第62話 謀
雲母
「…う、うぇ…!げほ、げほ」
雲母はトイレで苦痛に呻いている。時より、あの時のことを思い出す。法助を目の前で蹂躙され、法助の目の前で貪るように唇を奪われた。この世の理不尽さ、この世の穢らわしさをまざまざと味あわされた。そんな気分であった。考え及びもつかなかった。琥珀が自分を想っていただなんて。自分の身内である琥珀がまさか自分に恋愛感情を抱いていたなんて。全く気が付かなかった。今ではまともに琥珀の顔を見ることも出来ない。
今ではまともに法助と言葉を交わすことも出来ない。【汚れた。】心に拭えぬ泥を擦り付けられてしまった。こんな自分が法助と付き合っていけるのだろうか。そんな不安すら感じる。あの時から、明らかに日常が変わった。いや、自分を取り巻く世界の異常性に気が付いた。気付かされた。思えば色々と合点がいく。1年での事、生徒会での事、クラスで自分が孤独であった事。法助は、クラスのはみ出しものであった。だから自分と近づくことが出来たのだ。もし法助が自分を愛してくれなかったら、あの夕方の教室での出来事がなかったらと思うと、ゾッとする。きっとおぞましい未来が待っていたに違いない。流れに身を任せてただ時が過ぎるのを待って過ごしていれば後悔していたかもしれない。
私は、法助に未来を救われていたのだ。
雲母
「…はは、守るだなんて…。私こそ烏滸がましかったね…」
人は、こんなにも脆いのだなと、雲母は思った。一瞬の出来事で変わってしまう。今では法助に助けを求めてしまっている。現状が変わる切っ掛けを法助に求めている。あわよくばそれを期待している。だが法助に任せていては自分は救われない。法助だって救われない。ならばリスクを冒さなければ。危険を顧みなければいけない。そして過去と向き合わなければいけない。
休日。雲母は駅前で箱柳と待ち合わせをした。
雲母
「おまたせ。…あれ?」
箱柳
「おはよう」
箱柳の横に弦浦が居り、壁にもたれかかっている。
弦浦
「…」
箱柳
「別に気にしなくて大丈夫だよ。ついて行きたいんだって」
雲母は白のトップスに水玉のハイウエスト。箱柳はビッグパーカーにホットパンツ。弦浦はジーンズに柄物のシャツに帽子。皆一応に私服である。3人は電車の切符を購入する。
雲母
「弦浦君も、あの5人と何か縁があるの?」
弦浦
「…いや、ないぞ。俺は本当に勝手に付いてきただけだ」
箱柳
「まぁいいんじゃない? 用心棒の代わりになるかもだし。良かったじゃん弦浦。両手に花だよ」
弦浦は帽子を深くかぶり込んだ。少し恥ずかしげである。
雲母
「えっと、向こうは5人揃って来るの?」
箱柳
「いや、今日アポ取ってるのは傀儡だった1人だけだよ」
雲母
「…傀儡?」
箱柳
「そう。常磐琥珀生徒会長は他人を使って情報を集めるの。私の時みたいに、法助を出汁に使ってね」
雲母
「あの動画を撮って、送ったのも琥珀兄さんの指示...?」
箱柳
「まぁそうだね。教室で2人でなにかしてるから動画を撮って来いって言われたんだ」
傀儡という言葉を華山と桐邑の話の中で聞いていた。こんな事まで影で行われているとは。
雲母
「…ある意味人権侵害だよね」
箱柳
「そうだよね。助平だよねー」
弦浦
「…常磐さん、あんたはどうなんだ? あんた、傀儡じゃないのか?」
雲母
「…私が傀儡…?」
どうなのだろう。クラスの状況を報告しろとは言われているものの、誰かの様子を観察しろとは言われていない。情報の整合性を図る為にクラスに何人かの傀儡がいるのではないだろうか。
雲母
「…どうだろう。私は誰かを監視するようには言われてないかな。クラスの状況を報告してとは言われてるけど」
箱柳
「じゃあA群の傀儡だね」
雲母
「A郡?」
箱柳
「A郡、B郡と別れててA郡の傀儡は生徒会とかに所属してる真面目ちゃんにクラス状況を報告させるの。その報告の中で問題のある子の監視としてB郡の傀儡を起用するんだ。私はB郡。監視対象は水鳥法助」
雲母
「…法助の監視…? 法助は問題児じゃないよ…?」
箱柳
「雲母さんに付く、悪い虫だから?」
弦浦
「…ふふ、ははは。アイツも難儀なもんだ。わざわざ常磐さんにちょっかいかけちまうなんてよ」
箱柳
「法助がいなかったら雲母さんは協力してくれなかっただろうし、傀儡をこんなに仲間に引き入れられなかった。桐邑は手立てがないって諦めてたし。それを3人も味方に付けられたんだもん。大健闘じゃない?」
雲母
「…そうなんだね。3人って、誰なの?」
箱柳
「1人は雲母さんだよ。もう2人はまだ内緒。ただ、雲母さんが【強力な傀儡になれるのは確かだね】」
雲母
「…」
確かにそうだ。琥珀は今の雲母を信じるかは別として、雲母の言うことを一応に聞くだろう。更には影響力の強い手札を切る事が可能だと思われる。
箱柳
「傀儡がクラスに何人ずついるのか分からない。だけど私達の周りの傀儡を生徒会長にバレずに懐柔して誤情報を流せば上手く誘導出来る。ともすれば生徒会長を罠に嵌めて弱味を握ることが出来る」
弦浦
「…おいおい、そんなに話しちまっていいのかよ。常磐さんは腐っても生徒会長の身内なんだぞ?」
雲母
「大丈夫ですよ弦浦さん。私、琥珀兄さんの事、もの凄く恨んでいるんです。法助を目の前で散々痛め付けたのは琥珀兄さんなんですから」
箱柳
「愛の力ってやつだね。悪いけどあなた達の愛を利用させてもらうからね」
雲母
「…弦浦さんは、危険を冒してしまう可能性がある事をご存知なのですよね…? 琥珀兄さんは、本当に危険な人ですよ…?」
弦浦
「…いいんだ。俺は苗生に頼み込んでわざわざ企てに協力させてもらってるだけだ。教室がこんな状態だっていうのも他人事じゃないし、これが失敗すれば苗生の身だって危ない」
箱柳
「私はあんたに苗生って呼んでもいいなんて言ってないんだけどねー」
雲母
「…一途ですね。きっと成功させましょう。琥珀兄さんがああなったのもきっと私の責任だから…」
箱柳
「雲母さん、あの生徒会長は常盤さんを好きじゃなくたってやってたと思うよ。だから気にしちゃダメだよ。今から倒す相手に一切情けを掛けちゃダメ。それに向こうは情け無用で仕掛けて来るんだから」
雲母
「その通りだね。全力で迎え撃たないと…」
隣町の駅に着けば下車する。田園風景が広がる田舎情緒溢れる町である。
箱柳
「この先の喫茶店で待ってるはずだよ」
3人は目的の喫茶店に入店する。
箱柳
「おまたせ。舘椿さん」
舘椿
「…あ、お久しぶりです。常磐さんに…こちらの方は…?」
弦浦
「俺は弦浦禅大だ。ただの連れとしてやってきただけだ。気にしないでくれ」
舘椿
「私は舘椿光瑠璃です。どうぞ、よろしくお願いします」
雲母
「…舘椿さん。あなたが傀儡だったんですね…?」
舘椿
「そうです…。私は桐邑悠郁のB郡監視役の傀儡でした」
箱柳
「積もる話もあると思うし、何か頼んでゆっくり話をしようよ。私から奢るからさ。弦浦は自分で出してね」
箱柳はメニューをパラパラと開く。
弦浦
「…あ、ああ」




