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二 いたちの里の腐れ魚


 いぬ童子が峠の大樹にしばられて四日目。


「しおきは三日のはずでは……もしや、まんじゅうを食うたことも知られて?」


「わしは言ったおぼえもないが。胸の中で貴様のがっつく姿を思い浮かべて笑い、それを聞かれていたやも?」


 ねこ姫は枝の上でころりと寝そべっていた。

 いぬ童子は空いた腹と共にうなる。


「貴様は~、そこまで算段さんだんあってのさしいれならば、どこまでも性悪な」


「恩とやらを考えなしに売ってみただけじゃ。なかなか面白いうらみごとを買えた」


ね! いつまで頭の上でこちゃこちゃと!?」


 ねこ姫は首をひねり、道の先をちょいちょいと爪で指す。

 人の目ではなにも見えないほど遠く。


「なんじゃ? みょうなにおいなら今朝から流れてきておるが。城の連中でも来るのか?」


 はたして半時後はんときごよろいくらをがっちゃがっちゃと鳴らせた行列が山むこうから姿を見せた。

 竹林をゆらゆらと飛んできた小魚……いわしが一尾、大木の元へ転がる。

 半分は腐って溶けていた。


「いぬどの、には、元気な、よう、よう、で」


 ぱくぱく動く口から、の鳴くようなささやきがもれる。


「しばられて動けんのじゃ。こやしなんぞを放ってよこすな」


 いぬ童子はいわしを見下ろして顔をしかめた。


くされ魚どのもお変わりなく」


 ねこ姫は会釈えしゃくがてら、いわしを遠くへ蹴りやる。


 峠へさしかかった行列の中心は黒漆くろうるし牛車ぎっしゃだった。

 肥え太り、顔中に白粉をりたくった貴人がふんぞりかえっている。

 何本も広げている朱色や山吹色のかさはせまい山道のあちこちにひっかかっては破れ、そのたびに供の者が新たな傘をつぎ足していた。

 いぬねこはそのふるまいをあきれ顔でながめ、においには顔を渋らせる。


「あいかわらずひどい。これでは鼻もすぐ、ばかになろうが」


 いぬ童子は両手を縛られたまま、顔だけでも目いっぱいそらそうとした。


「もろくはかなく、腐れ魚のようなたわむれが城のはやりらしい」


 ねこ姫は自分の鼻をそでで押さえながら、いぬ童子の鼻もつまんでやる。

 先導する馬に乗った束帯の男はやせこけ、顔こそ塗っていなかったが、同じくらいに青白い。

 いぬ童子は歩く汚物でも見やるように首をかしげた。


「あんたはとりわけ、それだけおかしな気配をかかえこんで、よう人の形をしておられるな?」


 ふりむいた薄笑いの口はやけに大きく、まゆくちびるは無いも同然に薄く、おちくぼんだ眼は開くと頭蓋の眼孔いっぱいに開く。


「ぴぴぴ……」


 口のはしから魚をめたような笑い声。


「城かかえのまじない師ともなれば、それなりの余興よきょうたしなまねばなりませぬゆえゆえ」


 蹴られたいわしに似た、か細くぬめるような声だった。

 細く長く青白い指をずぼりと馬の耳へ突き刺すと、中から一尾のさんまを引き抜く。

 まだ腐っていない。

 その先を貴人へ向けると、さんまは頭を残してぽんと破裂し、背骨を中心として数枚にめくれた身肉が悪趣味な花をかたどった。


「おおっ!? 見事じゃ腐魚丸ふぎょまる! でかした腐魚丸!」


「ぐっぴい♪」


 はしゃぐ中年貴人と得意げな呪い師のやりとりはいぬねこに理解しがたく、たれさがる魚のはらわたをげんなりと見る。


「城主どのも……おすこやかでなにより」


 ねこ姫の渋々とした言辞に貴人は扇子せんすを広げ、新たな異臭をまきちらした。


「うんむうむ。しかしこれでも老いはかさんでおるゆえな? また化けいたちどのが妙薬を少しばかり分けていただきたく、これこのとおり」


 牛車の後ろには供物くもつを山と積んだ荷車も連なり、見事なこしらえの脇差わきざしを三振り、太刀たちも一振りを見せつけるように飾っていた。


「これにてもはや近隣にめぼしい霊刀もなく、それすなわち化けいたちどのを斬れる者もいなくなる道理。かくてこの里は安泰あんたい、いたちどのにはこの誠意へ末永すえながきよしみをば……」


「いぬの愚痴ぐちにはあくびがでるが、城主どののあいさつは気が遠くなるのう?」


 ねこ姫が小声で茶化すくらいではまゆも動かさない。


「……しかもいたちどのは心を読め、さらにねこどのは先まで読み、いぬどのは鼻と牙で守り、ねずみどのは糧食りょうしょくをむさぼりつくし……」


 いぬ童子が鼻をひくつかせ、行列を見渡す。


「姉上が案内とは珍しい」


 ひとり、大柄で筋骨たくましい山男のような童女が混じっていた。

 顔ばかりが幼く、二枚の前歯は鋭く大きい。

 その耳はねずみのように大きく、その尾はネズミのように長い。


「はら……へった……」


 つぶやきながら、自分の頭ほどもある芋をかじっていた。

 体にはぞんざいに布を巻きつけ、大きな行李こうりを背負っている。


「姉上? もしやうたげの材料をまだ届けとらんのですか? 母上がお怒りなさる」


「………母……上?」


 ねずみの童女はぎくりと目だけをいぬ童子へ向けたが、背中の荷を先に届ける用事は思い出せているか怪しい。

 腐魚丸と呼ばれた呪い師はぜたさんまと共に首をかしげた。


「ぎぴぴっ? これは失礼。ねずみどのをお見かけしてして、つい親睦などをぐりぐりと……」


 さんまの身をぐちゃぐちゃと結ぶなり投げつけ、ねずみ童女も喰いついてひとのみにする。


「……お急ぎとあらば、ご遠慮なく。我らの足では日暮ひぐれまでかかりますゆえゆえ」


 ねずみ童女は無言でよたよたと、しかし馬よりもすばやく飛びはねて去った。


「姉上は食いすぎると頭がはたらかんようになる」


 いぬ童子は見送りながら心苦しげな顔になる。



 童子の心配どおりに、化けいたちは言葉より先に腕をふるった。

 ねずみ童女をくりかえし引き裂き、血だまりへたたきこんでからどなりつける。


「外では喰うなと言うたであろうが!? なにを喰うた!? どれだけ喰うた!?」


「いもを八つ……とりを五羽……」


「ならばもう二本ちぎる! 動くな!」


 ねこ姫も社へ着くと、ねずみ童女のちぎれ飛んだ両腕両脚が胴体へもどろうとにじりっていた。

 ねずみ童女の体は相撲すもうとりのように大きく太かったはずが、ねこ姫よりもさらに小さく細くしぼみはじめている。


「またずいぶんとちぢまれて……母上、こうも血を広げられては宴の仕度したくにかかれませぬ。日暮れに間に合うよう、里の女は集めておきました」


 そう言う間にもねずみ童女の片腕片脚はつながりはじめ、まだ半分ちぎれかけでも身を起こそうとする。

 化けいたちの不機嫌そうな顔はねこ姫へ向いても暗く鋭くなるばかり。


「ねずみの遅れを読んでおったか」


「まだまだ読みは強くなっておりますゆえ、わしを喰らわれるはいま少し先がよろしいかと」


 ねこ姫の愛想にも化けいたちは「ふん」といまいましげな鼻息だけ返す。



 社の板間には毛皮がふんだんにきつめられ、数十の燭台しょくだいがむやみとともされた。

 酒膳しゅぜんばかりは都の様式で、しかし数十人ほどの客へ数百人ぶんが用意される。


「こふ~う!? さすがはいたちどのが妙薬! この一服で虫歯もも立ち消え! 目や腰も十年は若返って軽やかなる心地! めだたきかな! めでたきや~!」


 貴人はけたたましくはしゃぎ、ともの客人たちも美酒と馳走ちそうにわいた。

 化けいたちは四振りの霊刀を背に放り置き、上座をめながら不機嫌そうに四斗の酒樽さかだるを片手にすする。


「ふん」


「この妙薬を持ち帰れぬことばかりは無念の極まり。いたちどのを離れては半時はんときともたずに腐るとあっては……」


 貴人のたわごとは耳にも入らない。ねこ姫のとなりで宴に同席させていたねずみ童女の様子には目をつけた。

 もくもくと肉や魚の丸かじりを続けていた童女の体はねこ姫よりも大きくふくらみはじめている。

 客人たちの膳に、骨の残っている皿が少ない。

 化けねずみの食いっぷりを客人たちがおもしろがり、目を離していた間にもあれこれと渡されていた。


「ねずみ~い、酒が足らん。走れい!」


 たいをくわえていたねずみ童女はおどおど立ち上がり、かじりながら酒樽を探しに向かう。


「はら……へった……」


 どすどすと、相撲とりのような足音になりはじめていた。


「またも喰いすぎおって……ねこ~お。退屈しておるなら、いぬに分け前をやってこい」


 ねこ姫もすいと立ち、土間でにわとりをいくつか手にして峠の大樹へ向かった。



「それと鎖もといてよいとさ」


 いぬ童子は両手をほどかれながら、半泣きでにわとりへ食いつく。


「母上はわしを忘れておらなんだか!? ずいぶんめしをぬかれたが……」


「姉上が喰いすぎて、くまほどに大きくなりそうじゃ」


 いぬ童子はぐっとのどをつまらせ、苦々しい顔になる。


「なんじゃい、力仕事の前にへばったらこまるだけかい。姉上が喰いすぎれば、腕力も空腹もでたらめになる。下手をすれば母上でも……あっ、いやいや!? 今の考えを母上に読まれでもしたら……」


「いよいよ犬死にじゃの?」



 そのころ社の宴にはくまよりも大きな腕がぬっと突き出て、いくつもの膳台ごと食い物をさらっていた。

 ねずみ童女は膳台までばきぼきとかみ砕きながら、のっそりと現れる。

 大の男ふたりで持ち上がるかどうかの四斗入り酒樽を片手でにぎり、その中身までひと息に飲み干す。


「はら……へった……」


供物くもつを喰い荒らしてきたか」


 化けいたちは顔をけわしくして腕をふるい、ねずみ童女の首をちぎり飛ばそうとする。

 その腕にまでかじりつかれた。


「たわけ~。親まで喰らうか~!? 早う首を渡せい!」


 化けいたちはもう一本の腕であちこち引き裂いて血をかせるが、肉が厚くなりすぎて骨に届かない。引きずり倒された。


「やけに聞き分けのない……太りも早すぎる」


 ねずみ童女の身の丈は化けいたちほどになっていたが、はるかに太い。

 削っても削っても、肉が生えてくる。


「ねずみ~い、なにを喰うた……喰わされた~あ!?」


 あちこち床板をへし割って血肉をばらまく母娘のとっくみあいに巻き込まれ、貴人は供の半分ほどをつぶし殺されていた。

 酒杯を手にながめる。


「して、あれはいかなる趣向か?」


「きっぴ? はてさて? そうそう、宴もたけなわの頃合まで、座興の種明かしは隠してさしあげようと、かけておいたかぎがこれこれ」


 腐魚丸は自身の耳からめざしを引っぱりだすが、とたんに溶け落ちるほど腐りきっていた。


「きぴぴっ! そうそう! 供物には滋養じようの豊かな珍味、薬草、霊薬をありったけ……ねずみどのに道すがら召し上がっていただいた芋には、それらの芳香へきよせられる虫も仕込んで! 母君も喰らえるほどに育っていただかねばと! ねばねばと!」


 化けいたちは呪い師をにらむや「はかったか下郎げろう」と腕をふるう。

 腐魚丸はひらりと跳ね、かわしきれなかった両脚を壁でつぶされた。


「ぎっぴ! 惜しいかなかな♪ そのあたりまでなら代わりもこれこのとおり」


 つぶされた傷口からうなぎほどに大きなうじ虫を数十もわき出させ、たこが直立したかのように這いずり歩きだす。

 化けいたちはわずかなすきから、化けねずみに首へみつかれていた。


「これほど恐ろしいねずみどのを身近に野放しなされるとはとは♪ いたちどのも娘君には甘いご様子、ねらい目とお見受けした次第!」


 いたちも暴れて引き裂き続けるが、切り離せないまま首の骨がきしみだす。

 うじ虫の群れはまきちらされる血肉をすすっていた。


「いたちどのの美味なること! ねずみどのもまずまず。血だけでこれほどであれば、肝はどれほどのものやら~♪」


 うじ虫は亡くなった付き人たちまで喰らい、さらに数を増して長く広がりはじめる。

 その異様をほかの付き人たちは怖がっていたが、貴人は感心してうなずいた。


「腐魚丸の体は便利だのう?」


 うじ虫の群れがまだ生きている化けいたちと付き人までおそいはじめ、貴人は首をかしげた。


「供の者らはともかく。妙薬を作れるいたちどのまで喰らってからは、いったいどうするつもりじゃ?」


「用のなくなったご城主様もえじきにします♪」


「おごおお!? うぐあおおお!? へぎゃ、いったい……ごぴべじゃ!?」


「ご城下を埋めつくすほどに虫をわかせますますゆえ~♪ ぎきっぴい!」


 いぬねこはそんな地獄絵図の障子しょうじを開けることになり、やりきれない顔になる。


「ただならぬにおいが急にあふれたかと思えば……姉上……母上?」


 いぬ童子は声をふるわせながら、へびのように襲ってきた虫の群れは裂き散らす。


「きっぴぴ! これはよいところに。貴殿らも虫の苗床なえどこになっていかれるがよろしい。ぴっうぃー!」


 耳ざわりな高い口笛からすぐ、ねずみ童女の腹がはじけて腕ほどに太い虫たちが飛び出てくる。

 大きな虫の肉はぶよぶよとしていながら、いぬ童子の爪では深く切れなかった。

 しかたなしに喰いちぎり、その味に顔をしかめる。


「ようやくひろわれた家で、最後に喰わされるものがこんな……!?」


 泣きたいような声で、次々と飛びかかってくる虫を殴り飛ばし、喰いちぎる。

 腐魚丸はのんびりとうろたえた。


「はて? いたちどのが虫に喰われるならば、そのいたちどのに喰われるつもりで飼われていたいぬどのも虫に喰われて本望では?」


「そんなわけあるかい!?」


「はてはて? もしや……手順のしくじりであれば失敬。ならばいぬどのには急いで母君の口へもぐりこんでいただき、その上で母子ともども虫に……」


 話の通じない呪い師は虫責めをやめる様子もない。

 いぬ童子は母上や姉上と呼んでいた者たちの血だまりで駆け暴れながら、つっ立っているばかりのねこ姫にいらだつ。


「いぬう……先がなにも見えん。見る気のしない先ほど見えにくい」


「おぞましい虫どもを始末した先くらいは見たいじゃろうが!?」


「苗床になれば、めしはもらえそうだぞ?」


「腕によりをかけます♪ きっぴ!」


 腐魚丸が親身にほほえむ背後で、化けいたちは体をみるみる喰い削られて息もしなくなっていた。


「あほう! ならばねこだけ虫にまみれておれ! つきあえん!」


 いぬ童子はわめく。しかしねこ姫が虫に首へ咬みつかれ、それでもただじっと見ていた姿に、つい飛びかかってしまう。


「ほんに喰われるあほうがおるか!?」


 自分の手足へかじりつく虫よりも先に、ねこの首の虫を咬み裂いていた。

 ねこ姫はきょとんと、しかし小さくうなずく。


「ん。見えた」


 言うなり飛び跳ねて去る。


「おのれの逃げ道だけ見えたか!? くそったれめ!?」


 しかしねこ姫は土間のほうから入りなおし、まだあわだっていた天ぷら鍋をぶちまける。

 熱い油に這いずる虫がひるみ、倒れていた燭台からは火が燃えうつった。


「無茶をしおる!? ようやった! くそったれめ!?」


 いぬ童子を囲んで追いつめていた虫たちの動きも乱れ、牙のすばやさに追いつけなくなる。


「んぴっ? ご無体♪」


 ようやく呪い師のふところまでかいくぐり、ばらばらの八つ裂きにできた。

 虫の群れは将を失い、近くの血肉へ喰いつくだけになる。

 いぬ童子はそれらを踏みつけ切り裂き喰いちぎる八つ当たりしかできない悔しさで涙ぐんでいた。


「いぬう」


「だまれ」


「火に包まれる社が見えたあと、虫で埋まる里も見えた。あちこちから仲間の呪い師も集めておったらしい」


「焼け跡にすら住めんのか……あちこち捨てられ続け、ようやく長居できた家もこれか」


 いぬ童子はうなだれ、まずい虫をかじる気も失せ、蹴りやるだけになる。


「のう、いぬう。わしはこまりはてておる」


「しるか」


 ねこ姫は他人事のような笑い顔で、しかし静かにつぶやく。


「わしはひろわれた家と親をなくすなど、はじめてのことじゃ」


「しらんというに」


「なあ、いぬう」


 ねこ姫はさびしげな照れ笑いを見せ、迷い子のように両手をさしのべる。


「ひろってくれい」


 いぬ童子は口をあんぐりと開けてあきれかえる。


「だれになにを頼んで……」


 ふと見れば、ねこ姫はどれだけ急いで油鍋を運んだのか、素足に大きなやけどを負っていた。

 床に広がる炎が燃えうつりそうになり、いぬ童子はつい、ねこ姫を抱え上げてしまう。


「なんてもんをひろってしまったんじゃ!?」


「いぬ、土間にいけ。走れ」


 ねこ姫はするすると肩を登り越えて勝手に背へしがみつき、頭をぱたぱたとはたいて急かす。


「ひろいもんがなにをえらそうに!? ……なんじゃ逃げ遅れか」


 土間へ入ると村女たちはほとんどいなくなっていたが、ふたりがすみでふるえていた。


「ねこ姫さま、いったいなにが……?」


「豆ぼうの母上と祖母どのか。里はもう終わりじゃ。半時もせんで虫に埋まる」


 ねこ姫はいつのまにやら手にしていた四振りの霊刀を渡す。


「これ一本でも売れば食うには困らん。身ひとつで先に逃げておれ。里のみなにはわしらから伝える」


 いぬ童子は外の風をかぎまわった。


「腐れ外道のにおいが、ほうぼうからにじってきておる。風下は虫どもの鳴き声が広がりすぎて大波のように……ちょうど、豆畑の峠道を抜けるしかなさそうじゃ」


「よし急げ。いぬもじゃ」


「馬のようにはたくな!?」


 ねこ姫を背負ったいぬ童子は見る間に遠く駆け去り、村女たちもあわてて駆け出す。



 いぬ童子は里の家々を駆けまわって呼びかけながら、満月には大声でぼやいた。


「まったくついとらん! 母上さえおれば、だれからも追われんですんでおったのに! 里のほうからめしをよこしておったのに! これでまた、すてられ者じゃあ!」


 ねこ姫はたまりかねたようにころころと笑いだす。


「すていぬにひろわれた」


「おまけに妙なもんまでしょいこんでおる」


 いぬ童子はすねきれなくてしょぼくれた。


「里を出たら、どこへ向かってみようかのう?」


「しるか」


 ねこ姫はいぬ童子の頭を優しくなでるが、馬へのなだめかたかもしれない。


「どうどう……いぬう、すまんのう?」


「どれのことじゃ?」


 いぬ童子は気のりしない声で返す。


「母上がいぬへつらくあたるようになったのも、わしのせいかもしれん」


 いまさらそんなことを言われても、母上と呼べた化けものはもういない。

 代わりに背中の娘がねこなで声で甘えてくるようになった。


「喰われとうない気もしてきた思いを聞かれていたようじゃ……いぬがおると楽しくてな?」




(『すていぬ童子』 おわり)






完読ありがとうございました。

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