第2話 伝わらない味と、伝える言葉
「しばらく、ここに住んでも大丈夫?」
夕食後、湯のみを片手にそう切り出すと、父は一瞬だけ眉を上げた。
「お前の部屋はそのままだ。構わねえよ」
ぶっきらぼうにそう言ってから、少しだけ間を置く。
「……しかし、東京での仕事はどうした」
「それは大丈夫!」
私は笑ってみせる。
「今フルリモートだし、パソコン一台あればどこでもできるの。
ちょうどいいから、しばらくこっちにいようかなって」
「だからって、無理に戻って来なくてもいい」
父は湯のみを置き、視線をそらした。
「お前にも好きなことして生きてほしいんだからな」
その言葉に、少しだけ胸が温かくなる。
「ありがとう。でも——」
私はゆっくりと言った。
「今、私がいたいのはここだから」
父は何も言わなかった。ただ、ほんの少しだけ肩の力が抜けた気がした。
ふと、机の上に目がいく。
「……ねえ、お父さん」
そこには、いくつもの薬のシートが並んでいた。
「薬、多くない?」
父は一瞬だけ言葉を詰まらせ、それから軽く笑った。
「ああ。最近、血圧の薬が増えてな」
「……大丈夫なの?」
「年だし、こんなもんだ」
そう言って湯のみを手に取る。
——こんなもん、で済ませていいのかな。
(やっぱり……公孝おじさんの言ってた通りだ)
胸の奥に、じわりと不安が広がる。
店のことも、父のことも。
(立て直さないと)
それと同時に、もう一つの考えが浮かぶ。
(……跡継ぎも、考えないと)
翌日。
父は朝から仕入れだと言って出かけていった。
店番を任された私は、掃除をしながらぼんやりと考える。
——SNS。
昨日、あそこまで言ったんだ。やらないわけにはいかない。
そのとき。
「……すみません」
遠慮がちな声が、店の入り口から聞こえた。
振り向くと、スーツ姿の男性が立っていた。
「昨日は、大変失礼いたしました」
深々と頭を下げる。
西園寺和也。
あの“ズレた正論コンサル”だ。
「父は今いませんけど」
「承知しております。今日は、その……お詫びも兼ねて」
差し出されたのは、きれいに包まれた箱だった。
「……これ」
思わず受け取る。
「有名店のものなので、間違いはないかと……」
少しだけ、自信ありげに言う和也。
……うん。
うん、分かる。
箱を見ただけで分かる。間違いなくおいしいやつだ。
私は小さく息を吐いた。
「分かるよ」
顔を上げる。
「無難にさ、有名店の和菓子。おいしいよね」
「はい」
和也がほっとしたように頷く。
「でもさ」
一歩、近づく。
「うち、和菓子屋なのよ」
「……」
「分かる?この複雑な気持ち」
沈黙。
数秒後。
「……申し訳ございません!」
勢いよく頭を下げる和也。
「だめですね、僕……いつもこう、どこかズレていて……」
本気で落ち込んでいるのが伝わってくる。
……この人、本当に悪気ないんだな。
「はあ……」
思わずため息が出る。
でも。
「ねえ」
私は箱を軽く持ち上げた。
「こういう“ちゃんとおいしいもの”ってさ」
「……はい?」
「なんで選ばれると思う?」
和也が少し考え込む。
「……品質が安定しているから、でしょうか」
「それもある」
私は頷く。
「でもね、それだけじゃない」
ポケットからスマホを取り出す。
「伝わってるからだよ」
「……伝わっている?」
「そう。どんな人が作ってて、どんな想いで、どんな味なのか」
画面を開く。
新規投稿画面。
「味が良くても、伝わらなかったら選ばれない」
少しだけ笑う。
「逆に、ちゃんと伝われば——選ばれる」
指が、画面の上で止まる。
「まずは、ここからね」
店の外観を一枚撮る。
少し古びた看板。
でも、嫌いじゃない。
投稿文を打ち込む。
『岐阜の小さな和菓子屋、米菓堂です。
看板商品は、父が作る栗きんとん。
昔から変わらない味です。』
送信ボタンを押す。
「……よし」
数秒、画面を見つめる。
いいね 0
「……」
まあ、そんなもんか。
そう思った、そのとき。
——ピコン
小さな通知音。
「……え」
画面を見る。
いいね 1
「……ふふ」
思わず、笑った。
「ゼロじゃないじゃん」
その小さな“1”が、やけに大きく見えた。




