60.聖女はにゃんこに負けちゃうの
あっちからシャワーの音が聞こえてくる。全く興味がないアリスは、狭い壁に備え付けのテーブル横の椅子に座りながら、スマホをいじっていた。電源らしきへこみを押すと、まずいきなり『言語を選択してください』と。
つぎつぎに『こんにちは』『ニーハオ』『Bonjour』『Hello』
ここから選べってことだよね。
(日本語が出てくるから、それがベストなんだよね)
『୨Ⳮ୧ᵋⳭᵌꕑꢆᵋ&ᵌ』
謎言語、これってこの世界のもの?
(そういえば、あの『聖女証明書』に書かれていた謎文字に似ている)
もしかしてそっちにしたほうがいいのかもしれないけど、使いこなせないし。
未練があるけれど、日本語の『こんにちは』を選ぶと『初期化します』との文字。
「ちょ、まっ!!」
考えてみればもしサラさんのものなら、彼女が撮った写真とか、個人情報たっぷりだったのに。もしくは以前の聖女のものだったとか。
でも、またもやバーが出てきて、何パーセントとか初期化が進んでいく。
「あーあ」
とりあえず、備え付けのセットから粉末のお茶を紙コップに入れて急速湯沸かしポットのお湯を注いでインスタントの緑茶を作る。インスタントコーヒーは納得できるけど、お茶くらいは茶葉のティーバッグにしてほしいなあ。
「けち臭いなあ」
と言いつつ、備え付けの茶菓子「ひよっこ」を食べる。ひよこ型の菓子の中身は白あんとショートニングを混ぜた乳菓。どこかで食べた味だなと思うけど、その味が懐かしい。
何となく名前の商標権ヤバいし、馬鹿にされている気がしないでもない。
ちなみに菓子も二個だけ。やっぱりペア用の部屋なんだね。彼らはいらないといったからアリスが朝食代わりに二つもらえることになった。
「あ、初期化終わった」
パスワードの設定……。こういうの本当に苦手。いつも忘れるの。しかも八文字とか記号入れろとかさ。この世界で誰が乗っ取るのさ。モンスター? 魔王?
それを終えてアリスは写真も何もない画面を開いた、基本的なアプリが入っている。写真や、ネットとか。
「出たぞ」
もわっとした熱気とともに、シャワールームがあく。イヴァンが腰に布一枚を巻いて出てくる。上半身は見事な筋肉。黒髪を滴らせふきながら闊歩してくるのはイケメンだけどさ。
タオルから覗く目はアリスを見据えている。顔をあげてなんでじっと見てくるの。
「覗かなったのか」
「覗かない。変態じゃないから」
それにラブホの透明お風呂って女性が見るため? ってお洒落なリゾートホテルでも透明なガラス製なんだよね。外が見えるように。でもここの造りはなんていうか下品だ。
「お前の値が変わっていない。つまりエッチ度がかわっていない」
「人のステータスをいちいち確認するの、やめてくれませんかね」
アリスはひよっこを口にしながらもぐもぐといった。
「ね。この世界はスマホあるの?」
「しらん」
スマホがわかってるのか、わかってて言ってんのかわからんな。
「なんでこれが渡されたんだろ」
「ワンダホン。アリスのストレージに入っている。お前の持ち物は、銀の皿と、このワンダホンだな」
なんだよ、ワンダホンって。結局何も得ずに、この教会を出るのかな……。
AならぬCのアプリを押してみれば、チェリーストアがある。
「あ。インスタがあった、ダウンロードしてみようかな」
のぞき込むイヴァンがやたらに近い。シャワー後の蒸気で熱気がむんむんしてくるので、少し離れて。
「なんだその、やたらにカタカナ語は」
類似しているものはパス。どうやら本家本物らしい“インスタントてろグラム”を押して首を傾げる。若干違う気もする。確かあれ、テレグラムの略だよね。
そうこうするうちに、似たような画面が出てきて登録を促される。
「なんだ、それは」
またもやIDにパスワード。もう勘弁してよ。
『Arisbijyo3」
どうせすぐわすれちゃいそう。えっと自己紹介。
『アリスin wander land』
他に何書こう。
『第一区の聖女です』
写真もないしな。非情に地味だ。と、すぐにフォロワーがつく。
「すご、すごいよ!! フォロワーついた!」
あれ?
私の記念すべき第一号フォロワーのアイコンは、横顔で、俯き加減で猫を抱いている女性の姿。
『愛の伝道師聖女りりん』
『第四区聖女・魔王討伐・世界に優しく・生きるものに愛を・愛は宇宙パワー・サステナブルな愛の生活・自然を愛する活動家・愛の魔法使い・猫を愛する会・猫を世界に広めよう・資源再生愛好家・愛の波動師・猫を世界にナチュラルな生活・猫愛ヴィーガン・猫を地方に創世しよう』
「ねえ……第四区の聖女から接触された」
「なに!? ――なんだこれは」
私も聞きたい。怪しげな自己紹介だな、猫使うのズルいよ。魔王討伐どうでもよさそう。
「どういうわけだ?」
「えーとつまり、このスマホンで広報活動を行っているんじゃないかな。怪しい人だけど。
でもフォロワー二十五万!? すんげ―負けている」
なこ、使うのずるいよ。
「だからなんだこれは」
「どうでもいいけど、もう服をきて!」
さっきからぐいぐい裸で乗り出してこないでよ。言えば、ちっ、と舌打ちしたね。何を狙っていたの?
とはいえ、たくさんの写真があるし、今フォローしてきたという事は活動真っ最中ってこと? 魔王討伐してんの? 猫の写真ばっかりじゃん、これだから猫好きは! それでフォロワー獲得かよ。奥の手じゃんかよ。猫使うのズルいよ……。
「この世界の人口は?」
「なんだそれは」
「いいから」
二十五万人もフォロワーがいるとか……へこむ。敵うわけないじゃん。何を争ってるのかわからないけど。
「一億ぐらいはいるだろう」
「日本の総人口程度か」
彼女の最新の投稿をクリックしてみる。
『知ってる? 森林破壊は猫を破滅に導いちゃう』
どっかの自然保護団体か、猫保護団体かわからんな、ていうか猫つけるのずるいお。
『人は年間、一万トンの森林を伐採します。その被害は甚大です。それにより作られた建築物から、パルプのごみは八千トン。それは猫の生きる生態系を破壊します』
えー。猫は勝手に生きてるよ。
『そこで、破棄されるはずの資源を再生利用、猫が生きやすいシステムを作りました!』
魔王関係ないな。そして人間よりも猫が生きやすい世界だな。
『再生資源は、紙コップからお箸、紙皿、トイレットペーパーあらゆるところに届けられています。それらにはにゃんこの聖女マークが付けられています』
写真で彼女は笑顔。
動画の彼女は四本の指を立てて、頭の上に耳代わりに立てている。次の動画は、両拳を頬の前に置いて招きながら、にゃんにゃんと文字で描いている。
うまい!! 二本の足にはそれぞれ四本の指、その足の裏にはハートの肉球についたイラストだ
「これは四区の聖女のシンボル。聖女マークのついていない猫を滅ぼす製品の不買運動を! 猫世界を守る聖女にゃりんをよろしくね!」
アリスは、ホテルに備え付けの紙コップを手にした。猫ハートマークはついていない。
いいねのハートが二万件以上、コメントは大量。
投稿の最初は、猫を出していない。中盤から猫を利用し始めたのだ、この策士め。色々な猫を抱っこをしながらの写真も載せていて、旅をしながら猫へ愛を配っているらしい。魔王討伐どうした。
――負けた。猫アイディア負けた。
「何だ。猫ごときが何の意味がある」
「その猫に愛を注ぐ人々がいるんだよ……」
猫は最強なんだよ……。世界の破滅より、魔王討伐より猫が大事な人々がいるんだよ。
もともとソーシャルなネットワークのシステムは苦手なんです。フォローされても困るし、キラキラ投稿は半分が虚像だと思っているが、猫との写真は猫が無条件で勝つ。
がくりと肩を落としたアリスは、料金を払い終えたレジーに促され、いつのまにか合流したヴィオラを力ない瞳で見る。
――聖女、みんなあざとすぎる。




