回想:出会い
貧乏な家に生まれた自覚は、物心ついた歳からある。
ボロボロのアパート、まともに動かないエアコン、すぐ壊れる家電、酒浸りのお父さん、パチンコに行くお母さん。闇金に手を出していることも、察しはついていた。
しかし、それでも、まさか自分が『売られる』とは予想していなかった。考えないようにしていただけ、とも言える。
私、家守 博は、17歳にして借金のかたに売られてしまった。
昔話やファンタジーではなく、現代日本での話だ。
「あの………」
「うるせぇ!黙っていろ!!」
「ひぇ………。」
そう怒鳴られては、所在なく立っているしかない。周りには、私と同じ境遇らしい女子供が集められている。出入り口には、明らかに“ヤのつく職業”のオジサンたちがたむろしていた。
あぁ、なんでこんなことに。思えば、今日は朝からついていなかった。目覚まし時計が壊れて、寝坊して、電車に遅れそうになって、走ったら階段を踏み外しそうになって、放課後。いつものように家へ帰ると、明らかに堅気じゃない雰囲気のオジサン達に囲まれた。うち一人が「お前がここん家の娘か?」と聞いてきた。その一言だけでは理解が追い付かなかったが、怖いオジサンに怯えながら従ううち、彼らが取り立て屋だと知った。両親はどうやら、自分達だけそそくさと逃げてしまったらしい。冷え切った家族とはいえ、酷すぎる。私は痛い目にあいたくない一心で、大人しく自らワンボックスへ乗りこみ今に至る。
(どうしよう。)
誰にも聞こえないよう、静かに溜息をついた。考えたところで解決策が思い浮かぶはずもなく、ただ時間だけが過ぎていく。やがて、新しくスーツをきた男が数人、オジサンたちに合流した。強面のオジサンたちに頭を下げられているのを見るに、彼らの中でも偉い人が来たようだ。
状況は変わらない。周りの人たちは皆それぞれ、声を殺して泣いていたり、身体を震わせていたり。みんな命は惜しいのか、騒ぎ立てることはない。私も彼女たちに倣い、大人しく突っ立っていた。これからどうなるのだろう、やっぱり売春でもさせられるのかな、知らないオジサンに処女を奪われる羽目になるんだろうか、想像すると辛い。でもそれを理由に命を捨てられるほど、強い心は持ってない。殺されて内臓を売られるよりは、五体満足で生きていたい。生きていれば何かしら、どうにかなる希望がある。とにかく命を最優先に行動しよう、覚悟を決めて顔を上げた。
真っ黒いコートを着た男と目が合った。
全身から一気に血の気が引いて、慌てて目を逸らす。冷や汗が出るのを感じながら、因縁をつけられたらどうしようと考える。いや、たまたま目が合っただけだ。考え過ぎだと思い直してすぐ、こちらに革靴の音が近付いてくる。うるさく鳴る心臓に吐き気を覚えながら、うつむいたまま顔を上げられない。
「おい」
視界に革靴の先が入り、前髪を掴まれた瞬間「終わりだ」と思った。間違いなく、私に声をかけている。恐る恐る視線を動かすと、男はタバコを加えたまま私をジッと見ていた。睨んでいただの何だの言われるのかな、殴られたり蹴られたりしたら嫌だな。
「こいつをよこせ、いくらだ。」
暴力に備えていた私の耳に入る、予想外の言葉。呆然としていれば男に腕を掴まれて、抵抗する間もなく引っ張られていく。
「あ、兄貴!?」
戸惑う人を無視して、男はオジサンたちと話を進めだす。あまりにも突然のことに、私の頭はパニックだった。
「行くぞ。」
「えっ、ちょ、待ってください!!」
状況を飲み込めないままついていく気にはなれず、恐怖心を堪えて抵抗した。すると男は、こちらを振り返って乱暴に顎を掴む。
「痛っ」
「お前、名前は?」
「…………や、家守、博……です。」
「ハク、だな。」
私の名前を復唱して、男は少しだけ口角を上げた。その顔は、不覚にも見惚れてしまうほどのイケメンだ。けど目の奥にドロドロとした闇を感じて、背筋が震える。恍惚とした笑みの真意がわからず、ゴクリと息を飲んだ。
「俺は峰内士だ。よろしくな、お嬢ちゃん。」
以上が、私と士くんの出会いである。