恋敵
高校については、引っ越しの時に「行ってもいい」と許可が下りたので通えている。
士くんの車の助手席からぼーっと外を眺めていると、制服姿の女子高生たちが目に留まる。彼女たちをジッと見ている様子が目に余ったのだろう、士くんが「おい」と強めの口調で声をかけてきた。
「行きてぇか?」
と聞かれ、私は驚いた。
「行きたいって言ったら、行かせてくれるの?」
「………本当に逃げねぇならな。」
「逃げないよ、ちゃんと帰ってくる。でも、信用できないなら行けなくてもいい。」
「それだけの信用があるから、聞いている。」
「じゃあ、行きたい。」
そして私は、高校に通うことになった。両親が事故で亡くなり親戚と住んでいる、という設定で。それでも普通に話せる友達はできて、それなりに楽しい学校生活を送れている。
*
放課後、士くんの『前の女』が通っているらしい大学の前にいた。有坂くんに件の大学まで送ってもらい、あとは一人にしてもらう。
『カナタ』さん────フルネームは、岸辺華奈多。
士くんとの生活に耐え切れず、警察を頼って逃げおおせた前の女。私よりずっと、普通の感性を持ち合わせていたであろう人。彼女の話を聞いた後、自分の常識が歪み始めていると痛感したものだ。
警戒されてまともに話せない、なんて状況にはしたくない。敵意が無いことを表しながら、最近士くんを見かけるようなことがなかったかを聞きたいだけ。士くんの「久しぶりに見た」が華奈多さんのことなら、彼女も士くんを見ている可能性がある。事件に関係があるかすら曖昧な情報だが、少しでも何かわかる可能性があるなら確かめねばあるまい。一瞬でも二人が再会していたなら、それが事件解決の鍵になる気がする。
たびたび出入りする人々中から、茶髪の女性を見つけた。セミロングで毛先を軽く巻いた彼女の顔を確認し、足早に近付く。
「すみません、岸辺華奈多さんですよね?」
「えっ」
引き止めなければという気持ちから語気が強くなり、彼女を驚かせてしまった。ただでさえ、知らない人間から声をかけられて警戒するだろうに。
「いきなりすみません、聞きたいことがあって。私、家守博っていいます。えっと………」
声をかけたはいいものの、いざ話しかけるとどう切り出すべきか迷ってしまう。華奈多さんにとって士くんの思い出は『悪いもの』だ。それを思うと、士くんの名前を口にするのが躊躇われる。
「あの………?」
「あっ、すみません!」
困惑に満ちた華奈多さんの声に、ハッとして背筋を正す。ここまで来て尻込みしている場合ではない、呼吸を整えて彼女に向き直る。
「最近、士くん………峰内士と会ったりしませんでしたか?目が合っただけ、見かけただけでもいいんですけど。」
ヒュッと、息を飲む音が聞こえた。華奈多さんは唇を震わせて、真っ青な顔で私を見ている。一瞬での大きな表情の変化に、うろたえてしまう。
「し、知らないっ、知らない!!」
「あっ」
引き止める間もなく、彼女は走り去ってしまった。ここまで露骨な反応で、取りつく島もないなんて。予想を遥かに超える反応にあっけにとられて、追いかけることもできなかった。
「あーあ、逃げられちゃったねぇ。」
「アザミくん!?」
呆然と立ち尽くしていたら、急に真後ろから声をかけられて飛び上がる。振り返ると鼻先が触れ合いそうな距離にアザミくんの顔があって、転びそうになりながら後退った。滑稽な反応をした私を、彼は腹を抱えて笑う。
「なんでここにいるの?」
「たぶん岸辺華奈多に会いに行くだろうなと思ったから、待ち伏せしてたんだよ。そしたら君があまりにも無様に証人を逃がしてて、もうお腹が痛い。」
「あっそ。」
笑いものにされて、イライラがそのまま声に出た。この態度を前にしても、アザミくんはこちらを煽るように肩を竦める。
「まあまあ、怒らないでよ。」
「怒らせてるのはそっちでしょ。」
「だって君ってば面白いんだもん。冷静ぶってるかと思えば、けっこー簡単なことで怒ったり動揺したり。年相応なところと、達観してるところが混在してる。話し甲斐のある精神構造だよ。」
「わざわざここまで、私を笑いに来ただけ?だったら代わりに何か情報が欲しいんだけど。前回で知ってること、全部話したワケじゃ無いでしょ。」
「何でそう思うの?」
「アザミくんは意地悪で胡散臭いから。」
「正直だなぁ。そーゆーところは子供っぽい。」
あと、士くんが「しつこく聞かなきゃ全部話さねぇ」って愚痴ってたからというのもある。この質問すら予想通りとでも言いたげに、アザミくんは私を見下ろして微笑む。
「君、岸辺華奈多のこと全然知らないでしょ?」
「それは………」
言われてみれば、その通りだ。私と印象が似ている、程度の情報しか知らない。士くんが執着していた理由、2人が出会った経緯、名前以外の個人情報。顔だって写真を一枚見せて貰っただけで、生で見たのは今日が初めて。彼氏の元カノの情報なんて普通なら知りたくないだろうけど、今回は話が別だ。
「アザミくんが知ってること、聞いたら教えてくれるの?」
「お茶に付き合ってくれるならね。」
ふざけた調子で言われたが、素直について行くことにする。奢らされるかもしれないが、士くんからのお小遣いはたっぷり余っているのでよしとしよう。
アザミくんが連れて来てくれたお店は、レトロな雰囲気のいかにも『映える』喫茶店だった。若い女性客が多い中、アザミくんは勝手にクリームソーダを二つ注文する。カップルだと見られたら嫌だなと思いつつ、大人しくクリームソーダが来るのを待った。
「えへへ、誰かと一緒に来るのは初めてだなぁ。」
「ツバキさんとは来ないの?よく一緒に居るって士くんが。」
「あの人、プライベートだと全然相手にしてくんないの。喫茶店じゃなくて、高級レストランに連れてってくれる男がごまんといるから。」
「ふーん……喫茶店、よく来るの?」
「うん、僕だって人並みに癒されたいと思うのさ。」
喫茶店でクリームソーダを飲んで癒される、どこにでもいるイマドキの若者みたい。外見は確かに若いし、この店でアザミくんをヤクザの構成員と見る人はいないだろう。趣味は“普通”なんだな、意外に感じながら運ばれてきたクリームソーダのストローに口をつけた。
「さて、聞かれたからにはハッキリ嘘を吐かずに答えないとね。」
プカプカ浮かぶバニラアイスをつっつきながら、アザミくんは本題に入る。
「もともと、岸辺華奈多の親が組織の人間だったんだよ。娘は、彼らが裏切らないための人質だった。その監視役だったのが、士さん。」
「ってことは、彼女が小さい時から付き合いはあった?」
「そ。で、その両親が警察に情報を流したから、処分したのも士さん。」
「………………。」
随分とまあ、アッサリ言ってくれるものだ。士くんが人を殺しているとは薄々わかっていたが、こんな当然のように提示されると閉口するほかない。
「華奈多さんが逃げ出したのはソレが原因か………勝手に「士くんの横暴な態度に耐え切れなかった」ぐらいに思ってた。」
「士さんは君に詳細を伝えたがらなかったみたいだし、仕方ないんじゃない?」
アザミくんの言葉にうなずきながら、先ほどの華奈多さんの反応にも納得する。両親を殺した人間のことなど、思い出したくもないだろう。
「逃げることを考え始めたのは、両親が殺された時からだろうね。でもそこからしばらく、両親と同じ行動をとらないよう厳重な監視のもと監禁された。今の君みたいに、士さんと一緒の部屋に住んでたみたいだよ。男女の関係になったのも、その時。」
「両親を殺した人間とか………地獄でしかなかったよね、きっと。」
親に捨てられた私では、きっと共感してあげられないだろうけど。華奈多さんの青ざめた表情を思い出せば、なんとなく想像はつく。
「彼女に「あいつらみたいになるな」って言い聞かせてるところを何度か見たよ。」
「あいつらみたいになるな…………?」
「両親みたいに裏切るんじゃないぞ、的な意味だと思うけど。」
何度か見かけたということは、誰も見てないところでもっと言っていた可能性はある。裏切ったら殺すぞ、みたいな意味に聞こえるけど。士くんのことだから本当は、仲間を裏切るような人間になるなって意味だったんだろうな。
なんとなく、士くんの執着のワケに察しがついてきた。
「華奈多さんが弱い立場の人間だから、逃げられない…………離れないだろうと思って、士くんは依存したんだね。」
安易に他人を信用できない世界を生きる彼には、囲われた状態でしか生きられない華奈多さんこそ信じられたのだろう。死にたくなければ、現状を受け入れるしかない人間。外へ逃げれば殺される、弱い立場の人間。
「言っちゃえば、岸辺華奈多を見くびってたんだよ。逃げやしないだろうって安心して、油断したから、逃げられたのさ。」
残念ながら、華奈多さんは現状を受け入れる気など全く無かった。殺されるリスクを前にしても、逃げることを選ぶ強い精神を持っていた。
そういう点で、士くんにとって私は理想だった。
「詳細な話をすると、組織内にスパイとして潜り込んでた警察の人間が手引きしてそのまま保護したんだって。」
「スパイ………」
「僕としてはこれからすっごい復讐劇が起きちゃったり?って期待してたから、拍子抜けだよ。」
咥えたストローから「ズズッ」と音がなり、それがお開きの合図となる。
結局アザミくんは私にたかることはせず、むしろ私の分までお会計を払って去って行った。帰り際に握らされたレシートに、どこかの住所が書かれている。
岸辺華奈多の現住所に違いなかった。