69.聖女はとうとう騎士を決めたの
普通の城に戻っていた地下への螺旋階段を降りていく。誰もいなくて年季が入っているけれど、埃や汚れがなくて掃除がされていたのだと思う。というか、それはここの住民が消えるまでだよね。となると、夜に掃除をするの?
「うちの城は皆が常に綺麗にしてくれていた。城の状態は、あの夜の直前の姿に戻るんだ」
「……レジーさんは、ここに戻らなかったのはどうしてですか?」
どう声をかけていいかわからない時は、聞いてみるしかない。少し首を傾げた彼に再度続ける。
「昼間には城の状態は戻る、でも皆はいない、それはとてもつらくて寂しいこと。けれどレジーさんの性格ならサラさんと別れた後、ここに戻ってくる気がしたんです。例え辛くても、向き合うために。また一歩進むために」
「……俺は」
かつん、かつんと音が響くのは、イヴァンの踵が石段に当たるから。考えてみれば全身鎧で、足先も硬い鎧ブーツなんだな。大変ね。
レジーはもう少し軽装で、胸元にプレートアーマー、ズボンはブーツにたくし込み、そのブーツはお洒落な装飾が施されている。金属音がしないけど、素材は何だろう。
「そこまで強くないよ、アリス」
そう言って彼が振り向く。
「期待を裏切って申し訳ないけれど」
アリスは首を振る、その顔が苦しそうで申し訳なさそう。言ってはいけないことだった? 違う、彼は何かを隠している。
「……来られなかったのですね。――システム的に」
彼の驚いた顔、それから少し寂しそうに苦笑した。それで当たりだとわかる。
先ほど彼はさらりとシステムと言っていた。どこまで普通として、とらえているかわからないけれど、本人たちも、その「システム」という抗えないものがあるということは認識しているようだ。
「魔王が現れ、教会が様々なことを授けてくれた。この世界の知識、技術、そして魔王を倒す方法。その中の一つで『システム』という制約の中でしか倒せない、生きられない条件があることを知った」
「法律というより……例えば『人間は空を飛べない、その機能がない』とかそういう絶対条件みたいなものですか?」
「アリスはすごいね」
“魔物に倒されれば魔物になる”、“魔物になった者はもう人間には戻れない”。それは彼らが経験で習得していった知識。でも“聖女がいなければパーティーになれない”、などは教会の御触れでありルール。
「システムをおかしいと思いませんか?」
「そのシステムの中で俺たちは生きているから」
『太陽が東から昇ることを不思議に思いませんか?』 と聞くのと同じ?
「おい」
そう言って、イヴァンが後ろからアリスの肩に手を置く。
「見つめ合うより、早く進め」
そう言えば、螺旋階段の途中でした。レジーが「そうだな」といって背を向けて降りだす。
「あのね」
階段を降り、木箱や樽が並んだ大部屋に着いたところで、追いついたヴィオラがアリスにそっと声をかける。
「魔王が現れる前は、教会もシステムもなかったよ」
そう言ってしゃがんで木箱に手をかけて、開けるそぶりをするから、横にアリスも並ぶ。
「それって……聖王様も?」
こくりと頷くヴィオラ。声を潜めているから、みんなに聞かれないほうがいいのかも。
「なんでこんな敵を作って、戦うシステムを作ったかわからない。けど、そうさせられてる」
「……それって、教会も怪しくない?」
ヴィオラは答えないけど、たぶん彼女もそう思っている。それとも魔王が現れたから、救済方法を神が与えたのだろうか。ゲームになる前に彼らは彼らの世界があった……。
いや、あったと思わされているだけかも。だって、RPGの世界だもんなあ。これって、倒せるのかな。倒したらこの世界、なくなっちゃうのかな?
埃一つない綺麗に整頓された倉庫は、とてもきれい好きな召使の人たちに管理されていたに違いない。それでも、密閉されて湿り気のあるワイン倉庫のような黴臭さがあるのは仕方がない。
……ワイン飲みたいなあ。
「レジーさん。その樽、ワインですか?」
驚いたように振り向き、それから彼はゆるゆると首を振る。
「いや、違う。いざという時の水だ」
残念そうにするアリスに気がついて、微苦笑しながらレジーは訂正する。
「その代わり、いいワインがあるよ。探索が終わったら飲ませてあげる」
「レジーさん、大好きです!!」
微笑みは美しい。
「アリスが好きなのはワインだろう」
「いいえ、私は……」
あなたです、そう言いかけたのに。
「さっさと探せ。エロナースめ」
後ろから暴言を吐いたのは、勿論イヴァンだ。これカスハラじゃなくてなんだっけ。患者でもないし、ただの関係ない人の暴言とみよう。
「イヴァンさん。私はこれからレジーさんを私の護衛騎士とすることに決めました。よってあなたは私と関係ない人に――」
なります、そう続けようとしたのに。
その瞬間のイヴァンの顔。呆然として無表情。あ、やばい。
「アリス。イヴァンが思いきり傷ついたよ」
言いきらなければ。だって「エロナース」だよ。
「あなたは関係ない人に――」
「言いきったら本当にそうなるよ」
再度ヴィオラに言われて口が止まる。シンとした空間に、皆がかたずをのんでいる。頑張れ、私。言い切るのだ。
「……今後一切。暴言はやめてください、聖女として命令します」
私、弱い。大型犬が恨めしそうに見る目やめて。
「お前がエロいナース服を着るからだ。命令されても――」
「命令されるの好きでしょ。次言ったら鞭で叩いて――あ」
――アリスは気づいた。皆も気づいた。
「アリス、ありがとう。俺は命をかけて君を守るよ」
レジナルド――レジーを自分の騎士としたことに。
「レジー。この宝箱、あけていい?」
「ああ」
呆然としているイヴァンがよろりと壁に背を預ける。ヴィオラはすぐに切り替えて、目の前の木箱を開けて、わああと叫んだ。
「金貨がいっぱい!! レジー貰っていい?」
「ああ」
レジーがそちらを見もせずに頷いた。アリスは自分の前に膝をついているレジーを見下ろして、ちらっと山盛りいっぱいの金貨の木箱を見て、またレジーに戻す。今はレジーに集中しよう。
「レジーさん、よろしくお願いします」
「……俺は諦めない」
「いいよ」
返事はなぜかヴィオラ。え、なんで。というか、イヴァンも諦めなよ。
ヴィオラはアリスの方に身を寄せる。まだレジーが膝をついているんですが。
「二人の男に取り合いさせる。両方を操るにはね、両方ともに甘えて、頼って、両方ともに時々相手の愚痴を言うの。そうやってけしかける。二人が殺し合えば面白いね――」
「ヴィオラ、聞こえているよ」
下からレジーが苦笑したままヴィオラに話しかける。
「頼られるのも、甘えられるのも俺は嬉しいよ、操られるのもね。でもアリスは男を手玉にとれそうもない。そんな彼女が俺は好きなんだ」
「聖女ってさー。そういうの上手だよね」
ヴィオラ、聖女に恨みがありますか? ていうか、百年生きていれば見たことありそうだな。誰? サラさん?
「レジーさん、立ってください」
「いや、アリス。手を出してほしい」
アリスはそっと恥じらうふりをしながら右手を差し出す。それをすかさずイヴァンが手に取る。その手はレジーのものなのに!
「ほんと子供だなあ」
ヴィオラの実況中継をよそに、レジーはイヴァンのおこちゃま行動を見越していたようにアリスの左手を取り、軽く折り曲げた薬指に唇を寄せた。
「わ」
叫んだのはヴィオラだ。アリスは驚いていたけれど、見つめてくるレジーの美しさに呆然としていた。なにこの美形、どうしよう、その人が私の護衛? 何か好きみたいなこと言われてる?
同時に、右手が握りつぶされる。忘れていた、私に右手があったことを。
「いたいいたいいたい」
目の前には、横から迫るイヴァンがいた。あれです、目の前には片膝をついてプロポーズ姿のレジー、右横には身を寄せてくるイヴァン。なので、ちょっと左側に身をよじる。
「俺の存在を忘れるな」
「ストーカーだなあ」
イヴァンは諦めない、アリスの右手をまるで勝者のように掲げたと思えば、彼も甲にキスをしてくる、と思った瞬間、光が弾けた。




