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第2話 削除済み

「異世界、か…」


電車が滑るように停止し、聞き慣れたチャイムが、れいの言葉について考えていた私の意識を現実に引き戻した。プシューという音と共にドアが開く。私はバッグを掴み、時計仕掛けのような帰宅ラッシュの波に乗った。黒いスーツとヒールの川が、皆一様に改札口へと向かっていく。


地上へ続く階段を上りきると、ひんやりとした湿った風が、濡れたアスファルトの匂いを運んできた。


「雨?」


本格的な夏の暑さがやってくる前の、最後の春の雨だろう。幸い、今日はちゃんとバッグに折り畳み傘が入っている。「ポン」という音を立てて傘が開き、霧雨を防ぐ小さな盾となった。


アパートは駅から歩いて五分の距離だ。おかげで、霧雨が土砂降りに変わる前に、玄関のドアにたどり着くことができた。


「ただいま」


一人暮らしだから、そんな挨拶を呟く意味なんてないのだけれど、日本語の練習の一環として習慣にしておくのもいいだろうと思ったのだ。


温かいシャワーを浴びてさっぱりしてから、冷蔵庫に向かい、お気に入りのビールと、昨日の残りの寿司パックを取り出した。プシュッと小さな音を立ててプルタブを開け、泡だった茶色の液体を喉に流し込む。


「あ〜、たまらない!」


アルコールが喉を流れ落ちると同時、一週間パソコンの前に座り続けて溜まった体の疲れが、すっと消えていくようだった。


冷たい寿司を頬張りながら、ローテーブルに置いてあった日本語の問題集を手に取り、続きのページを開いた。


「まだ練習問題が10個も残ってる…。うーん、週に2個ずつやれば、来月のN1テストの前に終わらせられるな」


今のN2の資格で仕事が見つかってからは、もうJLPTを受けるつもりはなかったんだけど、れいが「将来、もっと可能性が広がるよ!」と言って勧めてきたのだ。


まあ、確かにN1の資格があれば会社からの評価も上がるだろうし、彼女の言うことも間違いじゃない。N1に合格したら、会社に給料アップの交渉をしてみるのもアリかもしれない。


そんなくだらないことを考えながら、私はペンをカチッと鳴らし、練習問題に取り掛かった。


-


「まだ寝足りない、あともう一時間だけ!」…そんな思いとは裏腹に、セットしておいた月曜のアラーム音で、私は飛び起きた。


その忌々しいアラームを止め、スマホの通知をチェックした私は、思わず眉をひそめた。


「おかしいな。れいはいつも返事早いのにな…金曜日からメッセージが既読にならない」


問題集に出てきた難しい漢字について聞きたいことがあったのに、彼女のステータスは金曜の夜からずっとオフラインのままだった。


「無事かどうか、電話してみるべきかな? でも、電話なんてしたことないし…。それに、今日は月曜だ。どのみち会社で会えるだろう」


こみ上げてくる胸騒ぎを飲み込み、私は急いで顔を洗って着替え、化粧を済ませた。コンビニにさっと寄ってお昼用のおにぎりを買うと、混雑する駅のホームへ向かい、ドアが閉まる瞬間に電車へと滑り込んだ。


「足元にご注意ください」


会社までの通勤時間は一時間ほど。インスタを眺めて、地元の友達が何をしているかをチェックするには十分すぎる時間だ。


「みんな最近よく旅行に行ってるなあ…うーん、私もそろそろ計画立てようかな。夏の北海道旅行とか、良さそうじゃない?今年の有給、何日残ってるか確認しなきゃ…」


そんなのんきなことを考えているうちにオフィスに着き、私は静かに自分のデスクに腰を下ろした。九時までまだ十五分もあるというのに、全員がすでにデスクに向かって仕事をしており、規則的なキーボードのタイプ音だけが響いていた。


けれど、私の隣のデスクだけが、やけに目立って空席だった。


「今日は遅刻かな? でも、もしそうなら連絡くらいくれるはずなのに」


胸騒ぎを振り払えないまま、私はメールの受信トレイに目を通した。


九時を過ぎても、隣のデスクは空いたままだった。


「やっぱり電話してみよう」


私は立ち上がり、スマホを取り出しながら給湯室へと向かった。


「え? なにこれ?」


どういうわけか、「霊」と表示されるはずのアカウント名が、「削除済み」に変わっていた。案の定、そのアカウントを押すと「このユーザーは存在しません」というエラーページに飛んだ。


「アカウントを消した? でも、どうして?」


私は不安に唇を噛んだ。


「どうしよう。電話番号、知らないのに」


その時、不意に背後から気遣うような声が聞こえ、私は驚いてスマホを落としそうになった。


「こんなところで何を?」


振り返ると、上司の山本さんだったので、私は慌てて挨拶をした。


「山本さん、あ、あの、突然すみません。霊さんの連絡先をご存知ですか?どうにも連絡がつかなくて、まだ会社にも来ていないんです」


その中年男性は、朝のコーヒーを淹れながら、怪訝そうな顔で私を見た。


「誰のことだね?」


「れ、霊さんです…ほら、私の隣のデスクに座ってる…」


彼は一瞬、眉をひそめて考え込んでいたが、やがて困ったような笑顔を浮かべた。


「エステラさん、海外式のジョークか何かかな? あの席は、去年の末に伊藤さんが辞めてから、ずっと空席だよ」

Thank you for reading!

日本語まだあんまり上手じゃないから、間違ってたらごめんね!


※N1およびN2は、外国人が就職活動のために受験する日本語能力試験を指します。

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