4.残りの時間は雀の涙
「成る程、ですね……」
美波は片桐と光莉から事の経緯をひと通り教えられると、顎に手を添え、何度か小さく頷いた。眉は少し険しそうに寄っている。
刑事の二人はそんな三人をジロジロと眼光鋭く見ている。少し距離を置いており、しかも出入口側に三人がいるためか、逃げ出そうとしているのではないか、と疑っているようであった。
「そう。人は皆、呼ぶ。彼彼女を、姿なき犯人、と」
話している間に、他の客二人も自身の洗濯を終えて、コインランドリーを去っているせいで、誰も反応しなかった。美波も光莉も、当然刑事二人も。流れる沈黙は痛々しかった。
「なに呑気に命名してんすか」
いたたまれない空気を破ったのは、光莉。その顔には苦笑しかなかった。
「いやいや、僕がしたんじゃないよ。ネット。ネットに書いてあったんだ」
「あっそうですか」光莉の反応はあっさりしていた。
「それで」片桐は視線の向きを変える片桐。「どうだい、ミナっちゃん?」
「どう、だい?」
首こそ傾げてはいなかったが、美波の言い方にその動作は込められていた。
「ほらあれだよ、あれ。いつもの。あんな感じで、ミナっちゃんが気になった事から紐解いてってさ、真実のベールをはがしちゃう的なやつ」
そんなすぐには出てこないでしょう。光莉は心の中でひとり呟く。
「そうですね……」急に言われたせいだろう。美波の反応は案の定、戸惑いと少しばかりの焦りが混じっていた。
「頼むよ、ミナっちゃん。いやっ、どうか。美波さまぁ」
一方の片桐はというと、急に声を張り上げていた。加えて、妙に肩を窄め、手をこすり合わせている。
「これじゃあ、あっしは無罪冤罪濡れ衣かけられたまま、ムショにぶちこまれちまうんです。だからあっしを、どうかっ、あっしをっ、救ってくだせぇ。お天道様を浴びさせてくだせぇ、この通りでござぁいやっすっ」
深々と上半身を傾ける片桐だったが、腕だけは上げており、高い位置で手のひらを合わせている。依頼というより、もはや祈祷。
その姿を見ながら光莉は、何時代の人の口調?、と脳裏で呟く。
身にまとっている作務衣が、その昔ながら感をより一層醸し出している。そのせいでもはや、片桐は江戸時代からタイムスリップしてきた人間、になっていた。
あまりにも必死な懇願に、美波は若干引いている。だが何かを決意したように、美波は目をぎゅっと閉じると、大きく開いた。覚悟を決め、推論モードに切り替えたのだった。
「ま、まあ今のところ、一つありますが……」
「えっ、マジでございやすか!?」片桐は嬉しそうだ。無邪気な子供みたい。「どうか何卒。何卒っ、よろしくおねげぇします」
頭を垂らした片桐を横目に美波は、喉を少し鳴らして、咳払いをした。
「もしも仮に、片桐さんが犯人だとしましょう」
「えっ、いきなり?」顔を上げた片桐。目は開き、眉は上がり、呆気に取られていた。
「まだ続きがありますよ。ほら、もしも話ですから」
光莉の補足を受け、美波は「話を戻しますが」と続ける。
「もし仮に片桐さんが犯人だとしたら、作務衣の目撃情報が、何故最近の一件でしか出てなかったのか、私は気になります。確か、今回は目撃証言が多かった、というお話だったかと記憶していますが、もしこれまで作務衣を着ていたのだとすれば、同じような目撃談が出ていて然るべきだと思うのです」
「とはいえ実際問題、作務衣を着てる人なんてそうはいないけどね」光莉は口を窄めた。「珍しいし、目立つ格好ではあるよ」
「なんだよ、人をツチノコみたいに言っちゃって」片桐も口を窄めている。こっちは不貞腐れだ。
「ツチノコみたいに、だとしたら、もう伝説もしくは架空の生き物になっちゃいますよ?」ぼそりと呟く光莉。
「レア感あっていいじゃん。遭遇できちゃった!、みたいな」
「まあとにかくですね」美波が半ば無理矢理軌道に戻す。「記憶に留まっている人ぐらいはいるかと思うのです。しかし、これまでそれは一切なくって、今回の一件のみ。どうも私にはそれが腑に落ちなくて……」
「そりゃあもちろん」と、盗み聞きをしていた等々力が横槍を入れてきた。開いていた距離を縮めようと、三人のほうへ歩いてきている。
「目撃情報が出なかったんじゃなく、そもそも作務衣を身に着ていなかったからだ。直近の一件だけ、その格好で犯行に及んだ」
「わざわざ目立つであろう作務衣を着て、ですか?」
「そうだ」
その力強く堂々とした返答は、少しばかりの違和感や矛盾点は無かった、見なかったことにする等々力の態度であった。
「成る程、そういうことですか」何かを察したような反応の光莉。前にさらっと聞いた話が脳裏に浮かんでいた。「その雰囲気だと、片桐さんから聞いてないんですね」
「何?」等々力は機嫌悪そうに片眉をつりあげた。
「実は片桐さんって、これ以外の種類の服を持ってないんですよ」
光莉の発言に、「あっそうそう!」と、どこか嬉しげに反応する片桐。
「は?」等々力は、残って静かにしていた眉も上げた。
「僕ね、冠婚葬祭含め、まあ呼ばれることもないだろうからって、全て捨てたんですよ。とっくの昔に」
「疑っているのなら、僕の自宅を探してもらって構いませんよ。嘘じゃないって、信じてくれるはずですから」
「はぁ……」つくづく変な奴だなぁ、という目で見る等々力。
美波は刑事たちを見る。「となると、片桐さんであるとすれば、作務衣の目撃証言がそれまでずっと無かったというのは、やはり妙ではないかと感じます」
「いやいや、お嬢ちゃん。そうはならんだろ」
嘲笑うように、等々力は腕を組んだ。飛躍しすぎだ、とでも言いたげな表情。
「いいかい。さっきも話した、簡単なことさ。その時々で、犯行用に目立たない洋服を揃え、終わったら捨てていたとすればどうだ。ほら、それだったら、目撃談のことも、作務衣以外にこれまで持っていなかったとしても、矛盾はない」
「そんな無駄使いするなら、酒に使うぞぉ!」
小さく握り拳を上げる片桐。今日は酔っているのか、どうでもいい所作や反応が多い、と光莉は感じていた。
だから声を殺しながら片桐の腕を掴む。「お願いですから、もう黙ってて下さいっ」と、強制的に下ろさせた。
「とにかく格好を変えていたのなら、これまでに目撃証言が出ていなかったとしても、変じゃない。なあ、バスケ?」
賛同を求める声をかける等々力。だがその返答はなく、ただ洗濯機の回る音だけが耳に届いてきた。
「……ん?」
等々力は肩の後ろを見る。そして、足を引き、半身をずらす。
櫻木はいた場所を動いてなかった。その目線は、ぼんやりと何故か美波のほうへ。頬は何故か少しだけ赤らんでいる。
等々力は「おい」と、櫻木に張った声をかける。
「……え? あっ、はい」
「ったく。ぼぉっとしてんじゃねえよ」
「す、すみません」櫻木は慌てて等々力のそばに駆け寄った。
「とにかくそういうことだ」等々力は視線を戻すと、そう無理にまとめようとした。
「だとすれば」しかし、美波も負けてはいなかった。
「最後の犯行だけ作務衣を着ていたのは何故でしょうか。目立つのだと自覚していたのであれば、最後の一件だって、目立たないように同じく、服を変えればいいだけのことではないですか」
体格差のあり、そのうえ押し倒そうと強く出てくる等々力にも、美波は引くことなかった。むしろ、向けている眼光は鋭い。なんとも勇ましかった。
「それはだから、色々と考えられるがな。例えば、突発的に盗みに入らなければいけなかった、とか。これまでは計画的に犯行に及んでいたが、目撃のあった直近の一件だけは、なんらかの理由で、計画が狂い、すぐさま実行せざるを得なかった。だから、作務衣のまま、犯行に及んだ。ほれどうだ」
「では、なんらかの理由とは、一体なのでしょうか」美波は追及の手を止めない。次々と休まずに訊ねていく。
「そりゃあ……なんらかの理由はなんらかの理由だよ」
等々力は返す言葉に詰まらせる。目が一瞬泳いだのを、美波は見逃さなかった。
「そこを明確にしていただかないと納得できません」
「なんだと?」
「では、こういうのはどうでしょうか」美波は人差し指を立てた。「私たちがこの事件を明確にしてみせます」
「は?」
「何故なのか、その部分を解明してみせます。ですので、私たちに考える時間を少しだけ頂けませんでしょうか」
等々力は不満そうに、眉を酷く寄せた。
「なんだ、この連続空き巣事件を、お嬢ちゃんが解決してみせる、そういうことか?」
「そこまで大それたことが出来るかは分かりませんが、少なくとも片桐さんの疑いを晴らせるよう、全力は尽くします」
等々力は、ふふっ、と鼻で嘲笑った。やれるもんならやってみろ、と言っているように見えてならなかった。
「じゃあ、そうだな、だったら……二十分だ。二十分だけならやる。その時間で、やってみるがいい。出来なきゃ、容疑者として、署まで連行……いや、任意で、そっちから進んで来てもらう。いいな?」
光莉は抵抗する。「いや、いくらなんでも、そんな短い時間じゃ分かるものも分からな……」
言葉半ばで等々力が「なんだ?」と反応する。
「不満なら、今すぐにでも連れてってもいいんだが?」
強い口調で返された光莉は言葉に詰まる。そして、視線を落とす。納得のいく時間ではないのはもちろん。だが相手は警察。主導権は完全に向こうである。これ以上の交渉は難しかった。
「……分かりました」美波は渋々頷き交じりに返事をした。「二十分で結構です」
「よし」等々力は腕時計を見た。「じゃあ今から二十分後にまたここに来る。それまでに答えを出しておけ」
ポケットに両手を入れて、自動ドアへと向かう等々力。
「え、ケンさん。行っちゃうんですか?」驚きのあまり、目を見開いている櫻木。
「ああ」振り向く等々力。「そこの牛丼屋で晩飯食ってくる」
「分かりました」
櫻木も出ていこうとする。が、等々力に「待て待て待て」と、腕を伸ばして無理矢理に動きを止める。
「え?」まさかの対応に戸惑いを隠せない櫻木。
「お前はここで待機だ」
「へ?」
「どっかに逃げられちゃ困るじゃねえかよ」等々力が一瞥するは片桐。「見張る奴がいてなきゃ駄目だろうが。ここで、見張ってろ」
「えっ、あっ、はい……」ついて行こうとしていた足を止める櫻木。声の覇気と元気が弱まっている。
「じゃあ、あとは頼んだぞ。バスケ」
「あっいや、バレーボールですって。中高部活は」
「そうだっけか。まあ、どっちでもいいだろ。お前がデケェことには変わりねえんだし」
「えぇ……」櫻木の悲しい声が聞こえる。
等々力は腕時計を見て、片桐を見る。「あと、十八分後な」と言い放ち、コインランドリーから出ていく。
だが、すぐに立ち止まった。見ると、幾つもの宅配物を手押し台車に乗せて押している宅急便の男性が店の前をちょうど横切ろうとしているのに、ぶつかりそうになっていたのだ。
「おっと」機敏に避ける等々力。同時に、「あっ、すみません」と宅急便の男性も慌てて引き止める。
自動ドアの前での出来事。開きっぱなしであったため、応対の声が店の中まで聞こえてくる。
「お怪我は無いですか」
宅急便の男性は帽子のつばを上げた。目鼻立ちが整った若い男性である。学生時代はバリバリスポーツをやっていたのだろうな、という凛々しさがある。
「ええ、大丈夫です」等々力は返事をする。
続けて、「遅くまでご苦労さんです」と声をかけると、左方向へと進み、途端姿が見えなくなった。
誰もいなくなったせいで、自動ドアは閉まる。ゆっくりと。
しっかり閉じ切ったのを確認。あれでも緊張と集中をしていた片桐は、疲労感のある出し方で、大きく息を吐いた。
「残り時間は雀の涙、か……」
そのまま光莉は、自身の衣類が入っている洗濯機のほうへと視線を向けた。
洗濯が終わるまでの時刻が機械の上部に表示されてる。赤いデジタル数字で、そこには「18」と出ている。
どうやら皮肉にも、光莉の洗濯が終わる時が、片桐のタイムリミットらしい。
光莉は不思議と祈っていた。今回ばかりは洗濯が終わってしまわないでくれ、と。
洗濯が終わってしまえば、制限時間ということ以外に、何か別の事も終わってしまうのではないか、と脳裏をよぎったからだ。
考え過ぎだと思っている。だが嫌な予感というのは一度考えてしまうと、重りを飲み込んだようにずんと身体に残るもので、どうもそう思えてならなかった。
表示が動く。残りは「17」分。