39.聖女はミーミーのミルクが欲しいの
朝目覚めたら、真横の椅子でイヴァンがムッツリとした顔で腕を組んで見下ろしていた、そして開口一番こういった。
「遅い」
「は?」
「起きるのが遅い、何もなかっただろうな」
「……」
アリスはベッドから無言で出て、無視して洗面台へと向かう。その背を追いかけてくるイヴァン。
「話せ、全て何があったか話せ」
「アンタに話す義理はない」
そう言いながらアリスは振り向いて、口端をあげる。
「とっても濃厚な夜を過ごしました。レジナルドさんと」
イヴァンが一歩足を下げる。よろけて手を壁につける。
え、蒼白。
その時、後ろでガシャンと音がする。イヴァンの後ろをのぞけば、ピッチャーが割れて白い液体が床に広がっていた。バタバタと走っていくのは、ヒューだった。
「え。なに、ヒュー!?」
「……ミーミーのミルクだ」
「え、なに?」
可愛いんですけど。
「南アルプスの天然少女に出てきたような貴重な子ヤギに似たミルク。その味は絶品で、みるきーはママンの味で舌をもとろかすとブルグルマンに載っていた。この先の絶叫崖に住むミーミーからヒューが朝一でとって来たんだろうな」
「なにそれ! えっ、そんなのを、こぼしちゃったの!?」
なんかもうおかしな言葉はどうでもいいの。ミーミーもとろけるミルク。
「もうない。お前が変なことをいうから。ヒューは泣いて出て行った」
「ヒュー泣いてたの?」
「泣いてた」
「私も泣きたいよ!」
床にへばりついてすすりたい。
「飲みたきゃ、床に這いつくばって舐めろ。М度が二ポイント上がる」
「……イヴァンが、取ってきてよ」
「あれは生涯にミーミーが一度しか出さないミルクだ。もうない」
……泣きたいよ。ていうかヒューゴメン。なんでかわからないけど、またいつか見つけてね。
「それより、昨日はどんな濃厚な夜を過ごしたんだ」
「ミーミーのミルクより芳醇だよ!」
イヴァンの眉間の皺がよる。イケメンだけど負けないかんね!
「イヴァン。いい加減にしないか」
そこにレジーが後ろからイヴァンの腕を取る。
「話しただろう、手はだしていないと。結婚を申し込むなら魔王を倒した後、手順を踏むと」
……結婚!? え。
思わずレジナルドさんとイヴァンの顔を見上げたが二人は睨み合ったまま。なに、レジーさん何があった。
「もっとも、滅びた国の王に嫁いでくれとアリスに到底頼めるわけがないが」
「だろうな」
いいえ、イケメンとなら苦労します。畑も耕します。都会の喧騒から離れてのポツンと一軒家で田舎暮らし、今は流行ってるんですよ。
「お前は、魔王を倒したら国の復興をサラに願うと思っていたが」
イヴァンの指摘にレジーの顔は硬い。ようやくアリスは口を挟む。
「――誰かの願いを他人が口にするのはタブーだよ、イヴァン」
それを聞いてイヴァンは口を奇妙にゆがめたままアリスを見下ろす。その目が睨むようで、けれど言葉を呑み込ませる。
「死人も、魔物になった人間も生き返らせられない。安らかな死を願うしかないんだ」
レジーの言葉が響く。
「ちょっと、ミルクでべちゃべちゃじゃん。早く片付けようよ! 朝ごはん、ヒューがいないからイヴァンは草を摘んできて」
その時、ヴィオラの声が響いた、それは二人を非難していた。
「……摘む」
「そう。今朝の朝食は草だよ。ちゃんと食べられるのにしてね!」




