33.聖女はローランの覚悟を知るの
いきなり中央に現れた人間に魔物達が一瞬動きを止めて、凝視する。それからケモノとしての性質か、ギャッ、グワ、とか小さく叫び、いきなり雄たけび、いわゆる鬨の声をあげる。
それを上回ったのは、ローランの咆哮だった。まるでキングコングのように胸を張り、着ていた衣装が千切れていく。
天頂までまっすぐに突き抜けるような叫び声。それはキーンというような金属的でもありどこまで伸びるの? というようなもので、一瞬魔物達の動きさえ止めた。
ヴィオラが耳を塞ぎ、グレースは夜目にでもわかるくらい真っ白な顔で杖を握り締めている。
ローランの姿が倍に、いや更にそれ以上に変わっていく。二メートル、三、五メートル。二足歩行なのに、上半身の方が異様に膨らんでいる。毛におおわれて、爪が手よりも長い。彼の手にはいつもの剣はない。武器はその手足、牙なのだろうか。
月明かりに照らされた彼の目は真っ赤で、口は耳まで裂けている。もとローランだったものは、魔物の群れに突っ込んでいく。それは、対峙していた魔物よりも速い。
一瞬彼の姿が見えなくなる。けれど、すぐに血と肉の残骸が空中に巻きあがる。まるで竜巻が突っ込んだかのように、そこが壊されて、かつ魔物が引きずり込まれて千切れていくようだった。
大きな魔物はそこに突っ込んでいく、でもすぐに弾き飛ばされてぼたぼたと端のほうに肉片となって落ちていく。ときどき月明かりが何かを照らす。ローランらしき白い髪がみえる。彼はさらに大きくなっているようだ。咆哮は誰のものだろうか。
「ねえ、助けなくて、いいの?」
誰を? ローランを? ローランは一人魔物の集中攻撃を浴びている。山の中にいて、背に爪をたてられ、頭を掴まれて時折、魔物の中に沈んで、また顔をだして、噛みついて、引きずり込まれて。
あまりにもたくさんの巨大な魔物の中で一人闘っているけれど、その闘い方は正気じゃない。人のものじゃない。我を忘れた獣だ。
「ローランは、狂戦士なの……」
震える声で茂みの中から祈るように両こぶしを合わせたままグレースが伝えてくる。
「……満月の夜だけ、変身できる最強の戦士よ。でもその姿の時は目に映る全てを殺すわ。例え、仲間でも」
あんなにいた魔物達がみるみると倒れていく。でも当然、前にいた小物が屠れれば、次に出てくるのは強大な魔物。
それはいくら変身して巨大化したローランでも敵わないほどの大きさ。まるでトカゲとドラゴンのようだ。事実、彼は噛みつかれ倒れてしまう。思わず立ちそうになったアリスの手をグレースはひっぱる。
「出てはいけないわ。一人で闘う覚悟でローランは行ったのよ」
「でも」
「大丈夫。彼は――この間は、不死なの」
大きな恐竜もどきが足を踏み下ろしている、そのあと尻尾でローランが吹き飛ばされる。アレを見ても、大丈夫なのか。そう言いたくなってアリスは蒼白なグレースを見た。
(大丈夫、何て。ちっとも思ってない)
ふらりと、かかしのようなローランの姿をしたものが立ち上がり、恐竜を掴む。そして振り回す。それが一区の壁にぶち当たり、扉を壊す。すさまじい振動が響く。
「不死でも、粉々になっても生き返るの?」
「……」
「ねぇ。ローランが……しんじゃう、よ」
ヴィオラが泣いている。グレースは答えない。生き返るのかもしれないし、違うのかもしれない。知らないのかもしれない。でもローランが抱えた竜が何度も扉に叩きつけられる。
やれっていう気持ちはない。そのたびに身体が震える。
周囲の魔物が起き上がり、そのたびにローランを妨害する。
アリスは立ち上がろうか何度も迷う。身体も震えているけれど、魔物が怖いのか、ローランが怖いのかわからない。
何かをした方がいいのか、迷う時はしてしまった方が早い。例えば電車で席を譲ろうか迷って気まずい思いをするより、譲ってしまった方がすっきりする。
そんなのとはスケールが違いすぎるけど。迷えばしてしまえ、という信条。
ただ、立ち上がっても何もできない。ただ魔物に見つかるだけ。ローランは自分の前に出てくると自分が殺してしまうから、と皆を止めたのだとわかるけど。
こんな圧倒的な力の差で、魔物を倒せるのか。それって自分が魔物を倒せるのが前提だよね。それとも相打ち覚悟?
それに、全部が終わったらどうするの? ローランはいつ正気にもどるの?
「ローランは、朝日が昇れば元に、もどるから……」
そう言ったって夜は長い。まだ夜明けは終わらない。そこまでに魔物は倒せるの?
見ていられない。自分ができることは何? なにも無い!
その時、ひときわ大きな衝撃が走る。一区の障壁が崩れた音と、ローランが抱えていた竜を、襲い掛かろうとした飛竜に投げつけ、二匹が地面に落ちた音が響いたから。
「障壁が崩れた……行け!!」
不意に姿を変えたヒューがローランを羽交い絞めにしている。
グレースが悲壮な顔で立ち上がり、アリスを引っ張る。慌てて立ち上がる。こんなところで腰を抜かしている場合じゃない。
ヒューは大きさこそローランを上回っているが、力では押され気味。
暴れる彼を必死で抱え込んで、おまけに突っ込んでくる魔物に耐えている。その足もとでイヴァンが魔物を薙ぎ払っている。
瓦礫だらけの門をくぐれば、まだ魔物がいた。
立ち止まりヴィオラが目を閉じ、杖を突きだし何かを唱えだした。それに猪突猛進の魔物。
え、これどうするの。普通は盾になり薙ぎ払うんだよね。何か魔法はないの?
グレースが杖を振り払おうとして、魔物に凪ぎ飛ばされている。「キャッ」という声をあげているけど。そうだよね。それ魔法の杖だよね。王女様が闘ってるのに!
(まほうまほうまほう)
出てくるわけがない!
『――地獄の大火!!』
その時、ヴィオラの叫びが響き渡ると、一直線に目の前の魔物が火に包まれる。目の前の魔物が焼き払われる。
肉がやける焦げたすごい臭気と煙にケープで目をおさえると、グイと手を引かれる。
「何をしている、逃げるぞ」
見なくてもその強引な手と口調でわかる、イヴァンだ。
「でも、ローランが」
「朝日が昇るまではどうしようもない」
振り返ると、ローランがラリアットでヒューに技を決められて引き倒されたところだった。
もはや魔物は蹴散らされるアリ。けれど、ローランは起き上がる。
ヒューには疲れが見えていた。ヨロりと起き上がったのは、ヒューが先。
そのあと、跳ねるようにローランが起きた、その時、飛び出てきたレジーが剣を大きく振りかぶる。
身長差は何倍もある。ドラゴンを倒す騎士、叙事詩そのもののように彼は見合いそして向かってきたローランの前に垂直に立てたクレイモアを胸に突き刺す。
ゆっくり倒れるローレン、だったもの。
「ローラン!」
グレイスが叫び、立ち尽くす。
アリスは駆け出していた、魔物はイヴァンが駆逐していた。
そして地面に縫い付けられたローランはまだ暴れて立ち上がろうとしていた。爪を振り乱し、牙をむき出しにして、口から泡を出し、唸っている。
「大丈夫だ、クレイモアは抜けない」
レジーが苦い声で言い聞かせてくる。誰に、というわけでもない。アリスはとても非難することはできなかった。
ローレンは死なないし、伝説の宝剣があれば彼は朝まで動かないということだろう。
でもこんな姿のまま朝まで待つの? 胸には血がにじんでいるどころか、あちこち肉がはがれ、爪も牙も欠損している。
ローランはこんな姿を見られたくなかっただろう。
『――サンライズ!!』
その時響いた声は、女性のものだった。




