第20話 おじさん、バグモンスターと戦う
「【■ァイアー《母》ール】……ッ!」
全身に炎をまとわせたエルメリッヒ伯爵は、右手を掲げて炎の玉を繰り出す。
攻撃そのものは遅くて見切るのは容易い。
「【アイシクルランス】!」
女魔法使いが氷の魔法で火炎球を相殺しようとする。
だが――
――ヴゥン!
火炎球は氷の槍をすり抜けて、俺たちの背後にいた衛兵たちを襲った。
「ギャアアアアァァァッ! 伯爵さまぁぁぁっ!!!!」
「いけない……っ! 【アイスウォール】!」
女魔法使いは氷の壁を作り、炎に巻かれた衛兵たちを守る。
けれど炎は、氷の壁など存在しないかのように炎上を続けて衛兵たちの体を焦がす。
「だったらこれでどうだ! 【スラッシュ】!」
俺は一か八か【スラッシュ】を使って衝撃波を放った。
衛兵が死なないように、無銘によってブーストするのではなくパワーを抑えた。
結果は――
「剣風で炎が消し飛びました!」
「ふぅ……。なんとかなったか」
「意識がある人は負傷者を連れてこの場から離れてください!」
生き残った兵士に負傷者を任せたあと、女魔法使いは伯爵に向き直った。
「はした金で買った薬がこれほどまでに強力だとは。見ろ、人がゴミのように燃えていく」
「なんてことを! 部下を巻き込むなんて……!」
「ゲハハハハ! そやつらはしょせん使い捨ての駒にすぎん。私は使う側の人間なのだよ」
気がつけばエルメリッヒ伯爵の体は二倍、いや3倍に膨れあがっていた。
服は破けて皮膚が溶けきっており、全身が真っ赤な炎と化している。
もはや、人としての面影はない……。
炎の魔人と化した伯爵は、紅蓮の炎をまき散らしながら笑みを浮かべる。
「キサマらも私の下で働かないか? 泣いて許しを請うなら考えてやろう」
「誰がアナタのようなゲスと!」
「俺も仕事を見つけたばかりでね。いま辞めると弟子に怒られそうだ」
「そうか。ならば仕方ない……」
炎の魔神はつまらなさそうに息を吐く。
その吐息すらも炎となり、周囲の温度を急上昇させた。
気がつけば部屋は炎にまかれ、調度品や天井ですらも焼け落ちかけていた。
「私に従わぬ愚か者は消し炭になるがいい! 【■ァイアー母ール】ッ!」
「聞き間違えじゃない。また声がバグった……!」
火炎球が再び放たれる。
今度は5発同時。しかも空を飛ぶ鳥のような速さで迫ってきた。
「危ないっ!」
俺は女魔法使いを抱きかかえると、【ムーブ】を連続使用して部屋の外に逃げた。
次の瞬間――
――――ドガアアアアアァァァンッ!!!!
大爆発が起きて宮殿全体を大きく揺らした。
崩れ始める天井。俺は女魔法使いを脇に抱えながら廊下をひた走る。
「下ろしてくださいっ。うぷっ、吐きそうっ」
「いまは我慢してくれっ!」
短距離を超速移動する【ムーブ】に内臓が耐えられないのだろう。女魔法使いが顔を青くさせて悶えていた。
俺一人なら【ムーブ】で逃げられるが、彼女を連れていたら遠くまで行けない。
廊下の突き当たりを曲がったところで女魔法使いを床に下ろした。
「これだけ距離を取れば平気だろう」
暑くて仕方がない。俺は被っていた兜を脱ぎ捨てた。
隣でひと息ついている女魔法使いもローブを脱いで、大きく息を吐く。
「ふぅ……」
素顔をあらわにした女魔法使いは、ひと言で言えば美人だった。
意志の強そうな紅い瞳と絹糸のように滑らかな銀色の髪が魅力的で、北国に住む妖精のような神秘的な美しさを秘めている。
担いだときに当たっていたからそんな気はしていたが、ローブに隠されていた胸は豊満だった。体は軽かったので締まるところは締まっているんだろう。
「ありがとうございます。運び方に文句を言いたいところですが助かりました」
「お、おう……」
「どうかしましたか?」
「えらい別嬪さんだなと思って」
「こんなときに冗談ですか?」
「ジョークを言ったつもりはないが……まあいいさ」
一度剣を交えた相手が超絶美人だと調子が狂う。
俺は場の空気を変えるように、廊下の角からチラリと顔を出した。
「マ”デエエエエエエエエエェェェェ……!」
炎の巨体が、壁や天井を破壊しながらゆっくりとこちらに近づいている。
すでに人の言葉も怪しくなっている。いや、それどころか……。
「ワダ、ワダジの体がどけ、溶ける縷々縷々縷々宇ゥゥゥ……っ!!」
伯爵は炎の体すら維持できずに、巨大な炎のスライムと化していた。