62.聖女はロマンスを求めるの
結局一本で全員分の手と口周り、皿とロッドと剣をあらって聖女の聖水はなくなった。レジーとイヴァンは飲んで、体力を回復したらしい。
私は断固拒否。自分の入った風呂水を飲むって変態だ。ヴィオラにアリスは頑固だねと言われたけど絶対嫌。
そして今、私達はグレース達のいる宿とレジーのリッチランド城への分岐点に差し掛かっていた。彼らに聖女水を届けるのを先にするか迷ったけれど、そちらに行けば行程が大きく遅れる。
レジナルドもあまり乗り気ではないみたいだから「止めようか」とアリスは言いかけたものの彼の城の中にある防護類や道具類は魅力的。じゃあ、城に向かおうというところで、重大な事故が起きた。
私のポンポンが痛くなった!
「だから……食中毒になるかも、って……」
言ったのに! それともこれはアニサキス? 取ってもらわなきゃ死んじゃう。のたうち回り、吐き気とついでに乙女にあるまじきお腹の下る感じを必死でこらえる。この世界トイレ必要なかったよね! それは小説世界でも出てこないよね。
「アリス、アリス!! 聖女水を飲むんだ」
必死で皆が聖女水の瓶をあけている。聖女水って、ちょっちエロいノクターンノベルに使われそうな言葉、絶対嫌だ……じゃなくて! 聖女の温泉水……。確かに万能薬。
アレを飲んだからみんなは平気だったのね。のたうち回っていると、ヴィオラが両手を地面に台の字に開いて押し付ける、レジーが両足を地面に押し付ける、やめて、ヤラレル。これノーマル小説だから!
イヴァンがまるで一升瓶のように水をラッパ飲みして私に口づけを……。
それ、誤飲するから! 溺死するから!! ロマンスないから。顔をあげさせてよ、殺す気!?
「やめて! 口移しはロマンスを求めるの! ついでにレジーさんがいい!」
「お前は! 俺じゃ嫌なのか!」
「だって、だって!!」
「俺を認めろ!」
認められるわけないじゃんよ、何その切ない言葉。一升瓶もって仁王立ちしてるくせに!
「いやっ」
「いいから大人しくしろ」
そして、私の意識は暗転した。
***
目を覚ましたら、天蓋付きのベッドでした。緞帳のように重いそれらに囲まれて、中は暗い。
「目覚めたかい、アリス」
外から聞こえてきた声に、アリスが「はい」と返事をすると、「入ってもいいかな?」とまたレジナルドさんの声。慌てて胸元を合わせて、といってもレオタードだけど、髪を櫛削き「どうぞ」と声をかける。
彼は心配を顔に宿しながらも軽く微笑み、青色のビロードのような天蓋から流れる布地の一辺をタフスで結ぶ。
「気分は?」
奥の窓からは光が差していた、どうやらどこかの寝台らしい。
「ここは、俺の城なんだ。古臭くてすまない」
「いいえ、ご迷惑をおかけしました」
そうか、ここはリッチランド城か。彼が首を振る。そしてベッド脇の椅子に座ると、何か遠い目をする。
「ここは、母上の寝台だった。急遽部屋を整えたけれど、行き届かなくてすまない」
再度謝られて首を振る。
「本当に、私がご迷惑をおかけしたので!」
つまり、具合が悪くなった私を皆で運んでここに眠らせてくれたのだろう。
「今は何ともありません」
「よかった、聖女水が効いたのだね。サラのおかげかな」
聖女水やめ。聖水はな、ちょっとヤバい男性向け小説で黄色い水のことなんだな。
だから黙っとこう。その理由は言えない。それよりサラさん……あなたに私は永遠に敵わない。ヤバさでも。とりあえず私はそこまでヤバくない人だと思いたいけど、レジーの心をあなたが占めているかと思うと若干ムカつく、じゃなくてヤバいですよと言いたくなるけど、そうなると私が嫌な人。
それに実態を知らないしな。
「サラさんは、ここには来たことがあるんですか?」
「いや、ない」
彼は即座にそう言い、少し皮肉気に口を笑った。
「皆はここに興味がなかったし、すぐにデビルマウンテンに向かった」
「そんなに早く」
「一応、勇者の村は訪ねたけれどね」
首をかしげるとレジーは笑った。
「勇者が聖女サラの騎士になった。それは里の誉れだ。報告のために寄り、彼らは祝福をうけたんだ。そして次の日、俺達は出発した」
聖女はレジーさんのことは興味を持たなかった。そんなことを察するけれど、それを嬉しいと思ってしまうと同時に、レジーの悲しみも感じて嫌な自分だと思う。
レジーさんは寂しいのかもしれない。でもそれを指摘することは止めた。彼の感情はわからない。察することができるけど。
サラはレジーとアーサー(恐らく勇者)を比べていた、ちょっとやだな……。貧乏だと勇者のことを言っていたけど、それでよかったのかな。
「アリス、いいか」
そしていきなりドアをあけ放ち、ずかずかと大股でイヴァンが入り込んできた。
「調子はどうだ?」
「平気……」
「あのあと、お前の口から白いニョロリが出てきた。スマホンに写真を撮ったがみるか?」
ずばんと印籠のように掲げてきたけど、幸いにして画面はロックされていた。ただし、写真を撮れたという事は操作できたんだよね。
「なぜに、私のを!」
「指紋認証という愚かなことをしたからだ」
「……!」
寝たすきにやったな。このストーカー彼氏のように。しかもまだ私何もいじってない。手がマグロの血で真っ赤だったから。
「ていうかニョロリってまさか……この間のイヴァンが乗っ取られていた魔獣」
「甲殻類やサバに比較的多い寄生虫だ」
「アニサキスじゃんかよ!」
「見るか?」
いじりだすからあわてる。私のスマホンじゃなくてワンダホンだぞ! 彼がいじる写真一枚目には何かの白い蛇が……やめて。記念すべき一枚目が私の口から出てきた寄生虫なんて。
「ハラスメントだ、アニハラだ」
アニサキスハラスメント、ひどい。
「消して、お願いだからけして。そして返して」
「お願いする時は何と言う?」
「……」
もうこいつの言う事は聞かないぞ、という強い意思でアリスは見返した。このままじゃ、一生奴隷だ。
「お前に聖女水を飲ませたのは誰だ」
命令口調だと、やっぱえろ……。
「――俺だよ、アリス」
静かにレジーが声を滑り込ませた。
「アリスが望んだから俺が飲ませた。イヴァン、そうだろ?」
イヴァンがだまる、それをレジーがじっと見つめる。アリスはどういう表情をしていいかわからなくて、だまり座ったまま。じきにイヴァンがアリスの掛布の上にスマホをおいて出て行く。一体何?
いきなり少女漫画のような展開だ。アニサキスの話をしていたのに。どういう意味があったのだろう。
レジーは振り返りもしなかった、ただ硬い顔をしてイヴァンが遠ざかるのを気配で見送り、それからアリスを見た。
「アリス、これは君が聖女ではなくて。――アリスとして聞いてほしい」
「レジーさん」
レジーは苦笑してアリスの手を取り、ポンポンと叩く。それから手を包み込んだままアリスの頬にその手を寄せる。
「“さん”はやめてくれ」
「レジー?」
微笑は美しかった。
「俺は君が好きだ。だから、守らせてほしい。騎士じゃなくてもいい、傍に置いてくれ」




