景
少し夜更かしをして、布団で読書をしているとふすまが開いた。この時間にやってくるのが誰かは分かっている。親はこんな時間に離れにやってこない。家庭教師は、夜中部屋を出るのを禁じられている。
「明日、入れ替わろうか」
双子の片割れは挨拶もなしに言った。
「いいよ」
僕も躊躇うことなくそれを受ける。今までも、数回とは言えない数だけやっている事だった。親は僕を不治の病と「思い込んで」いる。実際、数年前まではそうだった。この一族は、神経質なまでに世間体を気にする。生まれつき体の弱い者を外へは出さない。戸籍も作らない。働けないものを人前にさらす事を嫌うからだ。こうして僕は十二年間幽閉されてきた。しかし、良い薬が出来て、今はもうほぼ健康なのだ。医者にもそういわれている。親もそれを知っている。それでも、一度隔離された者は、一生そのままである。幽閉のことが世間に知れれば、一族の傷になるのだ。
僕は、運がよかった。こうして隔離された者は、普通一歩も外に出られない。
お休み、と言って片割れは僕の布団へ潜り、僕は部屋を出た。次の日は僕が制服を着て学校へ行き、片割れはあの部屋で家庭教師と共に過ごす。
しかし、片割れは家庭教師と過ごすことにはならなかった。風邪をひいて寝込んだのだ。これも、そう珍しいことではない。片割れが僕と入れ替わる時、それは、片割れの調子が悪い時であることがある。
「おはようございます、母さん」
学校へ行く前に様子を見ようと離れへ行くと、母親に会った。
「ああ、景。おはよう」
どうやら、今日は付きっ切りで看病するらしい。片割れは眠っていた。
「もう、行かないと遅れるわ」
じっと片割れを見つめていた僕を急かすように母は言った。
「はい。行ってきます」
学校への道、眼鏡をかけた背の高い若い男に会った。病院の前の桜の下で花見をしている。花見と言っても、宴会ではなく、ただ本当に桜を見上げているだけだ。
男は僕に気が付くと片手を上げて挨拶した。彼は僕ら双子の医者の弟子だ。片割れとは仲がいいらしい。僕が実際に会ったのは二、三回。そしていずれも片割れとしてだった。この医者は、僕らが双子と言うことを知らない。
彼は朝の散歩の帰りらしい。僕は彼が毎日朝早く、散歩をしていることを知っている。
「やあ、景くん」
「こんにちは、先生」
「すっかり暖かくなったね。春はいい」
「僕も好きです。でも、まだ朝は寒いと思います」
確かに寒いのだが、僕は部屋の中にいることが多いから、他の人よりもさらに寒さに敏感だ。もっと厚着をしてくればよかったと思っている。
挨拶もほどほどに行こうとすると、一瞬、先生の顔がややゆがんだが、すぐに元に戻って、じゃあ、なんて手を振った。
僕はそれに気付いていたが、気にしない。片割れとのほんの少しの雰囲気の違いなんかに違和感を覚えるのは当たり前だ。
僕らが入れ替わっても、全くそれを感じないのは、親と、医者と家庭教師くらいなのだ。
僕は、次の日も、次の日も、片割れになりすました。片割れの具合が、一向に良くならなかったからだ。
僕らが入れ替わって一週間がたつころ、片割れは僕を呼んだ。部屋に入ったとき、布団の上で上体だけ起こしていた片割れは、ひどく咳き込んでいた。いかにも質の悪い咳で、僕は横へ行って、片割れの背中をさすった。
「ありがとう」
落ち着いたらしく、片割れは、ふう、と息をついた。
「こんなに長く入れ替わったことなんて無かったから。何か困ったことは無い?」
片割れが聞いた。
「ないよ。クラスの子達も、慣れてもう少しも違和感持たなくなったし、親もいつも通り。そっちは?」
「こっちも、医者も家庭教師もいつも通りだよ」
言って、片割れは苦笑した。
「あのさ、僕の部屋の机、一番下の引き出しの奥に、日記帳が入っているんだ」
「うん。取ってくればいいの?」
「いや、違うんだ」
片割れは首を振った。
「あげるよ」
僕は片割れの意図がつかめずに、顔を歪めて黙った。
「用はそれだけなんだ。おやすみ」
片割れは一方的にそう言って、僕を部屋から追い出した。
部屋に戻っても、結局、僕は片割れの日記を読まなかった。片割れの日記に興味が無いわけではない。しかし、読まなかった。
それからさらに二週間、僕らは入れ替わっていた。
そして、片割れは死んだ。僕の布団の中で、僕として。葬式は無かった。ただ静かに、遺骨は一族の墓に入れられた。片割れが死んだ時、僕はこれからずっと、片割れとして生きていくことが決定した。
僕は、片割れが死んで初めて日記を開いた。片割れが、これを僕に渡したわけが分かった気がしたのだ。日記は二年前から付けられていた。生きていた片割れの記録は、半頁で終わる日もあれば、二頁以上つづられている日もあった。僕はそれを、一晩かけて全て読んだ。
そして知ったことは、片割れが二年前から、重い病に侵されていたこと。
片割れが死んでから、僕はその日記に自分の日記を付けていった。僕の片割れとしての生活は、その後一ヶ月、全く問題なく過ぎていった。
「こんな朝早くに、どうしたんだい。景くん」
初夏、日が昇るのは大分早くなって、この時間でももう暖かい。
僕は墓の前で医者の弟子に会った。
「先生も、こんなところまで散歩ですか」
「いや、別の道を通っていたが、こっちに景くんが見えたからね。その荷物は?」
彼は、僕が肩にかけていた大きな布袋を指して言った。
「出かけるんです」
「へえ、何処へ?」
「どこかへ」
先生は訝しげな顔をした。そして質問を続ける。
「そのスコップは?」
「墓を暴くんです」
「・・・・・・」
「と言いたいところですが、違います」
僕はにやりと笑って言った。
「なんだ、冗談か」
「でも、近くを掘ります。埋めたいものがあるので」
「何を?」
僕は答えなかった。荷物を降ろして墓の横を掘る準備を始めても、先生はそこから動かなかった。
「何ですか?」
僕は手を止めて聞いた。
先生は、少し躊躇ってから話し出した。
「変なことを聞くようなんだが、いや、違ったらいいんだ。聞かなかったことにしてくれ」
「何ですか?」
僕は再び聞いた。スコップを置いた。
「このごろ、景くん、少し、変わった気がするんだ。その、成長とか、そういうものかもしれないけど。でも、前にもこういうのが何回かあったような気がして」
これを聞いて、僕は決心した。笑顔を向ける。
「変じゃないですよ。そう感じるのは当然です」
僕ら、双子なんですよ。
そう彼に告げた。この一言で大体の事情は分かったらしく、彼は目を輝かせた。
「すごい。じゃあ、君は景くんの双子の片割れなんだね? 時々入れ替わっていたんだ! でも、何でだい? 今景くんはどこに?」
彼にとって、双子が入れ替わると言うことはかなり興味深いことのようだった。
僕は墓を見た。つられて先生も視線をそちらに向ける。
「なんだい?」
「片割れは死にました」
先生は、その答えに一瞬呆けたように動かなくなった。
「何だって?」
「先月、病気で死にました。丁度僕らが入れ替わっていた時ですから、そのまま、僕として」
僕は、幽閉されていたことと、その理由を話した。現在は健康だと言うことも話した。そして、実は景の方が重病だったと言うことも話した。
先生は、その話を聞きながら、しばらく黙っていた。あまり表情は読み取れなかった。しばらくしてから、ゆっくりと話し始めた。
「でも、・・・・・・おかしくないか? 入れ替わったって、いくらそっくりでも、親は? 違いに気付くだろう?」
「ええ、多分、気付いているでしょうね」
先生は、え、といった顔になった。
「時々入れ替わっていたことも気付いているはずです。きっと、医者も、家庭教師も」
おそらく、気付かなかったときは無いだろう。ただ、気にしなかった。
「どっちでも良かったんですよ。僕か、片割れかなんて」
僕は淡々と言った。
同じ姿、同じ声、同じくらいの頭の良さ。両親は僕らを二人とも愛してくれていたが、そこに区別は無かった。全く、同じに愛していた。同じように、どちらがどちらの生活をしていようと構わなかった。外にいるのがどちらか一人なら、一族に傷もつかない。
「片割れは、自分が病気だ、って分かった時から、僕として死のうと考えていたんです。そうしなければ、僕はずっと幽閉されたままだと思って。でも、墓の前でこんな事言うべきではないんでしょうけど。そうする必要は無かったんです」
僕は苦笑しながら言った。
「片割れが何をしなくても、家は、僕を片割れとして外に出したと思います」
先生は、僕の話を黙って聞いていた。
「どうして?」
話を聞き終えて、初めて出た言葉がこれだった。僕は何を聞かれているのか分からなかった。理由は全て話した。僕が黙っていると、先生は再び聞いた。
「どうして、私なんかにそんな秘密を打ち明けてくれたんだい?重大な秘密なのに?」
僕は、この問いににっこり微笑んだ。
「もう、僕には関係の無い秘密です。今日、ここを離れるので」
先生は、何か言いたそうにしてから、口を閉じた。
「それに、家族と、数人の関係者しか僕のこと知らないなんて、淋しいじゃないですか。・・・・・・いえ、僕の存在を知ってた人なんて、いなかったのかもしれません」
僕は布袋の中から、日記帳を取り出した。
「これ、片割れの日記です。一月前から書かれているのは、僕の日記です。先生が持っていてください」
先生は、やはり僕が片割れから日記を受け取った時のように、意図が読めなかったのだろう。不思議そうな顔で日記を見つめている。
「理由は、多分、さっきのと同じです」
僕は、それを先生の手に持たせた。
「それでは、僕はもう行きます。それと、勝手に話したことでこんな事言うの申し訳ないんですが、命が惜しかったら、先生は何も知らないことにした方がいいですよ。僕の家のことです。何をするか分からないので」
それをきいて、先生は苦笑した。
「努力するよ」
僕は顔を隠すように深く帽子を被って、先生に背を向けた。
その背中に、また先生の声がかかった。
「そういえば、君の名前は?」
「景です」
「教えてくれないのか?」
「いいえ」
僕は笑った。
「僕の名前も、景なんです」