第42話 おじさんと灰の魔女モルガン
ログドラシル・オンラインでは、課金して手に入れられるアイテム交換用の万能石を【運命の石】と呼んでいた。
プレイヤーの間では『課金石』の愛称で親しまれている。
【運命の石】を砕くことで、レア武器やユニークアイテムと交換できる。
ログドラシル・オンラインにはガチャ要素はないので、望んだアイテムと交換できると好評だった。
「トランスウォーターも【運命の石】と交換して入手ができる課金アイテムでした。方法はわかりませんが、【運命の石】のチカラで無限にトランスウォーターを生み出しているようです」
「理由がわからないのはバグのせいだと相場が決まってる。問題は元栓を締められるかだ」
「直接調べてみないことにはなんとも。今から【運命の石】を引き上げます」
エリカはそう言うと、貯水湖の水底に向けて杖を向けた。
すると虹色に輝く宝石が湖の底から姿を現した。
「これが運命の石か。こうして目にするのは初めてだな……」
『――くふふふ……。そうジロジロ見るでない。照れるであろう』
「すわ!? BBA蜘蛛かっ!?」
どこからともなく笑い声が聞こえてきて、リリムが慌てて剣を構える。
だが、現れたのは【アトラク=ナクア】ではなかった。
『――ふぅ……。ようやっと外に出られた』
いつの間に現れたのか、子供のように背の低い女魔法使いが【運命の石】の上にちょこんと腰掛けていた。
魔法使いは幽霊のような存在で、体が半透明で向こう側が透けて見える。
『――リリムと話すのは初めてじゃな。妾は【神位権限NPC】。おまえらを灰の都へ誘った者じゃ』
「あんたが声の主か……」
聞き覚えのある合成音声と、もったいぶった物言い。
盗賊のアジトで俺に”ご神託”をくれた神位NPCだった。
「この方がワタシを導いてくださった……」
『――改めて挨拶をしよう。妾は灰の魔女【モルガン・ルフェ】。灰の都のダンジョンマスターをしておる』
魔女モルガンはダボダボなローブの袖と長い灰色の髪を揺らしながら、俺たちに笑いかけてくる。
「あんたが灰の都を管理しているのか。【禁域】にいたヴィヴィアンと同じように」
『――左様。禁域は未実装のエクストラダンジョンじゃったが、灰の都は実装済み。より神に近い権限を与えられている。その権限でタクトとエリカにチャットを送りつけたのじゃ』
「厄災を止めるため、か……」
『――バグによってもたらされる厄災……”バグ災”とでも呼んだ方がわかりやすいかのう」
「”バグ災”……? それもサービス終了が影響してるのか?」
『――そうじゃ。神が世界の管理を放棄した結果、あらゆる事象にバグが生じるようになった。不具合を直す管理人がいなくなったのだから当然じゃな』
俺の問いかけにモルガンは神妙な表情で頷く。
そして、モルガンは語った。
――エクストラダンジョン【灰の都】。
それは数千年ほど前に栄えた古代王国のなれの果てだ。
ある日、古代王国に務めていた宮廷魔法使いが禁忌を犯す。
より強大な魔力を求めて人の姿を捨て、魔物となったのだ。
魔物――【アトラク=ナクア】は、他の人間も魔物に変えて彼らから魔力を吸い取った。そうして集めた膨大な魔力を使い、異界の門を開こうとしたのだ。
だが、計画は失敗。チカラは暴走して一夜にして都市は壊滅する。
後に残ったのは灰燼が渦巻く廃墟と、孤独に生きる蜘蛛の魔物だけだった……。
『――禁忌を犯した愚か者の名は【モルガン・ルフェ】という』
モルガンは【アトラク=ナクア】になった際に、肉体と魂が離れ離れになった。
魂の存在となったモルガンは、深い水の底で勇者が訪れるのを待っていた。
闇に堕ちた、かつての自分を倒してくれる存在を……。
『――というのが、エクストラダンジョン【灰の都】実装時の背景設定じゃ』
そこまで語ったモルガンは、やれやれと肩をすくめる。
『――これまで数千人ほどの勇者に助けられ、そのたびにお決まりの台詞を吐いて褒美を渡してきた。それがNPCとしての妾の役目じゃからな』
モルガンはそこで虹色に輝く【運命の石】を眺める。
『――褒美というのがこの【運命の石】じゃ。ダンジョンマスターの権限で、いくつかストックを抱えておった。しかし、サービス終了と共に異変が起きたのじゃ』
「異変……バグか」
『――その通り。神がいなくなったことで【アトラク=ナクア】が暴走して【運命の石】を使ってトランスウォーターを召喚した。生前はなし得なかった、異界の門を開いてみせたのじゃよ』
「異界の門……。現実の世界ですね。それで課金アイテムであるトランスウォーターをこちらの世界に召喚したわけですか」
エリカの呟きを受けて、リリムが首を傾げて疑問を口にする。
「どうしてトランスウォーターと交換したのだ? せっかくの課金アイテムだ。他にも強い武器があったであろう。ワシさまならそっちにする」
『――変化の呪いを世界に広めるためじゃよ。トランスウォーターを飲んだ人間はモンスターに変身して、そいつの体液によってまた仲間が増えていく』
「ジャイアントモスキートに変身した冒険者たちみたいにか」
『――そうじゃ。盗賊どもが遺跡で湧き水を入手したのは偶然じゃが、【アトラク=ナクア】はわざと泳がせておったのかもしれん。放っておけば仲間は増えるし、捕まってもいずれ灰の都に辿りつく』
「そうして灰の都にやって来た人間をモンスターに変えて、餌と兵隊を増やしていく……」
『――人型に擬態させて街へ送り返せば、あっという間に感染が広がるからのう。我ながら狡猾なことよ』
「なら、もしも暴走を食い止められなかったら……」
エリカの何気ない呟きに、モルガンはため息交じりにぼやく。
『――バイデンはおろか世界中が灰の都と同じ運命を辿るじゃろうな。トランスウォーターにより変質した蚊蜻蛉による蝗害。これこそが世界を滅ぼす”バグ災”のひとつ【アバドンの呪い】じゃ』
「そんな……。急いで止めなくてはっ」
『――そのためにおまえらを呼んだのじゃ。妾はこの湖から動けぬ。チカラを貸してやるから【運命の石】に近づくのじゃ』
「わかりました」
エリカは頷き、運命の石に近づいて手を掲げる。
すると、足下に魔法陣が浮かび上がり――
「あ…………っ!」
「エリカっ!?」
それは一瞬の出来事だった。
魔法陣から姿を現した【アトラク=ナクア】は、エリカの体を掴むとそのまま虚空に消えた……。