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花輪の約束

 神羅の森は、朝よりも少しだけ柔らかい光に包まれていた。

 昼に近づくにつれて、光は鋭くなるはずなのに。

 この森では、逆に丸くなるようだ。

 俺と文ちゃんは、並んで歩いていた。

 手は――繋いでいない。

 少しだけ近い距離。

 文ちゃんの歩幅は、小さい。

 それに合わせて、俺は自然と歩く速度を落としていた。

 足元の土は、相変わらず柔らかい。

 踏むたびに、沈んで、戻る。

「……優さん」

 横から、小さな声。

「ん?」

「……ここにずっと居て良いのですか?」

 文ちゃんは、前を向いたまま言った。

 俺は、少しだけ笑った。

「うん。ずっと居て良いよ、俺もいるから」

 それだけ言うと、文ちゃんの肩が少しだけ緩んだ。

 森の奥へは行かなかった。

 その手前――

 少し開けた場所に出た。

 花畑だった。

 森の中なのに、そこだけ光が落ちている。

 白い花。

 薄い紫。

 小さな黄色。

 名前は、分からない。

 しかし、分かることは、全部、生きていることだった。

「……わぁ……」

 文ちゃんが、小さく息を漏らした。

 その声は、ただの普通の子供の声だった。

 俺は、少しだけ離れた場所で、草の上に寝転がった。

 空が、見える。

 青かった。どこまでも、抜けていた。

 雲が、ゆっくり流れている。

 時間が、ちゃんと、進んでいる空。

 胸の奥が、静かに緩む。

 その間、文ちゃんは、花を摘んでいた。

 根元を、そっと持つ。

 少しだけ、迷ってから摘む。

 俺は、空を見たまま、言った。

「……文ちゃん、優しいね」

「……え?」

「花、ちゃんと選んでる」

 文ちゃんは、少しだけ照れた。

「……だって……全部……取ったら……かわいそう、です……」

 その言い方が、文ちゃんらしくて。

 しばらくして。

「……優さん」

 呼ばれる。

「ん?」

「……起きてください……」

 俺は、片目だけ開けた。

 文ちゃんが、そこに立っていた。

 小さな手に――

 花の輪。

 首飾りだった。

 白と紫と黄色が混ざっている。

 少し歪。

 でも、ちゃんと円になっている。

「……作りました……」

 小さく言う。

 ほのかに、期待を隠しきれていない声。

 俺は、ゆっくり起き上がった。

「……俺に?」

 文ちゃんは、こくん、と頷いた。

「……助けてくれた……お礼……です……」

 その言葉は、まだ少しだけ、重かった。

 俺は、少しだけ迷って。

 それから、頭を下げた。

「……つけてくれる?」

 一瞬、文ちゃんの目が大きくなる。

 それから、嬉しそうに、でも慌てずに、近づいてくる。

 小さな手が、俺の首の後ろに回る。

 花の匂いが、少し近くなる。

 草。

 水。

 少しだけ、甘い匂い。

 首に、かかった。

 軽い。

 本当に、軽い。

「……どう、ですか……」

 不安そうに聞く。

 俺は、花に少し触れて。

「……いいな」

 それだけ言う。

 文ちゃんは、少しだけ息を吐いた。

 それから。

 少しだけ、俺の隣に座った。

 距離は、まだ、少しだけある。

 落ち着く距離。

 風が、吹いた。

 花が、揺れる。

 文ちゃんの髪も、少しだけ揺れる。

「……優さん」

「ん?」

「……ここ……ずっと……ありますか……」

 俺は、空を見た。

 青い空。

 流れる雲。

 森の匂い。

 花の匂い。

「……あってほしいな」

 それが、今の俺に言える、正直な答えだった。

 文ちゃんは、小さく頷いた。

 少しだけ、俺の肩に、触れた。

 体重は、ほとんど乗っていない。

 でも、確かに、そこにいる。

 俺は、何も言わない。

 花の首飾りが、風で少しだけ揺れた。

 その軽さが、胸の奥に、静かに残った。

 風が、もう一度だけ、花畑を撫でた。

 さっきより、少しだけ温い風だった。

 昼が、ゆっくり近づいている。

 文ちゃんの指先が、草の上をなぞる。

 何かを探すわけでもなく、ただ、触れている。

 胸の奥で、何かが、少しずつほどけていく。

「……優さん」

 隣から、また呼ばれる。

「ん?」

「……空……広いです……」

 俺は、少し笑った。

「……うん。広いな」

 文ちゃんは、しばらく空を見ていた。

 目を細めて。

 眩しそうに。

 それから、ぽつりと言った。

「……落ちて、こない……ですね……」

 俺は、すぐには返事をしなかった。

 ただ、空を見たまま、言う。

「……うん。ここは、落ちてこない」

 断言はしない。

 でも、今、この瞬間だけは、そうだと信じられる。

 文ちゃんは、小さく頷いた。

 しばらく、風と、花の音だけが、流れた。

 花畑は、虫の音も、小さい。

 鳥の声も、遠い。

 森の呼吸だけが、ここにある。

 文ちゃんが、急に、小さく言った。

「……優さん」

「ん?」

「……花……もう少し……いいですか……」

「……いいよ」

 文ちゃんは、少しだけ、安心した顔をした。

 それから、また、花を摘み始める。

 一本、摘むたびに、少しだけ、手が止まる。

 俺は、横になったまま、それを見ていた。

 時間が、ゆっくり流れる。

 急ぐ理由が、どこにもない。

 文ちゃんが、草の上に、小さく座った。

 今度は、俺より、ほんの少しだけ近い。

 膝を抱えるみたいに、座る。

 摘んだ花を、膝の上に並べ始める。

「……何を作っているの?」

 文ちゃんは、少しだけ照れた。

「……ひみつ……です……」

「……そっか」

 俺は、それ以上、聞かない。

 文ちゃんは、しばらく、花を編んでいた。

 小さな指が、慎重に、茎を重ねる。

 絡める。

 少しだけ、やり直す。

 風が、少しだけ強く吹く。

 花が、揺れる。

 文ちゃんの髪が、頬にかかる。

 無意識に、耳にかけようとして。

 途中で、止まる。

 それから、少しだけ遠慮して、俺を見る。

「……取っても……いいですか……」

 俺は、一瞬、分からなくて。

「……ん?」

「……髪……」

「ああ」

 俺は、少しだけ身体を起こす。

「……いいよ」

 文ちゃんは、すごく慎重に、指先だけで、髪を、耳にかけた。

 触れた時間は、ほんの一瞬。

 それから、また、花に戻る。

 しばらくして。

「……できました……」

 文ちゃんが、言った。

 今度は、首飾りじゃない。

 小さな、花の輪。

 指にはめるくらいの、小さい輪。

「……これ……」

 差し出す。

「……優さん……」

「……ん?」

「……お守り……です……」

 その言葉は、すごく小さかった。

「……ありがとう」

 指に、はめた。

 小さい。

 ちゃんと、指に、引っかかる。

 文ちゃんは、それを見て、少しだけ、安心した顔をした。

 ぽつりと、言う。

「……なくさないで……ください……」

 俺は、頷いた。

「……うん。絶対無くさない」

 しばらくして、文ちゃんが、草の上に、ゆっくり横になった。

 俺の方を向いて。

「……優さん……」

「ん?」

「……ここ……あったかい……です……」

 俺は、空を見たまま、言う。

「……うん」

「……森が、守ってくれてる感じ……します……」

 ただ、静かに、納得する。

 風が、吹く。

 花の匂いが、流れる。

 文ちゃんの呼吸が、少しずつ、ゆっくりになる。

 眠いのかもしれない。

「……寝てもいい?」

 小さな声。

「……いいよ」

 文ちゃんは、少しだけ迷って。

 ほんの少しだけ、俺の袖を、指先でつまんだ。

 そのまま、文ちゃんの呼吸が、ゆっくり、深くなっていく。

 指にはめた、小さな花の輪。

 それが、風に、ほんの少しだけ揺れた。

 その軽さが、不思議なくらい、胸の奥に、残った。

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