002 どろーんのなかにいる
「どこだ、ここは」
気が付ければ、豊和は知らない部屋のベットで寝かされていた。豊和は慌て飛び起きる。部屋は無機質な白を基調とした内装で、病院や実験施設を思わせるような雰囲気だった。キョロキョロと見回す豊和は、いつの間にか寝かされていたベットから降りる。
「ここって寝室か? にしても、でけぇベットだな。四人くらい寝れるぞ」
豊和は部屋のキングベットに呆れる。自分の他にも後三人ほど眠れそうな特大仕様だった。なんで、こんなにベットがくそデカイ?と不思議に思いながらも、豊和はベッドルームと思わしき部屋を後にして、出口っぽいスライドドアに向かう。
スライドドアはセンサーによる自動開閉式のようで、豊和が近付くと自動的に開いた。
「うお、すげぇ豪勢な部屋。高いホテルのスイートルームみてぇだな」
スライドドアの先はリビングだった。デカ目のソファーとデカ目のテーブルが部屋の中央部に置かれ、隅には洒落たインテリアが置かれている。以前に動画で見た金持ちYoutuberが自慢するロイヤルスイートルームみたいだな、と豊和は思った。
テーブルには500mlペットボトルのコーラと置き手紙が置かれていた。
「なんだ、この手紙は?」
豊和はふかふかのソファーにドカっと座ると、置き手紙を手に取る。差出人はあの肥満白人のようだ。
内容は
"豊和様へ、この手紙を読んでいると言う事は、貴方様は無事に異世界へ到着していると云う事です。色々と御説明したいのですが、まずはテーブルのお飲み物でもお飲みになって、ごゆるりとお寛ぎください"
と書かれていた。
「まさか、もう俺は異世界にいるのか?」
そう考えると、豊和は冷や汗をかいた。自分が異世界にいるならば、ノーブルが言っていた魔王討伐を成し遂げない限り、現実世界には帰れないからだ。
「くそったれが! あのデブめ! マジで面倒事に巻き込みやがって!」
豊和の脳裏にあの余裕ぶった肥満白人の顔が思い浮かぶ。
「なにが邪神と魔王を倒してくれ、だ! どう考えても、人選間違ってるだろ! 自衛隊の特戦群か、警察の特殊急襲部隊か、もっと強いのに頼めよ! なんで、俺なんだ!」
豊和の怒りは自分が選ばれた事に関してだった。
彼はごく普通に工場で働いてきた平凡な一般人だ。当然ながら、実戦経験もなければ、戦闘技術もない。映画の主人公のようなずば抜けた行動力もなければ、抜きん出た頭脳もない。豊和はないない尽くしのアラフォーおっさんだ。
「銃を持たされたところで、そんな化け物倒せるか! 接近されて秒殺されるのがオチだわ!」
だからこそ、肥満白人が言った"邪神と魔王を倒して、異世界を救ってくれ"が戯れ言にしか聞こえなかった。幾ら特典の現代兵器を持とうが、ただの一般人に人類を滅せる程の巨悪を討ち取るのが不可能なのは、誰の目から見ても明白だ。が、肥満白人はやらない限り帰さないと言っていた。
「くそっくそが。ちくしょう。なんで、俺がこんな目に」
豊和はガンっと台パンをかまして、その場でうなだれる。彼の中にあるのは、理不尽に巻き込まれた怒り、これから先が見えない不安だった。その二つが豊和の中で渦巻く。
この場に酒があれば、迷わずに飲んで酔い潰れていただろう。
「……はぁ、喉がかわいたな……」
先ほどから普段は上げない怒鳴り声を上げ続けた為、豊和は喉の乾きを覚えた。豊和は手紙と一緒に置いてあったペットボトルを手に取った。コンビニやスーパーで売っている何の変哲のないコーラだ。赤い蓋を回して開ける。シュワっと炭酸の音が響いた。
「コーラか。まぁ、いいや。」
豊和は何も考えずにそのままコーラをラッパ飲みする。ごくごくと音を立てて、コーラが飲み干されて行く。
「はぁ~。これから先はどうした物か……ッ!?!?」
コーラを飲んでから数秒後、突如として豊和は喉に違和感を覚えた。違和感はどんどん大きくなり、やがては嘔吐感へと変わって行く。
(何が起きた!?)
豊和は拒否反応にも似た吐き気に思わず膝を着く。
(くそデブめが!!何か仕込んでやがった!)
豊和は吐き気の原因に気付くが、今更もう遅い。喉が高度数アルコールをストレートで飲んだような灼け付く感覚が豊和を襲われている。まるで得体の知れない"何か"が無理やり侵食されている感じだ。
幸いにして今まで経験したことのない感触は直ぐに引いた。ぜぇぜぇと息を荒げる豊和は立ち上がる。
「な 何だったんだ今のは?」
豊和は身体を動かすが、どこにも異常はない。普段通りのピンピンしている。が、直ぐに異変に気付くことになる。
「何だ? ザァーって耳鳴りみたいなのが聞こえる」
豊和は電波が悪い時のノイズみたい耳鳴りを聞こえた。脳味噌に直接響くような雑音だ。何だか誰かからの交信を受信している感覚に陥る。
「一体、俺は何をされた?」
豊和がそう思った時にザァーとしたノイズは明瞭な話し声へと、【聞こえていますか?応答を願います】と呼び掛ける女の機械音声に変わった。聞き慣れない声に驚いた豊和は「誰だ!?」と思わず返事を返してしまう。
【おはようございます、マイマスター。当機は製品名MQ151/20 Sphere、機体識別番号02、マスターのサポートを任せられた航空ドローンです。御気軽に"スフィア"と御呼び下さい】
「航空ドローンだって?その割りには姿が見えねーが……。まさか、この部屋はお前の腹の中か!」
【肯定。マスターの現在位置は高度10000mを航行する当機体の居住区域です。居住区域ではマスターに快適に暮らして頂ける設備を御用意しております。御要望があれば、何なりと御申し付け下さい】
「ていうことは俺はもう異世界にいるのか?」
【肯定。現在のマスターは地球とは別次元に存在する宇宙の惑星、即ち"異世界"に該当する地点におります】
「くそったれが! ふざけんな! とっとと俺を家に帰せ!」
【誠に申し込みありませんが、その御要望には答えられません。現在、次元跳躍航行は機能凍結中です】
「じゃあ、どうすりゃ帰れる!?」
【解答します、マスターが異世界で標的の殺傷が確認された場合のみ、次元跳躍機能航行は実行可能です】
「標的の殺傷だって? 要はノーブルが言っていた邪神やら魔王やらを殺さないと帰れないのかよ」
【肯定。その認識で概ね問題ありません】
ひとしきりのやり取りを終えた豊和はソファーに力なく座り込み、顔をうつむかせる。その表情は怒りはなく、やるせなさに染まっていた。
「なんで、俺なんだよ……。チートで異世界無双? 魔王討伐? ただの工場作業員だった俺なんかに出来る訳ないだろ……。じゃあ、もう帰れないの確定じゃねぇか……」
豊和は嘆く。彼は、自分が戦うことは無理だ、と初めから諦めていた。チートがあったところで、その辺の魔物に殺されて、野垂れ死ぬのが関の山だと。
「ちくしょう。どうして、俺がこんな目に」
豊和は圧倒的な自己嫌悪感に襲われていた。結局のところ、俺はどこへ行ってもダメ人間なんだ。とさえ思っていた。今の豊和はそんな劣等感や自己嫌悪で顔色に暗い陰を落とすしか出来ない。
ふと豊和の腹がぐぅと鳴った。
「くそが……腹まで減ってきやがった」
会社から帰ってからすぐ寝た豊和は昨日の昼飯から何も食べていない。空腹になるのも当然だった。航空ドローンの人工知能スフィアが落ち込む豊和に話し掛ける。
【マスター、一先ずはお食事を摂られて如何ですか?マスターのナノマシンが血中血糖値の低下を感知しました】
「ナノマシン? 何だそれ」
【ナノマシンは製品名"Nemesis-α"、マスターの体内に分布する人工ウィルスです。マスターが当機のシステムと接続する為、先ほどお飲みになったお飲物を介して経口投与させて頂きました。現在の通信も生体ナノマシンの中継して実行しています】
「さっきの吐き気はそのナノマシンが俺の身体に入ったからか。とことんふざけやがって。俺は実験動物扱いか」
【実験動物との表現は不適切です。ナノマシンウィルスは臨床試験が完了した生体CPUであり、健康被害のリスクは一切存在しません。被験者は戦術支援システムの接続管理以外に、免疫機能や身体能力の軽度な強化と云った恩恵が受けられます】
「システムと接続だって? つまり、俺がトンズラしないように監視できる訳か。くそったれめ、犬の首輪みたいな物だろ」
【戦術支援システムとの連携はマスターに多大な支援を行う事が可能です。周辺地域の航空撮影写真や敵勢力の位置情報の提供、ハンズフリー-ユビキタス通信、残弾数及び銃身温度のHUD表示、更には指定座標に対する近接航空支援、等と様々です】
ナノマシンの説明を終えたスフィアは再び豊和に聞く。
【マスター、御食事は何を召し上がりますか?】
「飯だって?」
【はい、当機はマスターのいた地球上に存在するメニューならば、どのような御食事も御用意可能です。何を召し上がりますか?】
豊和は数秒ほど考えるが、特に何も浮かばなかった。そもそもの話、確かに腹は減っているが、今は食べる気になれなかった。
「……変なのを混ぜてなきゃ何でもいい。適当に用意してくれ」
【かしこまりました】
スフィアは豊和の「なんでもいい」に応え、食事を準備する。数十秒後には豊和の前にある机に見慣れたロゴの紙袋が出現した。
「ハンバーガー? マクドか」
【マスターの食生活記録を参照し、このメニューを選ばさせて頂きました。以前から頻繁に御利用されていたようなので。どうぞ御召し上がり下さい】
豊和はロゴの入った紙袋を開け、中からハンバーガーを取り出す。ハンバーガーは照り焼きバーガーとチーズバーガーだった。豊和が仕事帰りによく買っていたバーガーだった。独り身社蓄の豊和は帰っても、ご飯を作ってくれる人は居らず、作る時間もなかった。だから、帰りにマックやコンビニ弁当を買う不摂生な生活をしていた。
異世界でもマックかよ、とボヤきながら、豊和はハンバーガーをかぶりつく。
「……普通にマックだな。味も同じだ」
【当機の機内食サービスはチェーン店舗のファーストフードから最高級ホテルのフルコースまでを御提供可能です。費用は一切掛からない上、注文も無制限の食べ放題です。他にも食べたい物は御座いますか?】
「いや、今はこれだけでいい。腹が減ったらまた頼む」
【承知しました】
機内ならば何でも食えるとかすげぇな、そう思いながら豊和は無言でハンバーガーを食い続ける。昨日の夜から何も食べていない空きっ腹だからか、ファーストフードのハンバーガーでも美味しく感じられた。
◆◇◆
「はぁ~食った食った」
数分後、豊和はハンバーガー二つを平らげ、脱力するようにソファーへ深く座り込む。腹が膨れた事で、先ほどまで沈んでいた気持ちが少し上向いて来たようだ。人間とは、空腹であれば否定的に、満腹になれば肯定的になる、そういう単純な生き物だ。
それに豊和には知る術もないが、先程のハンバーガーには抗不安薬剤が偽装混入させられていた。ベンゾジアゼピンは不安症状に対して即効性を発揮する精神安定剤であり、人工知能スフィアが悲観的になっている豊和へ対し秘密裏に投与された物だった。
豊和が落ち着いたタイミングを見計らって、人工知能のスフィアは「先ほどのお話の続きですが……」と話を切り出す。
「マスター。どうか、邪神と魔王を倒して頂けませんか?理由は明かせませんが、マスターは数十億人から選択された方なのです。豊和秋男ならば世界を救える、と判断したからこそ貴方様は選ばれたのです」
「選ばれただって? 俺が? いやいや、俺はただの工場作業員だぞ? 銃だって使えねぇ、戦い方だって素人以下だ」
「小火器を用いた戦闘が分からないならば、当機がマスターを教導致します。当機には初心者射撃講習から米軍特殊作戦軍養成までの教育プログラムが実施出来ます。また、機内には屋内射撃訓練場や室内戦闘演習場、トレーニングマシンが揃ったスポーツジム等の設備も充実しております。これ等を併用すれば、マスターは基礎体力や戦闘技術を無理なく取得可能です」
「いやいや、無理だって。技術だけ持っても、経験がなきゃ駄目だろ。未経験のまま外へ放り出されても、殺されて終わりだっつの」
【御心配には及びません。マスターが生命の危機に晒された時は緊急転送を行い、安全な機内へ避難可能です。仮に怪我を負ったとしても、当機の医療室にて投薬や外科手術で治療出来ます】
スフィアが話した"緊急転送"の単語に、豊和は反応する。
「緊急脱出……つまり、ヤバくなったら何時でもここに逃げ込める訳か?」
【仰る通りです。ですが、緊急転送はマスターの身体に高負荷を掛ける為、一日一回が限度と設定させております】
スフィアの言葉に豊和は唸った。彼からすれば、緊急転送は"ゲームのポーズ"と同じだ。少しでもヤバくなったら、安全圏の高度10000mを飛行する航空機へ逃げ込めばいい。即死技を受けない限り、彼は何度でもやり直し(コンティニュー)出来る。
考え込む豊和にスフィアが言葉を続ける。
【マスター、如何でしょうか?当機の全面的な後方支援と支給された銃火器類が在れば、魔物との戦闘も容易に遂行可能です。更に多くの魔物を討伐し、武器商と取引すれば、より強力な大型兵器の入手も可能です。此れでしたら、邪神及び八魔王の討伐も実現可能な目標だと思われます】
スフィアはここぞとばかりに畳み掛ける。
「マスター、どうか御決断を。マスターさえ一歩を踏み出して頂ければ、当機スフィアがマスターの任務達成を持ち得る総力を以てして援助させて頂く所存です。何卒、御願い致します」
そう言い切るスフィアの言葉は真摯さがあった。だからこそ、豊和は「……分かったよ」とスフィアの気迫に気圧される形で折れたのだった。