれがあったせいだろうか無意識のうちに自分の足はここに向かって進んでいたようだ。
よく教会の建物の横を確認してみると確かに教会の裏に行けそうな道があるが柵で遮られ柵に付いている戸もあるが鍵が閉められているに違いない。頑張れば乗り越えられそうだが孤児院がどんな建物か見てみようか?
いやわざわざこんなときに見に柵を乗り越えなくてもいいではないか、どうせ大学生は明日も夏休みなのだから明日にでも様子でも覗きにでも行ってこようか。
俺は再び足を進める、もう少し向こうまで行ってみようか。確かこの近くにはコンビニがあったから尚のこと進めるべきだ、さらに遠くまで行くことができる。全国にあるコンビニもこのゲームにとっていつでも開く重要な自動ドアなのだから。
自分が歩いてきた道を振り返って確認しながら歩く、それは誰かが後ろからついてきていないか警戒する。
突然ガシャンという音が道の先から聞こえた。
――誰かいる。
この世界で音を鳴らすものはない、具体的にいえば自然に音が鳴るものがないのだ。携帯電話も通じないし、車も通らない。そんな世界で音を鳴らすことができるのは参加者だけだ。
俺はゆっくりと足音を立てないように近づく、そして何かあったときに咄嗟に叫ぶことができるように準備しておく。
近づくことで音を立てたものがはっきりと見えてくる。
「――お、お願いです、どうか殺さないでください」
そこにいたのは道に倒れている女の子と横に倒れている車椅子。
女の子は何もしていない俺に命乞いをする、座り込んだままゆっくりと足を引きずり俺から逃げようとしながら。
◇
「――ここじゃなかったのかな」
私は建物の屋根から屋根へと飛び移りながらそう呟いた。策也と別れた私は殺しをしている人間が関わっているであろう場所を訪ねてみたが結果それはハズレだったみたいで様子を見ているが何か起きる様子はない。
場所は市役所、市の政治の中心になる場所。ここを予想した流れはあまりにもシンプルものなのにその理由についてこの街に住んでいる彼は気づいてない。確かに彼もここに住み始めて半年も経っていないから気づかないのも無理がないのだろう。
いやもしかしたら産まれたときからここに住んでいる住人でも気づくのは難しいかもしれないかもしれない。私だって3日前に偶然違和感を感じるものを見て2日前にその違和感に少しの確実性が増し今日それが確かなものになった。
「あまりに単純に考えすぎたかもしれないかな?」
そうかもしれない、ならここに長居するよりも辺りを手当たり次第に探したほうが可能性が高いかもしれない。
『これより獣道を開通します。参加者は対応をお願いします』
頭の中で始まりの合図を告げた声が新しい始まりを告げる。
予定変更、あれの前にこれが来るならひとまず策也のところに戻らないと。
彼が喰われて死んでしまう。
◇
困ったかもしれない、いや、間違いなく困っていた。
「すいません、私のせいでこのようなことになってしまって」
隣では女の子が車椅子に座りながら息切れしている俺に対して謝ってくる、息切れしている原因は自身の体力不足であって彼女自身に悪いところは1つもない。辺りには先ほどまでの静けさはなく聞こえてくるのは不気味な生き物の鳴き声、ほぼ安全だった状態とは売って代わり今堂々と道に出るのは危険な状態だった。
どうしてこうなったかは少し時間を遡ることになる。
◇
「落ち着いて、俺は君を殺さない。だから足をそれ以上傷付けないで」
スカートから出ている足はアスファルトの地面と擦れ見えないが彼女の足は傷ついているだろう。
「――本当ですか?」
女の子は簡単には信じてくれない、それもそうだ。このゲームで見ず知らずの人間を信じるのはこのゲームで生きていく上では自殺行為に等しいことかもしれない。
――それでも信じないといけないときが、信じなければいけないときもあるのだけど。
「約束する、だからまず車椅子に乗りなおそうか、さすがに道の真ん中で座っているのもあれだから」
そう言って俺は倒れた車椅子を直す、壊れたところはなさそうで前後に動かしても特におかしいところもない。そのまま車椅子を押し彼女の前にまで持っていく。彼女は恐る恐るこちらを警戒しながら慣れた動きで車椅子によじ登っていく。
「あっ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
未だに彼女と視線が合うことはない、こちらは合わせようとしているのに彼女が警戒しているからかこちらを見ずちらちら見てきても顔を見てこないので力を使うことができない。
「あの、後は私1人でできますので本当にありがとうございました」
彼女は車椅子の車輪を持ち動かして前へと進んでいく。1人で本当に大丈夫なのだろうか、今までも1人でこのゲームを生きてきたなら大丈夫なのかもしれない。ただこのまま彼女を行かすわけにはいかない、大丈夫であるかどうかではなくせっかく人を見つけた以上このまま視線を合わさないで終わらせるわけにもいかない。
『これより獣道を開通します。参加者は対応をお願いします』
――これは非常にまずいことになるのではないだろうか、動くことが遅い彼女にとって。
頭の中でルールが発表された瞬間彼女の元に走り出していた。
「君の家はここからすぐ近く!?」
「えっ、はい、ここから近い位置にありますが」
別れたはずなのに突然すぐ後ろから声をかけられ彼女がビクッと身体を震わして驚いている、もしくは知らない人が後ろに現れたから怯えているのかもしれない。だけども今驚かれていても怯えられていてもそれを気にしているほどの余裕はなかった。
「なら獣と会う前にとにかく君の家の近くまで行くよ、案内してくれる?」
「分かりました、それではUターンして真っ直ぐ進んでください」
彼女もこのルールについて知識があったようだ、だからこそ見知らぬ俺の言葉に従わざるを得ない。それが生きる可能性が一番高いことだから。俺は車椅子の後ろについている取っ手を持ち彼女に負荷がかからないようにUターンさせながら言われたとおりに真っ直ぐ走り出した。
◇
結果彼女の家、アパートにたどり着くことができた。
道路から見えないようにアパートの奥まで入り込み俺は息切れしながらもこっそりと道路の方を伺う、丁度街灯があるため道路の様子が分かりやすい。頻繁に何かが通っていくのがよく見える。それは獣、犬や猫みたいな日常で見る、普通の生物ではない。今見えるのは狼に近い生物、ただその姿は全体的に黒く所々の皮膚は爛れており肉が見えるどころでは済まず一部で骨のような白が見える。
一言で言えばそれはホラー映画にでも出てきそうなゾンビと言えるだろう。彼らは獣道というルールのときだけ何処からか現れ集団で道路を徘徊し参加者を襲う、喰らうのだ。そしてこのように参加者を襲う獣は1種類というわけではない。
不気味な鳴き声は空からも聞こえており頭上にも細心の注意を払わなければいけない。
俺もこの2週間襲われたことがあった、と言っても襲ってきたものは全てファルが返り討ちにしてこちらの怪我はほぼないに等しかった。だが今ファルはいない、呼べばすぐ来るだろうがあまり呼ぶことに乗り気ではない。
なぜなら彼女は自己防衛で戦うのではなく自ら戦いに行く、危険に自身から飛び込み獣を殺しにかかる。それは戦っている間に新たな獣が来てしまう可能性もありキリがない。だからこそ彼女を呼ぶのは危険のギリギリまで呼ばない。おそらく彼女は彼女でこちらが死なないようにこちらに向かってはいるだろうが何かしない限りこちらの居場所が分かることはない。
――彼女には悪いがここは隠れておこう。
「獣は見えますか?」
隣にいた女の子はこちらが何を見ているのか分かっているらしく様子を聞いてくる。
「うん、頻繁に見えるよ。もう少しここに来るのが遅かったらアウトだったかもしれないね」
声を掛けてきた彼女の方に向き直ると、そうですか、と彼女はそっと肩を下ろした。会った場所からここに来るまで緊張していたのが少しは和らいだのだろう。
「ところでどうして君はあんな所で倒れていたんだい?普通ならこうやって物陰に隠れていればこのゲームはルールが定められなければ安全なはずだろ?特に君みたいに……車椅子にのっているなら尚更だと思うんだけど」
車椅子と言うことに一瞬躊躇いが生まれてしまった、もしかしたら彼女にとって触れられたくないことだったかもしれない。車椅子と言わずに聞けばよかったと思わず言った後に後悔する。
「分かってます、私が堂々と道を歩いているのは恰好の的であるのは分かってるのですがどうしても兄を追わないといけないと思ったんです。兄が死んだら兄の存在が消えたら私は……私は……」
そう言って初めて彼女ははっきりと俺の眼を見てくる。
力強い意志を秘めた眼。
そしてそれと同時に流れ込んでくる彼女の人生、変えられ続けた人生。
他人の眼を合わせることでその人の過ごしてきた人生を視ることができる、このゲームによって変えられる前も後も、彼女の知らない彼女の人生も視てしまう。彼女が言った存在、このゲームに参加した人間はこのゲームで死ぬとその存在が消える。それはそこにその人がいた物的証拠や人の記憶からも消える。人はこの世界から全てが消えてしまう。
唯一他の参加者の記憶を除いて。
それを無視して全てを知ることかできる力、それがこのゲームで得た俺の力。
頭に激しい痛みが襲ってくる、彼女の人生を視ながら、感じながら。
◇
彼女は約15、6年前に3人の兄の妹として産まれる。極普通の家庭、その末っ子として皆に愛されて育っていた。
大きな人生の変化が訪れたのは3歳のとき、父親がゲームに参加していたのだろうか、突然父親が変わる。父親が死んだからか、それとも他の人間の存在の消滅に伴った人生、世界の改変に巻き込まれてしまったからか原因は分からない。
そこから彼女は父親が変わり苗字も変わって育っていく。
次に大きく彼女の人生が変わるのはそれから2年後の5歳のとき、彼女は産まれたときから孤児になっている人生になっていた。あのシスターのいる教会の前に赤ん坊のとき捨てられ孤児院で過ごしていた。両親がゲームに参加して死んだのかは分からない。
兄弟は離れ離れになっていた、ただこの町から遠くに行ってしまったわけではなく彼女のこの後の人生において何度か出てくる。あるときは小学校の上級生として、あるときは同じ孤児院の友だちとして。
それでも彼女と血が繋がっている兄弟としての世界は5歳以降からなかった。
そしてそれからの彼女の人生は安定していた、孤児院の一員として仲間が毎日変わっていく中変わっていく人生と世界の中生きてきた。
だがここで再び彼女の人生、彼女の足に変化が起こる。10歳のとき彼女は足に障害を持っている人生になっていた、産まれたときからそれがある人生。彼女の人生はマイナスの方向に進んでいく、それでも彼女はそれに気づくこともないまま一生懸命生き続けた。
そんな彼女の人生が2ヶ月前に幸せの方向に少し戻る。
本当の血の繋がった1番の上の兄とアパートで暮らすことになる。
孤児院にいた人生でもなくなっていた、ただ12歳のときに両親を事故で亡くしている人生になっていた。そして2週間前彼女はこのゲームに参加する、偶然自身の携帯電話に届いた一件のメールから。それと同時に彼女は兄がゲームに参加していることを知り参加者の結末について知る。
だからこそ兄という存在が消えることを何より恐れた、兄という存在が彼女にとって何よりも大事だから、彼女に残された唯一の幸せの塊だから。
◇
激しい痛みに耐え切れず壁に倒れこむ、彼女が不思議そうにこちらを見て大丈夫ですか、と聞いてくるがこの暗闇の中全身に滲み出る汗は見えないだろう。俺は大丈夫と誤魔化してそのまま話を進めていく。
「君のお兄さんはどこか行ったってこと?」
「――はい、兄は何か探しに行きました。具体的に何か言わず私にはいつものようにここで待っていなさい、と言われました」
つまり彼女の兄は何か事情があって彼女を置いていった、その事情が危険なものだったかもしれない。彼女を巻き込みたくない兄の考えだったのだろう。
だとしても彼女自身も何も分かっていないのにここまで焦っているのは彼女の力が関係しているのだろうか、彼女の過去を視たから大体の彼女の力について理解はしている。が細かい部分まで分かっていない。
「そうか、でも君のお兄さんを捜すのは今の俺たちには難しいよ、まだ獣道は続いているし俺も君も何か戦いになったときに対処できない。ここはお兄さんを信じてここで待たないかい?」
彼女は俺の言葉に黙ってしまう、それが最善の選択と分かっているから。
――しっかりした高校生だ。
「とりあえず君の名前だけでも教えてくれないかな?教えたくないなら言わなくてもいいから」
名前は既に彼女の人生で知ってはいるが形式上聞いておかなければならない。
「――私の名前は笹川珀です」
違う、君の名前はそうでも本当の苗字はそうではない。
「それじゃあ珀ちゃん、俺の名前は天霧策也。しばらくの間よろしくね」
四条珀、それが君の本当の苗字。
人生、世界が変わろうとも人の名前は変わらない、それがこのゲームの唯一の良心だろうか。
「天霧さんですか、あの私も1つ聞いてもいいですか?」
私もというのは道路の真ん中で倒れていたことに俺が質問したことによる返しか、本当にしっかりしている。質問に答えざるをえない状況に持っていることがそう思わせる。
いいよ、もう視線を合わせることはしない、俺は空に響く止むことのない鳴き声の元を眼で探りながら彼女の言葉に返事をする。
「天霧さんはどうしてこのゲームに参加しているのですか?」
空を巡っていた眼が何もない一点を見て止まる。
――このゲームに参加した理由、理由なんてあるわけない。
『策也、一緒に生きよう!あなたと私でこのゲームをクリアしよう』
2週間前、あの日偶然は必然だった。言葉は偽りだった。
「理由はないよ、ただ面白そうなサイトでワンクリックしたら巻き込まれてしまっていただけで生き続ければそれだけ俺は満足だよ」
よくありそうな嘘をつく、だが彼女は疑わない。それがこのゲームに参加している人間の多くがした参加方法の1つであるから。そのことを彼女が兄から聞いているのも分かっていたから。
「それでしたら隣の隣町で生き続けるため20人以上のグループでゲームを続けている人がいますよ。グループに入るのに特に条件もないみたいですし1人で行動し続けるならそこに入ることをお勧めします」
「どうして君はそれについて知っているんだい?話からして彼らと会って話したってわけでもないみたいだね」
彼女は黙ってしまう、それもそのはず彼女の力が関わっている時点で話すのは大丈夫か、と考えているのだろう。事実これもファルから聞いたことだが力を持たない人間からしてみれば力を持つ人間は妬ましく思えるらしい。そう思う理由は人によって異なるが確かに持つ、持たないで生存確率は変わってくる。
はたして天霧策也という人間は力を持っているのか、話しても大丈夫なのか。彼女の中でわずかな要素で必死に考えているに違いない。
「私はこのゲームに参加して特別な力を持ったんです」
決心したのかゆっくりと彼女は話し出した、それに対して小さく、うん、と言って相槌を打つ。
「だけどそれは決してゲームを生き残るのには役に立たないものでした。私の力は仏教に出てくる千里眼に近いものです」
知っている、彼女はこのゲームに参加した直後頭の中に何か視えるということを兄に言っていたのを視ているから。だがもっと細かい部分を、その名の通り千里先まで視えてしまうなら軽く日本全土、アジアの一部を見渡すことは容易いだろう。
そこまで視えてしまっていたら未だに分かっていないこのゲームが終わる方法について情報を手に入れることも可能かもしれない。
その力の具体的な部分を俺は知りたい。
俺の力とて完璧ではない、参加者の消滅によって世界が変わる前の人生を視ることはできるが一日毎に変わっていく世界、人生を全て視ていたら俺自身の脳が壊れてしまう、だから視れても断片的に、流れていく情報から無意識に必要だと思うのを無意識に選び取っていく。
「でも視えないんです。どれだけ遠くを視ることできても私には近くのものは視えないんです。この町のほとんどが白で埋められていて視ることができない、でも時々白の中に人が視えたりもするんです。でも兄や私の姿は1度も視えたことがありません」
「遠くはどこまで見えるんだい?」
「分かりません、集中すればいつもいけますが視えるものから場所を私には特定できないんです。行ったことがある場所なら私でもすぐに分かるのですが」
言われて初めてその盲点に気づく。その力を持って初めて気づくことかもしれない、自分の知らない風景を視ても分からないのは当たり前のこと、だが多くの人が想像でしか考えていないのでそこまで頭が回らない。
もし視た先に東京タワーでもあったら分かるかもしれないのだが。それにこのゲーム内この暗闇では視え難くなって悪状況である。
「だから本当は隣の隣町っていうのも曖昧なんです、ここから順を追って視たことによる目算なので。もしかしたらもっと遠くかもしれません」
「いいよ、場所に誤差があってもそれくらいならコンビニ利用しながら転々と回っていけばそう何日も掛からないで見つけることはできると思うよ」
実際そのグループとやらに参加するつもりはない。ファルが集団行動を好むように思えないし家出中の身には人が多いのは困るだろう。そして何より多くの人と行動するのはプラスよりマイナスの結果をもたらす可能性のほうが大きい。
人数が多ければ多いほど前方よりも背後に注意を。
「ん?ということは君は他の町まで行ったことがないってことかい?」
それは不思議なことだった、この町には電車が通っている、例え車椅子だとしても彼女のおよそ15年間この町に篭りっきりというわけではないだろう。行こうと思えば電車1駅2駅で簡単に行ける。
「私の家は旅行とかしませんでした、私自身が外に出るのが好きではなかったので病院以外ではこの町から出たことがないくらいです。偉く言えることではないんですけどね」
彼女の苦笑いに俺も同じように苦笑いする、おそらく今お互いの顔を見ながらこの後どうすればいいのか、とでも彼女も考えているのだろうか。
話し始めてからそれなりに時間は過ぎている、時計を確認していないがそろそろゲームの終わりも近いだろう、空にいる獣もここの上空を通らなかったおかげで見つからずに済み襲われなかった。
そして彼女の力についても細かい部分までの予想はついた、あとは彼女と兄がこのことが分かっているかだがどうなのだろう。
『3時50分になりました。速やかにドアを通り終了の準備をしてください』
彼女とのやり取りに間があったからか、それとも彼女の言葉に間があったからかゲームの終了は近いとかではなくすぐのものだった。
「今日も終わるんですね」
彼女を安心させるためそうだね、と返事するがまだ安心することは早すぎる。なにが起こるか最後まで注意しておかなければならない。彼女にとっては注意する、しないよりも兄の安否の方に気がいってしまっているに違いない。兄がここに戻ってきてないことが彼女の心に不安を作っている。
「お兄さんはコンビニでちゃんと向こうに戻ってきているだろうから俺たちもとにかくこの世界からまずは出ようか?」
分かりました、と彼女は小さく頷く。それしか今の彼女にはできないから。俺は彼女の車椅子を後ろからゆっくりと押しながら彼女の部屋の前まで連れて行くと彼女はポケットから鍵を取り出し慣れた手つきで開けていく。
車椅子をドアの横にまで動かした後ドアを開け、開いた部分に腕を入れて閉まらないようにして彼女は無理やり中に入っていく。それはドアと車椅子が何度もぶつかり合うことで周囲にドンドン、と鈍い音を響かせている。 ここは慣れている彼女に任せてた方がいいだろう。
「天霧さんも入ってください、ドアを閉めれば危険はなくなります」
少しずつ部屋の中に入っていく彼女は四苦八苦しながら言う、それは決して大変だから手伝ってください、と遠まわしに言っているわけではない。彼女はしっかりしている、最初に思った印象は間違っていなかった。
彼女が中に入ったことでできたわずかな玄関の隙間に身体をしまいこむ、折りたたみのできない車椅子のため玄関の大半の空間がそれに支配されている。そのせいでドアを閉めるだけで一苦労だった。
彼女はこっちがドアを閉めているのに苦労している間に車椅子から降りていた、床に座りながら足を少しずつ引きずりながら部屋の中へ中へと入っていく。
俺はこのまま流れで部屋の中に入っていいのか迷ってしまう。だがそこまで長居するつもりもないので開始と同様のゲームの終了の合図が聞こえた瞬間にすぐ部屋を出て行くつもりで玄関に立ったままでいる。
「――お兄ちゃん?」
聞こえてきた単語に耳を疑う。 今の言葉を言ったのは間違いなく珀ちゃんであろう、だが今彼女はなんと言った?
――お兄ちゃん。
彼女はあのとき心配していたとき俺に兄と言っていた、自分の兄弟を兄と呼んでいた。
だが今はお兄ちゃんと呼んだ。
それは俺がさきほどまで持っていた印象を軽く打ち砕いていく、そのどこか震えていて力のない声にしっかりしているという印象を持つことはできなかった。
靴を脱いで車椅子に当たらないように部屋に上がる、急いでいるせいか上手く靴を脱ぐことができず少し雑に玄関のわずかな空間に脱がされる。
声が聞こえた部屋で俺が見たのはただ一点を見つめている彼女の姿だった、その肩はわずかに震えている。その先にあるのは棚の上にあるいくつかの写真、その内の1枚は楽しそうにしているある家族の写真、他にある中の1枚はつい最近撮ったものだろうか、ほとんど今と変わりない珀ちゃんと男が写っている。
――誰だ、この男は?
彼女の過去にこんな男を俺は見ていない、だがよくよく他の写真も注視してみるとその男はどの写真にも写っていた。そして代わりに彼女の過去に視た兄の姿がどこにも見当たらなかった。
それが何を意味しているのか俺にはすぐ理解できた、もちろんそこにいる彼女も。
「――どうして、私を置いていかないで!お兄ちゃん!」
泣いている彼女に何も言えない。
世界は変わった、ゲームで死に存在が消滅した人間の代わりにゲームは新しい男を代役に置いた。ただそこに悲しみだけを残して。
『4時になりました。ゲームを終了します』
――――
「で策也はその後彼女をどうしたの?」
こちらを見ないでトーストを頬張りながら彼女は今回の報告に質問してくる、別々で行動していた際にお互いが何をしていたかを報告し本人では気が付かないことを指摘するゲームに参加してから常に行っている日課。
「彼女を落ち着かせながらもう一度彼女の人生を視させてもらったよ、それが俺にとっても彼女にとっても一番手っ取り早い方法だったからね」
こちらも話を区切りながら朝食のトーストをかじる、彼女はジャムを山が出来上がるくらいにつけているが俺はシンプルに少量のバターをつけていた。そして口の中がなくなってから話を進める。
「彼女の新しい兄は大学に通いながら深夜にコンビニでバイトに励んでいるよ、だから彼女に都合が良すぎるくらいにゲームの開始と終了の時間には家にはいないね。これもゲームのためなのかな」
「そうなのかどうかは分からないけど」
最後の1口を食べた後そのまま朝食のデザートで出しておいたヨーグルトに手を出しているファルは珀ちゃんに興味はないようだ。年の差はほとんどないだろうから興味がわくと踏んでいたが予想は外れていた。
「これ以上彼女に関わることはやめた方がいいというのははっきりしているね」
「彼女をそのままほって朴っておけとでも言うのかい?」
「ならなんて言われたい?はっきりと昔のお兄さんのかわりにゲーム間の彼女の世話をするのは無理だ、やめておけ。介護において素人の策也が首を安易に突っこめるようなことではない。と心をズッタズタに切り裂く言葉でも聞きたい?」
「もうすでにはっきりと言われているよね」
心の中ではどこか分かっていたことでもそれを目の前で否定されることは覚悟していてもどこか心にくるものだった、ましてそれを年下の女の子に言われているのがそれをより深くしているのかもしれない。
「でもまあファルの言っていることは分かるから反論しにくくてこの後の会話がとてもやりにくいよ」
これでも俺のことを思って一番大切なところに触れていないことを考えると彼女も少しは気にかけていてくれているのだろう。
「それじゃあ次は私の番かな、実は数日前から気になっていることがあってね、それについて調べていたの。結果は黒、だけど具体的に分からないところがいろいろあるけどね」
調べていたのは間違いなく率先して殺しをしているものがいるかどうかということだろう、彼女は2つの事しか調べない、探さない。だがもう1つは数日前から調べているようなことではないからそっちであっている。
「策也はこの町の市長や議員について聞かれたら何か答えれることがある?」
「市長?さあここに引越ししてからそんなことに興味を持ったこともないからまったく分からないけどその市長が殺しでもやっていたのかい?」
トーストを食べ終わった俺はゆっくりと牛乳を飲む、それに対しファルは食べ終わって手持ち無沙汰なのかジャムをつけるのに使ったスプーンを舐め終えくるくると鉛筆回しのように手の上で回していた。
「うーん、実はその逆なんだよね。ここ数日市長、議員が毎日のように変わっているんだよ。さっきパソコンで確認したけど昨日は橋田市長だったのに今日は佐々木市長になっているようにね。ここの政治をしている人の存在が次々と消えている」
「それは確かにおかしいことだね」
市長や議員ということは平均年齢はかなり上だろう。そんな高齢な人がこれほど頻繁にゲームに参加するのか?今までゲームに参加しているが実は一度も見たことがないのだから本当に低いに違いない。
「でそこにファルは何か共通点を見つけることができたのかい?」
「それがまだ分からないんだよね、はっきり言って情報が少ないんだよ、何かはっきりと分かる違いがあるとわたしもうれしいけど。だからさっきはひとまず市役所の周りを見ていたけど何も見つけれなかった。ただ市役所からここに戻ってくるまでにはっきりと黒と分かることは見つけれたよ」
そう言うと彼女はスリープ状態にしていたノートパソコンを起動させ何かマウスを動かしながらくるっとパソコンをこちらに回し画面をこちらに向けてくる。
画面に映っていたのは有名な検索サイトが用意している衛星を利用したマップ機能だった、場所はここから市役所まで一直線に引っ張った直線の上に重なるであろう道路の上にカーソルは置かれていた。俺も市役所に向かうときに1度通ったことのある道だった。
「ここで2つの死体があった、1人は首を頭ごと現場からなくなった状態でもう1人は胸を何かで刺された状態。刺されていた人は身元が分かるのは何も持っていなかったから分からないけどもう1人の頭なしは名刺ケースがあったから身元は分かった、橋田市長だったよ」
それなりに高そうなスーツが赤く染まっていて、特にポケットの中の荷物が荒らされていたというわけでもなかったらしい。
「獣道はあった、だから橋田市長の頭が喰われていても本来ならおかしなことはないんだよ、でもその橋田市長の横には獣道とは関係のない死に方をしている人がいた。殺しに使われた凶器も近くにはなかった。だからここまでで考えられることは人を殺している人がいる。それは間違いなくここの町の偉い人を狙っていること」
「だけど今の話では黒とまでは考えられないよな?ただ偶然殺された人を見て慌てた橋田市長が獣道で死んだと考えられるし、その逆の順番も考えられる。まあ殺している人がいるということは事実だが」
「それが今日1日だけだったらの考え方だね、でもなにもルールがなかったここ数日でも死んでいるのだから偶然とは言えないよ」
俺が考えるよりも長い時間このことを気にし調べているのだからありとあらゆる方向から調べた上での黒なのだから疑う余地はほとんど残っていないのだろう。俺の疑問に対し即答で返すところからもそうに違いない。
「本当に君はいつも自信満々だな、俺の発言はあまり意味がないかな」
そう言うと彼女は笑いながら片付けるためお皿を持って立ち上がった。
「私はエマーソンの言葉通りにやっているだけだよ」
エマーソン?アメリカの思想家の名前だっただろうか?
「自信は成功の第一の秘訣である。殺人者を殺すことに成功させるために私は調べ考えた結果に自信を持って臨むだけだよ」