したたる澱
始まりは一滴のしずくだった
それはリビングのフローリングにポツリと、ただそれだけが落ちていた
水滴の原因となる物は近くに無く他に濡れている物も見当たらない
「水漏れ? 雨漏り? このマンションも建ってからそれなりに経過してるからどっか悪いのかな?」
安月給で働いて日々の生活でいっぱいいっぱいなオレは、築何十年と経っているボロいマンションに住んでいた
仕事場と家を往復する毎日
仕事以外で人とまともに顔を合わせるのは隣人に会釈するくらいしか無いつまらない生活だ
最初は気にすることも無いと思っていた水滴を数回同じ場所に繰り返し見たので次第に不安が募ってきた
不安からか水滴を拭う時、嫌な生ぬるさを感じた気がする
「なにこれ?気持ち悪いな」
不快な水滴に対して嫌悪の言葉が口から漏れ出す
しかしそれからはしばらく同じ様な水滴が現れる事無く、そんな事があったのも忘れかけていた夜
ピタン!
背後で水滴が落ちる音がした
床に一滴落ちていた
実際に水滴が落ちてきた位置の天井を確認すると僅かな亀裂があった
スマホのライトを当ててみたが穴があることしか分からない
手をかざしてみると妙な温度と湿り気がある
クローゼットとかの天井板は外れる仕組みになっていて簡単に天井裏が見られるってミステリー小説に書いてあったのを思い出した
恐る恐る下から板をつついてみると意外なほど簡単に外れた
水漏れだったらいけないし意を決し天井裏をみてみる事にした
クローゼットの戸を全開に開け部屋の電気を全てつけ、懐中電灯を持って中に入る
それでもやはり少しの恐怖心があり脈が早くなるのを感じる
少しずつ板を押し上げ天井裏に光を当てていく
部屋の中とは違い人の目に触れることを想定していない天井裏には剥き出しの建材が見える
少しずつ頭を入れていき次第にその大部分を見渡せるようになる
自分の家であるのに異質な空間につい息をするのも忘れてしまう
ゆっくりと全体に懐中電灯を当て見渡す
徐々にさっき見た亀裂のあった場所に光が近づいていく
近づくにつれて素人ながらも違和感を覚える
亀裂のある部分の周囲だけ他の部分に比べてホコリが少ない
まるで何か引きずってホコリが取れたようにも見える
その跡は影の中に続いている
暗闇の中に続く何かが通った様な跡
それを見てからさらに心臓の音が早くなった
本当に何かが通った跡なのかライトを当てれば確認出来るはずなのにライトを向けることが出来ない
ガタガタガタガタ!
一瞬躊躇したその瞬間に黒い影が突進してきた
ドガン!
頭に衝撃を受け室内に落ちる
急に室内に落ちた衝撃と、暗闇から眩しい室内に戻ったその差で視界がはっきりしない
床でもがいていると背中に何かが覆いかぶさってきた
うつ伏せに組み敷かれ身動きが取れない。
「うぅ、なんなんだ?誰かいるのか?」
呻くように声を出すことしか出来ない
「ただ見てるだけで良かったのに。あなたの事を見てるだけで幸せだったのに。バレちゃった。あなたが何が好きで、何を食べて、いつ何をするのか教えてくれないのがいけない!自分で見に来るしかないじゃない!」
何を言ってるのかさっぱり分からないが、この声には聞き覚えがあった
2つ隣に住んでいる女だ
すれ違う時に会釈して挨拶する程度にしか関わりが無い女だが、やたらと見られていると思う事は以前からあった
ぐいっと体勢を変えられ仰向けになる
喉に両手を押し当て締め付けてくる
息もできず意識が朦朧とする中、ぽたりと顔にしずくが落ちてきた
この生ぬるいしずくは女から落ちていた汗だった
目が覚めると真っ白い天井と清潔に整えられた布団が目に入ってきた
「ここは……うっ!」
どこだ?と言いかけて頭の痛みでうめき声をあげた
それに気付いた看護師が外にいる人に声をかけている
「気が付かれましたか?ご気分すぐれないと思いますので、そのままお聞きください」
丁寧な言葉遣いではあるものの何処か強さも感じる口調で男が話している
男は警察官だった
不審な物音がすると階下の大家から連絡があり、オレの部屋を訪ねてきたところ、中から物騒な声が聞こえるからあの瞬間に入ってきたそうだ
女は取り押さえられ、俺は今病院にいるらしい
間一髪助かったようだ
警察官から女は捕まりオレへのストーカー行為をしていたと供述している事を聞かされた
「これから事件に関してお聞きすることもありますが、ひとまずはご養生ください」
そう言って警察官は出ていった
自分がストーカーされているなんて思っていなかったが今更になってその恐怖を実感してきた
でも女は捕まり、警察にいるのだろう
そう思うと少し落ち着いた
……ピタン
後ろで水音がした