32.聖女はローランの影を知るの
月夜の晩、障壁というのは城壁にしかみえなかった。どこまでも天高くそびえる継ぎ目のない石壁。見えるのは一つの出入口。その前にはぎっしりと人非ざる者たち。
前衛は二足歩行の人に似た者達。
ただし月の光に照らされる顔は全く違う。猿や蛙、鳥に似ているけれど、身体はまた別のもの。
例えば蛙が立ち二足歩行している、腹部だけが異様に膨らんでいる。長い舌が裂けたような口から出たり入ったりしている、目が三百六十度回転してぎょろぎょろしている。
後衛は四つ足の巨大な化け物。こちらは四足歩行の化け物だけど、頭が二つ、尾が蛇、体じゅうはガラスのような鱗をつけたもの。
たくさんの人間のような顔を張り付けたナメクジのような塊もいる。
アリスは吐き気を覚えて口を押さえた。
「アリス……」
グレースが背中に手を添えてくれる。
「ごめん……」
彼女は静かに首を振る。ヴィオラも何も言わない、慣れているのだろうか。
「みんな、人間、だったんだよね……」
静かに頷かれると、説明のつかない感情に襲われる。アリスはほんの少しの魔物しか見たことがない、闘ってもいない。けれどこれが人間だったというのか、これと闘い殺してきたと言われると彼女達が恐ろしくもなるし、同時に哀しいし。
あまりにも巨大でおぞましい化け物、恐ろしい。カチカチという音が何かと思えば、自分の歯が鳴っていた。
怖い、逃げたいと思う。グレース達はどんな思いでこれを乗り越えてきたのか、なんてわからない。でももう恐ろしいを通り越したのじゃないか。麻痺させているのじゃないか、じゃなきゃ戦場にはいられない。
「聖女のあなたは、人間を殺す私達を許せないかもしれないわね」
「――そんなことないよ」
小声にしなくても声にならなかった。
「やらなきゃ――ならなかったの」
「……うん」
わかるなんて、言えない。
イヴァンと、レジーは別の場所に待機している。全員が一か所にいたら見つかった時に一網打尽。
ローランが危機の時には彼らが助太刀するらしい。それからもう一つ――ローランを止める時にも。
この入口は一つしかなく、十メートル進んだ先の出口にはまた魔物達が潜んでいるという。
幸いにも上部には歩哨はいなくて、壁の上からの攻撃はない。もちろん飛翔できる魔物がいれば別だというが、見た限り翼のある魔物はいない。
アリス達は事前の打ち合わせ通り、奥の木陰――戦いがみえるが、魔物達からは見つからないほど充分距離を取ったところにいた。
グレースの存在を消す魔法をかけ、あまり派手に動かなければ平気だという。
これもすべて、ローランに見つからないようにするため、と言われてアリスは頷いた。恐らくヒューみたいに彼は変態するのだろうと。
でもヒューでさえも一緒に行く、と言わないのは、共倒れになってしまうからだろうか。となると、理性をもたない何かになる可能性が高い。
月が天頂にまで上りつめ、時間だと呟いた時、別のところに待機していたローランが茂みから障壁までゆっくりと進み出る。その瞬間から悟った。尋常じゃない何かの気配に場が満たされた。
それはローランからだった。




