【2】
数日後、万里子は帰宅するなり毅に「中学の校長から電話があった」と聞かされる。
夫は自分が押しに弱いことを自覚しているため、「対応は妻がする」で通したと告げて来た。的確な判断だ。
学校側からすれば、丸め込めると舐めている父親を相手にしたかったのだろうが。
『ぜひお詫びにお家の方に伺いたいのですが、日中のご予定は──』
「はぁ? どういう意味? あんたらの『謝罪したって形を整える』ために私に仕事休めって? 何様なの!?」
万里子の怒気を含んだ表面的に繕う気さえない台詞に、電話の向こうの校長が息を呑む気配が伝わって来た。
さすがに『先生様』は、いきなりここまで攻撃的な対応を受けるとは想定もしていなかったようだ。
『そ、それでは職場の方に……』
「私は他人様の子どもを痛めつけて悦に入るようなクズとは違うの。まともな仕事してるんだから邪魔しないで! そんなこともわからないの?」
敢えて煽るように激しい言葉を並べる万里子に、それでも彼は逆らいはしなかった。
『決してお母様のお仕事の邪魔はしません! もし空き時間があればで結構ですので』
「来るのは勝手だけど対応するとは言えないよ。忙しいの、私は! あと、絶対に待合室の椅子には座るなよ。あれは患者さんのためのものだから」
必死に食い下がってくる彼に、面倒になって万里子は投げやりに返す。
ただでさえ激務なのだからせめて家では身も心も休みたいのだ。
『……承知しました。明日伺います』
返事する気は初めからなく即通話ボタンをオフにして、受話器を叩きつけたいのを抑えて親機に戻した。
◇ ◇ ◇
「高柳先生、あの……」
「本当にごめんなさいね。ちょっと外すから、何かあったらすぐ呼んでください」
待合室の隅で朝から突っ立ったままの数人を気にしている奈々の遠慮がちな声に、万里子は仕方なく外来診察を終えてすぐに科室を出た。
医療クラークは外来の秘書的存在ではあるが、医師の私的な世話をすることまでは業務に入らない。彼女に心理的にでも不要な負担を掛けるのは本意ではなかった。
「『謝罪』したいんならさっさと済ませて! ただ、市から確認されたら『謝罪を受けた』ことだけは認めるけど、一切納得はしてないし許すつもりもないからそのつもりでね」
言い放った万里子に、校長の間中と担任の天風に部活顧問である今野の三人の男、養護教諭の女が揃って頭を下げ空虚な上辺だけの文言を口にする。
耳に入る、ただ文字を並べただけの中身のない『謝罪』らしきものが万里子の脳内を通り過ぎて行った。
この程度で許されると本当に考えているのだろうか。
──教員ならあり得るのかもしれない。
「ああ、そうだわ。この市の養護教諭は医師免許までお持ちなのね。全然知らなかった。参考までにどちらの大学の医学部を卒業して何年の国家試験に合格なさったのか教えてもらえる?」
「……は?」
ぽかんと口を開けた校長の間抜け面に、万里子は容赦なく続ける。
「父親が息子を迎えに行ったとき、そこの養護教諭が『熱中症ですけど大したことないので』って診断したんでしょ? 医師でもないのに診断するのは医師法違反なんだけど。だから当然医師免許があるのよね!?」
万里子の追及に、女は無言で身を震わせた。
「あ、あの、それは私、存じませんで……。雨宮先生もそういうつもりで言ったわけでは、その──」
何も聞かされていなかったらしい校長が、蒼白な顔で釈明しようとしている。
「じゃあどういう意図だったの? 納得行くように説明しなさい!」
雨宮というらしい養護教諭をまっすぐ見据えて問うた万里子に、彼女は申し開きのしようもないらしく黙したまま俯いて泣き出した。
これまでの人生も、都合の悪いことがあるたびに泣いて逃れて来たのだろうか、この女は。
絶対に許さない。
「『仕事中』に泣くような低能のために、私の貴重な時間を使わされたの!? いい加減にしてよ!」
罵る万里子に教員たちが反応する前に、横から声が掛かる。
「あの、先生。ちょっといいですか……?」
「はい、行きます! ──もういいでしょ!? 『謝罪した』って体裁さえ繕えればいいんだから楽な商売よね。さっさと出てって!」
おずおずと申し出てきた奈々に余計な気遣いをさせてしまったことを申し訳なく思いつつ、万里子は踵を返した。




