恋多き王子の愛し方
(どうしよう、どうしよう、どうしよう!)
艶やかな石造りの王城内を二十代前半の青年、ラファエル王子が柔らかな金髪をなびかせて歩いていた。
もっとも歩いてはいるものの可能な限りの速足で歩いていたためほとんど走っていると言った方が良い光景だ。
足音を立てるのはみっともない事だとは毎度注意を受けているのだから当然本人も分かっている。
だが今ばかりは仕方無い。
行儀作法になどかまっていられないほど、今の彼は動揺しているのだ。
「ケイティ、ケイティ!どうしよう!」
体当たりするように扉を開きながら室内に居るであろう幼馴染の名を呼ぶと、壁に作りつけられている書棚の前で本を開いていた人物が怪訝な顔で振り返った。
「如何されました、ラファエル王子。」
「一大事だ!」
「だから何が。」
「大変だ!」
「…………。」
呼ばれた茶髪の青年、ケイティがもの凄く面倒くさそうにため息を吐く。
茶色い髪に指を差し入れて後頭部を掻くのは、彼がイラついている時の仕草だと長年の付き合いで良く知っていた。
(はやく本題に入らないと殴られそうだな。)
慌てるラファエルだったが、どうも心が逸って言葉が出てこない。
「こっ、こここここっ!」
「こ?」
「恋をした!」
(よし言った!言えたぞ!)
「…で?」
一大告白をしたに関わらず残念ながらケイティの反応は凄く薄い。
眉間に青筋をたてていて、片手は相変わらず茶色い髪に埋まったままだ。
冷たくラファエルを見下げるケイティの責めるような眼差しに、彼の興奮していた頭が少々冷やされた。
一応はラファエルが王子。
ケイティは側近なのになぜか立場が逆転しているような気がするのは気のせいだろうか。
「ラファエル王子が恋多き男なのは国中の誰もが知っていることです。今さら騒がないでください。興味もありません、面倒です。」
「今回は違う!一生に一度の本物の恋だ!」
「その台詞も聞きあきました。」
ケイティが呆れるのも無理はなかった。
なぜならラファエル王子と言えばあちこちで女性を引っかけ、落としたと思ったら速攻で次に乗り換える国一番の尻軽男として有名だからだ。
国務の方は優秀な男だが、女性関係での評判は最悪。
しかしその艶やかな金髪と柔和で毒のない笑みに吊られるのか、女性の影は途切れることはなかった。
「……で、次にあなたに泣かされるご令嬢は何処のどなたでしょう。」
個人的な興味はなかったものの、ラファエルに捨てられた女性の後始末をするのはいつもケイティの役割になっているため一応聞いておく必要があった。
ラファエルに話が通じないと分かると、彼女達はなぜかケイティに苦情を訴えにくるのだ。
「アンジェ公爵の三女、リリー・アンジェ嬢だ。」
「リリー…アン、ジェ?」
その名に、ケイティが驚いたように目を大きく瞬きさせ今日初めてまともな反応を示した。
「リリー・アンジェ…って、何を考えて…。」
驚きを隠せないケイティに、ラファエルは満足げに口角を上げて胸を張る。
「ふふっ、お前も知っているな?有名だからな。」
リリー・アンジェは上流階級の間で名の知れた有名人だった。
「ありえない。馬鹿ですか。」
「馬鹿とは何だ馬鹿とは!俺は本気だぞ?」
彼女の長く艶やかな黒髪と勝気な瞳を脳裏に描き、ラファエルは不遜な笑みを浮かべる。
さながら獲物を狙う野獣を思わせる主の様子にケイティは眉を潜めた。
優しく朗らかな人物の仮面をかぶっておきながら、時に狙った獲物は絶対に逃さない獰猛な執着心と行動力を見せるラファエルは、王子としては優秀な人物であり、自分が忠誠を誓うに足る器を持った男だと思っている。
だからこそ、いままでに狙われた令嬢は百発百中の確率で落とされていたのだ。
(だが、それでどうしてリリー・アンジェになる。趣味が変わったのか?)
公爵家と言えば王家に続く権力を持った家柄であり、面倒な事態になると国政にも影響が出かねない。
しかもあの変わり者と噂のご令嬢ときた。
後始末をする自分の役割を考えると胃が痛くなりそうだ。
眉間に人差し指を当てて唸るケイティの耳に、ラファエルの凛とした声が届く。
「ケイティ。今度こそ本当の恋だ。俺は彼女を正妃にする。」
「……そうなる事を祈っていますよ。無理でしょうけれど。」
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ラファエル王子がリリー・アンジェに恋をしたと宣言した翌日のこと。
渦中の人物、リリーはいら立っていた。
「何よこれ。ありえない。」
艶やかに流れる黒髪、アメジストを思わせる紫の瞳、小柄な体型で愛らしい顔立ちの彼女の見目は、いたく男心をくすぐるものだろう。
彼女は先刻届けられた手紙を両手で乱雑に丸めると、部屋の隅のくず箱に放り投げる。
貴族の令嬢としては大雑把過ぎる行為だが、寸分の狂いもなくくず箱の中へ着地させる流石のコントロールだった。
「断って。」
「お嬢様!さすがにラファエル王子からのお誘いを無碍にするのは少々体裁が…。」
「関係無いわ。王子だろうが神様だろうが、お付き合いなんてする気はありません。速攻でお断りの返事を出しておいてちょうだい。」
くず箱に放りこまれた手紙は、ラファエルからのものだった。
内容は結婚を前提としたお付き合いの申し込み。
(有名な尻軽王子の嫁ですって?ありえない!)
ティーセットの置かれたサイドテーブルの脇にある白いソファに身を沈め、苛立たしげにため息を吐く。
リリーは19歳と言う結婚適齢期を終えようという年齢になった今でも独身だった。
見目はすこぶる良いので言いよる男が居なかったかと言えばウソになる。
だがリリーは男に尽くして生きていくなんて冗談じゃない!と常々宣言するような女性なのだ。
事実、彼女は潤沢な資金を生み出すだけの頭脳を持っている。
結婚などせず一人で生きていけるという自信もあった。
公爵家は子宝に恵まれており、一人くらい独身のままでも許される環境でもあった。
女は男に尽くすものということが常識の時代。
全ての縁談を断り独身を貫くと公言する女性は非常に珍しく、ゆえに彼女は噂の的となったのだ。
「もう私に縁談を申し込む勇気のある男は居ないと思っていたのに、よりにもよって女遊びで有名な王子!何のつもりかしら。」
(難攻不落と噂の女を落として遊ぼうというわけ?)
女性が大好きな王子のやりそうな遊びだ。
きっと今までと同じように、落ちると同時に捨てる気でいるのだろう。
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------------------その日の晩。
淡く光る三日月に闇夜が照らされる頃。
灯りの消されたリリー・アンジェの寝室で、2人の男女が向き合っていた。
ベッドに腰かけ薄い夜着に身を包んだリリーは、目の前に立つ青年を鋭い眼差しで睨んでいる。
「…何のつもりですか、ラファエル王子。」
「何って。やだなぁ、深夜に男が女性の寝室に忍び込んでいるのですよ?夜這いに決まっている。」
「夜這い?…御冗談を。一体どうやって入りこまれたのでしょう。」
いくら王子といえど、真夜中の侵入者を許すわけにはいかない。
リリーは人を呼ぶためにベッドのサイドテーブルに置いてあるベルに手を伸ばした。
「だめだよ、リリー。」
伸ばそうとした手が、素早く距離を詰めたラファエルによって取り押さえられてしまう。
あがらうことを許さない男の強い力。
手首を捕える彼に神経を逆なでされ、リリーは声を荒げた。
「っ!いい加減にしてください!縁談はお断りしたはずです!」
「うん、届いていたね。」
リリーの右の手首を押えたまま、ラファエルは楽しそうに微笑みながら彼女を見つめた。
「 でも俺は君が欲しい。手紙じゃ無理そうだから、直接貰いに来たんだ。」
(…駄目だこの人。)
聡い彼女は、この男は初めからリリーの意見など聞く気がないのだと理解した。
思うがままに振舞って。
欲しいものは力づくで手に入れて。
あっという間に飽きて捨てるのだ。
何人もの女が彼に捨てられ泣きをみたのは、国の誰もが知る公然の事実。
そんな身勝手な男の犠牲になるつもりなどリリーには更々ありはしない。
「私は誰のものにもなりません。恋もしないし結婚も、絶対にしない。」
リリーはラファエルを見据えて強い口調で告げる。
たとえ今夜、彼に体を落されようとも、心は決してラファエルのものになりはしない。
他の女と自分は違うのだと傍若無人過ぎる王子に知らしめてやりたかった。
「嘘。」
「……?」
「だってリリーは、俺のことが好きだろう?」
「はぁ?何を馬鹿なこと…貴方みたいな遊び人、一番嫌いです。」
「ふぅん?」
ラファエルの碧い瞳が細められ、鋭さを増す。
(誰よ、これ…。)
朗らかで柔和な彼しか知らなかった。
女遊びが好きで、いつもふわふわ歩きまわる緩い王子様。
……少なくとも、リリーが周囲から耳に入れるラファエルの印象とはかけ離れた獰猛な男が、ここに居る。
(怖い…。)
捕えられた腕が痛い。身動き一つ出来ない。
男と女の力の差を見せつけられたようで、リリーは悔しさに唇を噛みしめる。
血が滲んでしまいそうなほどに噛みしめられた唇に、柔らかく温かい何かが触れた。
(え?)
その温もりがラファエルの唇だと認識するのに何秒かかったのだろう。
自覚したころには唇は離されており、口角を上げて見下ろす彼の視線の先にわずかに濡れた唇がさらされていた。
「っ…!」
「2度目、だ。」
「なっ!?」
楽しそうに微笑みながら吐息も感じられそうな至近距離で彼は囁く。
「王城の図書館の裏庭は、俺の秘密の昼寝場所なんだ。知っているよね?」
「……!」
ラファエルの言葉にリリーは驚愕したように絶句する。
少しの花と背の低い雑草だけが生い茂る図書館の裏庭は、何の面白味もなく近寄る人も居なかった。
いつも注目を浴びる王子が唯一安らげるその場所に訪れるのはラファエルと、もう一人。
「どうし、て…。」
「俺の他にあの場所を使っている人が居るのは知っていたよ。それが君だということも。でもまさか、睡眠中に襲われるなんて想像もしなかったけれど。」
「っ…。」
リリーは、泣きそうに顔をゆがめる。
(最初から、知っていたのね。)
いくら強がっても、リリーだって年頃の女の子だ。
綺麗で、優しくて、素敵な王子様。
馬鹿にしたような素振りで、実は他の女の子と同じように彼に憧れていた。
静かに読書が出来る秘密の場所を共有する人物が、世の女性達の噂の的である金髪碧眼の美貌の王子だということはリリーにとって少しだけ自慢だった。
そして一度だけ、眠る彼にこっそりキスをしたのだ。
自分だけの、誰も知らない秘密。
だと思っていたのに。
「…だから、落ちると思ったの?」
難攻不落と有名な公爵令嬢が、ひそかに想いを寄せる王子様。
彼は知っていたのだ。
知っていたから、リリーを他の女たちと同じように扱えると思ったのだ。
彼女は震える声で、懸命に声を紡ぎ出す。
「残念でしたね。」
「うん?」
「確かに私はあなたが好き。自分と違う華やかな世界にいるあなたに、ずっと憧れていたわ。
でもね、捨てられると分かっていて落ちるような馬鹿ではありません。」
リリーはずっとずっと、それこそ幼いころからラファエルに憧れていた。
人と関わるのが下手な自分と正反対の、いつだって人の中心に居る太陽みたいな大きくて暖かい人。
(好き。だから…遊ばれるなんて耐えられない。)
真っ直ぐにラファエルの瞳を見返して、一音一音区切るように言葉を紡ぎ出す。
「私は、絶対に、あなたの物になんてならない。」
「っ…。」
リリーのきっぱりとした台詞にラファエルが初めて動揺を見せる。
碧い瞳を揺らして眉を寄せる彼は、どこか儚く見えた。
突然様子の変わったラファエルにリリーは怪訝な顔で首をかしげた。
手首を掴む力も緩んでいる。この隙に逃げようかと思案するリリーだったが、ポツリとか細く囁いたラファエルの声に静止する。
「恋を…しようとしたんだ。」
「は?」
「でも、出来なかった。」
「…どういう、こと?」
問うことなどせずに逃げる場面だとは分かっている。
だが、ラファエルの切ない表情と声に捕えられ、動くことが出来なかった。
「俺は第一王子だから。恋仲になる女性には将来的に女王となってもらうことになる。」
「まぁ、当然ですよね。」
「何人もの女性と出会った。けれど、王族になるという強さと覚悟を持った人はいなかった。」
(強さと、覚悟…。)
リリーはその言葉を頭で反芻する。
「腹に一物抱えた重鎮たちと渡り合う頭脳。諸外国の王族と国運をかけて向かい合う覚悟。国中の民の期待の目にさらされても負けずに立てる強さ。王族になるとはそういうことだ。」
「……。」
「どれだけ想い合っていても、彼女達に国を背負う強さが無い限り深く付き合うことは出来なかった。」
「だから、たくさんの女性と…?」
小さくうなずくラファエルに、リリーは目を見張る。
「家柄の見合うような上流階級の令嬢ほど、守られて育てられた分とても弱くて…。中には見合う人がいるかと思って探したけれど駄目だった。」
愛しているだけではどうにもならない。
想いだけで突き進んでいい立場では無いのだ。
王女として立てるにたる人物で無ければ、どれだけ恋しくても手放さなければならない。
だから彼は、出会っては別れ、出会っては別れを繰り返していた。
リリーはぎゅっと、息が詰まるような感覚を感じた。
好きでも一緒になれない関係を、何度も何度も繰り返してきた人。
なんて切ないのだろう…。
言葉の出せないリリーと、顔を上げたラファエルの視線が交差する。
ラファエルの揺れる碧い瞳が、リリーを見つめて懇願するように眇められた。
「君なら、と思った。」
「え?」
「人の悪意に晒されても立っていられる強さがある。頭の回転も速いから重鎮たちとも十分渡り合える。家柄も申し分なく、婚姻による国政の混乱も最小限に抑えられるだろう。それに…」
「それに?」
一拍間を置いた後、少し頬を赤らめて照れた様子で笑うラファエル。
「それに、何より俺を愛してくれている。君となら、恋が出来ると思ったんだ。」
「っ……。」
(あぁ、駄目だわ。)
リリーの表情が泣きそうに歪む。
ずっと憧れていた、金色の髪の王子様。
捨てられるかもしれない恐怖で、手を伸ばすことなんてとても出来なかった。
でも。もしかすると。
彼との未来があるかも知れないという、希望の光を灯されてしまった。
「リリー?駄目、かな…。」
ラファエルが不安げな眼差しで彼女を見つめる。
掴まれていた手首はいつの間にか、手のひらを包むような形で優しく握られていた。
絨毯に膝をつき、ベッドに座るリリーの手を取る彼は、さながら姫に忠誠を誓う絵物語の王子様のようだ。
(こんなの…断れるわけ、無いでしょう?)
憧れの王子様との未来を掴む為、覚悟を決めて向かい合おう。
リリーは静かに深呼吸して、今の自分に出来る最大級の笑顔を作った。
最愛の人に、愛の告白をする為に。