7.位置と、目線と、スペシャルウィークと
「確か、友人と会えて、無事楽しく食事することができた、とフットボーラーさんは仰っていました。無事という言葉を付けた、その位置に違和感を感じるんです」
位置? 光莉は頭の中に疑問符を立てる。
「もっと言えば、状況に対してではなく雰囲気に対して、無事という言葉を付けたのか、といった具合でしょうか。まあ、細かいことかもしれませんが」
「はぁ……」違和感のいの字さえ感じなかった光莉にとって、美波の話していることへ理解が及ばず、つい間抜けな声を出てしまった。
「要は、無事に会えて楽しく食事をした、じゃなく、会えて無事楽しく食事をした、って表現をしたことに、ミナっちゃんは、どぉも引っかかる、ってことだしょ?」
「そういうことです」
変な語尾を使いながらも片桐がフォローを入れたことで、光莉も「ああ」と、ようやく分かることができた。
「もしこれが無意識のうちにしてしまっていた表現であるとすれば、暫く会えなかったがために、本人もしくはご友人が怒っていた、ということを意味しているのではないか。私にはそう思えてならないんです」
「だから、無事楽しく、ねぇ……」片桐は腕を組みながら、虚空を見る。「疑うならスタッフに聞いてみて、なんて言うぐらいだから、怒ってたのはお友達、なのかな?」
「おそらくは。フットボーラーさんのスマホの充電は切れていたと言ってましたし、ご友人が連絡しても一向につかないことに対して、怒りを感じていてもおかしくはありません」
美波は片桐だけから、光莉も入れた二人に目を交互に移す。
「そんなマイナスの状況から、楽しいというプラスの状況に変化させるには、互いに許し許される必要があります。そのためには、会えなかった理由を洗い出し、なんだそうだったのか、と腑に落ちなければなりません。つまり、出会えたその時点で誤解を、すれ違った理由を確認していたかと思うんです」
矢継ぎ早に話した美波は、「しかし」と片眉をひそめ、さらに続ける。
「投稿メールでは、まるでまだ謎は解けていない、かのような書きぶりでしたが、フットボーラーさんは、会えなかった理由がなんだったのか既に、それどころか会えた時点で分かっているはずなんですよ。パラレルワールドにいたわけではないことも何もかも。それこそ、食事をする前には無事に」
片桐は「まあね」と息を吐くように口にする。「時系列的に違うとしても、そこは締めの言葉だから、こう余韻を残す的な意味合いっていうかさ。こういうのはエンタメってやつだから、その辺の多少の脚色や盛りに関しては、目を瞑ってあげようじゃないか」
「ええもちろん。それについては、私も理解していますし、ここはまだ問題ありません」
まだ? 言葉に引っかかる光莉。
「となると、別の問題があると?」片桐も引っかかりを感じたらしく、言葉にして追及する。
「それも、多少、では済まされない、少々大きな問題になります」
片桐はおもむろに腕を組むと、「続きを聞かせてもらおうか」と言った。
「あの投稿に含まれた情報量はかなり多く複雑で正直、理解するより前に聞くので精一杯です。だから、ラジオの人たちも文章のことを鵜呑みにしてしまって、然程違和感を抱かない。しかし、よくよく内容をしっかり整理してみると、投稿メールの文章の目線がおかしいことに気がつくかと思います」
「目線……ですか」光莉は眉を上げる。またも疑問符を立てながら。
「予約したバーは何階だと言っていたか、覚えていらっしゃいますか」美波はほんの少し肩をすくめ、少し上目遣いで光莉に尋ねる。
「ええっと確か……あっ。3階、でしたよね?」
「はい」美波はこくりと頷きながら答えた。「だから、投稿者はそこの階にいて、後々ご友人を探す、と仰っていました」
そうだった、そうだった。光莉は薄れかけていた思い出を掘り起こしていた。
「では最初に、フットボーラーさんはどこから入ったと言ってましたでしょうか」
「ええっと……」搾り出そうと瞼を強く閉じる光莉。
「エントランス。1階のね」片桐が代わりに伝える。
「ああそうです」光莉は頷く。「1階のエントランス……ってあれ?」
気づいた様子を感じ取り、美波は少し嬉しそうに微笑んだ。
「フットボーラーという名前からして、イギリス式英語について知っていた。これはほぼ確実に知っていたと断言してもいいでしょう。なら文章では、エントランスは1階ではなくG、つまりグランドフロアと表現しておくべきです。少なくともその概念があることを伝わるように対処しておくべきです。なのに、そうしなかった。当然です。そんなことしてしまえば、話の前提が崩れてしまいますからね。リスナーはおろかメインパーソナリティやアシスタントにもすぐバレて、メールすら読まれない可能性が出てくる。だからこそ、このメールの中に書かなかったんです。この話を、メールを採用してもらうために」
「別に庇う気なんて毛頭ないけどさ」片桐が口を開く。「文章を書き慣れていなかったとか、得意じゃなかったとか、案外そんな呆気ない理由なんじゃないの?」
「ええ、その可能性も十分にあります。しかし、こう考えることもできませんか。この体験談は、すべては採用されるために作りあげた、作り話だと」
光莉は瞬きの回数が増えた。驚きのせいである。
送られているのは、コーナーの冒頭で本当にあった実体験のみ、と言われていたことも相まって、それ自体が創作であることなど、最初から除外していたからだ。
そのせいもあり、光莉にはどこか腑に落ちなかった。「ですけど、投稿されるためだけに、そんな面倒なことをしますかね?」などという、つい反論に近い言葉を投げかけた。
美波は、片方の口角にぎゅっと少し苦しそうな皺を作った。
「今のところ思いつくのは、ラジオ好きで、特にこのラジオ番組もしくはコーナーが好きだった。これまであくまで実体験に基づいて何度も投稿し続けてきたが、一度も番組で読まれることがなかった。どうしても採用してもらいたいという欲が勝ってしまい、魔が差してつい……といった具合とかかなと思っているのですが。正直、そこがちょっとまだ」
美波の、これまでとは打って変わった歯切れの悪さ。
「こう言っちゃなんですけど」光莉は恐る恐る話す。「採用されるのに躍起になるほどの番組って感じ、しないんですが……」
コーナー名はおろか番組名さえも初めて聞いた、そして実際に聞いてみて、夜だというのに、どこか昼のコミュニティラジオ感の雰囲気さえ感じていた光莉にとっては、美波の作り話を投稿した理由というのに対して、どこか納得いかなかった。
「スペシャルウィーク、だからじゃない?」
不意に突然、片桐がそう言った。
「スペシャル、ウィーク?」美波は迷いながら尋ねた。
「……あっ、そもそも、スペシャルウィークって何か、知ってる?」
美波は喋らず、首を横に振った。光莉は反対に、縦に振っていた。
「簡単に説明するとね。ラジオにはね、どの世代のどんな人がどのくらい聴いているのか、テレビでいう視聴率みたいな指標、聴取率っていうんだけど、それを測る時期があるんだ。ラジオでも番組の間に挟まるCM、いわゆる広告収入ってのが番組制作をするにあたっての肝になる。要は、スポンサーに売り込みをかけたり、番組のテコ入れや改変の判断材料にしたりするのに使うのが聴取率ってわけ。とまあ、この聴取率を少しでも獲得するためにラジオ局は、ゲストを呼んだり、豪華賞品が貰えるようにしたりするんだ」
知識が一つ増えた美波は「へぇ」と深く数回にわたり頷いた。
「このラジオは、後者の方に力を入れてるっぽくてね。今週採用された人には、和牛や高級フルーツ、ホテルのスイートルーム宿泊券などなど、豪華賞品が何かしら当たるんだとさ」
美波は顎をつまむように、手を添えた。「それを貰うために投稿した……確かに考えられなくはないですね」
光莉は片桐を見ながら、少し笑みを浮かべている。「てか、番組の知名度に対して、随分豪華ですね」
「おい、いきなりだな。そんでおい、失礼」と、冷静に突っ込む片桐。
だが、光莉は特段気にする様子はなく、「しかし、今週がスペシャルウィークだって、よくご存知でしたね」と、話を戻した。
片桐はワンカップ酒を一口飲みかけていた。慌てて口から離すと、顔がつい追いかけるように動いた。
「さっきね、ラジオで言っていたんだよ。ちょうどコンビニへ買い出し行ってた時だったかな」
「ああ。そうだったんですね」
光莉の反応を横目に、美波は小さく手を上げ、続けて尋ねる。「そのスペシャルウィークっていうのは、いつやるかは事前に分かるものなんですか?」
「うん。番組表とかからでも分かるし、番組内や番組ホームページでも予告は打つ。番宣CMとかもやるだろうね。それに、やる時期ってのは毎年、そう大きく違うことはない。ネットで過去の実施時期を検索すれば、かなり前からでも目星をつけることは、全然不可能じゃないと思う」
「そう、ですか」美波は鼻から深く息を吐いた。
「ま、真実は闇の中だよ」片桐は残り少ない酒をくいっと全て飲み干した。「ってことにして、これ以上追究するのはやめておこう」
「「え?」」
唐突な打ち切りに驚き、光莉と美波は同時に声を上げた。