第8話 誰も人形の中身に興味は無い
トン!矢が的に当たる。同時にシャッ!と部員の掛け声が上がる。私は20射放って、良くて8射当たる程度の腕だ。中学生で弓道部に入るなんて珍しいが色々と挑戦したい性分なのである。自分が進学する高校に弓道部があるのかは分からないがあったなら続けていきたいとも思う。
弓懸も手に馴染んできた。最初は皮の匂いが嫌だったが、慣れてくると愛着も湧いてくる。決して汗くさいのが好きだとかそう言う訳では無い。使った後はドライヤーで乾かして湿気でカビないように気をつけている。
「雲母ー」
雲母
「はい。なんでしょう?」
部活が終わり後片付けをする。破れた的の上にさらに紙を張って乾かす。試合で使うものではなく練習で使うものの為これでいいのだ。その最中、一緒に張り替え作業をしている部活の先輩が話しかけてきた。
「よく当たるようになってきたわね。このまま高校まで続ければ平均15中するくらいの腕前にはなるかもしれない。3段だってきっとすぐ取れるわよ」
雲母
「進学する高校に弓道部があったらいいんですけどね〜。先輩は弓道部続けるんですか?」
「どうだろ。私目が良くないし。メガネかけてても実際に見てるものと大きさが違って見えるのよね。メガネ外すと思ってた以上に見えるものがでかかったりするのよ」
雲母
「へー。やっぱり続けるの難しい感じですか。近視なんですか?」
「近視に乱視ね。どんどん目が悪くなって行っちゃうのよね。メガネ屋はボロ儲けよ」
2人はケラケラと笑う。
雲母
「大袈裟ですよー。けど目が悪い人ってどんどん悪くなっていきますよね。なんででしょう」
「そりゃあ雲母、儲ける為よ。メガネを掛けてると目が悪くなるのよ?お酒とかタバコとかと一緒。皆にメガネをどんどん買ってもらう為なのよ」
雲母
「え、本当ですか?」
「ふふふ、嘘よ」
雲母
「ふっ、ちょっと信じちゃいました。でも目が悪い人って結構いますよね。そのうちメガネとかコンタクトをかける人しかいなくなるんじゃないです?」
「それは大丈夫。目が悪いのは劣性遺伝子だから。世代が進むにつれて劣性遺伝子は淘汰されていくはずよ。あと環境に依存する場合も多いけど、メガネをかけるほど目が悪い人はデスクワークしてる人とかに限られて来るんじゃないかしら?」
雲母
「なるほど。先輩詳しいですね♪」
「でしょ? なんでも聞いてくれていいわよ」
この人は森永天使。人の事は言えないが平凡な苗字に変わった名前の3年生の先輩である。面倒みが良くいつも冗談を言ってくる。その冗談は本当なのか嘘なのか分かりにくい。だがその話の内容は惹き込まれるユーモアを持っている。私はこの先輩が大好きだ。
雲母
「ちなみになんで劣性遺伝子は淘汰されるんですか?」
天使
「そりゃあ自然の摂理によって繁栄できなくなっていくからよ。これ以上言わせるつもり?」
雲母
「…あ、ごめんなさい。言い過ぎました」
天使
「その切り返しは狡いねぇ」
2人はクスクスと笑う。
劣性遺伝子は淘汰される。その言葉に雲母は少し引っかかった。
雲母
「…先輩。なんでいじめって起こるんでしょう」
天使
「え? そんな話を振ってくるなんて珍しいわね。雲母はなんでだと思う?」
雲母
「弱かったり、いじめ易かったり。加害者から一方的に暴力を振るえるから、だと思ってます」
雲母は華山を思い出した。彼が誰かに虐げられる場面を見たことがない。
天使
「ふーん。私はそれも理由のひとつだと思うわね。だけど根掘り葉掘り調べていったらあれもこれも理由は出てくると思うな」
雲母
「そうでしょうか。腕力で暴力を振るう男性はいじめられることはないです。私は弱いものを虐げるのが人間の本来の性質なんじゃないかなと思い始めてます」
天使
「うーん。例えば夫婦喧嘩が起こったとしましょう。夫か妻か、どっちが悪いと思う?」
雲母
「…え?理由が分からないのでどっちとも言えないんじゃないでしょうか?」
天使
「まぁそんなところね。旦那が妻に手を出したとしましょう。そりゃあその事実だけを汲めば旦那が悪い。妻が浮気をしたとしよう。元を辿れば浮気をした妻が悪いかもしれない。暴力を正当化するわけじゃないけど? 要はなんでそんなことが起こってるのかって訳よ。どっちかに何かが違ってたら喧嘩には発展しなかったわけで、客観的に判断するにはなんで喧嘩やいじめが起こってるのかを汲むのは難しいところだね」
雲母
「…何があろうと誰かを虐げていい理由にはなりえないと思います」
天使
「もしかして誰かいじめられてるの? もしかして雲母、あんた?」
雲母
「あ、いえ。私はいじめられてません」
天使
「そっか。勿論そうよ。無抵抗な人間が虐げられていい理由にはなりえない。何があろうとも? 昔酷いことをされただとかそんなのは今はなしにしましょう。例えば自分のクラスでいじめがあったとして、雲母はなんでだと思う?」
雲母
「分かりません。きっと自分がいじめられないように誰かを虐げるんじゃないでしょうか」
天使
「でもいじめのないクラスだって世の中あるわよ?回りくどい言い方だったかしら。これも1つの考えでしかないんだけど、相手の気持ちが分からないからじゃなのかしら」
雲母
「…相手の気持ちが分からないから、ですか」
割とありふれた答えが返ってきた。私は少し落胆する。
天使
「そうそう。人間は異物を排除する傾向がある。それは人間同士でもそうだし同じ種類の動物同士でもそうなのよ。その理由のひとつに弱いから狩りができないだとか、喧嘩っぱやくて協力が出来ないだとか、色々あるの。ずっと昔からそうよ。理由は兎も角、当たり前のことだけど雲母はいじめ自体に嫌悪感を抱いているのね」
雲母
「…ええ。何故こんなに苦しいのかも理解できません」
天使
「もしかしていじめられてるのは雲母の友達なの?」
少しドキリとした。少し話し過ぎてしまったかもしれない。下手すれば先輩を自分問題に巻き込んでしまうかもしれない。そう思えばそれ以上話すのを躊躇した。
雲母
「いえ。テレビでいじめられる話を聞いて嫌だなー…って」
天使
「ふぅん。今私は雲母の気持ちが分からないな〜」
雲母
「あはは、いじめられちゃう〜…」
天使
「茶化さなくていいわよ。もし本当に困ってるなら私にいいなさい。力になってあげるから。勿論無理に首を突っ込む気はないけど」
雲母
「…先輩は優しいですね。大好きです」
天使
「本当? まさか、…雲母は女の子が好きなの?」
雲母
「そういう意味じゃありません。茶化さなくていいです」
部活が終われば雲母は空手部の道場を覗きに行く。法助の姿を探す。華山と法助の姿を見つける。
華山
「お、出待ちか?お前も隅に置けねぇな」
嫌な奴と鉢合わせてしまった。嫌な表情が出てしまう。
華山
「お邪魔みてぇだ。それじゃあな。明日も来いよ」
華山が離れれば雲母が法助に駆け寄る。
雲母
「法助…!」
法助
「常磐さん、どうしたの?」
法助はキョトンとしている。まさか部活が終わってここまで来るとは思わなかったようだ。
雲母
「酷いこと、されなかった?」
法助
「心配してくれてたんだね。大丈夫だったよ」
雲母
「そっか。良かった」
法助
「うん。部活が始まる前の筋トレが辛かったけど殴られたりはしなかったよ」
雲母
「何かあったら絶対に言ってね!」
法助
「え、あ、うん」
法助は少し頬を赤らめた。
少しの間2人は佇む。
法助
「…と、常磐さん。一緒に帰る?」
雲母
「え…いいよ」
雲母は何故こんなに法助に執心しているのか謎だった。好きだと言われたから? 友達になったから? 法助を好きになったのか? どれとも違う気がする。2人は帰路につく。
雲母
「体験入部、どうだった?」
法助
「今の空手って殴ったりしないんだよね。顔に当たらないようにヘッドギアをつけるし。ちょっと臭うけど」
雲母
「ああ、頭に被るやつだね。ふふ、臭いのは嫌だなー」
法助
「今日は部長さんが丁寧に教えてくれたよ。入ってもいいかなって思っちゃった」
雲母
「…ダメだよ」
何故か入部に否定的だった。
雲母
「いつか酷い目に合わされちゃう」
法助
「う、うーん。今はまぁ部長さんもいるから大丈夫かもしれない。そうだ。弓道部ってどんな感じなの?」
雲母
「弓道に興味があるの?」
法助
「正直言うとない。でも常磐さんがやってるんだからもしかしたら面白いかもしれないなーって」
雲母
「結構難しいんだけど、的に当たると楽しいんだ。上達していけばみんな褒めてくれるし。どう?試しに体験入部する?」
法助
「ははは、次は弓道部か…。女の子が多いんじゃない…?僕が行っていいのかな」
雲母
「確かに女の子は多いね。男子は学年に2、3人だよ」
法助
「やっぱりそうか〜。ちょっと考えさせて」
雲母
「ふふ。無理にとは言わないよ」
2人は沈黙する。
雲母
「…日誌」
法助
「…うん」
雲母
「私の机に入ってた」
法助
「…うん」
雲母
「誰かが入れたのかな…? 全く覚えがなくってさ」
法助
「僕は気にしてないからいいよ」
雲母
「法助」
法助
「うん?」
雲母
「それでも私じゃないって信じてくれるんだね?」
法助
「うーん。見つかってよかったって気持ちしかないかな。常磐さんが違うって言うならそれを信じるしかないし。常磐さんは僕と図書室に行ってたし。あの時職員室まで行ってくれるほど心配してくれたのは常磐さんだし」
雲母
「そっか。信じてくれてありがとう」
法助
「あのさ、また今度どこかで食べ歩きでもしない?」
雲母
「食べ歩き?いいね。何を食べに行く?」
法助
「まー、宛もなくブラブラしながら?」
雲母
「誰かに見つかったら噂されちゃうかも?」
法助
「…君が迷惑じゃなかったら別にいいよ」
雲母
「私が、迷惑だと思う?」
法助は口をつぐんでしまった。今の自分は彼女と余程釣り合わない。そう思ってしまっている。
法助
「…正直、少し」
雲母
「どうして?」
法助
「あ、えっと。だってそりゃ、君は綺麗だし、僕なんて釣り合わないんじゃないかなって」
雲母
「この間はお似合いだって言ってたのに?」
法助
「あれは吹っかけただけさ…。意地悪されてると思ったから」
雲母
「…法助、あのね…。人形って、あるじゃない?法助はまず人形の何処を見る?」
法助
「人形の何処を見る…?うーん、服とか顔とか。でも印象的な部分を先ず見てしまうね。顔が綺麗なら顔を、服が綺麗なら服を?」
雲母
「そう。誰も人形の着飾った部分に目が行くけど、人形が出来た過程や中身に関して全く興味が無いよね」
法助
「人形の中身…。人形に中身がある事を想定してないからね。外見を見て満足してしまうんだろうね」
雲母
「そうだよ。誰も私の中身に興味がないの。みんなまず外見だけをまず見て判断する。その上でみんな近付いてくる。でもそれじゃあ、ちゃんと私自身を見て貰えてないよね…」
法助
「なるほど…。それでは本当に君に興味があるとは言い難いのかもしれないね」
雲母
「法助は私の内面に興味はある?」
法助
「…正直僕は君が何故か僕にこだわるのか凄く気になっている。その上で君の内面を知れるなら是非知りたいと思ってる」
雲母は法助をじっと見つめたあと法助と距離をとった。
雲母
「…私の家こっちなんだ。また明日!じゃあね!」
法助
「あ、ああ。また明日」
法助は雲母に不思議な魅力を感じていた。少しずつでも彼女を知れるのなら、まだ一緒に居てくれるのなら、彼女の友達としてありたいと思えた。