第44話 バッタの生涯(加藤鷹司の末路)④(7/27更新分③)
「加藤さん、大変申し上げにくいのですが⋯⋯」
病院で意識を取り戻した鷹司は、医者から現在の状態を説明された。
睾丸は片方を摘出。
男性器自体は外傷こそなかったが、何かしらの後遺症が出るかも知れない、との事だ。
それからは地獄だった。
常に股間に熱を帯びたような感覚があり、用を足そうと触れるたび、鈍い痛みが走るのだ。
当初は、時間が経てば治るだろうと医者は言っていたが、いつまでたっても治まらない。
こんな症例は初めてらしい。
入院中、見舞いに来たのは意外にも美沙の父だった。
「鷹司くん、災難だったね。まあ、私も男だから気持ちはわかるよ⋯⋯娘を蔑ろにしたのは少し良くないと思うが、まあ、男ならそんな事もある。これから心を入れ替えてくれればいいから」
体裁を気にする美沙の父は、鷹司のサポートを約束してくれた。
このおっさんも大概狂ってるな、と思う。
それにしても、少し動くだけで股間が鈍く痛む。
鋭くはないが、ジンジンと広がるような痛みだ。
ツライ⋯⋯。
美沙の父は、今回の件を口外しない事を条件に、産まれてくる子の養育費、結婚式で騒ぎを起こしたことへの慰謝料の名目で、梁島家へと多額の援助をしたらしい。
また、忠之から鷹司へと、式場での暴行に対しての示談、不倫の慰謝料として500万請求された。
これも美沙の父が立て替えてくれた。
慰謝料を受け取る代わりとして、忠之は今後一切鷹司に関わらないという誓約書を書いたようだ。
少しホッとした。
鷹司は退院し、美沙の実家に身を寄せた。
奇妙な状況だ。
不倫した夫が、妻の実家から支援を受けている。
美沙の父は「念のため」と、鷹司に借用書を書かせた。
「美沙と離婚なんていう事にならない限り、請求したりしないから」
「でも、美沙は俺と離婚したいんじゃ?」
「いや、今のところそんな素振りはないな。まあ、娘は私に逆らったりしない。そんな事はこれまで一度もなかった、鷹司くんは心配しなくていいんだ」
確かに、美沙が進学を断念し、自分と結婚したのもこの男の意向が強く働いたからだ。
これなら安心だ、と鷹司は油断していた。
股間の痛みは、まだ治らない⋯⋯。
「あの娘が、私に逆らうなんて⋯⋯!」
潮目が変わったのは、美沙から届いた内容証明だった。
離婚に同意しなければ、裁判になるという内容だ。
体裁を気にする美沙の父は、記録が残る離婚裁判なんかさせたくはないらしい。
一度美沙の説得に向かったが、戻ってからは態度をアッサリと変えた。
そのまま鷹司を切り捨て、離婚を迫った。
「君への貸付も、しっかり払ってもらうぞ」
──美沙の父の裏切りにより、離婚はあっさりと成立した。
美沙の父は幾つかの会社を経営していたが、その一つに水産会社があった。
そのツテで、鷹司は遠洋マグロはえ縄漁に従事する事になった。
インド洋や南氷洋に赴き、ほぼ一年海の上で過ごす。
労働環境は最悪で、非常に辛い日々だった。
平均睡眠時間は五時間を切り、船上という事で常に倦怠感に悩まされる。
何よりつらかったのは、重労働中、ズキズキと股間が痛む事だった。
相変わらず、症状が改善する気配がない。
これさえなければ、まだマシだっただろう。
そんな生活が、約七年続いた。
船上での生活は金をほとんど使わないため、返済だけは順調に進んだ。
ようやく船を降り、久しぶりにあった地元の人間は、まだ三十歳になったばかりの鷹司を見て「五十代に見える」と評した。
休みなく船に乗り続けた身体は、もはやボロボロだった。
借金完済とともに、少し嬉しい事があった。
最後の年は、借金を引いても約百五十万ほどプラスになったのだ。
口座に印字される金額を見て、不意に息子の淳司の事を思い出した。
この七年、父親らしい事を一切していない。
受け取ってくれるかはわからないが、この金で、少しは父親らしい事をしたい。
そう思った矢先──口座が差し押さえられた。
口座を差し押さえたのは税務署だった。
確認したところ、七年前に鷹司が金を売買し、その売上が申告されていない、という事だ。
直感的に、「これは忠之の仕業だ」と感じた。
身に覚えがない、調査してくれ、東村忠之が怪しいと必死に抗議したが、聞く耳を持って貰えなかった。
七年で税金には延滞金も加算され、美沙の父に返済したのとほぼ同額になっていた。
額もそうだが、何よりも延滞金がツライ。
それこそ雪だるま式に増えていくのだ。
マグロ漁船にまた乗ったとしても、今度は七年で済まないかも知れない。
何より、もうマグロ漁船に乗るには、身体の衰えと、股間の痛みに耐えられない⋯⋯。
せっかく見えていた希望。
せめて父親らしい事をしたい──ささやかな希望は、すぐに打ち砕かれてしまった。
今更父親ヅラなど、自己満足に過ぎない。
そう誰かに言われた──あるいは運命に、乱暴に突き放された気がした。
美沙の父に、再度借金させてくれないかとお願いしたが、相手にされなかった。
「そうだ、香苗は子供を産んだはず! きっと父親が欲しいはずだ!」
そう考え、梁島家を訪問したところ、玄関で梁島剛毅に竹刀でメッタ打ちにされてしまった。
貴様などが、ウチの敷地に入るな、と。
それでも、ここでも見放されたら生きていけない、そう思い必死に食い下がっていると、梁島剛毅は奥から真剣を持ち出してきた。
ダッシュで逃げた。
誰にも頼れない。
その事実に打ちひしがれていると──忠之の、あの顔が、自然と思い浮かんだ。
その場から離れられないのに、ピョンピョンと飛び跳ねるバッタを見てニヤついている、忠之の笑顔が。
ああ、そうか。
俺はあの時のバッタだ。
美沙の父への借金が終わったと思ったら、今回の税金。
そして治まらない、股間の痛み⋯⋯。
もう俺に待っているのは、逃げられず、もがき苦しむだけの人生なんだ。
その場でピョンピョンと飛び跳ねるだけで、決して前進する事のない、あのバッタと一緒なんだ。
マグロ漁船に乗る気力は、やはり、もうない。
あの時のバッタのように、忠之から逃げるには、一つしかない。
『自切と自殺って似てるよね』
忠之の、たちの悪い冗談が思い出された。
そうだよな、もう、俺は死んだも同然なんだ。
楽になりたい。
解放されたい。
支払いからも、そして、何よりも、この股間の痛みから⋯⋯。
街を彷徨う。
奇しくも、今日はクリスマスイブだった。
楽しそうに街を歩くカップルや、親子が目に入る。
彼らの明るさ、楽しそうな姿と反比例するように、自らの惨めさがドンドン浮き彫りになってしまう。
後ろ向きな考えが、どんどん肯定されていく。
とにかく、もう、楽になりたい⋯⋯。
そのまま、人気があまり無い場所で、お誂え向きのビルを探し当てた。
屋上に侵入し、手すりを乗り越え、ビルの縁に立つ。
飛び降りで下の人を巻き込む、なんてケースを聞いた事がある。
下に人はいない事を確認した。
鷹司はビルの最上階から、ピョンと飛び降り──
──しばらくして、地面で目覚めた。
服こそボロボロになっているが、高所から飛び降りたにもかかわらず、無傷だ。
「は、ははは、なんだよ、これ⋯⋯」
俺は死ぬことすら許されないのか。
この状況で無傷だなんて⋯⋯俺は飛び跳ねつづけるしかないのか。
鷹司に、深い絶望が襲いかかってくる。
しかしその時、強烈な違和感を覚えた。
──長年苦しんだ股間の痛みが、治まっていたのだ。
まさか。
そんな事が?
鷹司は恐る恐る股間に触れてみた。
股間から、脳へと電流が疾る──。
痛みではなく、快感めいた感覚が!
七年ぶりの感覚。
股間に、熱い高まりを感じていた。
再度、そっと股間に触れる。
痛みもなく、確かに、機能を取り戻している。
「お、おおお、お、やった、良くわかんねぇけど、やった!」
この七年、死んだような気持ちだった。
同じ場所で跳ねるバッタの気分だった。
でも、ようやく、一つだけ進んだ。
明日からは少し頑張れそうだ。
まずやりたい事⋯⋯それはやはり、女を抱きたい、と思った。
生きる希望が、少しだけ湧いて来た。
痛みさえなければ、また、あのマグロ漁船の日々も何とか頑張れるだろう。
すぐに家に戻り、風俗店の早朝予約をした。
なけなしの金でも行ける、地域で一番安い、激安店。
嬢の質も恐らくそれほど良くないだろう。
ただ、自分が性的な欲求についてあれこれ考える事が出来る日が、再びくるとは⋯⋯。
夢のような気分だ。
こんな気分で眠れる日がくるなんて⋯⋯。
本当は自慰も試したいところだが、久しぶりの女性との触れ合いの前に、無駄撃ちしたくない。
明日、七年ぶりに、性的な快感を味わえる⋯⋯!
まるで遠足前の気分だ。
少しだけ股間に触れる。
やはり、痛みはない。
「⋯⋯ありがとう」
自然と、口から感謝の言葉が漏れた。
何に対しての感謝なのかはわからないが。
いや、今日はクリスマスイブだ。
きっと、サンタさんかな。
七年間頑張った俺に、プレゼントをくれたんだ。
その事に、自然と感謝が漏れたのだ。
そのまま、鷹司は眠りに落ちた──。
──────────────────
メリークリスマァアアアアス!
やぁ鷹司くん!
君に幸せを運ぶ存在、忠之サンタだよぉおおおあおっ!
気合い入れて、サンタ服でやって参りました!
ついでにトナカイをテイムしようかまあまあ悩んじゃったから、遅くなっちゃった、てへ。
鷹司の奴に貸してたスキルが発動したから、今日、久しぶりにコイツの事思い出したわ。
スキル【土壇場の奇跡】。
即死する場面で、ギリギリ生き残るスキルだ。
ゲーム風に言えば、体力ミリ残しって奴だな!
俺が即死する事なんてほぼ有り得ないから、鷹司に貸し出してたんだよね。
ビルから飛び降りやがったかー。
つらかったんやろなぁ、この七年。
スキルの発動を感知した俺は、その感覚から座標をおおまかに特定、GoogleMap転移で七年ぶりの御対面を果たしたってワケ。
まあ、友人(笑)だからさ。
変わり果てた姿に、流石に心がウキウキと痛んだよね。
そこでウキウキはおかしいか!
はっはっは。
ちょうど目撃者もいなかったし、ビルから飛び降りてもスキルの力でギリギリ生き残ったコイツに、異世界アイテムの『上級ポーション』を使って体力全快にして、再度【土壇場の奇跡】を貸した⋯⋯までは良かったんだけどさぁ。
上級ポーションには【麻痺】の治療効果があるのをスッカリ忘れてたってわけ。
股間復活しちゃうもんね、それだと。
まあもう、それでもいいかなー?
なんて思ったけど、ヤッパリこんな奴野放しにしたら、また変な種を蒔き散らしそうだなって。
そろそろ寝たかな? と思い、深夜鷹司邸へと訪問させていただきました!
うーん、幸せそうな顔で寝てるなぁ。
守りたい⋯⋯この寝顔。
そのまま幸せな夢を見ていてね。
まあクリスマス限定の、一夜限りの股間復活ライブ、楽しめて良かったね!
途中で起きないように、【昏睡】の魔法で眠りを深くして、と。
両足を持って⋯⋯目標をセンターに入れて⋯⋯。
では行きます!
七年ぶり、二度目の!
異世界式電気按摩でぇええええすっ!
どぉおおおおん!!!
以上、鷹司くんの末路でした。
ざまぁに関しては足りない、やり過ぎ、ちょうどいい、これは人に依ると思います。
「自分はこれはやり過ぎ(足りない)と思うけど、他の人は違うのかも知れないな」と考えていただければ幸いです。
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