プロローグ
扉を開けた瞬間、ねばついた空気にまとわりつかれた。
何事かと思ってすぐ、その正体が『強烈な臭い』だと理解する。充満する鉄の臭いが『血の臭い』と気付いた瞬間、恋人の名前を呼びながら部屋に飛び込んだ。
「士くん!?」
臭いの強さに反して、部屋の中は綺麗なもので。だからこそ、中央に倒れる男の異様さが際立つ。床に散らばった髪は、私が毎日櫛を通してあげたものに他ならない。真っ黒なコートは、今朝ほこりを入念にとったばかりのもの。血の気の引いた肌は、私と同じスキンケアでようやく艶が出てきたばかり。
私の大事な人、息子同然の男の子、愛しい恋人は、醜い肉塊に変わり果てていた。
「見ちゃダメだ!!」
叫び声と共に、連れの大きな手が視界を遮ろうとする。その手をはね退けて、肉塊に駆け寄った。
「つかさ!!つかさ!!つかさ!!」
私の倍もある巨躯を揺さぶるが、返事はない。半開きの口から息は出ず、指先はピクリとも動かない。
疑いようもなく、死んでいた。
この殺人には、心当たりが多過ぎる。
なぜなら被害者は殺されて当然の犯罪者であり、恨みを買い過ぎた悪人だ。殺される以前に、逮捕されて死刑判決が下されてもおかしくない。自分の身を守るため他人に暴力をふるい、自分の居場所を守るため他者の居場所を蹴散らした。物心ついた頃からそういう生き方をしてきて、ついぞ正されることのなかった大悪党。
私は犯人を突き止めなければならない。
警察を頼れるワケもなし、探偵すら軽々に雇えない。被害者が死んでくれて喜ぶ人のほうが多いのだから、この犯人捜しは無意味だ。
だとしても、犯人を突き止めずにはいられない。
何故なら、世間から死を望まれる人間だったとしても、私にとっては大切だったから。恋に落ち、愛を伝え、愛を返してくれた相手だから。初対面の時こそ乱暴されたものの、次第に優しく接してくれるようになった。周りの人間には粗暴にふるまいながら、私のことは依怙贔屓してくれた。人間社会から外れた暗がりの世界で、私たちは互いに支え合い依存しあっていた。
だから、私は犯人を突き止めたい。
なんのためにも、ならなくても。