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エクスカリバーが交差点の真ん中にささってるんだが…  作者: 源三郎


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第9章 源兵衛川の声

雨上がりの源兵衛川。澄んだ水の底には、この町が長いあいだ流しきれなかった「言えなかった声」が溜まっていました。

今回は、たくさんの後悔を集めた水のモンスターと、戦の途中で三島へ落ちてきた異世界の兵士・ガレスが初めて姿を見せる章です。

「斬って終わらせる」彼と、「まず聞く」玄弥。二つのやり方が、初めて正面からぶつかります。


 梅雨の晴れ間は、長くは続かなかった。放課後、源兵衛川沿いの遊歩道に着く頃には、空はまた薄い灰色に戻っていた。


 雨上がりの川は、いつもより水かさを増している。それでも水は驚くほど澄んでいて、川底の小石が一つひとつ数えられそうだった。流れの中で、白い梅花藻の花が細かく揺れている。富士の伏流水が湧き続けるこの川は、夏でも指を入れると痛いほど冷たい。


「ここなんです」


 榊原灯里(さかきばらあかり)が、飛び石の手前で足を止めた。胸にはいつもの分厚いノート。


「三島の水は、ぜんぶつながってるって、昨日も言いましたよね。湧水も、用水路も、源兵衛川も。で、調べてたら、もっと古い言い方があって……えっと、『流す』って、捨てるのと、弔うのと、両方の意味があるんです。だから昔の人は、言えなかったことを川に流した。流せば、軽くなるって」


「で、流れきらなかったのが、溜まる」


 白石澪(しらいしみお)が先を引き取った。


「はい。たぶん、ここに」


 灯里はノートを抱え直し、川面を見た。その目が、研究者のものから、少しだけ怖がる子どものものに変わる。


「水って、よく覚えてるので」


 玄弥は川を見た。澄んだ水の下に、何かがある気がした。気がしただけかもしれない。けれど、右手の奥が、また小さく熱を持ち始めている。三日前の写真館から、この熱はもう完全には引かない。


「玄弥」


 澪が、玄弥の横顔ではなく、ポケットに突っ込まれた右手を見て言った。


「無理そうなら、言って」


「うん」


「ほんとに言ってよ」


「言う」


 短いやりとりだった。けれど澪は、それで少しだけ肩の力を抜いたようだった。玄弥が「言う」と返したことより、こちらを見なかったことのほうに、何か言いたげな顔をしていたが、口には出さなかった。


 その時、川下のほうで、水音が変わった。


 さらさら、ではない。ごぼ、と空気を含むような、低い音。飛び石の一つが、水の中に沈んでいくように見えた。沈むはずのない、固定された石が。


 水面が、内側からふくらむ。


 立ち上がったのは、人の背丈ほどの水の柱だった。輪郭はあいまいで、流れがそのまま立っているようにも見える。透き通った体の中に、いくつもの小さなものが沈んでいた。錆びたキーホルダー。片方だけの軍手。色のあせたお守り。表面の文字が読めなくなった、古いプラスチックの名札。


 どれも、誰かが、この川に落としたものだ。


 水の柱の奥から、声がした。ひとつではない。たくさんの声が、重なって、ほどけて、また重なる。


 ごめん。

 言えなかった。

 もういいよ、と、言ってほしかった。


 玄弥の胸に、いくつもの感情がいっぺんに流れ込んできた。整理できない。誰の後悔かも分からない。ただ、どれも、相手にはもう届かない言葉だった。


「……多い」


 玄弥は思わずつぶやいた。咲良の時も、こよみの時も、声はひとつだった。けれど、これは違う。何十年ぶんもの「言えなかった」が、この水に溜まっている。


「アヴァロン。これ」


「これまでのものとは、規模が違います」


 アヴァロンが腰の剣に手を添えた。声は静かだが、油断はしていない。


「核が一つではない。だから、ひとつ返したくらいでは、ほどけませぬ」


 その時、川の上流から、別の音がした。


 水を蹴る、重い足音。金属が擦れる音。


 飛び石を渡ってきたのは、甲冑姿の男だった。


 濡れた外套の下に、使い込まれた鎧。背は高く、腰には長剣。短く刈った髪から、水が滴っている。男は水の柱を見据えると、迷いなく剣を抜いた。


「下がっていろ。市民を逃がせ」


 日本語だった。けれど、どこか古い言い回しで、声の張り方が、この町の人のものではなかった。


「市民って」


 澪が小さく言う。男は答えず、水の柱へ踏み込んだ。


 剣が、横なぎに走る。


 水の柱は割れた。割れて、すぐに、何事もなかったように元に戻る。男の刃は、ただ冷たい水を切っただけだった。それでも男は、二度、三度と斬りつける。そのたびに、水の中の声が、悲鳴のように高くなった。


「やめろ!」


 気づいたら、玄弥は叫んでいた。


 男が振り返る。値踏みするような目だった。


「子どもか。なぜ逃げない」


「斬っても、消えない。あれは、敵じゃない」


「敵かどうかを、お前が決めるのか」


 短い問いだった。けれど、刃のように鋭かった。玄弥は言葉に詰まる。


「俺は……決めない。決めないけど、聞こうとはしてる」


「聞く」


 男は、その言葉を、聞いたことのない外国語のように繰り返した。


「悠長だな。聞いている間に、誰が死ぬ」


 そう言って、男はまた剣を構えた。その横顔を見て、アヴァロンが息をのむのが、玄弥にも分かった。


「……ガレス殿」


 男の動きが、止まった。


 ゆっくりと、こちらを——正確には、玄弥の隣の何もない空間を見る。普通の人には見えないはずのアヴァロンを、男は、見ていた。


「その声は」


 男の張り詰めた肩が、わずかにゆるんだ。けれど、すぐに別の硬さがそこに戻る。


「聖剣の守護者殿。……生きておられたか」


「あなたこそ」


 アヴァロンの声は、玄弥が初めて聞く種類のものだった。古い言葉が、いつもより、ずっとやわらかい。


「あの夜、城門で別れたきり……ずっと、最期だと思っていました」


「私もだ」


 ガレスは、水の柱から目を離さないまま言った。剣を構えたままなのは、たぶん、そうしていないと、別の何かが顔に出てしまうからだった。


「あなたの一族は、最後まで聖剣の間に残ったと聞いた。誰ひとり、逃げなかったと。……守護者殿。あなたは、よく勤めを果たされた」


「果たせていません」


 アヴァロンの返事は、早かった。早すぎた。


「私は、剣とともに、ここへ流れ着いただけです。守るべきものを、城に置いたまま」


 ガレスは、何も言わなかった。否定も、慰めもしなかった。その沈黙のほうが、たぶん、どんな言葉よりやさしかった。


「部下が、十二人。皆、てんでに飛ばされた。私はそれを、ひとりずつ集めて回っている」


 戦士の、硬い口調だった。けれど、十二人、と言ったときの一拍だけが、ほんの少し長かった。そのうち何人が、まだ見つかっていないのか――玄弥には、聞けなかった。


 水の柱が、また声を上げた。


 ごめん。

 ごめんね。

 もう、いいよって——


 その声に、ガレスの剣がまた持ち上がる。


「だから、聞けって!」


 玄弥は、右手の熱を、もう抑えなかった。


 川へ踏み込む。冷たい水が、膝まで一気に体温を奪っていく。それでも体は軽い。軽すぎる。玄弥は水の柱の根元へ手を伸ばした。指先が、沈んでいた一つに触れる。錆びたキーホルダー。


 触れた瞬間、声が一つに絞られた。


 知らない男の人の声だった。ずっと昔。この川のそばで、誰かと喧嘩をして、売り言葉のまま別れた。謝ろうと思って、思っているうちに、相手は遠くへ行ってしまった。キーホルダーは、二人でお揃いで買ったものだった。だから、川に捨てた。捨てれば、忘れられると思った。


 忘れられなかった。


「……返したいんじゃない」


 玄弥は、自分の声がかすれるのが分かった。


「もう、返せないんだ。だから、せめて、誰かに聞いてほしかっただけだ」


 水の柱が、ふるえた。


 玄弥は、できるだけ静かに言った。


「聞いたよ」


 たった三文字だった。咲良の時のような「帰ろう」でも、こよみの時のような名前でもない。ただ、聞いた、と。


 水の柱の中の声が、少しずつ、ほどけていく。錆びたキーホルダーが、玄弥の手のひらに、ことりと落ちた。川の流れが、また、さらさらと元の音に戻っていく。


 その奥で——澄んだ水が一瞬だけ、見たこともない赤い土の色に濁った。遠い、黒い影のようなものが、水鏡の底でゆらいだ気がした。けれど、玄弥がまばたきをすると、もう川は、ただの澄んだ源兵衛川に戻っていた。


「玄弥!」


 澪の声がした。けれど玄弥は、すぐには振り向かなかった。


 膝まで冷たい水に浸かっているのに、震えていない。さっき指先まで奪われたはずの体温が、もう体の奥に戻っているみたいだった。玄弥は、自分の手をしばらく見てから、ゆっくりと岸のほうを向いた。その動きが、なめらかすぎた。


「平気だよ」


 声も、落ち着いていた。落ち着きすぎていた。ついさっき「やめろ」と叫んでいた人間の声には、聞こえなかった。


 澪は、何か言いかけて、やめた。玄弥が無事なら、それでいいはずだった。なのに、川から上がってくる玄弥の――濡れているのに、どこか平然とした横顔が、澪にはうまく飲み込めなかった。


「……寒くないの?」


「え?」


 玄弥は、自分の濡れた制服を、今初めて見たような顔をした。


「あ……寒い、かも。うん、寒い」


 遅れて、玄弥の肩が、小さく震えた。寒さを、たった今、思い出したみたいに。


 澪は、その「思い出した」が、いちばん怖かった。


 岸では、ガレスが剣を下ろしたまま、川を見ていた。さっきまで斬っても消えなかったものが、子ども一人の言葉でほどけた。その事実を、どう受け止めればいいのか分からない、という顔をしていた。


「妙な戦い方をする」


 ガレスは、玄弥にともアヴァロンにともつかず、つぶやいた。


「ここは、あなたたちの戦場じゃない」


 玄弥は、濡れたまま言った。


「川も、町も、ここにいる人たちも。倒す相手じゃない。あなたの部下も、たぶん、ここで誰かに見つけてもらうのを、待ってるだけだ」


 ガレスは、しばらく玄弥を見ていた。それから、剣を鞘に納める。納める音だけが、やけにはっきりと聞こえた。


「……覚えておこう。だが、私はまだ、お前のやり方を信じたわけではない」


 そう言い残して、ガレスは飛び石を渡り、川上へ消えていった。一度も振り返らなかった。アヴァロンは、その背中を、見えなくなるまで見送っていた。


「知り合い、なんだよな」


 玄弥が聞くと、アヴァロンは小さくうなずいた。


「私が、守れなかった人の、ひとりです」


 それ以上は、言わなかった。玄弥も、聞かなかった。聞いてはいけない気がした。


 帰り道、灯里がノートに何かを書きつけながら、ぽつりと言った。


「さっきの川……一瞬だけ、ぜんぜん違う色が見えました。赤い、土みたいな」


「俺も見えた」


「あれ、たぶん、向こう側です。水鏡の底に、向こうの景色が映ってた。……ということは、です」


 灯里は、書く手を止めた。


「ここから、こっちの誰かが、向こうへ落ちることもある、ってことです」


 誰も、すぐには返事をしなかった。源兵衛川の水音が、夕暮れの町に、いつもより大きく響いている。澄んだ水は、今日もどこかへ流れていく。流せなかった声を、まだ、いくつも抱えたまま。


 玄弥は、手のひらの中のキーホルダーを握った。返す相手は、もういない。それでも、捨てる気には、もうなれなかった。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

返す相手がもういない後悔は、それでも、誰かに聞いてほしかっただけなのかもしれません。

ガレスはアヴァロンの過去とつながる人で、彼女が「守れなかった人」の一人でした。多くは語られませんが、語らないことのほうが、きっと重いのだと思います。

そして源兵衛川の水鏡には、一瞬だけ向こう側の赤い土が映りました。こちらから誰かが、向こうへ落ちる――その予感が、静かに近づいてきます。

次章では、川から町へ広がる異変と、まだ仲間になっていないもう一人の少年の影を描いていきます。

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ここまで読んでくださりありがとうございます!
玄弥たちが向き合うのは、倒すだけでは終わらない怪物たち。
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