第48話 落し物
月姫は朝食を摂りながら占いをチェックする。
月姫
「おとめ座は…9位だね」
款太郎
「しし座は3位だ。兄ちゃんの勝ちだな!」
月姫
「別に競ってないしー」
おにぎりの中に梅干しが入っており、おかずに卵焼きと前日の残りの唐揚げ、マカロニサラダとお味噌汁のシンプルな朝食だ。月姫は朝食を摂れば手早くお化粧をする。
款太郎
「お、今日も頑張ってるな」
月姫
「ほっといてよ〜」
款太郎
「…月姫がそうやって化粧台を使ってくれてお兄ちゃん嬉しいぞ。頑張れよ!」
月姫
「…え?」
款太郎はそのまま登校した。頑張れよ? 何に対しての頑張れなのだろうか。まさか勘づいたのでは…? 頑張れよ。特に悪い気はしなかった。
兄が買ってくれた化粧台、思う存分活用させてもらっている。憲助と付き合えたのなら、ちゃんとした形で兄に紹介して祝福して貰えたら素直に嬉しい。だが兄が少しずつ離れていっているような、そんな寂しさもあった。
月姫はいつもの時間にバスに乗る。毎朝の日課が自分の化粧のチェックに費やさられる事となった。自分でも少しませているような気もしないでもない。化粧鏡には憲助とのプリクラが貼ってある。ついに憲助の写真を手に入れることが出来た。これでノートのハンサムとにらめっこする必要はなくなった。憲助とのプリクラを見ながら月姫は微笑む。
今日も憲助に会えるだろうか。毎日が以前より刺激的で、楽しいものになっている。きっともっと楽しいものになる。美しい世界になってくれる。そのはずなのだ。目的のバス停に着けば下車する。すぐさま憲助をキョロキョロと探す。
月姫
「あ、いた!」
月姫が憲助と思しき学生の元に駆け寄る。顔を覗き込む。
月姫
「憲助さん!」
「うん?」
違った。憲助ではなかった。
月姫
「あ、ごめんなさい…。人違いでした」
月姫は相手に謝り、慌ててその場から離れる。また憲助を探し始める。この時間なのだ。いつもこの時間に憲助がここにいるはずなのだ。学生手帳を拾った場所にたどり着く。憲助はどこか。キョロキョロと辺りを見回す。
月姫
「…いない」
憲助を見つけることは出来なかった。まぁ仕方ない。こんな日もあるだろう。月姫は諦めて学校に行く。憲助に会えなかったことが残念で片手を枕にしてうつ伏せになれば手鏡のプリクラを眺めた。
「あ、月姫ちゃん。その人彼氏? かっこいいね♪」
月姫
「うん?」
友達に話しかけられた。
月姫
「あ、うーん。まぁ…そうかな」
「どうしたの? なんか浮かないね」
月姫
「そんなことないよ? 日曜にデートした時に一緒に撮ったんだ。私は今幸せいっぱいだよ?」
「へぇ〜。羨ましい! デート楽しかった?」
月姫
「うん、楽しかったよ。えっとね…」
月姫はデートの話を友達とした。デートは確かに楽しかった。だが憲助の最後の言葉が引っかかって離れない。【さようなら。】その一言だけが自分の中で溶けず、解けず、消えてなくならない。忌々しくずっと残り続ける。安心させて欲しい。私を安心させて欲しい。おはよう、その一言を聞ければ今日満足だったのだ。今日おはようがあれば、明日もおはようがある。その日常が続いていく。明日が続いていく。明日に希望が持てる。さようならを否定して欲しい。自分と憲助はまだ続いているのだと、幸せは続いているのだという証明がほしい。
放課後。
月姫はコンビニへ向かう。もはやルーティーンだ。ウォークインからコーヒーを取り出し、イートインで啜る。来ない。憲助は来ない。
月姫
「来ないなぁ…」
憲助とは、今日会えなかった。月姫は家に帰る。晩御飯を食べ、お風呂に入り、時間になれば部屋に戻る。手鏡のプリクラを眺める。明日は会えるといいな。そう思いながら眠りに着く。
翌日。
月姫は朝食を食べ、化粧をする。
款太郎
「おとめ座、4位だぞ。しし座は7位だった。負けちゃったな〜」
月姫
「あ、うん」
月姫は占いを見るのが怖かった。12位だったらどうしようと思って今日は見なかった。
款太郎
「なんだか浮かないな。何かあったのか?」
月姫
「ううん。何も」
何も無い。何も無かったから浮かないのだ。
款太郎
「そうか。じゃあお兄ちゃん、先に行くからな」
月姫
「行ってらっしゃい」
月姫は出発の準備を整えれば登校する。いつもの時間のいつものバスに。化粧鏡を見て化粧をチェックする。目的のバス停に着けば下車し、憲助の制服を着た学生を探す。
いない。憲助はいなかった。
月姫は学校に行く。いつも通りに授業を受ければ放課後コンビニへ行く。コーヒーは買わずにイートインで外を眺める。憲助は見つからない。声を掛けられることもなかった。
憲助とは、今日も会えなかった。月姫は家に帰る。晩御飯を食べ、お風呂に入り、時間になれば部屋に戻る。明日は会えるといいな。そう思いながら眠りに着く。
翌日。
月姫は朝食を摂り、化粧をして同じ時間にバスに乗る。化粧鏡で化粧のチェックをする。目的のバス停に着けば下車する。憲助を探してみる。しかし憲助を見つけることは出来なかった。
月姫
「…」
その日も、憲助を見つけることは出来なかった。晩御飯を食べ、お風呂に入り、時間になれば部屋に戻る。…明日は会えるといいな。そう思いながら眠りに着く。
翌日。憲助には会えなかった。
翌日。憲助には会えなかった。
翌日。憲助には会えなかった。
日曜日。月姫は憲助が通っているであろう高校の前で待ってみる。
憲助には、会えなかった。
翌日。
款太郎
「…月姫」
月姫
「…」
款太郎
「どうしたんだ?最近、元気ないぞ…?」
月姫
「大丈夫だよ…」
款太郎
「…そうか」
款太郎が占いを見ようとテレビをつけようとする。
月姫
「やめて」
款太郎
「え?」
月姫
「…占い、見たくない」
款太郎
「…そうか」
月姫は朝食を摂らず、化粧をして登校する。手鏡は見ることなく、じーっと床のシミを眺めていた。目的のバス停に着けば下車する。空が曇っている。今にも雨が降りそうだ。月姫はおぼつかない足取りで登校する。太陽に向かって花開いた向日葵が、日が落ちて頭を垂れるように月姫は頭を垂れながら歩いていく。
さようなら
さようなら
さようなら
【さようなら】
…きっと、もう会えない。憲助には会えない。憲助を見つけることは出来ない。生徒手帳が落ちていた場所で立ち止まる。拾わなければ良かった。拾わなければ憲助と会うこともなかった。デートすることもなかった。夢を見ることもなかった。たった数日間の思い出だったが、自分にとっては胸いっぱいの幸せを感じられる時間であった。こんなことになるならば、知らなければよかった。幸せなんて知らなければよかった。こんなに辛いのなら、知らないままでいさせて欲しかった。
月姫はそこで立ち止まり地面をじっと眺める。雨が降ってくる。道行く生徒たちは足早に学校へ向かう。月姫は立ち止まり続ける。地面を見ているのか、ただ俯いているのか、それすら分からなかった。心に空虚な穴が空いている。自分の胸を通して後ろが見えるような気さえする。下を向いているのか、胸の穴を見ているのか分からなかった。雨で化粧が溶けていく。雨で月姫が解けていく。そういえば学校にも折り畳み傘はなかった。どこへ行ったのだろう。この穴に折り畳み傘がすっぽりはまりそうだ。折り畳み傘と一緒に、自分の心も無くしてしまったのだ。月姫は雨に打たれながらドロドロと世界に溶けて行った。
一瞬雨が止んだ。
憲助
「…月姫ちゃん」
月姫
「…」
月姫の世界が修復されていく。驚いた表情で後ろを振り向く。
月姫
「…憲助、さん」
憲助
「ずぶ濡れだよ…?」
月姫
「えへ、えへへ。傘、無くしちゃって…」
憲助
「…」
ふと、憲助の持っている傘を見る。【梵月姫。】そう名札が付いている。
月姫
「あ…え?」
憲助
「…この傘、返し忘れてたんだ。だから返しに来た」
返し忘れていた? どういうことだろう。
憲助
「僕は、君に話を聞くために接触したんだ。生徒会長の話を聞くためにね」
何を言っているんだ? 生徒会長?
憲助
「君はここで生徒手帳を拾った。あれはわざと落として君に拾わせたんだ」
私の傘を持っている。憲助が私の傘を見つけてくれた。
憲助
「そしてコンビニに入って雨宿りをしていたところに僕が話しかけた」
憲助が、私の心を見つけて来てくれた。
憲助
「…君をデートまで誘って、そして話を聞いた。それが僕の目的だったんだ」
憲助と、また会うことが出来た。
憲助
「…ごめんね月姫ちゃん、この傘を盗んだのは僕だったんだ」
月姫
「…憲助さん」
月姫は化粧の崩れた顔で微笑む。
月姫
「…憲助さんと、また会えた」
憲助
「うん?」
月姫
「憲助さんが、また会いに来てくれた」
憲助
「…」
月姫
「…私、ずっと憲助さんと会いたかった」
憲助
「…」
月姫
「…ずっと待ってた。憲助さんのこと」
憲助
「ごめん」
憲助は傘を月姫に渡す。
憲助
「…そういうことだから」
憲助は月姫に背を向ける。憲助が、行ってしまう。雨に紛れて憲助が徐々に見えなくなっていく。
月姫
「憲助さん!」
月姫は憲助に駆け寄り、背中に抱きつく。
月姫
「憲助さん、憲助さん、ああ、憲助さん…! 行かないで、お願い、お願い…!」
憲助
「…」
月姫は涙を流した。雨と涙とも見分けのつかない涙を流した。
月姫
「私、憲助さんのことが忘れられないの…! いつも憲助さんのことを考えてた。ご飯を食べる時も、授業を受けてる時も、家で寝る時も…!」
憲助
「…」
月姫
「明日も、明後日も、憲助さんと会いたい…! 私毎日憲助さんと会いたい。お願い、憲助さん、私を1人にしないで…? 私のそばに居て…?」
憲助
「…月姫ちゃん。僕はイカスミパスタを、食べたんだ」
…イカスミパスタ?何を言っているんだ?
憲助
「自分じゃ歯や舌が黒い事を確認できない。つまり、誰かがそれを見たってことだ」
憲助が手を握り、そっと自分から月姫を離す。
憲助
「僕には、彼女がいる」
月姫
「…」
世界が灰色になっていく。頭がボーッとする。憲助は離れていく。その背を見つめ、月姫は考えた。憲助が欲しい。あの世界には彩りがある。自分の灰色の世界とは違う色がある。彩りのある世界が離れていく。じっとそれを見つめる。虚構に溺れそうになる。息が荒くなる。この世が灰色に埋め尽くされていく。
月姫
「…はぁ、はぁ、はぁ…!」
離れていく。世界から距離が開いていく。追わなければ、世界を追わなければ置いていかれてしまう。あの素晴らしい世界が欲しい。【どんなに汚い手を使ってでも憲助が欲しい。】そして手を伸ばした。
月姫
「…お兄ちゃん!!」
憲助
「…!?」
月姫
「…お兄ちゃん、お兄ちゃん、置いていかないで…? 私を、置いていかないで…? うう、えぐ、えぐ、私を、1人にしないで…?」
月姫は懇願するように憲助にすがりつく。憲助は動けずにいた。お兄ちゃんと呼ばれた。月姫にお兄ちゃんと呼ばれた。その衝撃に身動きが取れずにいた。
月姫
「…私、私、うう、ぐず、お兄ちゃんに置いていかれちゃったら、1人にされちゃったら、生きていけない…。お願いお兄ちゃん、約束して…? 【また明日って…言って…?】」
絞り出すように、引き絞るように、請い願うように憲助の背に張り付き、離さぬように、離れぬように…。
憲助
「…」
憲助は振り向けば無言で月姫を抱きしめた。そうせざる得なかった。そうするしかなかった。月姫が兄のように慕うのならば、兄のようにそれに答えるしかない。なれば離さぬように。離れぬように月姫を抱きしめるしか無かった。




