回想:交友関係
士くんと恋人同士になった日を境に、私の行動制限も少し緩んだ。ただベランダに出られる、窓を開けられるだけのことだが。
それから、士くんが初めて第三者を連れてきた。初対面の時、士くんを「兄貴」と呼んでいた人。一番信頼できる相棒だと、得意げに紹介された────それが有坂くんである。
次第に、有坂くんだけが部屋に来ることも増えてきた。最初は彼の“相手”もしなければいけないのかと思ったが、そうではないらしい。
「いやいや、兄貴の女に手を出したら殺されるって。」
とのこと。
有坂くんは士くんに比べて、常識人だ。怒鳴らないし、見下さないし、理不尽なことも言わない。士くんと組んで仕事をしているとは思えないほど、話しやすい人間だ。彼が来るのは、おもに部屋の掃除や備品の補充のため。仕事の部下を、家政婦のように扱うのはいかがなものか。思ったことを言ってみると、本人は「俺が勝手にやってるだけ」と笑った。
「じゃあ、掃除ぐらい手伝うよ。そのぐらいなら、士くんも文句言わないでしょ。」
「どーだかなー………でもまあ、お嬢から兄貴に言っといてくれるんなら。」
「お嬢て。」
かなり早い段階から、有坂くんとはフランクに話せる仲になっていた。
「士くんってロリコンなの?」
「直球だな………でも前の女が、お前と同い年ぐらいだった。」
「そーなの?」
「そーなの。けど、何年か前に逃げられちまって。」
「ふぅん。追いかけたりしなかったの?私は毎日のように逃げたら殺すって脅されるけど。」
「しばらくは追っかけてたんだけどな、今はサツに保護されてんだと。それでボスからもう諦めろって、釘刺されちまって。」
「なるほど。」
そりゃ当然だ、普通だったらそうする。今こうして現状を受け入れている私の方が、感覚が麻痺しているのかもしれない。そこで、初夜の時に呼んだのは『前の女』の名前かと思い至った。
「もしかして、士くんの前の女って『カナタ』さん?」
「なんだ、知ってたのか。」
「知ってたというか、最初に寝た時……」
説明すると、有坂くんは気まずそうに頭を掻く。
「兄貴、かなり引きずってたんだな。」
予想以上に根深い問題だったようで、それ以上の踏み込んだ話はしなかった。
*
初めて部屋のチャイムが鳴った時は驚いた。
士くんはお仕事で、有坂くんも来ないし一人で留守番していた。2人ともチャイムを鳴らさないので警戒はしたが、出ないのもなんだか怖い。恐る恐るドアを開けると、男女の二人組が立っていた。
「ハァイ!」
「峰内士さんの御宅ですか~?」
私の緊張を嘲笑うように、にこやかに声を掛けられ混乱する。突然の美男美女の来訪に呆然としていれば、男のほうに至近距離で顔を覗き込まれた。
「いけないなあ、家に一人でいるときに易々とドアを開けちゃあ。」
「えっと………痛いこと、される感じですか?」
「しないしない!」
「士を敵に回すのは避けたいしねぇ。」
「つ、士くんなら留守ですけど。」
「知ってて来たんだ、おじゃましてもいい?」
「ど、どうぞ………」
この闖入者2人組こそ、ツバキさんとアザミくんである。
「士に新しい女が出来たって聞いて、一目見てみたかったの。」
「士さん全然口を割らないから、僕らがんばって調べたんだよ?」
「素直にドアを開けてくれる子でよかったわぁ、他の侵入ルートを探すのは手間だもの。」
「そ、そうですか………」
強硬手段に出るつもりがあったらしい、ツバキさんの言葉に身震いする。2人にまじまじと見られて、どうしても体が固くなった。しばらく無言で眺められた後、ツバキさんが「ふぅん」とうなずく。
「女の趣味は変わってないのね。」
すぐ『カナタ』さんのことだと理解した。私があからさまに顔を上げて反応したので、彼女はクスクスと笑う。見透かされている感覚に、背筋が震える。
「あなた自身も士のこと好きなのね。」
「士さんが他人を大切にすることあるんだ。」
「雑な扱いは、たまにされますけど。」
「その程度で済んでいるなら、愛されてる証拠よ。私とのセックスなんて、ホントに乱暴だったんだから。」
とんでもないことをぶっちゃけられて、顔が引きつる。外に出ないせいか、彼らが暴力団員であることを忘れがちだ。そんなことより、今カノとしては前カノのことが気になってしまうのが乙女心というもので。
「士くんの『前の女』って、そんなに私っぽいカンジなんですか?」
率直に言うと、2人とも面白そうに笑いだす。先程からずっとからかわれているようで、流石にムッとする。ポーカーフェイスなんてできないので、私の顔を見た2人は更に口角を吊り上げた。
「だって、髪の色も髪型もそっくりだもの。」
「歳も身長も………当時の『キシベカナタ』と一致するねぇ。あの人、けっこー未練たらしいんだ。」
「え、そ、そんなにですか?」
「さすがに顔まで、とはいかないケド。」
「面影はそのまんまよ。」
2人の言葉に、初めて会った時の士くんを思い出す。目が合った時、やはり彼は私に『カナタ』さんの姿を重ねたのだろうか。そうでもなきゃ、いきなり「買う」とは言わないか。しかし、その割には「外に出るな」以外に強要されたことはない。性行為は問答無用だけど、私自身はありのままだ。誰かの代用なら、声を出すなとかアイツはそんなことしなかったとか、一挙一動にケチをつけられるものじゃなかろうか。考え過ぎかもしれない、でも考えずにはいられない。
そんな私を、ツバキさんとアザミくんがニタニタと眺めていた。
「引っ越す。」
「そんなに嫌なんだ………」
士くんに珍客2人の話をすると、舌打ちしながらそう言った。
「アイツらは胡散臭いから信用できない。うっかりお前を人質にでも取られたら………」
「私、人質になるの?」
「そうならないように引っ越すんだ。」
「違う、私って人質の価値あるの?」
スマホをいじっていた彼の手が、ピシリと固まる。効果音が聞こえてきそうだな、と思うほどの反応だ。間をおいて、信じられないとでも言いたげな表情と目が合う。
「ねぇ、私って、人質として成立するの?」
「なん、で」
「だって、私は『カナタ』さんの代わりなんでしょ?いざとなったら、替えがきく存在じゃん。」
自分でも、嫌なこと言っちゃったなと思う。平静を装っていながら、想像以上に『カナタ』さんに嫉妬しているのかも。他人事のように考えながら、士くんの返事を待つ。彼は手を震わせて、目を泳がせている。言葉を選んでいるのだろうか、気を遣わなくていいのに。
「ツバキさんたちが、私と『カナタ』さんが似てるって言ってたけど、そういえば士くんは私に『カナタ』さんっぽく振舞うのを強要しないなって。なんでかなって思って。」
「するわけねぇだろ!!」
士くんの拳が思い切りデーブルを叩いた。あまりにも必死な形相に、驚いてポカンとしてしまう。
「でも、私はその人に似てたんでしょ?」
「────あぁ、そう、だよ!!お前がアイツに似てたから、目をつけて、買った!」
すがすがしいほど堂々と、士くんは私の言葉を肯定する。苦しそうに、血反吐を吐くような表情で。頭を左右に振りながら、ヨロヨロと私のそばに寄る。
「でも、お前はアイツと違くて、優しくて、どこにも行かなくて、話を聞いてくれて、嫌わないでいてくれて、憎まないでいてくれて、ずっと家で待っていてくれて、笑顔を見せてくれて………それが、嬉しかった、だから………」
弱弱しく、士くんの手が伸びてくる。
「お前はアイツと違う、だからこそ………安心できる。」
なるほどそういうことか、やっと私は納得した。士くんは私の足元に跪いて、うやうやしく手を握ってくる。大柄な男が、涙を流しながら少女に縋る。そんな惨めな姿を、士くんは躊躇わず私に晒してくれる。
「だから………アイツになろうとしないでいい、しないでくれ。俺を、裏切らないでくれ………………一人に、しないで、ください。」
「………うん。」
大の大人が床に膝をついて、子供のようなことを言っている。第三者が見れば気持ち悪いと思う光景だとしても、私にとっては「愛しい人が泣いている」だけに他ならない。
「ごめん、私が馬鹿だった。」
士くんを抱き締めながら言うと、強い力で抱き返される。あまりにも必死な仕草に、私の目にも涙が滲んだ。その手あまりにも暖かくて、何時間でも抱き締めてあげたいと思った。幼子のような、恋人を。
「意地悪だったよね、ごめんね。もう言わない、本当だよ。」
泣きじゃくる子供をあやすように、ゆっくり大きな声で言い聞かせた。代わりがなんだ、この子を置いて行った前の女の方が悪いじゃないか。だったら、私が、本当の意味で一緒に居ようと、誓う。
「………約束。」
涙声で、士が小指を差し出してくる。どこまでも子供っぽい仕草に、微笑ましくなった。そして自分も小指を出して、士くんの節くれだったそれに絡ませる。
「ゆーびきーりげんーまーん」
「嘘ついたら針千本のーます」
「指切った!」
その思い出は、私の中で美しく輝き続けている。